3話 たとえこの身が焼かれようとも
「ユーミア嬢の真ん中の妹さんの嫁ぎ先でのガーデンパーティの招待状だ。ユーミア嬢も確実に招待されてるだろう」
「お父様……!」
「今まで一度もしたことない呼び方でお前」
二度目のダンスパーティ終了後。自室に篭りきり延々と絵を描いていたルクシオを、アンブラー家現当主が一通の手紙で釣り上げた。
「でもこんな普通身内や親しい友人ばかり呼ぶものをどうやって……」
「女同士の人脈を舐めるんじゃない。母さんの手腕だ」
間違いなく距離は縮まったものの、ここからどうしたらいいかわからない。燻る想いをひたすら絵にぶつけている末っ子の裏で、両親は色々と手を打ってくれていたらしい。
「それより、いいのかルクシオ」
「何が?」
しかし招待状を手に浮かれる息子に向かい、不意に父親が水を差す。
「ガーデンパーティだ。屋外だぞ。しかも昼間だ。殆どが知り合い同士の中に、人嫌いのお前が飛び込んで行けるのか?日光嫌いのお前が直射日光の下で立っていられるか?」
いつものおちゃらけた雰囲気じゃない。真剣な目で問う父に、ルクシオも真剣に招待状を胸に抱き、姿勢を正した。
「太陽の下で笑う、ユーミア嬢を見るためなら」
「よし」
それでこそアンブラー家の男だと、現当主は満足げに頷いた。
「貴方も招待されていたの?妹と知り合いだったのかしら?」
「ユーミア嬢!」
さんさんと降り注ぐ直射日光の下。早くも干からびそうになっていたルクシオは、斜め後ろから聞こえた声に一気に元気と水気を取り戻した。
「お久しぶりですユーミア嬢。太陽の光に照らされた貴女は輝くほどに美しい」
「今度は噛まずに言えたわね。ちゃんと成長してるじゃない」
でも久しぶりどころか先週会ったばかりよと、おかしそうに笑うユーミア。日光に照らされきらめく赤い髪と相まって、女神のように美しい。これだけで外に出てきた甲斐があるというものである。
「でも光が苦手なんじゃなかったの?大丈夫?」
「貴女に会うためでしたらたとえ地獄の業火の中でも」
「日光が地獄並なの?難儀ねぇ……」
本当にヴァンパイアみたいねと、ユーミアが手に持っていた扇子を広げてルクシオの頭の上にかざした。
「無茶はしないで頂戴。妹のパーティで倒れられても困るわ」
「あ、ふぁい……」
噛んだ。今日は一度も噛んでなかったのに噛んだ。せっかく格好良く口説き文句を言えたと思ったのに台無しである。
「お姉様!ユーミアお姉様!」
「イザベラ。久しぶりね、元気そうで何よりだわ。今日はお招きありがとう」
と、ルクシオが内心一人反省会をしていたその時。ユーミアと似た声の、しかし外見はあまり似ていない本日の主催が駆けてきた。
「初めまして、ルクシオ・アンブラーと申します。本日はお招きいただき有り難うございます」
「まぁ、貴方が噂のルクシオ様ね!最近の夜会で、お姉様と親しくしていらっしゃる方がいるとお義母様から……聞いて……あら?随分お若く見え……えっとお年は……」
「17です」
「16でしょう?何意味のないサバを読んでるの」
月を四捨五入すれば17である。細かいところは気にしないでいただきたい。
「ええと、アンブラー家の次期当主様とお聞きしてたのだけど……」
「はい、兄二人が婿に出たので三男である俺がその役目を賜りました」
「そ、そうですのね。ごめんなさい、不躾なことを聞いて。お姉様と親しくしている男性とお聞きしていたので、私てっきりお姉様の」
イザベラ・ヒューイット。20歳。二年前にヒューイット家に嫁いだ、ユーミアの二番目の妹。三人の妹の中で一番姉に懐いており、姉の結婚相手探しに陰ながら尽力している。
今回殆ど付き合いのないアンブラー家がガーデンパーティの招待状をもぎ取れたのも、ルクシオ母が『うちの息子がお宅のお嫁さんのお姉さんと親しくしてるようで』とイザベラの義母に吹き込んでくれたおかげである。
「てっきり?何でしょうか?」
「こらイザベラ、思ったことをすぐ口に出そうとしちゃ駄目って何回も言ってるでしょ?ごめんなさいねルクシオ、この子ちょっと思い込みが激しくて」
「いいえとんでもない。ただの思い込みとは限りませんから」
もしかしなくとも。てっきりお姉様のいいひとかと、と言いかけたのだろう。数日間とはいえユーミアの親族に婿候補だと認識されていたとわかり、ルクシオのテンションはうなぎ登りであった。あと何気に初めて名前を呼び捨てで呼ばれた。心の距離が縮まってる証拠では。
「この子が夜会にあまりにも不慣れなようだったから、つい昔の貴女達と重ねちゃって。少し指導してたのよ」
「はい。ユーミア嬢に認めて貰えるよう、鋭意努力中です」
「まあ、そうでしたの……」
「ヒューイット夫人とも長い付き合いになるかもしれません。以後お見知り置きを」
なんだただの子供か、とがっかりしかけたイザベラの目がパチリと瞬く。姉だけでなく、妹とも長い付き合いになるかもしれない、その意味。
その目が『本気なのか』と問うてるのは言葉がなくともわかった。すかさずしっかり頷いたルクシオに、イザベラが更に目を見開いた。
「まあ……そうね、長い付き合いになるかもしれないわね……是非よろしくお願いしますわ」
お姉様を、と小声で付け足されたその単語に、ルクシオは内心で喝采を上げた。
まずは一人。ユーミアの結婚相手探しに勤しむ妹を、味方につけた。
「残念ね。今日は貴方と同い年の子はあまりいないみたいよ」
「俺はユーミア嬢さえいれば……」
「練習相手しかいなくてどうするの」
しかし順調だったのも束の間。今日のユーミアはどうにもつれなかった。何度も口説き文句を繰り出しても、途中から「もう充分よ」と聞き飽きたように。
「一番年が近いのは従姉妹のリリアだけど、あの子はもう婚約者がいるから、その隣にいる子とか」
それどころかルクシオに誰か他の女をと物色し始める始末。ユーミアが指し示した先には、赤褐色の髪の令嬢が胸を反らしてそこにつけているブローチを自慢し、素直に感嘆している友人らしき少女の姿があった。
いや全く以て興味ない。紹介されても困る。
「でもリリアが側にいたら、私からは紹介できそうにないのよね。ちょっとあの子とは前に末の妹のことで拗れちゃって」
こんなの出会いを求めてやまない男にならまだしも、つい先週不発とはいえ自分にプロポーズしてきた男にすることだろうか。
もしかして遠回しなお断りなのかもしれない。ルクシオが妹を味方につけようとしてたのを察して、そんなつもりはなかったと距離を置こうとしてるとか。
「きゃあっ!」
「えっ」
いやそれともこれが恋の駆け引きというものなのか。他の女に靡かない証拠を見せろ的な。なんて自分でも都合良過ぎると思う無理矢理なポジティブ解釈をしていると。
「いたいっ!酷いわ、ユーミア姉様!」
「リリア……ごめんなさい、私の不注意だわ。貴女が後ろにいるのに気づかなくて」
いつのまにかユーミアのぴったり後ろに一人の令嬢が張り付いていた。そしてユーミアが少し身体を動かした拍子にその令嬢にぶつかる。当たり前だ、それだけぴったり張り付いていたのだから。
「私なんか視界に入れたくないと言うの!?もう知らないわ!」
「ええ……?」
これにはルクシオも呆然とするしかなかった。今一体何が起きたのか。あの令嬢は何がしたかったのか。
「何だアレ……?」
「さっきまでそこに居た、従姉妹のリリアよ。ちょっと前に拗れちゃって……私以外には普通の子よ、気にしないで」
「貴女に敵意を持ってるなら俺の敵だ」
「そんな大袈裟なことでもないわ。まだ貴方と同じ子供なの、許してあげて」
思わぬところで流れ弾が来た。
貴方と同じ子供なの、貴方と同じ子供、同じ子供。
子供?子供とは?子供と言ったらアレだろうか?大人からは恋愛対象にならない的なあの子供??
「ルクシオ!?どうしたの、真っ青じゃない!本当に日光に弱かったのね……!」
「いや……その……」
みるみる色を失ってくルクシオを振り返り、ユーミアが驚きの声を上げた。
「木陰に行きましょう。大丈夫、ついててあげるわ」
あれよあれよという間にユーミアが主催のイザベラに断りを入れ、ルクシオを木陰に連れて行こうとする。
「苦手を克服しようとするのはいいことだけど……焦り過ぎも良くないわ。少し休みなさい」
「……はい……」
ついていてくれるのは嬉しい。すれ違いざまに、イザベラにも『やるじゃない!』みたいな目で見られた。多分ルクシオが体調不良を口実に二人きりになろうとしてると思ったのだろう。
「大丈夫大丈夫、貴方が頑張っているのはわかってるから」
「…………はい……」
しかし二人きりは二人きりでもこれでは『子供の看病』である。母親的な慈愛すら感じる。違うそうじゃない、せめて姉弟。
すっかり『頑張った子供を褒める母親』な眼差しのユーミアに、ここからどうやって挽回すればいいか全くわからなくなるルクシオであった。
「リリアのことも本当に気にしないで。……去年結婚した私の一番下の妹の旦那さんを、彼女が前から慕ってたみたいなの。私が二人を引き合わせたから、ちょっと恨まれてるだけ」
「へぇ……」
でも子供扱いなら子供扱いで今膝枕を頼めば何の疑問もなく頷いてくれるかもしれない……と転んでもタダでは起きない思考であった。
それからは何事もなく時が過ぎた。しばらく休んで、頃合を見て復帰し、中座したことを謝罪し、当たり障りない談笑に加わる。
膝枕は散々悩んだ結果諦めた。子供扱いを加速させては元も子もない。
事が起きたのは、パーティの帰り際だった。
「きゃああ!私のブローチに傷がついてる!」
そろそろお開きに、となったところで。一人の令嬢が甲高い声を上げた。ユーミアを逆恨みする幼稚な令嬢、リリアだ。
「どうして……!?彼からいただいた大切なものなのに!」
彼、とは彼女の婚約者のことだろう。
恋に敗れてユーミアを逆恨みしていた従姉妹のリリアだが、つい最近婚約者ができ、恨み節も収まっていくだろうと木陰で休んでいた時にユーミアが言っていた。
「ユーミア姉様にぶつかられる前までは綺麗だったのに!」
「え?」
なんなんだと思っていたら、急にユーミアに矛先が向かった。いや、最初からそのつもりだったのかもしれない。
「何を言ってるの、リリア!」
「イザベラ姉様も見たでしょう、このブローチ!他のみなもだわ!ほら!こんなに大きな傷!最初に見た時はなかったでしょ!?」
血相を変えたイザベラが止めに入るもリリアは止まらない。外したブローチを右手にかかげ、堂々と宙にかざしている。
確かにそのブローチには、何か鋭利なもので引っ掻いたような傷が入っていた。
「妹みーんなに先越されて!従姉妹の私の結婚も決まって、焦ってたんでしょう!妬んでたんでしょう!だから私が婚約者から貰ったって言ったブローチに傷をつけたのね!」
「なっ……」
招待客の中にざわめきが生じる。そんな馬鹿なとリリアを諫めようとする者の方が多いものの、パーティ序盤で傷のないブローチを見た者も多い。傷は明らかに故意につけられたものであり、リリアの自作自演だとしたら婚約者から贈られた高価なブローチに傷をつけるなどリスクが高過ぎる。
「そんなんだから行き遅れるのよ!」
「……おい、リリア嬢、言い過ぎだ」
「まあまあ、そんな大事にしなくても……ユーミア嬢だってワザとじゃないかもしれないし……」
リリアが幼稚な八つ当たりをしていたのは確かだが、いい年してユーミアもそんな仕返しをするとは……と、呆れたように誰かが呟く。
だんだんと、雲行きが怪しくなってきた。
「そのブローチじゃないですよ」
「……ルクシオ?」
青褪めるユーミアの前に、ルクシオが庇うようにして進み出た。
「パーティの最初でリリア嬢がつけていたのは、そのブローチじゃないですよ」
「何よ!言いがかりつける気!?」
花と蔓を描いた土台に嵌め込まれた大きなルビー。それが本物であれば相当高価なものである。気に入らない誰かを陥れるために傷を入れるには、あまりに惜しい。
「石の大きさが微妙に違う。本物には土台の金具の塗装が剥がれた箇所があったのにそれがない。というか全体的に色も違う。大方屑ルビーを再結晶させただけのフェイクだろ、何で皆わからないんだ?」
「はあ!?何で貴方にそんなことわかるのよ!貴方にブローチを見せた覚えはないわ!」
「俺は覚えてる。貴女が他の相手にそれを自慢しているところを見た。一度見たものは忘れないんだ、どんなに細かいことだって」
フェイクなら話は別である。大事になって詳しく取り調べられては危ないだろうが、身内と知り合いだけのパーティなら、上手く汚名を着せて『大事にはしないでやる』と収められる。
リリアはそれを狙っていたのだろう。
だからパーティ序盤にブローチを自慢して回って皆に印象づけた。そしてユーミアにワザとぶつかって騒いだ。
「嘘だと言うなら、そのポーチの中身を見せてみろ」
「……っ」
空気はもう完全に変わっていた。ユーミアに向けられていた疑惑の目が、今度は一斉にリリアの方に。
「やっ、やめて!」
途中から傷のついた偽物にすり替えたとして、本物を隠すとしたらポーチの中しかない。ルクシオが指をさすと同時に、イザベラがリリアのポーチを取り上げた。
「……あったわ」
そして。ポーチの中を探り、ゆっくりと持ち上げたイザベラの手には、傷一つないルビーのブローチが載せられていた。