貴方が私を悪女と呼ぶのなら
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ガタゴトとゆれる馬車の中。エリザベートは向かいに座った父を眺めていた。
憔悴してうなだれている父の姿は、少し前ならばショックを受けたであろうが、今はなにも感じるものはなかった。むしろ王家に連なる公爵家の当主がこの程度だったのかと、自分が原因でありながらも笑いがこみ上げてくる。
そう、いつも温厚だが、堂々としていた父がこうなったのは自分のせいだ。婚約者である王太子ラディスラウムに婚約破棄されたのだ。
幼いときより、婚約者として王太子の隣に立ち、彼にふさわしくあろうと努力をしてきたというのに。
しかし、それももう終わってしまった。何が悪かったのか。
ラディスラウムの心を奪っていったあのウルストラという女だろうか。それともあの女を排除しようとした私なのだろうか。婚約破棄の場となった王城からずっと考えていても答えはでない。
ただラディスラウムに罵られ、ラディスラウムの側近となっている弟や参内していた貴族たちに嘲笑われたことが脳裏をよぎる。
「ふふふっ」
また笑いがこみ上げてきて、今度は我慢ができなかった。
父がにらみつけるようにこちらへ目を向けるが、それすらも面白くて仕方がない。
「なにがそんなにおかしいのだ。わかっておるのか、現状が……」
「ええ、重々承知しておりますわ。このエリザベート・ウィケッドが、一方的に非難され、王太子殿下の婚約者ではなくなった。他の貴族家に見下され、今はおめおめと家路についているところだと」
屈辱を受けたというのに、なお笑顔のままの娘に、父親はうすら寒いものを感じているようだ。
「それで? お父様はなにを悩んでおりますの」
「なにを、などと。王太子殿下との婚約がなくなったこと以外に何がある」
王家と公爵家の婚約は、家同士の問題にとどまらない。今後の王国の舵取りに関わってくることだ。
エリザベートとてそれは理解している。
だが、自分の婚約がなくなったからといって、すぐに今までの政治力学が変わるわけではない。現状では、ウィケッド公爵家一門が政治の多数派を占めているのだ。
二年、三年経てば一門から切り崩された離脱者が出てくるだろう。すぐに離れるようなコウモリは、居れば便利であるが、数に入れて計算するほど公爵家は弱くはない。
どうやら父は気が動転しているようだ。まだいくらでも手の打ちようがあるのに、もう公爵家が終わってしまったように錯覚してしまっている。
エリザベートは、睨みつけてくる父に向かって微笑む。
「お父様、公爵家の未来を案じていらっしゃるのね。そうね、確かに我が家が他家の後塵を拝する未来が数年後にはやってくるかもしれませんわ」
「数年とかからん。殿下が入れあげた小娘は、傍流とは言え主戦派の一族だ。殿下の軽挙を正当化するために、来年にも帝国との戦争が始まるだろう。帝国との関係が太い我々は槍玉に挙げられ、千載一遇とばかりに弱体化を強いられる」
「あら、では急がなくてはなりませんわ」
自分が思っていたよりも早く情勢が動くとなれば、のんびりと構えている場合ではない。自分がやろうと思っていたが、父には復活してもらわなければならない。
「お前は、いったいどうしてしまったというのだ?」
エリザベートは父親の問には答えずに、そっと両腕を伸ばして父の頬に手を添える。虚を突かれたためか、父が息を呑むのがわかる。
「娘が罵倒されているというのに何もできなかったお父様」
反論しようとする父を、手に力を入れて押しとどめた。
「王城で嘲られ辱めを受けたお父様」
父の目が怯む。
「王の裁定をただ受け、逃げるしかなかったお父様」
今度はまた顔をうつむかせる。
「暗い将来を案じて頭を抱えるだけのお父様」
添えている手から、父が震えているのが伝わってきた。
「私の父親はこんな情けない男だったでしょうか」
未だに震える父が少し顔を上げる。
「建国のときより王家を支えてきた家名を守っているお父様」
父が奥歯を噛み締め、震えが止まる。
「その青き血には王家のをも流れている公爵家当主のお父様」
頬に添えられたエリザベートの手に、父が自らの手を添えて、エリザベートに視線を向ける。
「他の追随を許さず、王国の政治をも左右する一門の領袖であるお父様」
父の眼にははっきりと怒りがこめられているのがわかる。
「そう、それを蔑ろにする王家を許していいのかしら?」
「……良い訳がない」
父親の絞り出すような声。聞こえていたが、ここははっきりとさせなければならない。
「聞こえませんわ。悪いのは私、それとも王家ですか?」
「王家だ。代々の功績を忘れ、お前の献身を侮辱し、王太子の軽挙妄動を容認した王家を許せるわけがない」
「ええ、その通りです」
「王が悪いのだ。王国一の貴族である我らが、何故貶められなければならない。そうだ、そんなことは許されないのだ」
普段の父では、このような発言をすることはなかっただろう。
穏健で有名であり、帝国との主戦派には腰抜けと陰口を言われてきた父親が、公爵として、貴族として受けた初めての仕打ちに感情を抑えられなくなっているのだ。
エリザベートは父の頬から両手を離し、前のめりの姿勢になっていたのを直す。
もう火はついたのだから、あとは種火を大事にして薪をくべてやればいいのだ。
「さぁお父様。許されないことをした王家はどうしましょうか」
「王家には我らとの関係を思い出して頂かなくてはならない。そして、戦うことしか考えておらん奴らの手を取ったことを、後悔して頂かなくては」
「そして、我らこそが唯一のパートナーであると?」
父親が重々しく頷く。
「それでは駄目です。喉元を過ぎた羹のように、我らの献身を王家はまた忘れてしまいますわ」
「なるほど、そうかもしれんな。ではどうすれば良いと思う?」
エリザベートを諮るように問うてくる父親に、ただ艶然と微笑む。
視線が交錯する父娘。やがて、父が窓外に視線を向ける。
「そうか。それも良いかもしれぬな」
「ええ、今はまだ口に出してはならないことです」
エリザベートに考えがあったわけではない。ただ、父が勝手に納得したのだ。そうすれば、父が内心で思っていたことと結びつけてくれる。実行しようとは露とも考えず、妄想の類いと切り捨てていた欲望と。
怒りという種火から、欲望という薪に火が燃え移ったのだ。しかも、誘導されたとはいえ、自分の手で薪をくべたのだから、たやすく鎮火することはないだろう。
どのような欲望かはいくつも考えられ、しかも正面切って尋ねるわけにはいかない。複数のことに手を打たなければならないが、良しとする。もう一つ片付けておかなくてはならない問題があるのだ。
時間があるのなら、父を蹴落としてから自分がやるのだが、ここ一年で情勢が動くとするならそんな暇はないのだ。
「お父様、家中にいる虫をどういたしましょうか」
「虫だと?」
「ええ、獅子にとって変わろうとあがく虫のことですわ。今頃は王城の灯りにたかっているのかしらね」
「ああ、あやつのことか」
家中と王城で意味が通じたようだ。虫が、王太子の側近である弟ウィリアムを指すということを。
「本来なら、私と王太子殿下との子が公爵家を継ぐ予定でした。私が王家に嫁がず、貴族から嘲笑の的となれば、自分に公爵位が回ってくると思ったのでしょうよ」
ウィリアムの継承順位は低い。母親が下級貴族なうえに、エリザベートの母の侍女であるからだ。エリザベートとラディスラウムの嫡子が王太子となり、次子にウィケッド公爵位というのが内々で決められていた。
「バカなことを。あやつには幼少の頃より言い聞かせておったというのに」
姉を裏切るような弟ではなかった。異母とはいえ弟として遇していたし、表面上は自分を慕っていたはずなのだ。恐らくはウルストラが焚き付けたのだろうと思っているが、もはやどうでもいいことだ。
虫かごから逃げた虫を、かごに戻すことはしない。新しい虫を買えばいいのだから。
「どうしますの、お父様。私に噛み付いたのです。次はお父様を噛みますわよ」
父は腕を組み、考えこむ姿勢を見せる。
息子は切れないということだろう。家に到着する時間切れを狙っているようだが、そうはいかない。
「明日にでも、公爵位を自分に、と言ってくるでしょうね。もしかしたら王からの勅命も持ってくるかも。明日じゃなくても近くそうなるでしょう」
弟が公爵位を本当に狙っているかもしれないし、違うかもしれない。エリザベートにとってどちらでもいいのだ。自分の言葉を父が信じさえすればいい。
そのために火がついている薪に風を送ってやるのだ。
「退けられたお父様はどうなるかしら。まずは家内をすべて掌握されるでしょう」
父は腕を組んだまま動かない。
「その後は……どこか地方の荘園に静養をとでも言って、お父様を追い出しますわ」
権力を握っている人物が何を恐れるのか、自分は心得ている。
そして、落ち込んでいる父を丸め込んで、自分が実行するつもりであったことをウィリアムが考えていることにする。
「あとは簡単です。全ての実権を奪われて、王都に戻ることは叶わないでしょう。先程のお話も、儚く消えてしまいますわね」
「わかった。もう言わずとも良い」
権力者は自分の権力が奪われることを恐れる。それは相手が息子であっても変わらない。自分の力を残しつつ譲り渡すのは良いが、奪われるのは我慢できないのだ。
「一筆いただければ私が手を下しますわ」
「当主たる私がすべきことだ。父が手を下す」
ここはただ頷いておく。
実権を奪われる恐怖という風に吹かれて、火は炎として燃え上がってくれたのだから。
ふと外を眺めると、もう屋敷に到着するようだ。護衛が主人の到着を知らせるために先駆けていく。
主人の予定よりも早い帰りと城で起こったことが伝われば、大慌てになるだろう。
「では、あとはお任せします。私は休ませていただきますので」
「わかった。ゆるりと休みなさい」
「それと、明日から私も手が欲しいので、家の者を何人か専属で使わせていただきます」
「よかろう。名をセバスティアンに告げておくように」
「そのように」
執事長にということは、父はしばらく顔を合わせられないくらい忙しくなるということだ。
でも都合が良かった。これで当分の間は父から横槍が入ることはない。
馬車が停車し、外が騒がしくなるのがわかる。やがて静かになるとゆっくりとドアが開かれる。
「お帰りなさいませ」
父が執事に頷き、先に降車する。そして、今迄にない大声を発する。
「一族一門の全員に集合をかけよ! 城にいる者も全てだ! セバスティアン、会合の用意だ。夜通しになるぞ。それと紋章院に使いを出すから、封書の用意もしておけ」
見たこともない父の剣幕に家臣たちも戸惑っている様子だが、すぐに動き出した。
本来ならエリザベートの降車を父がエスコートするべきところだ。しかし、父は矢継ぎ早に指示を飛ばしながら遠ざかっていく。
父娘の登城に付き従ったエリザベート専属の侍女が、気を利かせて踏み台を持ってきてくれた。
「軽い食事を部屋に持ってきて。就寝の用意も」
踏み台で降車しながら侍女に命じる。
「かしこまりました。すぐに用意致します」
「ああ、それとヴィルマに部屋に来るように伝えて」
「ヴィルマお嬢様にですか?」
ヴィルマはウィリアムの実妹。エリザベートの異母妹になる。
家中ではウィリアムが何をしたのか伝わっていないだろう。何も知らないヴィルマがどうなるか想像したのか、侍女が硬直する。
「そう心配しなくても虐めたりなんかしないわ。ちょっとお話するだけよ」
「失礼いたしました。ヴィルマお嬢様にお伝えします」
エリザベート付きの侍女たちが慌ただしく動き出す。御用聞きの侍女を引き連れ、屋敷の扉に向かって歩く。
だが、数歩で足を止め、月すら隠す曇り空を仰ぎ見た。
「貴方が私を、悪女と呼ぶのなら……」
呟きは周囲の喧騒によって、ふと流れた一筋の涙は月に照らされることなく、誰にも気づかれなかった。
エリザベート・ウィケッドは、後に国を奪い取った悪女として名を残すことになる。自身の日記などを残すことのなかった彼女の心中を知る者は、誰もいない。
もし本作をご覧になった方がいたら、お読み頂きありがとうございます。
女性の動かし方の練習で思いついた物を書いてみました。女性の喋り方、動き方、また心理描写はとても難しいですね。精進していきたいと思います。
特に考えなかったので、父親もチョロくし過ぎました。娘に手玉に取られる派閥の長になってしまい、コロコロとキャラが変わっているので、キャラ作りの難しさも痛感しました。
出さなくてもいいキャラを思いつきで出すくらいなら、文量を増やすべきなのも反省する点です。
考えつけば続きを書いてみたいと思います。
1/13 追記
『とある王国の物語』というシリーズで続きを書くことを決め、続編『虫かごの外では生きられない』を投稿しました。