こぼれ話 初恋の人 後編
「覚えたからなって……わざわざ宣言するようなことかよ」
言われなくても人の顔なんて一度見ればずっと忘れないだろう。少なくともルクシオにとってはそうだ。
「まあいいか……」
商人男の捨て台詞に首をかしげる。まあしかし特に気にすることでもない。
「怪我はないか、ロックハート嬢」
「え、あ、は、はい!」
男の姿が完全に見えなくなってから、ルクシオが背後を振り返って言った。
「馬車があるところまで送ろう。まさか徒歩で来たわけじゃないだろ?」
「あ、ありがとうございます……」
「どっちだ?」
「こ、こっちです。あの壁を曲がった先に」
ロレッタが抱えていた大きな袋もヒョイと取って、指し示された方向へ目を向ける。
本当にすぐそこだった。
この路地裏を抜けたすぐそこに馬車があるのに、こんな短い距離で絡まれてしまったのか。
かつてこの少女と博物館に行った帰り、迎えの馬車が見えるや否やもう大丈夫だろうとその場を去ってしまった時とそう変わらない距離。
「……あの時は悪かったな、送ってやらなくて」
今更ながら配慮が足りなかったと反省し、ルクシオが謝ると。
「……ど」
「ど?」
「どうしてそんな格好いいこと言っちゃうんですか!?」
「はい?」
いいえ気にしてませんとか、怒るにしても確かにちょっと怖かったですとか、当たり障りのない言葉が返ってくるかと思いきや。
「助けにきてくれただけでも格好良かったのに!華麗に撃退しちゃうし!荷物だってヒョイッて持っちゃうし!それでいてまったく恩に着せないどころかちょっと前の些細なことを謝って!」
「ま、待ってくれ、何を怒ってるんだ?俺は何を責められてるんだ?」
なんだか全然違うところで怒られてしまった。
「あの一瞬でどうして宝石の真贋なんて見抜けちゃうんですか!ルクシオ様の博識!慧眼!観察眼で右に出る者無し!」
「どうもそれ程でも??」
怒られてるのだろうかこれは。怒涛の勢いで褒められている。
「博識というか、昔一度珍しい宝石がテーマの本を読んだことがあるだけだ。あれをそのまま暗唱したんだ、俺自身が宝石に詳しいわけじゃない」
「昔一度読んだだけの本を暗唱……だからなんでそんな格好良いことしちゃうんですかルクシオ様の馬鹿!天才!」
今のは罵倒されたのか褒められたのか。馬鹿と天才は紙一重とかそういう話だろうか。
「せめてもっと格好悪く助けてください」
「ええー……」
理不尽。
しかし己は一度この少女の告白を断っているのだ、また好きになりそうなことをするなという言い分はわからないでもない。
とはいえ格好悪く助けろとはこれいかに。
「もっと軽い感じで助けに入ればよかったか?軟派男みたいに」
真面目に間に入ってしまったのが駄目だったのかもしれない。もっと茶化すように、ヘイお嬢さんお困りかいとかチャラい男風にすれば格好良くはなく。
「……それはそれで有りなので駄目です」
「それはそれで有りなので駄目です!?」
しかしちょっと考え込んだロレッタの判定はNOだった。どんな想像をしたのだろうか。それはそれで有りとは?
「わ……悪い男風にすればよかったか……?」
軟派男風だと優しそうにも見えるから駄目なのかもしれない。ならばもうその逆、いっそ助けに入られても困るような柄の悪い男なら。
「それはむしろとても有りなので駄目です」
「むしろとても有りなので駄目です??」
即答だった。
「もう!ふざけないでください!」
「こっちの台詞なんだが!?」
ルクシオは一ミリもふざけたつもりはない。ロレッタの方がふざけてるとしか思えない受け答えである。
「もっと格好良くなっちゃうじゃないですか!完全にダークヒーローじゃないですか!」
「目を覚ませ、ダークも何も俺はさっきまで日差しから逃げて壁と壁の間に挟まってたような男だぞ」
もはやロレッタが何を言っているのかわからない。
とりあえず影のある男が好みなのだろうことはわかったが、ルクシオは影があるというよりただ光がないだけである。
「美化しすぎだロックハート嬢。ここにいたのも情けない理由からだし、あの男が暴力に訴えてきてたら俺なんてなんの頼りにもならない」
どうにもこの子は己に夢を見すぎているきらいがある。最初の印象が良すぎたのだ。卑怯な罠に嵌められそうになった従姉を救った、そのときのイメージで固まってしまってるのだろう。
「……ルクシオ様が頼りにならなかったことなんてないです。ガーデンパーティの時も、博物館でも、今だってっ」
「たまたまだ。そんなに持ち上げるようなことじゃない」
実際のルクシオはそこまで格好良い人物ではない。いまだに日光が苦手だし、人混みではすぐ気分が悪くなるし、少しは改善したが見た目は暗く、常識も怪しい。
「……今だって、ここにいたのが君じゃなくてユーミア嬢だったらって考えてるくらいだ。そんな最低な男だよ俺は」
これで心は清く美しかったなら良かったが、まったくもってそんなこともない。
こんなに格好良いと思ってもらえるならロレッタじゃなくてユーミアだったらよかったと、うっかり頭をよぎる始末である。
「そう……ですか……」
「そうだ、こんな奴に構ってないで、もっといい人を探した方が君のためにも」
途端に俯いてしまったロレッタを見てさすがに罪悪感がわく。しかしその気持ちに応えられない以上、こうした方が一番彼女のために。
「これが私のためになるとだけは思わないでください、ルクシオ様。ユーミア姉様に同じことを言われたらどうですか?」
「うぐぅあっ」
馬車のある方へ踏み出した足をそのまま踏み外してルクシオが地面にうずくまる。抱えた袋だけは落とさなかったが受けたダメージはでかい。
「……わ、悪かった……詭弁だった……これは俺のためでしかない……」
「いいんです。すみません、私こそ意地悪を言ってしまいました」
好いた相手に他の異性を勧められる辛さは身をもって知っていたはずだろう。
ロレッタのためと言いながら、今のは完全にルクシオ自身のための言葉であった。ロレッタに他にいい人ができたら、ユーミアも安心してこの手を取ってくれるのではないかと。
「……申し訳ない、ロックハート嬢」
「気にしないでください。私が貴方を諦めたのは本当ですから。ちょっと今日諦めきれなくなりそうでしたが」
「悪い、それは困る。あとできれば今日のこともユーミア嬢には言わないでくれ……」
今度は百パーセント自分のための願いとして答える。ロレッタは少し眉を下げて微笑み、「わかりました」と頷いてくれた。なんとか許してくれたようだ。
「お互い望みのない恋をしましたね」
「なっ、ないことは!ないことはないんだ!今だって婚約……婚約めいたことはしてる!」
「でも姉様が何の躊躇もなくルクシオ様に私を紹介してた時点ではなかったですよね」
「うぐぅ……っ」
やっぱり許してくれてないのかもしれない。
「これは昔ユーミア姉様に遊んでもらった時の思い出なんですけど、将来素敵な王子様と結婚したいって話をして、ユーミア姉様は『年上で頼れる大人の男性』と結婚したいと言ってました」
「今思い出すことなのかそれは!?」
年上で頼れる大人の男性。
年下で手のかかる子供として婚約をもぎ取ったルクシオとは正反対に位置する存在である。
「いや年上じゃないとしてももう結婚できる年なんだ、俺だって大人だ!」
「十代のうちはやっぱりまだ子供だって去年タバサ姉様が結婚するとき言ってました」
「……人の価値観は変わるものだろ……!」
もしかしてあと三年は男として見てもらえないのだろうか?その場合いつになったら結婚できるのか。いや十代の妹達の結婚を祝ってる以上、子供と思ってたとして結婚は問題ないのかもしれない。しかしそれでは初夜は?子供にはまだ早いとか言われないか?いやそこをなんとかそんな殺生ないや別にそういうことしか考えてないわけじゃないけども!
と、ルクシオがぐるぐると考え込んでいると。
「……諦めようとは思わないんですか?」
「え?」
ようやく馬車まで辿り着き、ルクシオが持っていた買い物袋を受け取って、ロレッタが顔を上げて言った。
「人の価値観は変わるものだって、ルクシオ様はさっき言いましたよね。なら、心だって変わることもあるんじゃないですか?」
そんなに苦労してまで、と言いかけて口をつぐむロレッタ。みなまで言わずとも何を言いたいのかはわかる。その期待しているであろう答えも。
「……いいや、変わらない。この気持ちは一生変わらない」
しかしその期待にはどうしたって応えられないのだ。
この少女と初めて会った時に言ったことをもう一度言う。何度問われたところでルクシオの答えは変わらない。
「……っどうしてそんなことわかるんです?断言まではできないんじゃないですか?未来のことなんて、自分のことでもわからな……っ」
「心臓は一つしかないだろう」
「え?」
ロレッタの言い分も正しい。きっと世間一般的には心変わりなどそう珍しいことではない。
「アンブラー家の男にとって、恋は心臓と一体だ。この恋が終わるときは、この心臓が動きを止めるとき以外にあり得ない」
ただその世間一般の常識はアンブラー家には通用しないのだ。恋で身を立て恋で身を滅ぼす、アンブラー家の男には。
「馬鹿みたいだろ?こんなことが家訓になってるんだ。うちの家は」
「ルクシオ様……」
呆れられても仕方がない。ルクシオとてユーミアと出会う前はまったく理解できずに馬鹿にしたものだ。
「そして俺も、正真正銘アンブラーの男だ」
「……どうして」
呆れたか、諦めたか、なんともつかない表情でロレッタが肩を震わせる。
そろそろ馬車を出した方がいいとルクシオが勧めようとしたところで。
「どうしてそんな格好良いこと言っちゃうんですか!?」
「えええええ!?」
この流れで!?というツッコミが喉の半分まで出かかって止める。聞かれたから答えただけなのに。ただ世間から外れた家訓を言っただけなのに。己が言うのもなんだがちょっと恋に盲目になっていやしないか。
「もう、もう!諦めたのに!頑張って諦めたのに!掘り起こすようなこと言わないでください!」
「き、聞かれたから……聞かれたから答えただけだろ……どうしろって言うんだこれで」
もう知りません!と真っ赤な顔で言い捨て、馬車に乗り込むロレッタ。しかし扉が閉まってから窓を開けて「……でも助けてくれてありがとうございました」とだけ言い残し、来た道を去っていく。
「俺が何をしたってんだ……」
その馬車の荷台が遠ざかっていくのを眺めながら、ルクシオはわけがわからず独り呟いたのだった。




