2話 止まらぬ想い
「あの、姉様……これ……姉様に……」
恐る恐る、という形容詞がぴったり当てはまる様子でタバサがある一通の封筒を差し出す。
「……ありがとう。後で読むわ、そこに置いといて」
ソファに座ったままユーミアがそれに目線をやり、サイドテーブルを指し示した。
青色の封筒に円を描いた茨の封蝋。変わった意匠であるそれは差出人の家の家紋で、“愛する人に続く道ならたとえそれが茨の道だろうとも”という曽祖父の意志を汲んだものだという。
『イバラだけ?薔薇はないのね』
『ありますよ。当代の妻がそのイバラの先にある薔薇です。つまり今は俺の母がアンブラー家の薔薇ですね』
その家の跡継ぎである彼とそんな会話を交わしたのはいつのことだっただろうか。
『変わってるでしょう?家紋も家訓も成り立ちも何から何まで色恋ばかりなんです』
『変わってるけど、素敵だと思うわ。ロマンティックじゃない』
いつのことだっただろうか。己がそんな呑気な回答をしたのは。
「姉様……」
「置いておいて……」
先程手紙を届けて去ったばかりの末の妹がまた顔を出す。用件は聞かなくてもわかった。しかしまだ二十分と経ってない、最短記録である。
「二通あるの……多分一通で入り切らなかったんだと思う。続き物だと思うからバラけちゃったら駄目かと思って」
「重ねておいて……」
寝不足で痛む頭を押さえ、ユーミアが答える。いや正確には頭が痛い原因は寝不足というより。
『イバラを鳥籠の形にする案もあったみたいですけど、さすがにそれは却下になったらしいです』
『あら、どうして?』
『ちょっと……願望が出過ぎというか……』
読んでも読んでも読み終わらない手紙。一通読んでは次、またその次、休憩を挟んでる間に積み上がっていく手紙の山。
「……姉様」
「置いておいて!」
何十、下手すれば三桁を超える茨の紋章に囲まれて、ユーミアは半ば悲鳴のように叫んだ。
最初の一通が届いたのは、パーティ翌日の昼頃のことだった。朝にタバサと話をして、眠かったはずなのに中々寝直せず、結局起きて軽食を取っていた時。食事を下げに来た侍女がその手紙を持ってきたのだ。
まるでかの人の髪色を薄めたような色に、裏面に記されたルクシオ・アンブラーの文字。否応なく心臓が跳ね上がった。緊張に震える手で開いた便箋には、昨夜の一連の出来事への謝罪が誠実な文章で綴られていた——。
……それから一週間。青の封筒の雪崩がとどまるところを知らない。
「姉様、早く返事を出そう?このままじゃうちが手紙で埋まっちゃうよ」
「待って……まだ全部読み終わってないの、というかもうどれに対して返事を書けばいいのかわからないのよ……」
ユーミアとて何度も返事を書こうとした。しかしそんなことをしてるうちに次々と次の手紙が来るのだ。
最初は他の招待客もまだまだいる中土下座なんてして注目を集めて迷惑をかけた、申し訳なかったという当たり障りのない謝罪の手紙。
続いて土下座に踏み切る程結婚を焦った理由として決してやましい思いがあったからではないという言い訳めいた謝罪の手紙。
更にその次にやっぱりやましい思いはあったけども決してそれだけではないという、直前の手紙で嘘を書いた謝罪とまた言い訳の手紙。
そしてその次で本当はやましい思いでいっぱいだったことを白状、往生際悪く嘘を書いたことをひたすら謝る手紙。
おそらく途中から誰かの検閲が入ったと思われる。あんなにバレバレの態度を取った以上、下手に取り繕うより潔く認めた上で許しを乞えと。
「面白い人だね……ルクシオさんって……」
「タバサ!?待ちなさい貴女人の手紙を勝手に……っ」
「だってもう気になり過ぎて」
ふと気づけば新たな手紙を運んできたタバサがソファの隣に座ってそれを開けている。
「一通目はどれ?最初から読みたい」
「そこに順番に並べて……って堂々と読もうとしないの!」
まるでシリーズ物の小説の最新刊から読んでしまい、一巻から改めて読み直そうとしてるかのような気軽さでタバサが封筒の封を開ける。
「まあまあ、姉様は早く返事書いてあげなよ」
「わかってるわよ。私だって書いてるわ、書いてはいるのよ……!」
シリーズ107通目を握りしめ、ユーミアが絞り出すように言う。実は返事の手紙は何枚か書き上がっているのだ。ただ出すのが間に合わなかっただけで。
一週間前の最初の一通目、ただ土下座で悪目立ちしてしまったことへの謝罪の手紙を読んでユーミアはすぐに返事を書いた。ルクシオの外聞が悪くなることが心配だっただけで、ユーミア自身には何も迷惑はかかっていないこと、何も気にしていないことを記して出そうとした。
しかしそれを侍女に託す前に二通目三通目が届いたのだ。本当は少しだけやましい思いがあったと謝罪する三通目が。
これに“何も気にしていない”と返すのはおかしいのではないかと書き上げた便箋を手に悩んでいたところで、やっぱりやましい思いで溢れてましたと赤裸々に語る四通目が届き、いよいよ出せなくなった。
「あ、四通目はどこ?」
「こら、いい加減にしなさい!本当に怒るわよ」
そんな姉の苦労を知りもせず、タバサが次の手紙に手を伸ばす。
「……はーい。ごめんなさい」
手紙を取り上げて声を低くして怒れば、タバサは渋々と手を引っ込めた。その不満げな顔はまるでお気に入りの絵本を途中で奪われた幼子のようであったが、ほだされてはいけない。さすがに四通目以降は読まれるわけにはいかないのだ。やましい思い云々が散々綴られている四通目以降は本当に。
「でも早く返事出しなよ?ルクシオさん腱鞘炎になっちゃうよ」
「わかってるわよ……」
ピョンとソファから降りたタバサがユーミアを振り返って言う。こればかりはタバサが正しいので何も言い返せない。
「……わかってるのよ」
ドアが閉められ、再び部屋に静寂が降りる。おそらく数分後には誰かが次の手紙を運んでくるであろう束の間の静寂。
ユーミアが今手にしている107通目の手紙。ここまで来るまで手紙の内容は怒涛の変遷を遂げていた。
10通目まではひたすら謝罪が続き、11通目から30通目まではどうか婚約破棄はしないでほしいという懇願になった。
31通目からいかにユーミアを愛しているか、どこが好きか、どのくらい好きか、出会ってから今に至るまでどんなにユーミアの一挙手一投足に心を踊らせてきたかとまるで物語のように綴られ70通目まで続く。
71通目からまた謝罪と懇願が繰り返され、途中『結婚してくれたら絶対に幸せにする』との誓いの後何を間違ったか結婚生活妄想に突入。おそらくろくに寝ずに手紙を書き続けてハイになったのと検閲者が帰ったせいかと思われる。
そして100通目を超えたあたりでようやく我に返ったようで、前の手紙は焼き捨てて欲しいという懇願になった。
「落ち着きなさいよもう……」
手紙の向こうのルクシオの様子が見えるようだ。今頃さぞ焦って追加の手紙を書いていることだろう。
寝不足の状態でこんなに書けば普通何を書いたか忘れそうなものだが、そんな普通は彼には通用しない。たとえ視界の端だろうが意識の隅だろうが一度見たものは決して忘れないのだ。あの手のかかる子供のようで、時折驚く程頼りになる彼は。
「姉様、新作ー」
「新作って何よ!」
コンコンとおざなりのノックが響き、数分前に出て行ったばかりの妹がひょっこり顔を出した。もう完全に娯楽小説でも見る目である。
「で、返事は書いたの?姉様」
「……書いたわ」
「えっ!」
どうせまだだろうと言いかけたタバサの前に、ユーミアがこの数分の間で書き上げた手紙を突きつける。
「ああ……そうだね、それしかないね……」
「……ええ」
返事をしようにも相槌すら打つ暇なく押し寄せてくるのだ。もうこうする以外に打つ手がない。
「じゃあ、私興奮を鎮める効果のあるハーブを仕入れるようにメイド長に伝えてくる」
「お願いするわ」
ユーミアが書き上げた手紙。
そこにはただ一文、三日後ゴールディング家まで来るようにと簡潔に記してあった。
地図は入れずとも道は知ってるだろう。十年前に母親に連れられて、一度来たことがあると言っていたのだから。
ルクシオのアドバイザー達の中にも、何十通も手紙を出すこと自体を止めてくれる者はいませんでした。




