3話 本気の言葉
「こっ……この度は、は、拝顔の栄に浴させていただき……」
「私は王族か何かかしら」
「いいえ王族だなんて恐れ多い!例えるなら地上に舞い降りた天使、いや蒼天の女神!」
「更に上を行くのね……」
三日後。ゴールディング家応接室にて、ソファに座……らずその横で膝をつく青年がいた。
「どうかあの夜の約束の破棄だけは考え直していただきたく……!」
顔面蒼白なこの彼は、先日大量の手紙でユーミアの部屋を埋め尽くすところだった犯人である。
どうやら今から最後通牒を突きつけられるとすっかり勘違いしているらしい。部屋に通した時からガチガチに緊張しており、ユーミアが「先々週のことだけど」と切り出した途端こんなことに。
「何でもします、本当に何でもしますからどうか!」
「あのねルクシオ、ちょっと落ち着いて」
「法に触れない限り何だってします!!」
「本当に何でもする気ね!?」
その見開かれた灰色の目に嘘は無い。何かを願う時に「何でもする」と言う者は多いが、大抵は口だけだというのに。
「制限をつけることで逆に真実味が増すわね……どこまで想定してるのよ……」
「牢に入れられてはユーミア嬢を迎えることが叶わなくなるので……脱獄も現実的ではなく」
「お願いだから真っ当に生きて」
中々本題に入れない。まずこの床に貼り付いて離れない男をソファに座らせるところから困難である。辛うじて土下座ではないことだけが救いだ。
「貴方に謝らないといけないことがあるわ」
「っ!?」
ルクシオの息が止まったのが、気配でわかった。
「貴方のことを私、大袈裟なことや極端なことを言いがちで、たまにそれが本気だったりして困った子だと思ってたの」
出会ってから今までのルクシオの言動が脳内を駆け巡る。お世辞を言い慣れてない、加減の分からない子供故の言動だと思っていた。時折本気が混じっていたりして、危なっかしくて目の離せない人だと。
「たまにじゃなかったわ……全部本気だったのね……」
甘かった。ルクシオがたまに極端なことをしてしまうだけの基本は普通の男なら、今この部屋に手紙の山などできていない。極端だ。極端の方が基本だったのだ。
「貴女に本気でなかったことなどただの一度も無い!」
「ええ、ええ、わかってるわ、もう痛い程思い知ったわよ」
法に触れない限り何でもすると言うなら、この人は本当に何でもするだろう。法に触れない限り。
「ごめんなさい、最初に言うべきだったわね。あの約束をなかったことにする気はないわ」
「えっ」
ユーミアが告げれば、今にも倒れそうなくらい青く染まり、思い詰めていたルクシオの表情が崩れた。
「直接言わないと信じてもらえないかと思って、来てもらったの。もう謝罪の手紙はいらないわ」
「ユッ……ユーミア嬢、あああありがとうございます!」
息を吹き返したという表現がぴったり当て嵌まる。冗談抜きでさっきまでのルクシオは死の淵にいるようだった。
「い、生きた心地がしなかったです、ユーミア嬢、貴女に見捨てられたら俺は、俺は……っ」
生きていけない、と涙に濡れた声で呟かれたそれは、少し前までなら捨てられた子犬の鳴き声のように聞こえたものだった。庇護欲を掻き立てる、思わず手を差し伸べずにはいられなくなるような。
「安心しなさい、私から貴方の手を離すことは絶対になくてよ」
しかし今はそんな可愛らしいものではないことを知っている。まあ薄々勘付いてはいたのだ。「たまに極端なことをする子」だと思っていた時から。
「ユーミア嬢……!」
膝をついたルクシオに合わせ、ユーミアもソファを降りる。その夜空のように深い紺色の髪を梳いてやれば、ルクシオは子犬のように目を輝かせた。
「俺だって!俺だって離しません、たとえこの命に代えたとしても!」
「……相変わらず大袈裟ねぇ」
勿論この言葉だって本気だろう。情熱的も過ぎれば恐怖になり得る。
「貴方って人は……本当に私がいないと駄目なのね……」
しかしこれはこれで手がかかって可愛いじゃないかと、案外動じないユーミアであった。
「そうだ、貴方に渡したいものがあるのよ」
「何でしょうか?婚姻誓約書へのサインだったらいつでも喜んで受け取ります是非こちらへ」
「立ち直りが早いのはいいことね」
流れるような動作で一枚の紙を差し出すルクシオをスルーして、ユーミアが用意していた小箱を取り出す。
「前に約束したでしょう?貴方から貰った花束でポプリを作ってるから、出来上がったら一つあげるって」
小箱の中身は、紺の布に灰色の糸でイニシャルの刺繍を施した小袋——ポプリであった。
「何色でもいいって言ってたから、貴方の色と同じにしてみたわ」
「あ、ありがとうございます!家宝にします!」
「そこまで大層なものじゃあないわよ」
少し前まで、この約束は果たせないと思っていた。ポプリは完成していたものの、渡す前にロレッタのことがあり、誤解を生みそうな行為は控えようと思っていたのだ。
「ユーミア嬢も同じものを持ってるんですよね?」
「ええ」
「ということはこれは婚約指輪と同等」
「にはならないわね」
今思えば貰った花束で押し花やポプリまで作るなど、度が過ぎて引かれてたかもしれない……なんて不安はルクシオの度の過ぎた喜びようの前に消し飛ぶ。
「しかし婚前の男女が身に付ける揃いのもので更にイニシャルも入っているとなれば最早違うと証明する方が難しいのでは?」
「大真面目な顔で大馬鹿なこと言わないで頂戴」
「ならば礼として俺はこれと同等のもの……つまり婚約指輪を贈るべきで……」
やっぱり渡すべきではなかったかもしれない。まさかポプリと指輪の違いを証明しなくてはならなくなるとは思いもよらない。
「ユーミア嬢、ちょっと手をひらいて顔の前にかざしてくれませんか?」
「え?こう?」
さてこれはどう説得したものかと悩んだところで、唐突にルクシオから要望があった。
「はい、ではそのままゆっくり回転」
「……?」
よくわからないがその簡単さ故断る理由もなく、言う通りに手を動かすと。
「ありがとうございました」
「あっ……測ったわね!?」
満足げに細められた両の灰色と目が合いようやく気づいた。指のサイズを測っていたのだ、その見たものを寸分違わず記憶できる目で。
「もう!ポプリの返礼が指輪なんて聞いたことないわよ!」
「女性から婚約指輪を貰って何も返さない男だって聞いたことないです!」
「ポプリを婚約指輪に見立てるのをやめなさい!」
駄目だこれは。ここまで頑なな様子では説得は至難の技である。そもそも思い返せば最初に約束をした時点で既に怪しい台詞は口走っていたのだ、それなのに無警戒でいたユーミアも迂闊だった。
「……わかったわ。百歩譲って貴方が何をどう見るかは自由としましょう。ただし」
柄にもなく浮かれていたのだ。一度諦めていたものを、今なら何の気兼ねなく渡せると思って。
「私はこれはポプリとしか見ないから、あまり過ぎたお返しは受け取れないわよ?」
「はい!期待していてください!」
「本当にわかってるのかしら……」
自信満々な様子が逆に不安を煽る。十分前に戻れたら迷いなく小箱ごとポプリを窓の外へ放り投げていたところである。
「兄さん達にも相談します」
「ああ、それなら安……心……?」
続けられたルクシオの言葉に、ユーミアは少しだけほっとした。第三者が間に入ってくれる。それなら安心だと……安心だと思いかけたのだが。
「今までも兄さん達には色々相談に乗ってもらってたんです。わざわざ婿入り先から何度も帰ってきてくれて」
「へぇ、仲が良くていいじゃない。優しいお兄さん達ね」
「ええ、お互い地雷を踏みさえしなければ」
「そんな危険と隣り合わせなの!?」
何故だろう。会ったこともない人を疑うなど失礼にも程がある、だがしかし。
全くもって安心できないような、むしろ不安が駆り立てられるような、そんな気がした。
Q.不安要素はどこから?
A.全員アンブラー家の男




