4話 健やかなる時も病める時も
怒涛のように過ぎたアンブラー家三兄弟作戦会議。怪我と遺恨だけ残し無駄に終わったかのように思えたが、一応少しの収穫はあった。
「……丁度正午だな」
広場の噴水前にて、胸ポケットに入れた懐中時計を開いて時間を確かめるルクシオ。その針はしっかりと約束の時間の丁度……3時間前を指していた。
本当は約束の10時間前くらいには出発する予定だったのを、長男エミーディオから「デート前に寝不足で顔色最悪にしてどうする」とお叱りを受けたためである。
そして次男ディオルクからは「その陰気な髪型を何とかしろ」とアドバイスを受け、いつも肩につかない程度にうねっていた髪を後ろで結んだ。
「さてと……」
ユーミアが来るまであと3時間。ギリギリまでイメージトレーニングである。
もともとはあの日に兄二人に本日のデートについてしっかり相談しもっとアドバイスを貰おうと思っていたのだが、ちょっと不幸なすれ違いによる諍いが大半を占めてしまったのでこんなことに。
「ごめんなさいジョニー、遅れちゃって。待った?」
「いや、ボクも今来たばかりだよ」
2時間半後。
近くで待ち合わせしていた他のカップルの会話が聞こえてきた。しかし「今来たばかりだよ」と答えた男は、ルクシオがここに着いて2時間後くらいからいたはずであるが。
「そう?良かった、じゃあ行きましょ」
「ああ」
続いて聞こえてくる女性のほっとしたような声。
成る程男はこれを狙っていたのか。女性に待たせてしまったと罪悪感を抱かせないように。
よし参考にしよう、と心の手帳に書き留めるルクシオ。思えば初回のデートでは馬鹿正直に夜明け頃から待っていたことを伝えてしまった。こちらが勝手に待っていただけなのにユーミアに要らぬ負い目を……罪悪感を……それで頭まで心配されて……いや馬鹿じゃないのか自分は??
「お待たせしましたルクシオ様!」
どこの世界に午後のデートに夜明けからスタンバイする男がいるのだ。どう考えてもドン引きである。気味悪がられて即帰られてもおかしくなかった。馬鹿じゃないのか端的に言って。何で正直に言ってしまったんだ。ちゃんと隠し通すべきだった。
「ルクシオ様?すみません、どのくらいお待たせしちゃいましたか?」
今更当時のやらかしに気づき、遅ればせながら頭を抱えて猛反省会をしていたところで。
「ご機嫌ようルクシオ、今日は夜明けから待ってないでしょうね?」
「はいっ!?いいい今来たところです!」
前方からまさに今頭に浮かべていた人の声が聞こえ、ガバリと顔を上げた。
「それはよかったわ」
「ユーミア嬢こそどうしたんですか、予定よりだいぶ早いのでは……」
「ええ、この子が早く行こうってきかなくて」
「きゃあっ言わないでユーミア姉様っ!」
「え?」
もしかしてユーミアも少しでも早く会いたいとかそういうことを思ってくれてたりしてと期待に目を輝かせたルクシオが、その視界にようやくユーミア以外の者を捉えた。そういえばさっきからユーミア以外の声で名前を呼ばれてたような。
「ロッ……レッタ嬢、どうしてここに?」
今日はユーミアと二回目のデートのはずである。初回のデートで贈った花束の礼をしたいとユーミアが言ってくれたから、すかさず取り付けたデートだ。
その時見覚えだけで適当に上げた店名が店主の修行の旅により一時休業中だったため、休業明けを待って少し間が空いてしまったが。
「ユーミア姉様が、今日ルクシオ様と会う予定だとお聞きしたので……」
「ダンスパーティでも二人共とても良い感じだったし、折角だから誘ったのよ。むしろ私がお邪魔かもしれないわね」
ここで一旦デートの定義の確認である。
親しい男女二人が日時や場所を定めて会うこと。社交的または恋愛的な会う約束。
そう、男女二人である。女男女など聞いたことがない。あと恋愛的な意味ここ重要。
「あ、あの、ルクシオ様、今日は髪を結んでいらっしゃるんですね!普段も素敵ですが、その髪型も格好良くて素敵だと思います……!」
「……どうも」
ユーミアがルクシオとの仲を取り持つというロレッタからの頼みを引き受けたとはいえ。その前から約束していたこのデートくらいはノーカンだと思っていた。
「ルクシオ様はナッツケーキがお好きなんですよね!」
デートがデートの体をなさなくなるのだ。いくらなんでも事前に一言くらいあるはず。これではまるでただケーキ屋に行くという目的のお出掛けで、飛び入りの一人や二人何も問題ないかのような。
「私はナッツやベリーより、とにかくクリームがたくさんのってるのが好きで」
もしやユーミアの方は、最初からデートという認識ではなかった……?
まさか、まさかだが、今ロレッタに向けている穏やかな笑みが表しているのと同じように、子供とお出かけする保護者の気分とかそんなことは。
「生クリームがいっぱいだと、幸せな気持ちになりませんか?」
「ああそう……」
今のところ不幸のどん底である。ロレッタの幸せそうな話し声を右から左に聞き流しながら、ルクシオはまともに立っていられるか否かの瀬戸際にいた。
「ところで私も良いと思うわその髪型。格好良いじゃない」
「本当ですか!?」
しかしそのまま暗闇に呑み込まれそうだったところに、不意に一筋の希望の光が射す。
「ええ。大人っぽくなって、凛々しくていいと思うわ。爽やかで知的な感じもして」
「わっ……分かりました、俺はもう病める時も健やかなる時も一生この髪紐を解きません……!」
「貴方はちょっと限度というものを知るべきね」
格好良い。大人っぽい。凛々しい。爽やかで知的。
思ってもみなかった嬉しい言葉のオンパレードに、ルクシオはあっさりと暗闇から持ち直した。
デートじゃなかったからなんだ。見方を変えればこれはこれで夫婦と娘でお出掛けという擬似結婚生活体験と言えなくもない。
「ルクシオ様は甘いものが好きだったんですね、意外です」
「まあ……嫌いではない」
ロレッタを真ん中にして左右をルクシオとユーミアで挟んで歩いている。背後から見れば夫と子と妻に見えるのではないか。期待していた日傘の相合傘をロレッタとする羽目になったのはうっかり血涙が流れる程ショックだったが、子供の面倒を見ない男というのは夫として失格だろう。
「ナッツの中では何が一番好きですか?私はクルミが一番好きです」
「……アーモンド?」
「そうなんですね!」
それにしても子供の質問とは取り留めのないものである。何が好きか一番かと聞かれても、ルクシオに食べ物の好き嫌いはない。何でも食べるというより食べないで済むなら食べないで生きたい。面倒くさい。しかし光合成で生きようにも日光はもっと苦手なのでどうしようもない。
ただ唯一、ユーミアと一緒に食べたナッツケーキ。アレが世界で一番好きな食べ物であるだけで。今アーモンドと答えたのも、あのケーキに一番多く使われていたのがアーモンドだったからだ。
「アーモンドも美味しいですよね!キャラメルで絡めたものとか、チョコレートの中に入ってるのも!」
「そうだな」
確かあのケーキに使われていたのもキャラメルを絡ませたアーモンドだったので、特に否定することなく同意する。
「やっぱり私もクルミより……」
「ユーミア嬢はどのナッツが一番好きですか?」
「え?ええ、そうね、ええと」
ただロレッタに答えてばかりだとユーミアと全く会話ができない。多少強引に振り切ってユーミアに話を振れば、ユーミアは少しびっくりしたように目を瞬かせた。
「私もアーモンドが一番好きかしら」
「お、俺も好きです!」
「さっき聞いたわ」
口元に手を当てて、ユーミアがくすりと笑う。そんな些細な動作まで目を惹く、何もかも美しいひと。
「あ、あの、ルクシオ様、私もやっぱりアーモンドが一番好きです!」
「……そうか」
途端に勝手に夫婦妄想をしていたのが恥ずかしくなる。自分はこの人の隣に立てるような男なのかと。いや今は本当に隣にすら立ててないのだけども。隣の隣にしか立ってないのだけども。
「ルクシオ様、どうかしました?早く行きましょう?」
頭一つ分程低いところから、控えめに服の袖を引っ張ってくる幼い少女。他の男からしたら可愛らしいのかもしれないが、ルクシオにとってはただの子供。
けれどそんなことを言ったらルクシオとユーミアの方がずっと年の差がある。ユーミアがルクシオを子供としか見ていなくてもおかしくない。
「大丈夫ルクシオ、顔色が悪いわよ?」
「だ、大丈夫です、ええと、これはその……正午から噴水前にいたので日光にやられただけで」
「やっぱり『今来たばかり』って嘘じゃない!」
言ってからしまったと口を押さえた。せっかく誤魔化したのに台無しである。
「もう、貴方のために正午を避けてるのにどうしてそう自ら飛び込むようなことするのよ」
「あ、貴女に会うためだったらたとえ地獄の業火の中でも!」
「日光が地獄並に辛いんだったら尚更そんな無理しないの!」
「ふふ、ルクシオ様は冗談もお上手ですねっ」
冗談。そうだ、冗談という手があった。
「全く貴方は無茶ばっかり!」
「じ、冗談です、そんな何時間も前から待つなんて馬鹿なことするわけないでしょう!」
ロレッタの冗談という誤解をこれ幸いと採用することにしたルクシオだったが。
「夜明けから待ってた前科がある人が何を言ってるの?」
「いや……それはえっと若気の至りというか……」
「もう、ユーミア姉様まで変なこと言わないでください。夜明け前からって意味がわからないです」
冗談で済ませるには、ちょっと己の前科が重過ぎたらしい。全然説得力がなかった。
「気をつけなさいねロレッタ、この子たまに極端なとこあるから」
「そんな、ルクシオ様に変なところなんてありませんよ」
ですよねルクシオ様、とロレッタがぎゅっとルクシオの腕に絡みつき、可愛らしく同意を求めてきたが。
「ああ……うん……」
ユーミアのこの『子』発言に多大なるショックを受けていたルクシオはそれどころではなく、一ミリも響いていなかった。
「さっき髪紐を一生解かないとも言ってたけれど、勿論それは冗談よね?」
「えっ……あっはい勿論冗談ですとも!」
ユーミアの問いに反射的に本気だと答えようとして固まる。その目を見て察した。髪紐一生解かない宣誓は多分夜明けから待ってたのと同じくらいの洒落にならないやつだったと。
「冗談以外にないじゃないですか、ユーミア姉様ったら」
完全に子供のロレッタまで冗談と信じて疑ってなかったようだ。
こういう常識外れなところで子供だと思われるのかもしれない。だが長兄も次兄も父親も、同じことを各々の妻に言われたら何の迷いもなくそうしようとするだろうし……今回だって夜明け前に行くことは止めてくれたものの、エミーディオもディオルクも「3時間前くらいが基本だな」と当然のように言っていたし。
もしかしてアンブラー家の男は恋愛アドバイザーには向いてないかもしれないと、今更ながら兄達に教えを乞うことに不安を覚えるルクシオであった。




