むかし話 運命を知る前
兄達が婿に行く少し前、ルクシオがまだ常識人だった頃の話です。
絵を描くのは昔から得意である。
一度集中すればもう周りの音は聞こえない。
何時間、下手をすれば何日もぶっ通しで描き続けることもザラにある。話しかけられようが肩を叩かれようが筆が止まることはない。
「…………」
……だがそれも、突然の地震で手から筆が落ちれば話は別である。
地震と言っても天災ではない。震源地はこの部屋の真上。一番上の兄の部屋、そして漏れ聞こえてくる声からして二番目の兄もいる。ドッタンバッタンと騒がしい音と共に『ミリアムが一番だ』『世界一はリジーだ』と各々の婚約者を自慢し合う声が。
「ふっ……」
どちらももうすぐ結婚式を控えた新郎達。そんな微笑ましい惚気合いを聞きながら、ルクシオはいまだ震動のやまない部屋で床に落ちた筆を拾った。
「この馬鹿共ーーーー!!」
いや微笑ましいわけがあるか。何で惚気で家を揺らす必要がある。揺れたきゃ一人で勝手に揺れてろクラゲを見習え。
「何やってんださっきからっ……うぉおあぁ!?」
滅多に走らない足を走らせ、震源地のドアを蹴破るようにして開ける。その瞬間飛び込んできた光景にルクシオは思わず声を裏返した。
「その声はルクシオか……!?ちょうどいい、審判してくれ!」
「なんの!?馬鹿決定戦!?」
普通の喧嘩にしては派手な音がするとは思っていた。案の定普通の喧嘩じゃなかったらしい。
「馬鹿とはなんだ馬鹿とは!大真面目だぞ僕達は!」
「馬鹿以外の誰がそんな状況になんだよ!」
何がどうしてそうなったかは知らないが、ルクシオの部屋と違って片付いている長兄の部屋の中央で、エミーディオは机を、ディオルクはベッドの端を持ちあげていた。
「くっ、どっちの婚約者が世界一かで言い争いになって……どっちの愛の方が重いか勝負になって……」
ぶるぶると腕を震わせながら、ベッドを持ち上げるディオルクが真剣な顔で事情説明をしてくる。真剣である。顔だけは真剣である。言ってることもやってることも馬鹿丸出しだがこの男、顔だけは良い。
「愛情の重さを直接比べることはできないから……物の重さに例えることにしたんだ」
続いてエミーディオが説明を付け足す。
つまり、“嫁のことこのくらい好きだ!”と愛の重さを表すために重量のあるものを持ち上げて競ってると。
「というわけだルクシオ、どっちの方が凄いか判定してくれ……っ」
「いやまだだディオルク俺のミリアムへの愛はこんなものじゃない!」
「それを言うなら僕だって!そうだルクシオこの上に乗ってくれ余裕で持ち上げて見せるぞ!」
先程からドスンドスンと屋敷を揺らしていた音は、片っ端から重いものを持ち上げてはより重いものを求めて下ろすを繰り返してた故のものらしい。
そんな成人男性二人の愛とプライドを賭けた闘いを目の前にしたルクシオは。
「式前にぎっくり腰になっちまえバーーカ!」
片手に持っていた絵筆を床に叩きつけ、渾身の声で叫んだ。
「やれやれ、まったく何の騒ぎだ」
数分後。終わらない闘いをどうにもできずに眺めているルクシオの肩を、誰かの手がポンと叩いた。
「父さん……いや、エミ兄とディオ兄が……嫁への愛がどっちが重いか力比べで決めるとか言ってて……」
「そんなことだろうと思ったぞ。まったく我が息子ながら馬鹿なことを」
ジェイミー・アンブラー。この目の前で闘いを繰り広げている男達の父にして、アンブラー家の当主である。
「嫁への愛ならこの私が一番に決まってるではないか」
「そんなことだろうと思ったわやめろリーチかけんじゃねぇ」
代々男ばかり恋に狂うアンブラー家。
前々からその片鱗はあったが、運命の女性に出会って長男次男が見事に狂ってしまった今、父親も駄目となればこの家にまともな男はルクシオしか残っていない。
「よーし話はわかった父さんなんて母さんのためならこのクローゼット持ち上げられるぞ!」
「歳を考えろ歳を!!」
50も手前、そんなことをしたらぎっくり腰待った無しであろう男の暴挙をルクシオが上着を掴んで止める。兄達はアレで身体能力は高いのでもうしばらくは放っておいて大丈夫だろう。
「止めるなルクシオ、男にはやらねばならない時があるんだ!」
「間違いなくそれは今でもクローゼット持ち上げることでもねぇよ!」
歳ではあるが父親も父親で案外力は強い。若くとも引きこもりで腕力も体力も平均以下のルクシオでは歯が立たないくらいには。アンブラー家の男は恋に狂う代わりに他の能力が無駄に高かったりするせいもある。
「甘いな父さん、僕ならこのクローゼットくらい片手で持ち上げられる!」
「ならば俺は指だけで持ち上げてみせるぞそこをどけディオルク」
ついにルクシオの制止を振り切った父が兄達の闘いに参戦する。こんな時いつも止めてくれた母はお茶会で不在。
「引きこもりには荷が重過ぎんだよ誰かこの馬鹿共をなんとかしてくれ……!」
振り切られた腕の行き場をなくして頭を抱え、現在この家の唯一の常識人がその場に崩れ落ちる。
「安心しろ弟よ、お前もアンブラーの男だ。いずれこっち側にくる」
「さかのぼれるだけさかのぼってもこの血の運命から逃がれられた男はいないぞ我が息子よ」
「お前にもいつかわかるさ。運命に出会うとはどういうことかって」
いい加減にしてほしい。アンブラーの血がなんだ。何が運命だ。非現実的にも程がある。
「俺は!絶対に!そんな馬鹿にはならない!」
もう止めることは完全に諦め、ルクシオは勢いよく部屋のドアを閉めた。
……しかしこの一年後。その血の運命の前に己もあっさりと膝を折ることを、この時はまだ知らなかった。
この後彼がどうなったかは1章1話でわかります。




