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夜明けの貴公子は行き遅れの太陽に恋焦がれる(旧題:引きこもり令息は行き遅れ令嬢を追いかけたい)  作者: 鶏冠 勇真
2.5章

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こぼれ話 初恋の人 前編

本編2章が終わって数週間後くらいの話です。


「通してください!」

「いいけど、その代わり僕とお茶しようよぉ」

「お断りです!」

「つれないなぁ。ちょっとくらいいいじゃん、なんでも買ってあげるからさぁ?ねえ、可愛いお嬢ちゃん?」


 賑やかな大通りを少し外れた、人通りの少ない路地裏。

 花飾りのついた帽子を深めにかぶり、シンプルだが仕立ての良い水色のワンピースに身を包んだ十代前半の少女——ロレッタ・ロックハートが、腕に首にこれ見よがしに宝飾品を巻き付けた小太りの男に絡まれていた。


「あんなちっさい店のやっすい駄菓子じゃなくて、お貴族様御用達の高級パティスリーのスイーツだって買ってあげるよ?自分で言うのもなんだけど、結構いいとこの坊ちゃんなんだよ僕」


 ロレッタが抱える甘苦い香りを放つ紙袋を一瞥し、男がジャラジャラと首飾りを揺らしながら得意そうに胸を張る。

 彼女がまさにそのお貴族様であり、ただの小金持ちでしかない小太り男よりもよっぽどいいとこの出だとは気が付かないらしい。


「いりません!それに、馬鹿にしないでください!ここのチョコレートは王都のパティスリーにだって負けないくらい美味しいんです!もう、いい加減通してください!」


 きっぱりと拒否の意を示し、ロレッタは立ち塞がる男をなんとか振り切ろうとした。

 今日はたまたま馬車も通れないようなせまい裏道の先にある隠れ家的なお店に用があっただけで、少し歩いて角を曲がればロックハート家の馬車がすぐ近くに待機している。

 それに路地裏とはいえ現在時刻はちょうど正午であり、治安のいいこの国で女性の一人歩きが危険視されるような時間でもない。

 だから、油断していた。


「遠慮なんかしなくていいって!ほら、ほら!」

「い、痛っ!」


 男の方を見ないまま通り抜けようとした瞬間、ロレッタは急に二の腕を後ろから掴まれ、危うく転倒しかけた。

 慌てて振り返ると、ヘラヘラとした軽薄な笑みをぺったり張り付けた男の顔が目の前にある。


「ひっ……」

「照れてるんでしょ?かわいいなぁ。ちゃんとわかってるよ」


 男はそのまま大通りの反対側、裏道からさらに奥まった場所へと、ロレッタを引きずるように連れて行こうとしている。


「いっ……いやっ……誰か……!」


 青褪めたロレッタが恐怖で身体を強張らせながら、震える声で助けを呼ぼうとしたそのとき。


「おや、ロックハート嬢、こんなところで会うなんて奇遇ですね」


 迷路のように入り組んだ壁と壁の間の脇道からヌッと現れた細い腕が、ロレッタを掴むブレスレットだらけの太い腕を叩き落した。


「えっ……?」

「な、なんだ、誰だお前は!」


 はたかれた腕を大袈裟にさすりながら、男がブルブル怒りに震えながら叫ぶ。贅肉が揺れるたび巻き付いた宝飾品もジャラジャラと揺れた。


「……ああ、大変申し訳ございません。思わぬところで友人と逢えた喜びで周りが見えていなかったようで」


 両端の壁に陽射しを阻まれた薄暗い空間の中から、黒衣に包まれた細身の身体がスルリと抜け出す。突き出した腕でそのままロレッタに後ろにさがるよう促しつつ、二人の間に立ち塞がる一人の青年。


「初めまして。我が友人の新しいご友人……とはとても思えない方、以後お見知りおき……してもらう必要もないでしょうけど」


 背中に庇われたロレッタからはうねる夜空色の髪しか見えないが、前を見据える瞳はまるで朝日に照らされた雲のような色をしているだろうとわかる。


「ル……ルクシオ様!」


 危機に陥ったロレッタの前に現れたのは、かの有名なアンブラー男爵家次期当主にして、ロレッタの初恋の人。ルクシオ・アンブラーだった。




 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆




 時は遡り、ロレッタが成金風ナンパ男に絡まれる数分前。

 老若男女か楽し気に行き交う真昼の大通り、サンサンと照り付ける陽射しの下。ルクシオ・アンブラーは陸に打ち上げられた魚のように死んだ目をして歩いていた。


「あぢい……もうマジ無理……」


 その日はルクシオの絵画を定期的に購入してくれる常連の家主から、肖像画の依頼が入ったためにその打ち合わせに行ってきた帰りだった。

 依頼内容は三歳になった孫を囲んでの家族の集合絵。見たものはいつでも脳内で完璧に再現できるため普段はどんな絵も自室に引きこもって描くルクシオだが、流石に会ったことのない人物は描けない。一度は顔を合わせる必要がある。

 まあ一瞬でも瞳に映せればそれでいいので、お孫さんと一緒におめかししてポーズを決めてもらって「はいチーズ!」で終了だったが。

 ちなみに何故「はいチーズ!」となったかというと、チーズが大好物らしいその子が「チーズ」という単語を聞かせるだけで満面の笑顔になるらしいので、それを利用した結果である。


「さっきまで曇りだったのにもうこんなに晴れるなんて……馬車帰らせるんじゃなかったな……」


 そんなわけで打ち合わせ自体はすぐに終わったのだが、ここ最近身体を鍛えることを日課にしているルクシオは空が曇りだったこともあり、行きで乗ってきた馬車を先に帰して歩いて帰ることにしたのだ。

 しかし歩き出してすぐあんなに分厚かった雲が晴れてしまった。


「うう……もうダメだ……いったん日陰のあるところへ……」


 どんどん熱量を上げていく日の光を避け、表通りから少し外れた路地裏へ逃げ込む。

 建物が密集しているそこは日陰が多く、今のルクシオにとってはとてもありがたい。屋根の軒や壁に囲まれたより狭く暗い場所を求めて、フラフラと彷徨っていると。


「いっ……いやっ……誰か……!」


 脇道の先から、一人の少女の助けを求める声が聞こえた。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



「なんだお前は!どこから出てきた!」

「ああまあちょっとそこから」


 睨みつけてくる男を前にしながら、ルクシオは「さてここからどうしようかな」と頭を悩ませる。

 ついさっき聞き覚えのある声に顔をあげれば、幼気な少女がこの小太り男に捕まって無理矢理連れていかれようとしているのが見えた。日陰と深く被った帽子で顔の大部分は隠れてしまっていたが、帽子から覗く耳が明らかに、ルクシオの知人——いや友人?この場合どっちの方が失礼がないのか——である少女のもの。

 何故か一般的には知られていないが人の耳の形は千差万別で一人一人違うのだ。己が見間違えるはずがない。

 しかし数少ない知り合い、しかも恩義ある少女の危機に咄嗟に駆けつけたはいいものの、実はこの後どうするかはまったく考えていなかった。


「お前なあ!僕を誰だかわかってるのか?お前なんかがこの僕に敵うわけないだろ!わかったらその娘を返せっ!このっ!」


 とりあえず男とロレッタを引き離すことには成功したし、隙をついてロレッタを連れて己がさっき出てきた脇道から逃げ出そうか。 

 道というよりもはや隙間と言っていいくらい狭いそこをこの丸々と太った男が追ってこれるとは思えない。


「おい!聞いているのか貴様!おい!おいっ!」


 いやしかし。しかし万が一、ロレッタまでつかえてしまったらどうする。あの隙間はルクシオが横歩きでギリギリ通れるくらいの狭さしかない。

 どことは言わないが平たいロレッタの身体なら難なく通れるとは思うが、もし万が一別のところがつっかえてしまった場合彼女の心とかプライドとかを大変傷つけてしまう。

 いやもちろんつかえたからって悪いことではない、だってきっとこれがロレッタではなくユーミアなら間違いなくつかえてしまうだろうし……でも全然そんなこと気にする必要はないしかつてガーデンパーティで倒れかけて抱き留めてもらったときはとても柔らかかったし……。


「おいっ!僕を無視するなっ!!」


 と、つい思考が飛んでいたところ、いつのまにか目の前に迫ってきた男に胸倉を掴みあげられ流石に我に返った。


「貴様……黙っていれば偉そうに……ちょっと痩せてるからって調子のりやがって……ちょっと痩せてるからって!僕はなあ!お前みたいなやつが!気安く口を聞いていい相手じゃないんだぞ!」


 小太り男がギリギリとルクシオのクラバットを締め上げる。何やら彼のコンプレックスを刺激してしまったらしい。

 黙っていればと言われてもこの男は一瞬たりとも黙っていなかった気がするが、ろくに聞いていなかったのは事実なので何も言えない。


「ルクシオ様!」

「ロックハート嬢……」


 後ろのロレッタが悲痛な声を上げるのが聞こえる。図らずも男を引き付けることが出来たので今のうちに逃げて欲しいが、おそらくそんな指示をだしても優しい彼女は従わないだろう。


「僕はなあ!お前みたいなやつが!気安く口を聞いていい相手じゃないんだぞ!」

 

 確かさっきも言っていたようなセリフを男が叫んだ。ルクシオが聞いていなかったと思ってもう一度やり直してくれるらしい。


「僕を誰だと思ってる!ダグラトニー商会の跡取り息子、デイブ・ダグラトニーなんだぞ!」


 そう言ってルクシオを突き飛ばすように放した両手を腰にあて、男が腹を突き出してふんぞり返った。それと同時に顎と一体化した太い首から下げていたペンダントも大きく揺れる。


「…………」


 その揺れに何の気無しに視線を向けたルクシオが、フッと目を細めた。


「ダグラトニー……商家の跡取り様であられましたか……なるほど、道理でお目が高い」


 表側に大きな青い石があしらわれたいかにも高級そうなペンダント。


「一目見た瞬間からもしやと思っておりましたが、そのペンダントに使われているのは、あの遥か海の向こうの大陸でしか産出されないと言われる……」

「な、なんだよ、いきなり……いや、まあいい。ようやく僕の凄さがわかったか!そうだそのとおり、この宝石はこの国の貴族すら容易に手に入れられない、真に高貴なる者に相応しい輝きを持つ石!その名もスターサファイア……」


 ルクシオの態度の変化に男は一瞬面食らったように仰け反るも、すぐに気を取り直したように咳払いをして、太い指で胸に垂れ下がる宝石の一つをつまみ上げる。


「の、精巧な模造品ですね?」


 しかし自慢げに語りだす男の声に被せるようにルクシオが言い切り、男の顔が凍り付いた。


「は?え、も、模造品?何をそんな!そんな馬鹿なっ……!これがいくらしたかわかって……っ」

「スターサファイアと言えば鉱山は勿論その加工技術まで西の大陸の一部の国々が独占している状態であることはその石を欲する者なら当然有している情報ですよね?石だけではなくその装飾にまでその国でよく使われる意匠や紋様を施しているのは大変芸が細かいことで」


 本物であれば余程の値がついたことだろう。本物であれば。

 偽物であればまあ、売る方も“本来ならこのくらいの価格のところ特別にこの価格で”とか言って本物の相場より低く売ってるかもしれない。


「しかしやはり模造品は模造品。先程ペンダントが揺れた際に見えた台座の裏の花模様はかの国で有名な宝石彫刻師の手による刻印と酷似しておりますが、蔓草がさりげなく描くかの国の言語で刻まれた、彼の名のスペルが一文字だけ違う」


 その後男はなんども反論しようと口を開いては閉じを繰り返していたが、ルクシオのその言葉を聞いた瞬間、慌てて自身のペンダントを裏返した。しかしどんなに食い入るように見つめても異国の言葉が読めなければどうしようもないだろう。だから騙される。

 

「これはミスではなく敢えてそうしてるのでしょうね。『これはあの天才彫刻師の手による作品で』などと固有名詞を使わず曖昧な言葉で売り付けて、あとで文句を言われても『貴方が勝手に勘違いしたんだろう、ほらここにちゃんと名前も彫られているのに』と言うための……」


 台座の裏を何度もなぞる様に確かめながら、「いやでも」「そんな」などと言いかけては反論できずに唇を震わせる男。

 何度なぞったところでそれが正しいスペルを刻むことはないのに。


「もちろん貴方は承知の上で購入されたのでしょう?ただのガラス玉だとわかっていればぼったくられるはずはありませんし。見る目は無い癖に虚栄心だけは強い馬鹿を炙り出すには丁度いい試金石になる」

「ふっ……ふっ……ふ、ふざけるな!だ、誰が、誰が馬鹿だって……!」


 無駄な確認作業を続けていた小太り男が、ついに震える声を絞り出しながら右拳を振り上げた。装飾品のチェーンや飾り紐が巻き付いた太い腕が、まるで豪華なハムのように見える。


「はて?なんのことでしょう?だってこれが偽物だと貴方は勿論知っていたんですよね?商人として最低限の知識や見る目があればわからないはずがありません。俺の言うことは事実とは異なっていましたか?何か貴方の気に障ることを言ってしまいましたか?」

「ぐっ……!うぐっ……!うう……!」


 へりくだった態度や口調とは裏腹に、ルクシオの顔には完全に男を見下し切った笑みが張り付いていた。しかしその言葉を否定するのも『馬鹿にされた』として殴り掛かるのも、ルクシオが言外に示すあまりに情けない事実を全力で肯定することと同義。

 男はギリギリと歯ぎしりをしながら、悔しげに振り上げていた腕を降ろした。


「お嬢ちゃん……ごめんねぇ、僕、ちょっと急用が出来ちゃったから、お茶はまた今度にしようか……」

 

 俯いたまま、フウフウと苛立ちのこもった呼吸を暫く続けた後。

 まだ諦めていなかったのか、ルクシオの後ろで震えていたロレッタにニッタリと笑いかけてから、ルクシオ達が通ってきた細道の反対側から裏路地を抜ける道にゆっくりと背を向ける。


「……お前、顔は覚えたからな……!」


 そして完全に後ろを向く直前、ルクシオに射抜くような鋭い(と本人は思っているのだろう)視線と負け惜しみの言葉を投げつけ、ドスドスと乱暴な足音を立てながら走り去っていったのだった。


後編は明日更新予定です。

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― 新着の感想 ―
[一言] (ルクシオに)顔を覚えられたんだよなぁ
[良い点] ちょっと痩せてるからって! ツボに入りました。 本当に、ルクシオは惚れた相手の前以外ではかっこいいんですよね。
[一言] ロレッタ視点で考えるとあまりにもイケメンすぎる 颯爽とピンチに現れ、華麗に撃退 こんなのルクシオじゃない、惚れてまうやろー! ただルクシオ視点が相変わらずだったので、凄く安心した やっぱり…
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