9話 アンブラー家の男
「僕も、最初は全く相手にされなかった」
博物館から帰ってきた日からまるで生きる屍のように過ごしていたルクシオの元へ、二番目の兄のディオルクが訪ねてきた。
「お貴族様が平民をからかって遊んでるんでしょって取りつく島なしだ」
兄が来たというのに起き上がりもせず、ベッドにうつ伏せになったまま動かないルクシオにディオルクは気にせず語りかける。
「ただな、それでも僕は諦めなかった。つけ入る隙……いやなんとかこっちを見てもらえる点がないか必死に探した」
今日はエミーディオに続いてディオルクが来る日。本当だったら女性受けするお洒落の方法とか格好良い立ち振る舞いとか、この見てくれだけは最上級の兄に助言を乞うはずだったのだけど。
「そして見つけたんだ。彼女、リジーの弱点……いや効果的なアピールポイントを!」
完膚なきまでに脈無しを突きつけられたルクシオは未だ回復しきってなかった。
「リジーは面食いだった」
「台無しだよクソ兄貴」
それでも脈の無い女性を振り向かせる効果的な方法があるならと耳だけは傾けていたのに。
「へぇええ?それで?何?それを参考にしろって?その顔またコントラストにしてやろうか!!」
「うわああやめろ乾いたら案外落ちないだろアレ!」
実は相手が面食いだったから振り向いてもらえましたなんて、誰が参考にできるというのだ。この世の極々一部の男にしか通用しないアドバイスである。
「僕が言いたいのは!探せば何かしら付け入る隙があるのと!自分の強みを活かせってことだ!ただただ誰かから聞いた口説き文句を繰り返すだけじゃなくて!」
「……っ!」
飛び起きて絵筆を探すルクシオにディオルクが顔を覆って叫ぶ。石膏のようだと賞賛される、白く滑らで塗り潰しがいのあるその顔を覆いながら。
「聞けばお前はユーミア嬢に言う口説き文句は誰かの受け売りばかりだ。経験豊富な大人が言えば様になるような言葉を、ユーミア嬢よりずっと年下のお前が言っても意味ないだろう!」
「それは……っ」
絵筆の次は絵の具とパレットを探しかけたルクシオの手がピタリと止まる。
ディオルクの言う通りだ。確かにルクシオは今まで、軟派男が言っていた歯に浮くような台詞ばかりを参考にしていた。ユーミアからしたら子供が頑張って背伸びをしてるようにしか聞こえなかったとしても無理はない。
「お前の強みは何だルクシオ。それを考えるんだ。全ての女性に効く強みなんかじゃなくていい。ユーミア嬢にだけ効けばいい!」
「ユーミア嬢だけに効く……」
ユーミアだけに通用する、ルクシオ自身の強み。そんな都合が良いものが果たして本当にあるだろうか。
「あるかどうかじゃない、見つけるんだ。それでもなかったら作り出せ。脈が無い?それが何だ?無いから諦められるような恋なのか?」
ディオルクの言葉にルクシオがハッと姿勢を正す。そうだ、何を弱気になっていたのだ。脈が無いからどうした。そんなの最初からわかっていたことである。
「アンブラー家の男に諦めるなんて言葉は」
「……無い!」
ようやく目に光を取り戻したルクシオに、ディオルクは満足げに頷いた。
「ユーミア嬢!」
煌びやかなドレスや宝石が舞うパーティホール。その中で一際輝く太陽を見つけ、ルクシオはすぐさま駆け寄った。
「ご機嫌ようルクシオ。……この前はごめんなさいね。ほら、ロレッタ。ルクシオに言いたいことがあるのよね?」
「はい」
そのユーミアの背後から覗くレモンイエロー。ロレッタ・ロックハートが、しずしずと前に進み出てきた。
「……ロックハート嬢、すまない、俺は」
「ごめんなさいルクシオ様!私、やっぱりルクシオ様はタイプじゃなかったみたいです!」
「え?」
「ロレッタ!?何を言ってるの!?」
謝ろうとしたルクシオを遮って、ロレッタが無邪気に声を上げる。にっこりと子供らしい笑顔を貼り付けたまま。
「エスコートも下手だし、ちゃんと見送ってもくれないし、なんかイメージ違いました!今日はそれを言おうと思って来たんです」
それはずっと望んでいた言葉だった。ロレッタからそう言ってくれればユーミアも仲介役から降りてくれるはずだと、ワザとロレッタの好感度を下げる画策をしてまで言わせようとした言葉である。
「私から紹介してほしいって頼んだのにごめんなさい。でもイメージと違ったルクシオ様も悪いんですよ」
あまりにもルクシオに都合の良い展開。ロレッタが本心からそう言ってるのなら、それはもう願ってもないことである。だけど。
「だからルクシオ様、他に良い人見つけてくださいね……私を置いていくくらい、良い人を」
そう言ってくしゃりと笑ったロレッタの目は、今にも泣きそうに濡れていた。
「ルクシオ様は……私の王子様じゃ、なかったです……っ」
「ロックハート嬢!」
本心じゃない。本心なわけがない。それでもユーミアの前でまるで子供が我儘を言ってるかのように振る舞って、ルクシオをフろうとしてくれている。
全てを察したルクシオが、ロレッタの前に膝をついた。
「すまない、ロックハート嬢、悪かった、本当に……」
「いいえ、許せないです。だからルクシオ様は他の誰かさんと勝手に幸せになってください、それじゃ!」
「ま、待ちなさいロレッタ!」
さっと身を翻し、レモンイエローの髪とドレスを靡かせてロレッタが駆け出す。ユーミアが慌てて後を追うも、前の短いフィッシュティールドレスで駆けるロレッタはとても素早かった。
しばらくして戻ってきたユーミアは、隣には誰も連れていなかった。
「ごめんなさいルクシオ、まさかこんなことになるなんて……」
あの後ユーミアは馬車のところでなんとかロレッタに追いついたらしい。しかし何を言っても「彼は私の王子様じゃなかった」の一点張りでそのまま帰ってしまったと。前回はユーミアの家の馬車で一緒に来たのに、今日は自分の家の馬車で行くからと言っていたのはこのためだったみたいだと、ユーミアは力無く言った。
「ユーミア嬢が謝ることじゃないです。全部俺が悪い」
「いいえ、私のせいよ……私が後をつけたりなんかして、貴方に気を遣わせたばっかりに」
今ルクシオとユーミアは二人でバルコニーにいる。
「まあ、原因がないとは言えませんが……」
「そうよね……何て謝ったらいいか」
「それでもやっぱりユーミア嬢は悪くないです」
ホールではこの日最初の曲が流れている。しかしルクシオもユーミアも、とてもじゃないがその場で踊れる状況じゃなかった。
「俺があの晩に言ったことを覚えていますか。ユーミア嬢を馬車まで送った時です」
「え?ええ、覚えてるわ」
初めて出会った時と同じバルコニー。ただ吹き抜ける風の強さが、一つの季節が過ぎたことを表していた。
「一瞬、私が結婚できそうにないってことを言われたのかと思ったけど、貴方がそんなこと言うわけないものね」
「そんなわけないでしょう。貴女は引く手数多で結婚しようと思えばいつだってできる、選ぶ側の人だ」
「そんなわけもないわ……」
本気で言ってるのに、ユーミアは『またこの子は極端なこと言って』とでも言わんばかりの表情だ。
「まさかルクシオが、私が結婚したらそんなに寂しがってくれるなんて。昔妹達に『姉様は誰とも結婚しないで、うちから出て行かないで』って泣きつかれたことを思いだしたわ」
そして何重に保険を張った告白も、やっぱりちゃんと届いてなかったようだ。だが、今更こんなことでめげたりしない。
「ええそうです。俺は貴女に他の誰とも結婚してほしくない」
そうなんてことないように言って、ルクシオはバルコニーの手すりに置かれたユーミアの手に自身の手を重ねた。
「俺と結婚してほしい」
「……え?」
その瞬間逃げようとした手をルクシオがすかさず押さえ込む。いくらルクシオがユーミアにとっては子供とはいえ、本来は成人済みの男である。腕力で敵わないわけがない。
「ロックハート嬢にフラれたのは俺の貴女への想いを見透かされたせいです。だから貴女は悪くないけれど原因はある」
「え?え?」
「責任を取ってくださいユーミア嬢。貴女にまで見捨てられたら俺はどうしたらいいか」
ディオルクに言われ、ずっと考えていた。ユーミアにだけ効くルクシオ自身の強み。大人の男の口説き文句を復唱するよりずっと効果的なこと。
「前にガーデンパーティで言ってくれましたよね、できることなら何でもすると。俺を少しでも可哀想だと思うなら、少しでも責任を感じてくれるなら、俺のことを好きになってください!」
年下であることをなんとか言動でカバーしなければと思っていた。しかしよく考えてみたら、そんなずっと年下で手のかかる、実の弟でもないルクシオをユーミアはずっと世話を焼いてきてくれたのだ。初めて出会ったその時から。
「あ、あの、ルクシオ、そんな、自棄になっちゃ駄目よ」
つまりユーミアは。面倒見が良い、皆のお姉さんであるユーミアは。妹達の世話を焼き、年下の従姉妹達を可愛がり、初対面のルクシオにすら自ら手を差し伸べたユーミアは。
……手のかかる年下から頼られたら、どうしたって振り払えない!
「自棄じゃありません、本気です。本気で俺は……今貴女にフラれたら生きていけない」
「——!」
ユーミアが息を呑んだ。瞬きを繰り返すその表情が物語っている。——そうかこの子は、私がいないと駄目なのだ——と。
狙い通りだ。
「……わかったわ」
「っ!ありがとうございますユーミア嬢!」
千秒二千秒の重みを持つ一秒二秒が過ぎて、ユーミアが意を決したように頷いた。幼い妹達の為に自身の結婚も先延ばしにしていたユーミアである。手のかかる弟のためならば、その結婚のカードを切ることだって厭わない。
「ただし今すぐ婚約はしないわ。貴方はまだ社交界に出たばかりでしょう?他に良い人がいないかしっかり探してからでも遅くはないもの」
「え、でも、それじゃあ」
「その代わりに」
それじゃあ現状と何も変わらないと言おうとしたルクシオをユーミアが遮る。
「私は今後一切他の男性のことは見ないし、貴方以外の手は取らない。貴方がもう少し周りを見て、それでも私がいいと言うなら、その時は結婚しましょう」
「はい見ました貴女がいいですユーミア嬢今すぐ結婚してください!」
「落ち着きなさい」
バッとバルコニーから窓越しにホールを見て、何人かの令嬢を目に入れたルクシオがユーミアに振り返って迫る。しかしそういう意味じゃない、とユーミアに苦笑しながら言われた。
「貴方の選択肢をなくしたくないの、わかって頂戴」
「……俺の選択肢は最初から一つしかない」
言い返しながらも、ルクシオも今これ以上は望めないことはわかっていた。あくまでルクシオの為を思って了承してくれたユーミアである。ルクシオの為を思ってそんな期間を設けるのも不思議ではない。
「……わかりました。でも俺は絶対余所見をしないと誓います。俺にはユーミア嬢しかいないと証明できたら、その時は俺と結婚してくれるんですね?」
「ええ、いいわよ」
「それまでユーミア嬢は他の誰とも良い仲にならないと」
「ええ」
ルクシオの余所見はOK、なんならそのままその女の子を選んでもいい。ユーミアはルクシオしか見ない。だいぶユーミアに不利な条件である。
だが、ルクシオも余所見をしなければイーブンだ。
「ではさっそくですがユーミア嬢、俺と踊っていただけますか。未来の婚約者の俺と!」
「勿論よ」
言うなればこれは婚約の予約。もどかしいにも程があるが、このまま余所見をしなければ婚約になり、そして結婚になる。条件がそれだけであれば最早決まったようなもの。
「エスコートしてくださる?可愛い王子様」
「喜んで!」
ルクシオが手を差し出せば、ユーミアは当然のようにその手を置いてくれた。未来の婚約者、未来の妻がふわりと笑う。
その手を引いてルクシオはバルコニーからダンスホールへと舞い戻った。
「ところでユーミア嬢ご存知ですか。アンブラー家の男の結婚相手は、みんな初恋の相手なんです」
「へぇ、素敵ね」
「初恋に敗れた男は一生立ち直れないので……」
「ま、まあ、それはその……い、一途なことね……?」
ちょうどホールでは二曲目の曲が終わったところであった。その真ん中に進み出て、ユーミアの背中に手を回す。
「俺の初恋は貴女です、ユーミア嬢」
「!」
恋で身を立て恋で身を滅ぼすアンブラー家の男の伝統。
「必ず貴女と結婚します。この身に流れる血にかけて!」
この手を絶対に離すものかと、ルクシオは目の前の最愛の人を抱く腕に力を込めた。
これにて完結です。応援ありがとうございました!
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