6話 その見つめる先
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「あ、あの、ルクシオ様は、今日は絵を描かれる予定はありますか?」
「ああ、そのつもりだ」
「なら少しだけ見学させていただいてもいいですか?絶対に邪魔はしないので!」
ユーミアとロレッタを部屋に招いてから十数分後。ユーミアが「じゃあ私はそろそろお暇するからロレッタをお願いね」と帰ってしまい、ロレッタだけが残った。
「見て楽しいものじゃないが……」
「そんなことないです!」
そういえばこれはロレッタとルクシオの仲を取り持つためのものであった。嫌なことを思い出し、ユーミアはもういないし、ルクシオのテンションはだだ下がりである。
ロレッタに罪はない。それはわかっている。そもそも嫌なら仲介者であるユーミアに断りを入れればいいだけなのだ。ユーミアの好感度が下がること、今後アプローチを受けてもらえる可能性がなくなることを気にしてそれができないルクシオにも問題はある。
「あと俺は一度集中したら周囲の声は殆ど聞こえない。君から話しかけられても答えられないし、何の気遣いもできない」
「構いません、ただ見たいだけですからっ」
だからロレッタが勝手に幻滅してくれて、「イメージと違いましたもういいです」とでもユーミアに言ってくれれば一番都合が良い。
「三十分や一時間とかいう話じゃないぞ。朝まで描いてる時だってある」
「そんなに集中力が続くんですか!?凄いですルクシオ様!」
それなのに今こんな希望を聞いてしまえば、ますます好感度が高くなってしまうかもしれない、と、考えたところで。
「……わかった。好きにしろ」
「ありがとうございます!」
これは使えるかもしれないと唐突に思った。一度絵を描くことに集中すれば周りの声が聞こえないのは嘘ではない。自然と集中が切れるか、何かよっぽどのことがない限り何の返事もできない。“ユーミア”という単語が聞こえるか火事でも起きるかしなければ。
「椅子はそこにあるから勝手に使え」
きっとロレッタはそこまで想像はついてないだろう。まだ幼く政敵やら貴族間のゴタゴタとは無縁。身内のパーティ等にしか赴いたことがなければ、他家を訪ねて何の気も遣われないなど経験はないはず。
「言っておくが、俺は本当に君を気にしないからな。帰りたくなったら勝手に帰ってくれ、声かけも必要ない」
「はい!」
慣れてるはずの家族にすら「そんなに聞こえないってことある?」と呆れられるくらいなのだ。ついでに「絵は綺麗なのに描いてる時のルクシオは不気味だよね……コントラストやばくない?」なんて言われたことすらある。その時はとりあえず発言者が寝ている間にその自慢の王子様フェイスの半分を黒く塗り、コントラストに仕上げておいた。
というわけで、家族でもないロレッタだったらもっと呆れて引いてくれておかしくない。いくら事前にそう言われたからって本当に何時間も放置されるなど思いもよらないのが普通の貴族令嬢だ。
「えへへ、嬉しいですルクシオ様!」
喜んでいられるのも今のうちである。
あとは幻滅して帰ったロレッタが「思ってたのと違った」とユーミアに報告してくれれば万々歳。
こんな卑怯なことを考えている男に惚れるなどロレッタも運が悪い。まだ幼いのに可哀想になと少しだけ罪悪感を抱きながら、ルクシオは絵筆を手に取りくるりと回した。
ただ一瞬父の背中と「隠すなら徹底的に隠せ」という言葉が蘇り……告げ口される可能性を考えて、ユーミアの絵は描かないようにしようと方向転換しながら。
「わー、凄い!本当に何も見ないで描けるんですね!」
「……」
「これはどこの景色なんですか?こんなに綺麗な湖があるところがあるなんて」
「……」
「その色すっごく綺麗です!他の色と混ぜるだけでこんな色ができるんですねっ」
「……」
一時間、二時間、三時間。遠い意識の外で雑音がする気配だけ感じながら、ルクシオはひたすらキャンパスだけを見て手を動かしていた。
パキンとどこからか響く家鳴りの音。
どんな声もどんな物音も気にも留めなかったルクシオが、まるでそれが合図だったかのように筆を止めた。
「……っあー……」
窓の外を見れば、空の真上で輝いていた太陽がすっかり地上へと傾いている。もう夕暮れだ。夜中までかかる時は侍女の誰かが途中でそっとあかりを灯しに来てくれるが、今日はその必要まではなかったようだ。
「あ、ルクシオ様!気づかれましたか?」
「!?」
それでも充分長い時間である。ロレッタもいい加減帰っただろうと隣を振り返り、ルクシオはうっかりのけ反りそうになった。
「……ま、まだいたのか」
「はい!」
いた。まだいた。簡素な椅子に腰掛けて、目を輝かせたままのロレッタが。
「退屈だっただろ、勝手に帰っていいって言ったじゃないか」
「いいえ、全然退屈じゃなかったです!」
おかしい。退屈どころか不快だったはずである。殆ど聞こえてなかったが、最初の方でロレッタが何かしらずっと喋っていたことは気づいていた。それでもわざわざ手を止めて聞こうなんてしなかった。敢えて放置した。いつの間にか全くの無音になったので、呆れて帰ったのだろうと思っていたのに。
「……もうすぐ暗くなるから帰った方がいい」
「あ、はい、すみません長居してしまって」
もしかして何も言わずに帰るのは悪いと思ったのかもしれない。帰りますと言ってもルクシオが返事をしなかったから、律儀に待ってたとか。
「今日はありがとうございました。とても楽しかったです」
「……ああ」
嫌味にしては表情にも声にも何の含みも感じられない。少なくとも幻滅してユーミアに断りを入れてくれるという期待はできないのではないかと。
せめて少しくらいは好感度は下げられたはず、きっとそうだ、とルクシオは半ば自分で自分に言い聞かせた。
「……上がったな」
「嘘だろ!?」
翌日訪ねて来た長男エミーディオに事の詳細を告げると、エミーディオは額に手のひらを当てガックリと肩を落とした。
「何時間も放置してたんだぞ?どこに好感度が上がる要素があるんだ!」
ちなみに今日は次男ディオルクの姿はない。前回の大喧嘩を省みて、三人寄れば地雷原なのではないかと考えたからだ。よって長男次男で日をずらして来ることになった。
「言っただろ、最近のお前結構格好良いって。嘘だと思うなら今から絵を描く体勢を取ってみろ」
「え、ええ……?」
報告早々駄目だしをくらい、納得いかないながらも言われた通り画材を用意するルクシオ。絵を描く体勢を取れと言われても、そんなのキャンパスの前に座って姿勢を整えるだけだ。
「ほらもうそれだろそれ」
「は?」
まあせっかくだから昨日描きかけだった絵の続きを描こうかなと集中しようとしたところで、エミーディオに絵筆を取られたことで強制的に引き戻された。
「しっかり姿勢正して描くようになったじゃないかお前……それで真剣にキャンパスだけ見て、どんどん綺麗な絵が出来上がってったらそりゃあ惚れ直す」
「け、けど何か話しかけられても全然答えなかったんだぞ?普通に感じ悪いだろ」
「そこまで集中してるなんて素敵!とでもなっただろうな、夢見がちな子なら尚更だ」
「なっ……」
なんということだ。つまり昨日の己の行動は、全くの無意味どころか逆効果。
「おそらく……ロレッタ嬢のユーミア嬢への報告はこうだ。あの後部屋で絵を描くところを見せて貰った、絵はとても綺麗で真剣に描いてる姿もとても格好よかった、ユーミア姉様連れてってくれてありがとう……と」
「うわあああああ!」
そんな報告を受けたユーミアはどう答えるか。それはもう十中八九「良かったわこれからも応援するわね」以外の何がある。そしてこの調子ではロレッタから断ってくれる可能性も、ユーミアがルクシオのアプローチを受けてくれる可能性も無いに等しく。
「ルクシオ……これは少し……本格的にやばいぞ……」
絵筆を取り上げたまま薄ら青ざめて言う兄に、何一つ言い返せなかった。
「今日はロレッタは連れて来れなかったのよ。成人前にそう何度も夜会に出ようとするなって、ロックハート夫妻に止められたみたいで」
「えっ……」
ロレッタからとても残念そうな手紙が届いたわ、とユーミアが申し訳なさげに言う。
行ったところでまたロレッタと踊るよう言われるだけでないかとどんよりしながら夜会に赴いたルクシオに、一筋の光明が射した。
「で、ではユーミア嬢、今日のファーストダンスは約束通り俺と」
「ええいいわよ。他の女の子を誘うわけにもいかないものね」
おそるおそる差し出した手にユーミアの手が重なる。久しぶりだ。久しぶりのユーミアの手の体温。
「それでルクシオ、提案があるのだけど」
重ねられた手を引いて、ホールの真ん中まで進む。ホールドの体勢を取った後始まった曲が思ったよりボリュームが大きく、ユーミアの声がかき消されてしまった。唇の動きで何かを言ったことはわかったのだが。
「ええと、何でしょうか?」
「最近新しくできた博物館で……あ、待って!」
「え?」
今度こそ聞き漏らさないようにとルクシオがホールドの体勢から更に距離を縮めた。顔も近づけてよく聞こえるように。
「すみませんよく聞こえなくて……」
「や、やっぱり曲が終わったら話すわ。今はダンスに集中しましょう?」
「あ、はいわかりました」
しかし何故かユーミアが慌てたように話を逸らしてしまい、結局聞けずじまいであった。
「ではこの曲が終わったらテラスにでも」
「ええ、そうしましょう」
ただそのおかげでファーストダンス後も一緒にいる約束ができた。今晩は良いことばかり続くなと、ルクシオは久しぶりに心の底から破顔した。
「最近王都に新しくできた博物館があるの」
「へぇ」
「とても変わっていて、夜遅くまで開いているのよ」
「えっ?」
ダンス終了後。ルクシオがユーミアをテラスまでエスコートすると、ユーミアは先程話しかけた件を語り出した。
「博物館……ですよね?毎日夜遅くまで開くとしたら照明代が大変なことになりそうですけど」
「そこの館長が新しいランプを発明したって話みたいなの。従来のものより明るくて、長持ちして、それでいてコストは低いものらしくて」
「それは……夢みたいな話ですね」
最近新しい博物館ができたらしいというのは、ルクシオも話では聞いていた。ただ興味がなくてそれ以上の情報はスルーして、今まで忘れていただけで。
「それでねルクシオ、だから」
吹き抜ける風がふわりとユーミアの赤く燃える髪を靡かせる。何度見ても、何度目に焼きつけても飽きない美しい人。
「ここなら日光に当たらずに出かけられるわ。日が暮れてから待ち合わせをして、一緒に行きましょう」
「!」
本当に綺麗だとしみじみ思っていたところで、髪を耳にかけながらユーミアがこちらを振り返った。
「どうかしら?」
「は、はい、喜んで!」
「今度はもう正午から待ってちゃ駄目よ」
「勿論です!」
夢じゃないだろうか。ユーミアから、ユーミアからデートに誘われた。しかもルクシオが日光が苦手なことを考えて、それでも大丈夫な場所を探してくれてまで。あんまり都合が良過ぎて夢か現実か本気でわからない。
「ロレッタにはもう言ってあるから」
「はい!……あ、はい」
夢……ではなかった。現実である。そこまで都合は良くなかった。成る程ロレッタが今日夜会に来れなかったから、その代わりにということだろう。
「……ユーミア嬢」
このまま何もしなければ、ユーミアと結ばれるなんて夢のまた夢。
「何かしら?」
「二人で行くのでは駄目ですか。その話」
「え?」
もう悠長なことは言ってられない。先日の作戦会議で、エミーディオからも重々しく告げられた。ロレッタから断ってくれたらとか、好感度を下げれることができればとか、何のリスクも負わずに解決しようなど。
「それは……でも……」
「……駄目ですか?そんなに俺は頼りないですか。そんなに男として魅力が無い?」
「そ、そういうわけじゃないけれど……」
仲介役を担ってるユーミアにアプローチしたところで、ロレッタに悪いと思って応えてくれない可能性が高い。だからここ最近はずっと言わないようにしていた。好きも愛してるも一言も。
「これがデートなら、俺は、ロレッタ嬢と三人じゃなくて……二人きりがいい」
断られる可能性が高いから何だ。そんなものただの言い訳だった。他の誰かに悪いからと断られるなら、それは結局そこまで好きになってもらえなかったということ。
「……わかったわ」
「……!あ、ありがとうございます!」
誰かに悪かろうと気まずかろうとそれでも諦めきれないと思うくらい、好きになってもらえばいい。
「ロレッタには私から伝えておくわね」
「はい!」
また同じく三人で出かけては何も変わらない。ごちゃごちゃ考えてる暇があったらもっとアプローチするべきだったのだ。
「いつのまにかそんなに成長してたのね……頼もしいじゃない」
そう言って微笑んだユーミアの声が、どこか寂しげに沈んでいたことは……二人きりのデートの約束を取り付けて浮かれるルクシオは気づけなかった。




