1話 悪い男と幼気な少女
第一章では沢山応援ありがとうございました。第二章開始します!
違う、そんなわけない。あの人がそんなことするわけない。
そう言いたかったのに声が出なかった。側に駆け寄りたかったのに足が動かなかった。
周囲の嘲笑の声が、侮蔑の視線が、その人へと向かっていくのをただただ眺めることしかできなかった。
そんな時。
『そのブローチじゃないですよ』
降りかかる悪意も絡みつく視線もものともしないで、悠然と進み出た青年がいた——。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「改めて紹介するわ。ガーデンパーティでも会ったと思うけど、ロレッタ・ロックハート、私の父方の従姉妹よ」
「改めまして!ロレッタ・ロックハートです!どうかロレッタとお呼びください!」
「は、はぁ……ルクシオ・アンブラーです。ま、またお会いできて嬉しいです……?」
まずつけるべきでないところにクエスチョンマークをつけて、ルクシオは最愛の人から紹介された少女を見た。ロレッタ・ロックハート、ロックハート子爵家の次女であるとのこと。
「あ……その、私のこと覚えてはいませんでしょうか……?」
先程のクエスチョンマークが『嬉しい』ではなく『また』にかかってると思ったのだろう、ロレッタが不安そうに目を潤ませて見つめてくる。
「勿論覚えていますよ。ガーデンパーティでは髪色に合わせた、レモンイエローのフィッシュティールドレスをお召しでしたね」
同時に『覚えてるわよね?』とユーミアから無言の圧力を感じ、ルクシオはすぐさま取り繕った。
脳内からガーデンパーティの画像を抽出、目の前の少女と照合、一致した人物の服装の特徴を挙げる。
「わあ!ありがとうございます!覚えててくださったんですね、ルクシオ様!」
「こちらこそ。記憶に留めて頂けたようで」
これは一体どういうことだ。
本当なら今頃ユーミアの手を取って曲が始まるのを待っていたはず。それを「今日は貴方に紹介したい人がいるの」と、会場の隅で恥ずかしそうにしていた子供を前に出されて今に至る。ユーミアの手前最大限礼儀正しい好青年的な仮面を貼り付けているが、あと120秒くらいで剥がれそうだ。
「あの……今日は、ルクシオ様にお会いしたくて……ユーミア姉様に頼んで連れてきてもらったんです」
「それはそれは……わざわざ俺なんかのために」
「なんかだなんて!ルクシオ様はとっても素敵な方です!」
あと100秒を切った。99、98、97、96、95……。
「本当はデビュー前に夜会に出るのははしたないって、お父様に言われたのですけど……」
「デビュー前?ということは、ロックハート嬢は」
「ロレッタとお呼びください。はい、恥ずかしながらまだ14歳です」
道理で子供だと思った。
なんて台詞は仮面の内側に押し込む。まだだ、まだ剥がれるには早い。あと83秒残ってる。
「それで……その、今日は……」
本来男女の出会いの場、貴族同士の交流の場である夜会において、まだ結婚できる年でもない子供が参加するのは稀なことである。特に女性の場合は「よっぽど結婚に焦っているのか」と見られかねない。
「ルクシオ。ロレッタのダンスの相手をお願いできる?」
「えっ」
ルクシオが何も言わなかったからだろう。ユーミアがロレッタへの助け舟を出した。ルクシオにとっては沈没への追い討ちだが。
反射的に嫌だと言いそうになる口を、まだ70秒は残ってた好青年仮面で押さえ込む。
「いえそんな、ロレッタ嬢にとっては今日がデビューの日。そんな記念すべき日の最初のダンスの相手が俺ではロレッタ嬢に悪いかと……」
「大丈夫よルクシオ、貴方はもう充分上手いわ。いつまでも練習ばかりじゃあ勿体ないわよ」
「悪いわけないです、大歓迎です!」
何とか回避を試みるも容赦なく襲いくるトドメ。目を輝かせ期待いっぱいに見上げてくる少女、それを微笑ましげに見る保護者的女性。
残り60秒。1分を切った。
「それでは……俺と踊っていただけますか?ロレッタ嬢」
「はい!喜んで」
保護者の前で子供を無碍にしては好感度はダダ下がりなのは火を見るより明らか。ルクシオにロレッタへ手を差し出す以外の選択肢は最早残されていなかった。
「あ、あの私、上手く踊れるかわからないですけど……」
「大丈夫です、俺がリードしますよ」
何が悲しくて愛する人の前で幼子とはいえ他の女の手を取らねばならないのか。ユーミアに他の男と踊ろうとする気配はないのが唯一の救いである。
120秒は保つはずだった仮面は早くも残り30秒、崩壊寸前である。
「ええと、もし、足を踏んじゃったら」
「そのまま踏み抜いてください。足を止めなければ周りには気づかれないでしょう」
20、19、18、17。会場の真ん中にまで進んでしまえば、他の参加者に紛れてもう壁際にいるユーミアの目も届かない。
「えへへ、ルクシオ様はお優しいですね!」
「いいえそんなこと」
13、12、11。10秒のカウントダウンと共に曲が始まる。
「あ、あの!始まったばかりでなんですけど、また次もお願いしてもいいでしょうか……っ」
「ああ、それは……」
5、4、3、2、ラスト1秒。
「悪いがこれっきりにしてもらいたい。ダンスの教師なら他を当たってくれ」
120秒使い尽くした仮面が、たった今剥がれ落ちた。
「申し訳ない。これが素なんだ」
パチクリと瞬きを繰り返すロレッタをリードしながら、ルクシオがぶっきらぼうに言う。
「幻滅させたのは悪いが、このまま騙すのもそれはそれで悪いと思って」
「ルクシオ様……?」
ルクシオとて鈍感ではない。この幼い少女が己に憧れの目を向けていることくらい、最初から気がついていた。
「ユーミア嬢の手前さっきまでは猫を被っていた、そこは謝罪する。騙したことには変わりないからな」
大方ガーデンパーティでリリアの狂言を見破ったところに、演劇のヒーローのような虚像を見てしまったのだろう。幼い子供にはありがちである。
「いいえ、騙しただなんて……っ」
「できればユーミア嬢には『リードが下手過ぎて幻滅した』とでも伝えてくれたら助かる」
紹介された手前、その場で拒否しては両方の顔を潰す。かといって今晩だけ猫を被り続けてもそれで終わりにはならない。お互い好印象だったみたいだから次の機会を……なんてお膳立てされてしまってはますます逃げ場がなくなる。
「わ、私のことを覚えててくださったのも、嘘だったんですか……?」
「それは本当だ。でも語弊がある。俺は君を覚えていたんじゃなくて、あの場にいた全員の顔も服装もアクセサリーも、髪型や靴に至るまで全部覚えてる。一度見たものは忘れないんだ。君が特別なわけじゃあない」
「……!」
子爵家と男爵家。成人前の少女と一応は成人済の男。これでルクシオから断っては角が立つし、ロレッタにも恥をかかせてしまう。ロレッタから「やっぱりちょっとイメージ違った」と引いてくれるのが一番都合が良い。
「で、では、あの時の私の髪型やアクセサリーや靴がどんなものだったかも言えますかっ?細かく正確に!」
「……?両サイドの高い位置でまとめたシニヨンにパールの編み込み、根元にドレスと同じ生地のリボン。途中で片方のリボンが外れてたな」
疑ってるのだろうか。勢い込んで聞いてきた少女に、ルクシオが仕方なく答える。要望通りに徹底的に細かく。
「アクセサリーは中心に一粒ダイヤをあしらった細いハート型の金のネックレスと、ハートを繋げたブレスレットを右手首に二重に。そして靴は……」
不意にロレッタが足を踏み外し転びそうになる。それを強引に引き上げてターンをすれば、ぶわりとドレスの裾が大きく広がった。
「……今日の靴と同じだ」
「せ……正解、です……」
呆然としたままロレッタが答える。さすがに大人げなかったかもしれない。まあ幻滅してもらうのが目的なのである程度の大人げ無さは必須だろうけども。
「……ファーストダンスがこんなんで、悪かったな」
それきり黙り込んでしまったロレッタを機械的にリードしながら。少しだけ罪悪感を抱いたルクシオがボソリと言った。
「上手だったわ、二人とも。ありがとうルクシオ。ロレッタもどうだった?」
ダンス終了後、最低限の礼儀としてロレッタの手を取りユーミアのもとに戻る。ロレッタはあれからずっとぼんやりしたままだ。憧れのヒーロー像が崩れたのがよほどショックだったのだろう。
「すみません、俺、あまり上手くリードできなかったようで」
あとはロレッタが「いえ、気にしてませんので……」とでも言って、微妙だったことをそれとなく伝えてくれればいい。
「いいえ!とても!とてもお上手でした!私、身体に羽が生えたみたいでっ!」
「は?」
しかし微妙どころか最高峰の返事が聞こえ、ルクシオが驚いて隣を見る。どういうことだ、ここでお世辞を言ったところで双方何の利もないのに!
「それは良かったわ。凄いじゃないルクシオ。練習の成果が出たわね」
「え?いや、えっと……」
いやおかしい。そんなに全力で褒め言葉を言ってしまったら、次の展開はもう決まったようなものである。
「一曲だけなんて勿体ないわ。二曲目も踊ってきたら?」
ほらそうなる!やっぱりそうなる!
冗談じゃない、二曲目に興じてる間にユーミアが他の男に誘われたらどうする。ロレッタとて幻滅した相手ともう一曲なんて御免なはず。
「で……でもロレッタ嬢は今日が初めての夜会ですし、続けて躍るのは疲れてしまうかと……さ、さっきも終盤少し足元が覚束なかったようで」
もしかして紹介してくれと頼んだ手前相手を悪く言うのは気まずいのかもしれない。ならば自然に断れるようにとルクシオが流れを変えようとするも、
「いいえ全然大丈夫です、ルクシオ様とだったらっ」
思いっきり跳ね返された。見事な打ち返しぶりである。完全に退路が絶たれた。
「私からもお願いするわルクシオ。ロレッタをよろしくね」
ダメ押しで正面も塞がれた。
「そう……ですか、では……」
ひざまづいたのか崩れ落ちたのか自分でもわからない。どこだ、どこで間違えた。いつの間にこんな袋小路に。
「もう一曲お付き合いいただけますか、ロレッタ嬢……」
「はいっ喜んで!」
そうして真っ青な顔で差し出したルクシオの手に、ロレッタが満面の笑みで自身の手を重ねた。
「……どういうつもりだ」
ひと気のない庭園の隅で、ルクシオが声を低くして言う。
隣にユーミアはいない。代わりにロレッタ・ロックハートが腕に両手を絡めて立っている。
二曲目が終わり這う這うの体で戻ったルクシオにユーミアが勧めたのだ。「ここの庭は広い池があって月夜はとても綺麗だから、二人で見ていらっしゃい」と。せめてユーミア嬢も一緒にと言いかけた掠れた声は、ロレッタの元気な了承の返事にかき消された。
「社交辞令なら必要ない。イメージと違ったとでも何とでも言ってくれて構わない。このままじゃあユーミア嬢にますます誤解され——」
「誤解じゃありません」
庭園に出れば、月に照らされウォーター・リリーが浮かぶ池の周りに、何組かのカップルが佇んでいた。しかしルクシオはそれはスルーしてなるべく人のいない、裏庭のあたりまで突き進んだ。
「やっぱりルクシオ様は素敵な方でした……今日、お会いできて本当に良かったです」
「は……?」
自分から紹介を頼んだユーミアの手前、喜んでいる態度を崩せないのかと思った。しかしそれではどんどん話が進んでしまうとロレッタに忠告するつもりだったのだが。
「嫌味のつもりか?言っておくが君にどんなに悪く言われようと俺は痛くも痒くも——」
「いいえ、本気です!リリア様を追い詰めた時のあの迫力……!類稀なる記憶力、洞察力、さっきまでの仮面の貴方も勿論、素の貴方もクールでカッコ良くて!」
「……はぁ?」
どんどん話がおかしな方向に。この子供は何を言ってるのだろうか。
「ですから私、辞退するつもりなんてありません。ルクシオ様に振り向いてもらえるよう精一杯頑張ります!」
「なっ……!?」
おかしい。どう考えても幻滅させるような行動しかしてないはずである。冷たくされて喜ぶなどちょっとそういう特殊な娼館の客でしか知らない。
「おい待て、君の家から正式に申し込みが来たところで俺は断るぞ。俺の世間体も悪くなるが君だって恥をかく。デビュー前に格下の家の男に断られたなんて泥は被りたくないだろ?」
「いいえ、家の力で無理矢理なんて考えていません。申し込みをするとしたら、ルクシオ様の気持ちを確かめてからです」
「俺の気持ちは一生変わらない」
「そんなの、やってみないとわかりません!」
きっぱりと言い切る少女の瞳は、もう嘘や嫌味を言ってるようには見えなかった。正真正銘恋する乙女の瞳である。
いやおかしい。どうしてこうなった。好青年仮面を取って以降、悪印象しかないはずである。
「絶対振り向かせてみせます、ルクシオ様!」
だがルクシオは知らなかった。
この年代の女の子というのは、ヒーローに憧れるのも勿論であるが……ちょっと悪い男にはそれ以上に惹かれてしまうということを。