4話 輝くものは
「お礼は指輪で確定として……問題はいかにして受け取ってもらうかだな」
「幸いお前はもう婚約者と言っていい地位にいる。通常であれば指輪くらい贈っていいはずだ」
アンブラー家三男のアトリエ兼自室。かつて全員でひっくり返したテーブルを囲み、アンブラー家三兄弟が作戦会議をしていた。
「そう、通常であればだ……だがこの婚約は婚約でも、一方的にルクシオに有利な……ただお前がユーミア嬢をキープしてるだけの状態と言って過言じゃない」
次男ディオルクの言葉を受け、長男エミーディオが続ける。
最近は三人集まることは避けようとしていたのだが、今回の相談事がかなり重要な案件だったこと、直近で都合がつく日が長男次男共に同じ日であったのでこうなった。
「ユーミア嬢もお人好し過ぎる。ルクシオはいくらでも余所見してOK、縛られるのは自分だけだなんて」
自慢のプラチナブロンドをキザったらしくかきあげ、ディオルクが肩を竦める。
「いくら有利でも何一つ嬉しくない……俺だってユーミア嬢から縛られたいしキープされたいし余所見したらいやしないけど怒られたいし焼きもちだって焼かれたいし……!」
「ふふ、そうだねわかるさ。僕もこの前お店の女の子に声をかけられたところをリジーに見られてしまって、いやあすっかり機嫌が悪くなってしまって一日中ご機嫌取りで大変だったよでもそんなところが可愛いの何の」
「ハゲろ」
「うわやめろ呪うな!」
芽生えた殺意を全て毛根に向けルクシオが睨みつければ、ディオルクは慌てて両腕で額の生え際を庇った。
「すぐには気付かない程度に段々後退して前髪バラけろ……」
「妙に具体的に呪うな!」
羨ましい。死ぬ程羨ましい。他の女の子から声をかけられただけで一日中機嫌が悪くなる?ご機嫌取りが大変?最高じゃないか。
もしユーミアがそんなふうになってくれたら。ルクシオがちょっと他の令嬢に声をかけられただけで怒ってくれたら。「私以外の子を見ないで」なんてむくれながら言ってくれたりしたらもう何だそれは幸せ過ぎる生きてて良かった夢みたいだ我が生涯に一片の悔い無し。
「言われなくたってユーミア嬢以外見る気なんて……!」
「妄想中悪いがそろそろ話を戻すぞ」
「何を想像してるかは分かるけど今の段階じゃあルクシオが他の子に声をかけられてもユーミア嬢は快く送り出すだろうな……」
現実は残酷だった。
「……や、やってみないとわかんねぇだろ……もしかしたら意外と……いやちょっとくらい……送り出した後一抹の寂しさを感じるくらいは絶対にないとは言えないかもしれないと言い切れなくはな」
「どんどんハードルを下げていくな」
「しかもそれでも断定できないんだな可哀想に」
現実は非情だった。
リアルに想像しようとすれば他の女の手を取るルクシオを笑顔で見守るユーミアしか浮かばない。
良かったわねルクシオ、お幸せにねと送り出そうとするユーミア。
「うわぁああ違う俺はユーミア嬢以外見る気なんて!」
「被害妄想中悪いがいい加減話を戻すぞ」
「そうだぞ今日の議題はいかにしてユーミア嬢に指輪を受け取ってもらうかじゃないか」
ただの想像であまりにも重いダメージを負ってしまった。しかし下手をすればこれが現実になってしまうのだ。ルクシオがうっかり他の令嬢に声をかけられて、うっかり普通に対応してしまったら最後ユーミアは快く背中を押そうとしてくるだろう。
「いいか、今回の指輪はその最悪の事態から少しでも遠ざかるための一手だ。なんとしてでも成功させる」
「エミ兄……」
エミーディオのきっぱりした宣言に、先程まで頭を抱えていたルクシオが顔を上げる。
「要はユーミア嬢にルクシオを手放すのは惜しいと思ってもらえればいいんだ。指輪を気に入って毎日つけてくれるようになればその確率も上がる」
「けどユーミア嬢は物で釣られるような人では」
ユーミアに指輪を贈りたいと思ったのは、この不安定な婚約を少しでも確かなものにしたいと思ったからだ。それから単純に自分の贈り物でその身を飾ってくれたら嬉しいという独占欲。
勿論喜んでもらえたら嬉しいが、それで心まで釣れるとは思っていない。
「違う。物を通してお前を思い出してもらうんだ。会わない時も指輪を見て自然にお前を連想してもらえるようになれば、それだけで愛着は湧いていく」
「それに、異性から贈られた指輪をつけるとなれば、否が応でも多少は意識することになるさ」
「なるほど……!」
心まで釣れるとは思っていなかった。しかしその取っ掛かりくらいは掴めるかもしれない。そう気付いたルクシオが目を輝かせる。
「だがこれは最低限お前が憎からず思われてること前提だ。嫌いな男からの贈り物だったら逆効果もいいとこだぞ?」
「ユーミア嬢もほんの少しくらいはルクシオに好意を持ってると、僕達は信じていいんだな?」
二人の兄が真剣な目でルクシオを見据える。その信頼に応えるため、ルクシオも真剣に答えた。
「それは勿……論……絶対にないとは言えないかもしれないと言い切れなくはないと少なからず思ってると言っても無理はないはずだと」
「ハードル下げ過ぎだ馬鹿」
「せめて断定してくれ弟よ」
真剣に答えるため希望的観測を一切排除した結果、なんとも頼りないものになってしまった。
二時間後。
「色々あったが終わり良ければ全て良しだな」
「ああ今回は誰にも怪我はなかったし」
長い作戦会議を終え、兄二人が部屋を出て行く。それを見送るためについていきながら、ルクシオもその言葉に同意した。
「母さんの脅しが効いたよな」
「アレは効果抜群だった……」
「これからも肝に銘じておこう……」
この会議が始まる前、三人の母であるマリエ・アンブラーが部屋を訪ねて来たのだ。
また大乱闘が始まっては敵わないから一つ言っておくことがあると。
『今度揉めたらあなた達のお嫁さんに昔の恥ずかしい失敗全部バラすからね』
その瞬間全員がテーブルや誰かしらの胸倉を掴む手を下ろした。まさに大乱闘勃発直前だったのである。
「まあルクシオの相手だけはまだお嫁さんじゃないがな」
「厳密に言うと婚約者と言っていいかも怪しい」
「これからなるんだよそう遠くない未来に!」
この家一番の権力者に聞こえないよう小声で応酬しながら、弟に見送られ二人の兄は屋敷を後にした。
好意はある。少なくとも嫌われてはいない。いやむしろ将来的に本当に結婚することになってもいいと思ってくれてるくらいには、ユーミアもルクシオを好いているはずである。
「少し公園を散歩してから帰りませんか」
「ええ、いいわよ。足元に気をつけてね」
ただそれが男としての好意というより、弟への慈しみに近いというだけで……。
「いえもしユーミア嬢が転びかけたとして俺が絶対に支えますから安心して歩いてください」
「ありがとう。頼もしいわね」
今日は王都で評判になっている旅一座の演劇を二人で見に来た。勿論デートで、今はその帰りである。
「星が綺麗ね。ずっと見ていたいわ」
「貴女の方が綺麗です。星なんかよりずっと貴女を見ていたい」
「……もう、貴方はどうしてそう大真面目に……いえ何でもないわ」
星明かりと街灯に照らされた公園。ムードは問題ない。後はいかに上手く話を運ぶかである。
「ユーミア嬢。貴女に伝えたいことがあります。聞いてくれますか?」
「え?ええ、いいわよ」
まずは『話を聞いてほしい』というまず断られることのない申し出をして許可を貰う。
これはディオルクからのアドバイスである。些細なことであるが、これをするだけで途中で遮られたり逃げられる可能性がぐっと低くなる。人とは己が一度はっきり了承したことは反故にしにくいものなのだ。
「俺は……貴女にとても感謝しているんです、ユーミア嬢」
さりげなくユーミアの左手を取り、ルクシオは語り始めた。
「あの日の夜会で貴女に会わなければ、俺はあのまま日光嫌い人嫌いの引きこもりのままでした。もう二度と夜会には行かないと駄々を捏ねて父を困らせていたことでしょう」
愛の言葉より感謝の言葉を。これはエミーディオからのアドバイスである。
「ダンスの仕方も、女性との話し方も、人と関わる上での常識も教えてもらうばかりで」
婚約指輪ということを意識させず、あくまで今までのお礼として女性に人気な装飾品を選びましたというていで行けと。
「だからこれは……ポプリのお礼としてだけではなく、今までのこと全てへの感謝の印として受け取っていただきたく」
そして二人からの同じアドバイス。
“小箱で悟らせるな、初手ではめろ”
「待っ……ポプリと指輪じゃ釣り合わないってあれ程……!」
ユーミアが気付いて手を引こうとした時には、既にルクシオが指輪を嵌め終えた後だった。
「いいえ先程も言いましたがこれはポプリのお礼だけではありません、俺の人生を変えてくれたことへの感謝の印です。これまでだけではなくこれからの人生だって」
その引こうとした手を離さず引き寄せ畳みかける。
「本当ならこんなリング一つ宝石一つではとても返しきれない恩があります。俺の幼少の頃からの絵を売った貯金全てはたいたって足りないくらい」
「そ、それだけはやめなさい!」
「そう言われると思って価格は抑えましたどうか受け取ってください!」
ユーミアが指輪を返そうとするなら、この手を振り解いて指輪を外しルクシオに突きつけなくてはならない。
弟のように可愛がり、仮にではあるが婚約者と言っていい男から贈られたものを、そのように冷たく突き返すなどできないはず。
「……もう……もう……わかったわよ、貴方って人は……っ」
「ユーミア嬢!」
ついにユーミアが手を引こうとする力が無くなった。星明かりと街灯に照らされ、その薬指で輝くサンセットサファイアを見つめている。
「嬉しいですありがとうございますユーミア嬢、俺は世界一の幸せ者だ……!」
「贈った側の台詞じゃないわよ……」
好きな人の薬指に自分が贈った指輪がある。これが幸せでなかったら何だというのだ。
「もう少し歩きませんか?あ、ちょっと立ち位置を変えて……左手を添えてくれませんかよく見えるように」
「手じゃなくて足元に集中しなさい、何かにぶつかって転んだら大変よ」
「大丈夫です昼間に下見に来てこの辺りの道のりも障害物も全部覚えてます!」
「また貴方はそういう記憶力の無駄遣いをして……!せっかく日が暮れてからの待ち合わせにしたのに意味ないじゃないのよ」
そう呆れながらも言う通り左手を添えてくれるユーミア。
「貴女のためならたとえ地獄の業火の中でも!」
「日光が地獄並に辛いなら無理しないでって言ってるの!」
その手を眺めながら、いつかはこれを結婚指輪に変えてみせようとルクシオは決意を固めた。
ユーミアはこの後家でぼんやりとして話を聞いていないことが多発。
具合が悪いのかと心配したタバサが医者を呼ぼうとするも、よく見たらどうやら指輪を眺めてるのが原因らしいと気づき「これは医者じゃ治せないわ…」と諦めます。




