後日談 彼女の気持ち
後日談その2です。
ちょっと自信をつけるルクシオの話。
「花束を贈れ」
「花束……?」
ケーキ屋デートの前々日。
デートコースをキャンパスに描きイメージトレーニングに励んでいたルクシオの部屋に、一人の男が訪ねて来た。
「どうしたんだよディオ兄急に帰ってくるなんて」
「どうしたんだよはこっちの台詞だ。父さんから聞いたよルクシオ、お前好きな人ができたんだって?」
男の名はディオルク。昨年商家の娘と結婚し家を出た、ルクシオの二番目の兄であった。
「恋愛初心者のお前に上級者である僕からアドバイスをあげようと思ってね」
「そんな……『彼女のところに婿入りする予定だから』と華麗に跡継ぎの座を蹴ったもののその時点でプロポーズ失敗通算11回目で予定も何もありもしなかったある意味上級者の兄さんが……?」
「古傷を抉るんじゃない!12回目で成功したんだからな!」
長男のエミーディオが現在の婿入り先である子爵家の長女と良い仲であったのは、当時ルクシオも知っていた。ただ嫁に貰うのではなく婿に行くとは思いもよらなかっただけで。
「プロポーズ失敗はアンブラー家の男の伝統だ。どうせお前も同じ道を辿る!」
「辿るかよ!まだ1回しか失敗してねぇ!」
「早くも第一歩踏み出してるじゃないかいいよいいよその調子だ」
次男ディオルクにまでそんな相手がいたのは当時は青天の霹靂であった。だがそれもそのはず、その時点ではまだ二人は恋人どころかただのディオルクの片想いであったのだから。
「それになルクシオ、お前、僕を馬鹿にできる立場か?聞けば相手は伯爵家のお嬢さんみたいじゃないか。僕があの場で跡継ぎの座を譲らなかったら、お前は彼女と出会いすらしてなかったんだぞ?」
「その節はまことにありがとうございました親愛なるお兄様」
ただその無鉄砲な片想いのおかげでエミーディオからディオルクに回った跡継ぎの座がルクシオにパスされ、他にパスする相手がいなかったルクシオがあの運命のダンスパーティに出ることになったのだ。人生何がプラスになるかわからない。
「で、話を戻すけど花束だ」
ルクシオの態度に気を良くしたディオルクがふふんと胸を張り、前髪をかきあげキザなポーズを決める。
……キザではあるが様にはなっている。母からプラチナの髪を、父から青い瞳を受け継いだディオルクは実は結構見目が良い。
「花束って、兄さんがプロポーズのたびに懲りずに贈るもその場で捨てられたあの花束?」
「捨てられたのは最初の1回だ!アレは色々事情が……って何でそこまで知ってる!?」
「跡取り問題勃発直前、街に画材買いに行った時に同じ店で友人らしき人に『あの人11回も花束持ってプロポーズしてきて、全然諦めないんだもの。まあ、捨てちゃったのは今でも花に悪かったとは思ってるけど』って喋ってた女性客の顔がその三ヶ月後兄さんが連れてきた嫁の顔と一致」
「くっそぉおお、この記憶力の化け物めぇえええ!」
隔世遺伝の灰色の目。父の青髪を暗く色濃くし、母の天然ウェーブと共に引き継いでしまったルクシオとは正反対に、青い瞳とさらさらプラチナブロンドのディオルクはまさに絵本に出てくる王子様である。その口さえ開かなければ。
「で、そのすぐ枯れて何も残らないのに手間だけかかる有り難迷惑な花の塊がなんだって?」
「フッ……ルクシオ、お前は何もわかってない。時にそこまでボロクソに言われる花束が、それでも市場調査で『恋人から贈られて嬉しいもの』の上位にい続けるワケを!」
再び気を取り直し、ディオルクがふふんと胸を張る。打たれ弱いが復活も早いのだ、この残念な二番目の兄は。
「無知な弟に教えてあげよう。花束はな……好きな男から贈られれば嬉しいものなんだ」
「つまり……その場で捨てたディオ兄の嫁さんはディオ兄のことを嫌って……?」
「だから古傷を抉るなって!」
全くお前はー!と地団駄を踏む見た目だけは王子。口と行動が残念で仕方がない。寝てる間に蝋で固めればさぞ立派な王子になることだろう。
「でもな、4、5回目あたりから苦笑しながら受け取ってくれるようになった。6、7回目は正真正銘笑顔でだ。11回目は……その中の一輪の花びらを、押し花にして栞に使ってくれたんだ」
だがそのハリボテ王子でも、最後には意中の女性を射止めたのは確か。
「つまり、花束を贈れば!その花束をどう扱うかで、彼女がお前をどの程度想ってくれてるかわかる!」
「……!」
もしかしてこのアドバイスくらいは有用なのでないかと、ルクシオは兄への認識を少しだけ改めた。
「……今日付き合ってくれた、お礼に」
「え?」
ケーキ屋デートの帰り道。
さりげなく花屋に寄り、ルクシオは前日に予約していた花束を受け取った。そしてその花束をユーミアに差し出して今に至る。
「待って、右腕は大丈夫なの?無理に動かしちゃ駄目よ」
「あ、いやえーっともう治りました」
言われて思い出したが右腕を挫いた設定だった。ケーキ屋から出て日傘を左腕で持った時点では覚えていたはずが、行きと同じくぴったり近い距離に浮かれて忘れていた。
「もう、無理しないでって言ってるでしょう」
花束を抱えるルクシオの右腕を心配げに見ながら、ユーミアがそれを受け取る。
「でもありがとう。素敵な花束ね、どの花も綺麗だわ」
受け取ってくれた。第一段階クリアである。しかも笑顔で、本当に嬉しそうに。
「ユーミア嬢の方が綺麗です」
「だいぶ自然に言えるようになったわねぇ」
ユーミアの髪と目の色に合わせ、赤を基調に金のリボンで飾り付けた花束。注文した時は充分綺麗だと思ったそれが、本人と並べるともう色褪せて見えた。しかし仕方ない、この世にユーミアと並んで見劣りしないものなど存在しないのだから。
「嬉しいけど……今日は私がお礼をするつもりだったのに、これじゃあ反対だわ」
花束を抱え、ユーミアが申し訳なさそうに言う。そういえばこのデートはガーデンパーティにてルクシオがユーミアを助けたことのお礼という名目であった。
「お礼なら充分過ぎる程貰いました。貰い過ぎて、こんな花束程度じゃ返しきれないくらいに」
「いいえ全然お礼できてないわ。どうしましょう、ルクシオ、何か私にできることはある?」
「な、なら……また一緒に日傘……いやケーキ屋に一緒に……その、他にも気になってる店があるので」
お礼なんて。こうして一緒に過ごしてくれて、笑顔で花束を受け取ってくれて、ゆくゆくは結婚してくれれば充分である。
「勿論いいわ。花束も大事にするわね、ありがとう」
喜んでもらえた。次のデートの約束も取り付けることができた。ディオルク兄様々だと、ルクシオはかつてはハゲろと呪った兄へ感謝を捧げた。
「一輪だけ飾って、残りはドライフラワーとポプリにするために乾燥させてるの。飾ってる方ももう少し楽しんだら押し花にするわ」
数日後。
ユーミアの予定に合わせて参加した夜会で、ガーデンパーティでの約束通り最初に踊った時のこと。
「とっても素敵な花束だったから、ただ枯れてくのを見るのは勿体なくて」
「え、あ、そんな……そんなに大事に……あああありがとうございます光栄です」
リードを奪われないように細心の注意を払ってステップを踏みながら、ルクシオはさりげなく花束のことについて聞いた。
贈った花束の扱いでどのくらい自分を想ってくれているかわかる。自室に飾ってるとか、毎朝眺めてるとか、そんな話が聞けたら飛び上がって喜ぶ所存で。
「ポプリができたら貴方にもあげるわね。小袋は何色がいい?」
「何色でも……っユーミア嬢のものと同じ色に!」
感極まって泣きそうになってしまった。花瓶に活けてくれればそれだけで嬉しいと思っていたのに。まさかドライフラワーにポプリに押し花に、形も香りも色も全部残そうとしてくれてたとは。
「ポプリのお礼は何がいいですか?アクセサリーとかだと重いでしょうか」
「気が早いわよ。まだできてもいないのに」
「すみません……では話は変わりますが好きな色の石と指のサイズとかお聞きしても」
「本当に話変わってる?」
ディオルクのプロポーズを受けた女性は、その前に受け取った花束のうち、花びらを一枚押し花にしたという。
ということはこれは、これは、物凄く脈有りなのではないか?
「ちょっと落ち着きなさい。そんなに喜んでくれるなら嬉しいけど……」
「ユーミア嬢ならどんな宝石でも似合うと思いますが例えばサンセットサファイアとかまるで貴女のためにあるような石」
「落ち着きなさい」
落ち着けなど無理な話である。だって初めてなのだ。口説き文句は余裕で流され、プロポーズは即断られ、ずっと脈無しだったユーミアから、こんなにわかりやすい脈有り反応をもらうのは!
「ポプリってそんな大層なものじゃないわよ?期待し過ぎないでね?」
もうすぐ曲が終わる。約束は『最初に踊る権利』だけであり、二曲目にユーミアが誰と踊るかは自由。
パーティが始まる前のルクシオはここは潔く引こうと思っていた。次もその次の夜会のファーストダンスの先約をしてるのに、二曲目もと請うてはさすがにしつこいと思われるだろうと。
「貴女からいただけるなら、何だって嬉しい」
けれどこうなったら話は別である。脈が有るなら有るうちに押しまくらないでどうする。
「相変わらず大袈裟ねぇ」
曲が終わる。次に踊る相手を求め、カップル達がバラバラとはけていく。
同じく離れようとしたユーミアの動きに逆らって、ルクシオは腰に回した腕にぐっと力を込めて囁いた。
「風に当たりませんか。今夜も月が綺麗だ」
「え……」
かつてガチガチに緊張しながら言った台詞が今度は流れるように出てくる。
今ならわかる。あの時の自分に足りなかったのは経験ではなく、自信だったと。『断られるわけがない』と思える自信が。
「月光に照らされる貴女も見たい」
「え、ええ、いいわよ。問題ないわ」
そうしてユーミアの背中を抱いたまま、誰もいないバルコニーへと足を踏み出した。
「というわけでプロポーズするからサンセットサファイアの指輪を作りたい」
「その場で踏み留まったのは良い判断だ弟よ。でももう少し落ち着け」
ダンスパーティの次の日。次男と入れ替わりで家に帰ってきた長男エミーディオに、ルクシオは成功しやすいプロポーズ方法について指南を乞うていた。
「理想のプロポーズはどんなのかユーミア嬢に聞いても何だかはぐらかされて……もしかして今回は自分で考えろって意味なのかと」
「こらこら戻って来いルクシオ地に足をつけろこの浮かれトンチキ」
11回プロポーズ失敗したディオルクと違い、エミーディオは何と1回で成功させたという。同じアンブラー家の男にも関わらず。
「いいかルクシオ、まずあのディオルクの言うことを真に受けるんじゃない」
「へ」
なのでこれまでの経緯を話し、助言を貰おうと思っていたのだが。
「確かにユーミア嬢の花束の扱いを見れば、お前を悪く思ってないことはわかる。でもな、それがイコール恋愛的な好意とは限らない」
「えっ?」
「覚えがないか?花束をドライフラワーにして、ポプリにして、一部は押し花にして喜ぶ姿……もっと身近な女性の例で」
「身近な……?……あ!」
諭すように言われ、ルクシオははてと首を傾げた。そして思い出した。ドライフラワー、ポプリ、押し花、このラインナップを最初聞いた幼い頃の記憶を。
「母さん……」
そう、母である。
幼い頃、母の誕生日に花束を贈ったのだ。エミーディオとディオルクとルクシオ、兄弟三人一緒に。
『嬉しいわ三人共。大事にするわね。少し飾ったら、ドライフラワーとポプリと押し花にしましょう』
花束を抱え、嬉しそうに笑った母の顔が蘇る。当然ながらそれが恋愛感情かといえば絶対に違う。
「そもそも貰った花束をそこまで大事にしてるなんて、恋人でもない男に言えるか?普通少しは恥ずかしがるだろう?全くの無自覚ならともかく」
グサグサと刺さるエミーディオの正論。言われてみればそうである。『貴方から貰った花束をドライフラワーにしてずっと飾ってポプリにして持ち歩いて押し花にして大切に使う予定です』なんて、恋愛的な好意があったら逆に言えない。
「それにユーミア嬢は大人の女性だ。好きな人から貰ったものだから何でもとっておくなんて、初恋に浮かれるような年じゃあない」
だから例えるなら、まるで子供からのプレゼントを喜ぶ母親。
「……せめて弟!!弟にしてくれ!!義理のきょうだいに!」
「禁断の愛でも始める気か」
エミーディオの残酷な宣告に、ルクシオは悲痛にまみれその場に崩れ落ちた。
一方その頃。
ゴールディング伯爵家の一室では。
「うーん……」
鏡台の前でリボンを持って佇む女性が一人。ユーミア・ゴールディング、ゴールディング伯爵家の長女である。
「……やっぱり無理ね」
ユーミアが手にしているのは幅のある金色のリボンであった。数日前にとある少年から受け取った花束の柄に結ばれていたリボン。花に劣らず綺麗なリボンだったので、捨てるには惜しいと思ってたのだが。
「ユーミア姉様、ユーミア姉様!」
「タバサ!びっくりした、ノックくらいしてよ!」
「何度もしたわ。なのに全然返事がないんだもの」
不意に背後から声をかけられ、ユーミアが驚いて振り向く。そこには末の妹のタバサが不満そうな顔で立っていた。
「今日は一緒にお夕食の日じゃない。なのにユーミア姉様、全然来なくて」
「え?もうそんな時間?ごめんなさいすぐに行くわ」
妹二人が嫁に出て、今家に残っているのは末の妹であるタバサだけ。そのタバサも昨年婿を迎え、ゆくゆくはこの妹夫婦がゴールディング家を継ぐことになっている。
「そのリボン姉様の?」
「ええ……その、貰い物だけど」
新婚の二人を小姑が邪魔するわけにはいかないと、ユーミアはなるべく二人と接触しないように過ごしていた。しかしユーミアに懐いているタバサがそれは嫌だと主張し、週に一回は必ず一緒に夕食をとることになっている。
「花束についていたものだけど、綺麗だったから捨てるのは勿体なくて」
結婚したとはいえタバサはまだ17歳。10代の少女である。幼い頃に母親を亡くしたこともあり、ユーミアにとても懐いていた。姉離れできないのも仕方ない。
「ふうん。そんなに勿体ない?」
ただ、いつまでもこれではタバサの夫に申し訳ないので、早く自分も結婚を決めて家を出なくてはと考えて……考えてはいるけども中々上手くいかないという状況だ。
「そうだ、タバサになら似合……」
幅の広い、きらびやかなリボンは若い女の子にこそ似合う。20もとうに超えた自分では無理があったが、タバサにならとユーミアがリボンを持ち上げかけて。
「……ああ、でも、彼に悪いわね」
仮にも男であるルクシオからの贈り物をつけさせるとなれば、タバサの夫に悪いのではないかと考え直してやめた。
行き先を失ったリボンはとりあえず鏡台の引き出しに入れておくことにする。
「……どっちの『彼』に悪いんだろうねぇ」
「何か言った?」
「ううん、何でもない」
髪飾り用のリボンでもない。柄が入ってるわけでも、ビーズやフリルが縫い付けられているわけでもない。多少色が綺麗なだけのただのリボンである。通常であれば贈り物を飾ったのち、役目を失うはずのもの。
そしてそんなつけることのないリボンを鏡台の一番上の引き出し……一番良い場所に仕舞い込んだユーミアを見て、タバサがぽつりと呟いた。
エミーディオもまさかユーミアが24にして初恋で無自覚だとは思いもよりませんでした。
 




