こぼれ話 それは祝福という名の
時系列的に前回の指輪を渡す話の直前、劇を見終わった直後あたり。弟の心配をする兄達と、案の定墓穴掘ってるルクシオの話。
「今頃上手くやってるかなあ、ルクシオは」
書斎で今日の売上の帳簿をつけながら、ディオルクがふと壁時計の針を見て呟く。
「弟さんがどうかしたの?」
「リジー!」
それと同時に部屋のドアが開き、片手にコーヒーカップを載せたトレイを抱えた女性が顔を出した。ディオルクの最愛の妻、エリザである。愛称はリジー。
「ありがとうリジーやっぱりリジーが淹れるコーヒーは世界一だよ!香りからして他と違うんだ何が違うかって隠し味の愛じょ」
「残念ながらその隠し味すり減ってるわ今」
「その分僕が増すから!」
ちなみにこのやり取りは結婚してから57回目くらいである。
こういうところが兄に、弟に、そしてエリザに『黙っていれば王子様なのに』とか言われる由縁であるのだが、本人は気づいていない。
「で、弟さんがどうしたの?」
「ああ、今日ルクシオがデートなんだ。指輪渡すって張り切ってて」
「ふぅん……そういえば前にそんなこと言ってたわね。演劇見に行くんだっけ?今日がその日だったの」
エリザから渡されたコーヒーカップを宝物のように抱え持ち、ディオルクが答える。
「演目もラブロマンスでうってつけだし、いい雰囲気になれてればいいけど」
「そうねぇ」
何も知らない人が見ればまるでそのカップが名のある骨董品か国宝か何かかと思うだろう。それを見つめる男のその国宝級の顔に釣られて。
「……てか、いつまでカップ持ったまま固まってるのよ。せっかく淹れたんだなら早く飲みなさいよ」
ただカップを持っている、それだけで絵になる男、ディオルク・元アンブラー。
「待って、57回すり減らしても変わらずにあるリジーの愛情を噛み締めてる」
「馬鹿!」
ただしその言動で全てを台無しにするタイプの男であった。
◆◆◆
「上手くいくといいですね……ルクシオさん達」
「そうだな」
ソファに座り報告書の束をパラパラと読みながら、エミーディオが隣に座った少女に柔らかく微笑む。
「俺達がアドバイスしたんだ、上手くいってもらわないと困る」
「きっと大丈夫です!エディがついてて失敗するわけないです」
無邪気に言う少女の名はミリアム・アシュベリー。元アシュベリー子爵家の一人娘、現アシュベリー子爵夫人。エミーディオが己の全てを捧げて愛する妻である。どのくらい捧げてるかというと『自分の嫁が世界一』と譲らない親兄弟達と血で血を洗う闘いを繰り広げるくらいの捧げっぷりである。
「今日見る劇もエディのオススメなんですよね?」
「ああ。原作はかなり昔の小説なんだが、今でも色褪せず面白い」
「どんなお話なんですか?」
「一言で言うと愛し合う二人が悪魔にも打ち勝って幸せになる話だ。まあ俺は悪魔の方にも感情移入できるなと」
脚本となった小説の内容を思い出しながらエミーディオが語った。これがあの弟なら第一章から最終章まで暗唱してみせるのだろうなと考えて、さすがに無理だと独りごちる。
「ヒロインが絶世の美女で、懸想する男が沢山いるんだ。その中の一人が悪魔に恋を叶えてもらおうと怪しげな本に手を出して……召喚陣の描き方を間違って悪魔に乗っ取られる」
「ひえっ、ちょっと怖いお話なんですね……」
「そして主人公への恨みとヒロインへの執着だけ残って、二人の命を狙う。それを主人公が打ち倒してハッピーエンド」
あらすじだけだとあまり面白そうに説明できない。実際に読めば主役二人の想いの強さとか、悪魔に魂を売ってまでヒロインを欲しがる男の苦悩とか、その心情描写が巧みで引き込まれたのだけど。
上手く言えなくてすまないと謝るエミーディオに、ミリアムは充分ですと笑って答えた。
「でも……その人が正しい描き方で悪魔を召喚していたら、結末は変わってたんでしょうか」
「どうだろうな?まあ、どちらにしろ現実で悪魔なんてあり得ないが……そんな非現実的なものに頼ってまで恋を叶えようとする気持ちは少しだけわかるよ」
◆◆◆
一方その頃、兄二人に心配されていた弟は。
「正しい召喚陣なら今すぐにでも描けますよ!曽祖父の蔵書にそういった悪魔関連の曰く付きの本が多くて、昔暇つぶしに読んでたので図は全部覚え……て……」
劇が終わり、感想を語り合っていた時だった。ヒロインに横恋慕する男が悪魔を召喚しようとして失敗したシーンが印象的だったと話をして、ユーミアが『正しい召喚陣なんてあるのかしらね』と言うから。
てっきり興味があるのかと思って意気込んで答えたところで、その表情を見てルクシオはようやくこれが失言だったことに気づいた。
「…………そういえばこのあたりに咲いてるブドウに似てる花、花びらは紫なのに黄金花って名前なんですよ実は根が黄金色の絵の具の原料になって」
「言い訳が思いつかなかったのなら正直にそう言いなさい」
どうにも誤魔化せず強引に話題転換を図ったルクシオにユーミアが冷静に答える。
「今更このくらいで引いたりしないわよ……貴方の曾お爺様だもの、個性的な人だろうとは思ってたわ」
またやってしまった。アンブラー家の男共の感覚は一般のそれとはだいぶかけ離れてると、最近ちょっとわかってきたところだったのに。
「いや……その、いくら曽祖父でも本当に悪魔を召喚できると思っていたわけではなく……!ええときっとただの趣味で」
「ただの趣味で悪魔の召喚陣の本を集めていたならそれはそれで怖いけども」
「あっ新しいワッペンの図案の参考にするために」
「ファッション感覚もやめて」
最早どうやっても軌道修正は不可能であった。駄目だ、ユーミアの中で曽祖父が恋愛成就のため悪魔召喚に傾倒した男になってしまった。いや事実だけども。一般の感覚だとこれはかなり引く部類であることが今わかった。
「成功は、成功はしてないはずなんです!」
「それはそうでしょうよ!」
「うちが代々男ばかりこんなに恋に狂うのは曽祖父かもっと前かで悪魔と契約して末代まで続く呪いを受けたせいとか笑い話になってるくらいで」
「本当に成功してないのよね……?」
取り繕えば取り繕う程墓穴を掘っていく気がする。もう黙った方がいいだろうか。ルクシオは自分で自分の口を押さえた。
「まさかそんな非現実的なことあるはずないと思うけど……」
そんなに怖がらせてしまったのだろうか。
そうルクシオが焦っていると、ユーミアは何かを考え込むように俯いた。そして静かにポツリと呟く。
「……もし、本当に呪いだったら、ルクシオはどう思う?」
「え?」
怖がっている、とは少し違うかもしれない。アンブラー家の異常性に怯えているというよりは、ただどこか不安げな様子で。
「こんな……夜会で少しアドバイスしただけの、ずっと年上の女をそれでも好きになるような、呪いだったら」
「ユーミア嬢……?」
立ち尽くすルクシオとユーミアの間に、夜の冷え込んだ風が吹き抜けた。
◆◆◆
「呪い?急に何を言うんだいリジー」
「別に。アンタがこんなに馬鹿になるのも、前に言ってた呪いのせいなのかもねって思っただけよ」
コーヒーを飲み終わった後もまだカップを離そうとしないディオルクを眺め、エリザが呆れたように、しかしどこか拗ねたように顔を逸らした。
「前に……ああ、うちの曾祖父の趣味の話だね。大丈夫だよリジーあれは一度も成功しなかったって日記でも」
「言われなくたって悪魔なんて信じてるわけじゃないわよ!でも、その話を聞いた時、ちょっとだけ」
肩より少し上で切り揃えられた焦げ茶色の髪を指で弄びながら、先程より少し小さな声でエリザが言う。
「……アンタみたいな人が……こんな平民の、気が強いだけで可愛げもない女に夢中になるなんて、はたから見たら呪いみたいなものじゃない」
「!」
いつも強気な妻のいつになく弱気な言葉。うっかりカップを取り落としそうになりながら、ディオルクはガタンと席を立った。
「ごめん、なんでもないわ。忘れて」
「待ってくれ!」
そして早足で部屋を出て行こうとする彼女を追いかけ、しっかりとその手を取った。
「リジー、聞いてくれ。もしそんな呪いがあったとして、僕は」
◆◆◆
「たまに不安になるんです……その話が、本当なんじゃないかって……」
「え?」
自身の手を強く握り締め、ミリアムが隣に座るエミーディオの肩に頭を乗せた。
「エディは笑い話として話してくれましたけど……私は、あり得ないことじゃあないかもって」
「!悪かった、ミリアム。悪魔とか幽霊とか、君は苦手だったな。冗談でも言うべきじゃなかっ……」
「そうじゃなくて!幽霊は怖いですけど!そうじゃないんです!」
恥ずかしがり屋のミリアムが自分から甘えてくるなんて珍しい。そう思って喜んでその肩を抱こうとしたエミーディオは、しかし直前でその腕を阻まれた。
「エディみたいに素敵な人が、私なんかをこんなに好きになってくれて、頑固だった両親も説き伏せてくれて、没落寸前のうちも立て直してくれて……あんまりにも都合が良過ぎて、たまにこれは夢なんじゃないかって思うんです」
以前何の気無しに話したアンブラー家の逸話の一つ、曽祖父の怪しげなコレクション。恋のまじないやら悪魔に願いを叶えてもらう方法やらがまことしやかに書かれた古い本の数々。
アンブラーの男が代々恋に狂うのは、その悪魔の呪いのせいだとか何とか。
「だから……呪いでもなかったら、こんなことあり得なかったんじゃないかって」
笑い話のつもりで話したそれを、ミリアムがずっと気にしていたとは思いもよらなかった。
驚いたエミーディオが目を瞬かせる。しかしすぐさま我に返りその震える肩を抱きしめた。
「安心してくれ、俺の可愛いひと。たとえ本当にそんな呪いがあったとして、俺は」
◆◆◆
「喜んで受けましょう。貴女に出会えたことが、貴女に恋をしたことが悪魔の呪いのせいだと言うのなら」
服が汚れるのも厭わずにその場に膝をつき、ルクシオは忠誠を捧げる騎士のごとく頭を垂れた。
「……それは俺にとって、女神の祝福に等しい」
呪いだったら何だと言うのだ。こんなに素晴らしい呪いが他にあるか。欲を言えばもっと早く発動してほしかったくらいである。そうすればもっと早く出会えた。そして間違いなく恋をした。
「ルクシオ……」
「月並みな言葉しか言えない俺を許してください。貴女と出会わない、恋をしない世界もあり得たのだとしたら、俺はその方が恐ろしくてたまらない」
己だけではない。二人の兄が家を捨て人生を捧げる程の恋をしたのも呪いのせいで、それがなければ何の問題なく跡を継いでいたのだとしたら、ルクシオは今もずっと外の世界を知らない引きこもりのままだった。ユーミアとも出会えなかった。
ならばそんな呪いをかけてくれた悪魔には感謝せねばならない。
「変なことを言ってごめんなさい。私も……その、貴方と出会えて、良かったわ」
「ユーミア嬢!」
ルクシオが顔を上げると、ユーミアの表情にもう不安の色はなかった。どんな女神よりも美しい、優しい笑みを浮かべている。
「貴女を愛しています。たとえそれが呪いであっても、ずっと解けないでいてほしい」
同じ月が輝く夜空の下。
何の奇跡か偶然か、アンブラーの血を引く男達が、それぞれの最愛へと向かい同じ言葉を告げていた。




