初めての狩猟
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――初めての狩猟――
「ケアル!」
魔獣の頭を見た途端に小声で叫ぶとミゲルはいきなり飛び上がる。
いつものことながら見事な逃げ足である。
鹿の様な大きな角を持った頭に続いて体が現れてくる。
その頭には普通の鹿の角の他に額の横から正面に向いた先の尖った一対の角が付いていた。
かなり大きな体がその後に続いて現れてくる。
その体は普通の鹿よりも数段大きく間違いなく肉食化した鹿の魔獣であった。
「ケアル!大丈夫?ずいぶん大きいバラシンガよ。」
「待てよ、こいつを飼いならせば外に行けるかもしれねえぜ。」
「やめてよ、その魔獣肉を食っているわ。」
「まだ大したこたあねえ、中型にも届いていねえ初心者だぜ。」
元々は比較的おとなしい性質の魔獣である。
そうは言っても軽く250キロは超えていそうな大柄な体躯をしている。
この魔獣は以前狩った事がある、あの頭の角が邪魔だが一人でも対処できない相手ではない。
「よお兄弟草でも食わねえか。」
ケアルは近くの木の枝を折ると葉っぱを魔獣に向けて差し出した。
普通の魔獣であれば葉っぱを食うか、あるいはそそくさと逃げ出すかのどちらかである。
しかしそいつはケアルの方を向くと頭を下げて来た、戦う気である。
「ミゲル!子供達の所に行ってここまで連れて来い!飛んで来ていいぞ。」
ケアルは背中の槍を抜きながらミゲルに言った。
「なにするの?」
「きまってらあ、狩りの体験をさせてやるのさ。」
「何言ってんの、子供達よ!」
「ああ、竜神の子供達だ。」
ミゲルは何か言いたげであったがすぐに子供達の方に向かって跳ねて行った。
チラッとミゲルの方を見た魔獣であったがすぐにケアルの方に向き直ると突っかかって来た。
ケアルはぱっと横に飛んで鹿の角を交わす。
「なかなかいい気合いだが、警備部隊期待の新星のケアル様が相手だったのは不運………。」
ケアルの見栄をぶった切って突っ込んでくる魔獣である。
「てめえ、少しは人の話を聞け!」
飛びのき際に魔獣の太ももに向かって槍を突き立てる。
後ろ足を槍で突かれたものの少し足を引きずりながらも再びケアルに向き直る。
カアアア~~~ッと息を吐いて威嚇する。
真っすぐ並んだ草食獣の歯の間に小さな牙が見える。
左の太ももにかなり深く突き立てたのにそれとは感じさせない速度で突っ込んでくる。
だいたい本来の魔獣であればこの程度の傷では大したダメージにはならない。
再び突っ込んで来るが今度は反対側に逃げると同じよに太ももに槍を突っ込む。
足からダラダラと血が流れる、魔獣も普通の獣と同じ赤い血だ。
今度は頭を下げたまま動こうとしない。ケアルが近づいたときに角で突き刺すカウンター攻撃狙いである。
本来の鹿の攻撃は角を振り回して戦い正面に来た敵を角で串刺しにするのである。
肉食化した事で凶暴になり自分から攻撃してきたが本来の戦法ではない。
足の負傷で動きが鈍くなったと感じた魔獣は本来の戦法に戻ったと言えよう。
ケアルは槍を地面に突き刺すと刀を抜く。
相手が鹿であれば槍の間合いとあまり変わらない、それならばと接近戦に戦法を変更する事にした。
これが獅子族であればつかかってくる角を掴んでそのままひねり倒せる力がある。
猫耳族であれば素早い立体機動で魔獣の後ろ足の健を切ることができる。
犬耳族のケアルは獅子族ほどの力はなく猫耳族ほどのしなやかさはない。
しかし猫耳族より力が強く獅子族より俊敏性に優れる。
要はバランスである。
自分に合った戦法を取ることが最も重要なのである。
ケアルは正面から真っ直ぐ魔獣に突っ込む。
魔獣がカウンターを当てて角を正面に向け突っ込んでくる。
その角がケアルの体を捉える刹那ケアルは体を回転させる。
魔獣の体の横をくるくると回転しながら剣を使って魔獣のかかとのアキレス健を切る。
いきなり足が動かなくなり魔獣はどうっと倒れる。
そこでしばらくもがいていたがなんとか3本足で立ち上がる。
ケアルは刀を収めると歩いて槍の所に戻る。
魔獣は立ち上がっているが片方の後ろ足は引きずったままだ、もはや突っ込んで角を突き立てる事は出来ない。
続いて素早く飛び込むと角を交わして前足の健も切る。
そうなればもはや立っていることも出来ない。
倒れて暴れる魔獣の残る足の健も切ると膝を立ててもがくことしか出来ない。
そこにミゲルが子供達を連れて戻って来た。
飛び跳ねてやってくるミゲルの後ろから子供達が飛んで付いて来る。
みんな魔獣を見てびっくりしている、ケアルの何倍もある大きな魔獣である。
「これケアル兄ちゃんがやったの?」
「すごーいっ!」
「ケアル兄ちゃんこんなに強かったんだ~。」
いささか得意げに胸を張るケアルである。
魔獣は倒れたまま膝を使って立ち上がり角を振り回して威嚇している。
「みんな近寄るなよこいつはまだ生きる事を諦めちゃいない。」
実際のところ彼らは子供とはいえ竜である、魔獣の角でもその体を貫く事は出来ないだろう。
「ダンタロス、とどめをさせ。」
ケアルがダンタロスに向かて槍を差し出した。
ダンタロスは槍を受け取るとケアルを見上げたまま動かなかった。
次いで手の中の槍を見る、そして魔獣に視線を移した。
魔獣は4本の足の健を切られそれでも膝をついて起き上がろうとしていた。近寄るものを突き殺そうと頭を上げ武器である角を振り回して威嚇している。
その目に宿るものは純粋に生への執念で有り死なないとする強い意志である。
槍を持ったダンタロスに対し悲しみも絶望も感じさせない強い視線を送り続ける。
その目を見たダンタロスの手が止まる。
ダンタロスはその時わかったのだ、この魔獣はただ生きることを望み最後まで生きることを諦めていないだけだと。
「いいか、胸にはあばら骨がある。肋に沿って刃をむけ脇の下から心臓を狙うんだ。突き込んだらすぐに槍を抜け、さもないと暴れて槍が折れる。」
ケアルがダンタロスに声をかけるが一歩引いたまま動こうとはしない。
ダンタロスが槍を引くと魔獣はなんとか角をダンタロスに当てようと激しく暴れる。
しかしダンタロスは槍を突き出す事が出来ずにいた。
「ダンタロス。」
後ろから声をかけたのはエリアスであった。
「あなたが出来ないなら私がやる。」
ダンタロスの目を見ながらはっきりとした声で言った。
その言葉に少なからず驚いたようであるがすぐに目をそらした。
「ごめん、これは僕の責任だ。僕がやらなきゃいけない事なんだ。」
そう言ってダンタロスは魔獣に向き直ると再び槍を構える。
ダンタロスの殺気に気がついた魔獣は近づいてくる相手に対して角を振り回す。
槍を構えたまま角を交わすとすばやく踏み込んで槍を突き出す。
槍を突き込まれた魔獣は激しく暴れ体重の軽い竜の子供は弾き飛ばされる。
後ろで見ていた子供達が悲鳴を上げる。
「ダンタロス!」
「失敗したのか?」
「いや、確かに急所にあたっている、魔獣の生命力が強いんだ。」
しばらく暴れていたがやがて力が尽きたのか動かなくなる。
子供達は断末魔の魔獣を見ている、恐ろしさに震えて涙を流す子供もいた。
「し、死んだの?」
「いやまだだ、完全に死ぬまではもう少しかかる。」
ケアルは血のついた槍を拾い上げるとエリアスに向かって差し出す。
エリアスは無言で槍を受け取ると魔獣の前に進み出る。
すでに魔獣は虫の息で体を横たわらせている。
「ここだ顎の下から延髄を狙う、それで楽にしてやれ。いいかしっかり目を開いてこいつの最後を看取ってやるんだ。これ以上苦しませるな。」
もう魔獣は動くこともないがまだ生きていた。
エリアスは言われたとおりしっかりと魔獣を見据えると槍を突き立てる。
魔獣は動くことも声を上げることもなく息絶えた。
エリアスは引き抜いた槍を取り落とすとその場に膝を付いて震え始めた。
「ごめんね、ごめんね。もっと生きたかっただろうに、本当にごめんね。」
涙を流しながら魔獣に向かって謝り続けるエリアス。
「こいつの血と肉はお前たちの血と肉になってお前たちを生かしてくれる。こいつの生涯を食らってお前たちは生き続ける。こいつに感謝して無駄無く全てを食らい尽くしてやるんだ。」
子供達はみんなケアルの方を見る、その目には尊敬の眼差しが混じっていた。
まあ、この言葉は狩猟部隊で新人が最初に獲物を倒したときによく言われる言葉であり、ケアルも何度と無く聞かされた言葉である。
ただしミゲルは肉を食べないので全く心に響くことは無かったそうである。
「さあ、こいつは俺一人じゃ運べない、全員で運んでくれ。」
ケアルは魔獣の手足にツタを縛り付けそれを竜の子供全員で引っ張り上げると装甲車のところまで飛んでいった。
何人かの子供達は途中で魔力切れを起こしてしまった。ゼリーの中の魔獣細胞はその程度しか入っていなかったらしい。
今回魔獣の肉を手に入れられたのは幸いであった。これでこの子達の魔力を心配する必要がなくなったのだ。
手頃な枝を見つけそれに魔獣を吊るすとケアルはいつものようにふんどし一丁になる。
解体が終わる度に洗って居るがふんどしが少し茶色っぽくなっている。
首を切り落とし下にもらってきた鍋を置くと大量の血が滴り落ちてきて鍋に溜まった。
ミゲルが葉っぱを使ってコップを作りそれに魔獣の血を満たす。
「今日の英雄はあなたよ、最初に魔獣の命を飲み込む名誉を上げるわ。」
コップをダンタロスに渡す、これも新人狩人の儀式の一つである。
血にも大量の魔獣細胞が含まれており魔力の補充に役に立つ事も理由の一つである。
ダンタロスはしばらく血を眺めていたが意を決したように血を飲み込む。
飲んだあとすごーく嫌な顔をしたが、何も言わずにコップを捨てた。
「次はエリアス、あなたよ。」
エリアスは一気に血を飲み込む。
その後は順に子供達に血を飲ませていく、これも血に対する免疫をつけるのに役に立つ。
最後にケアルが血を飲み干して終わった。
250キロの獲物の臓物は流石に大きかった。
子供達総出で川まで運んで洗って来た。流石に慣れてきたのか刃物を使わずに自分たちの爪で内蔵を切り裂いていく。
子供達がワイワイとはしゃぎながら戻ってくるとまだケアルは革を履いだところだった。
ミゲルは鍋を洗うとタンクから水を満たして待っていた。
「今日は魔獣を狩ることが出来たのでみんなの残った魔力を全部使って料理しましょうね。」
木を燃やすと煙が出るので見つかる危険があったが竜のブレスであればその心配もない。
子供達が順番に鍋を温めて行く。
ミゲルが塩と香草を入れアクを取っていく。
煮えると竜の子供達の手の上の葉っぱによそって食べさす。
竜の子供の手はこの程度で熱いとは感じないのである、ほぼ素手に盛られた熱いモツを口の中にすすり上げる。
「…………………。」
「「「おいしいいい~~~~っ。」」」
久しぶりの火の通った料理である、まずいわけが無い。
「「「おかわり~~~っ。」」」
「大丈夫よまだまだうんと有るから、それより魔法の残ってる人は鍋を温めてちょうだい。」
水と塩を追加しながら香草と野菜も入れると子供達が鍋の下にブレスを吹き込む。
「もっとちょうだい。」
「内臓ってこんなに美味しいものだったんだ~。」
「しっかり食うんだぞ、お前たちの魔法の元になるんだからな。」
ケアルはふんどしを真っ赤にしながら魔獣から肉を剥いでいく。
200キロ近く有る魔獣の肉を解体して肉のブロックに分けて行くのに一時間以上かかることになった。
木の枝を使ってブロック分けにした肉をぶら下げていく。
魔獣の解体にはケアルのサーベルを使用したがケアルの体も刃物も血と油にまみれになった。
「川に行って洗ってくらあ。」
川でふんどしを洗い体を砂でこすって油を落とす。
刀を葉っぱで拭って油を落とすとふたたび濡れたままのふんどしを締め直す。
みんなの所に戻って来ると子供達がお腹をぷっくり膨らませてそこら中に転がっていた。
「お腹いっぱいです~~~。」
「ご苦労さま、みんなお腹いっぱい食べて満足していたわ。」
「俺の分は残っているのかな?」
「大丈夫よ、まだたっぷり残っているから。」
「だいぶ魔力が枯渇してきたからな、ここで魔獣が手に入ったのは助かったよ。」
「うんと食べて魔力を補給してね。」
ニッコリ笑うミゲル、自分は食べられないものを子供達の為に作ってくれるこの女は結構いい女なんだなとケアルは思った。
「時にケアル~~~っ。」
優しそうな声をかけて来る。
「な、何だよ?。」
コイツまさか俺に気が有るとか?俺は犬耳族にしか興味はねえぞ。
「解体が終わったらさっさと服を着てくれないかな~?」
あそっ、はいはいわかりましたとも。
服を着て残ったモツをかっこむと腹をぷくんと膨らませて竜の子供達と一緒に寝てしまった。
食料を補充ししばらくは安心して進むことが出来た。
装甲車の中は肉の塊と毛皮がぶら下がりまるで狩猟小屋のようになってしまっていた。
時折ヘリが上空を飛んでいくが事前にミゲルが察知して森の中に隠れる。
ケアル達が使用している道路はおそらく結界内の最外部を走っていると思われたが殆ど車とはすれ違わない。
ここの連中はあまり移動をしないように思える。
考えて見ればたまにとはいえ魔獣が侵入してくる場所である、人はあまり立ち入りたくない場所なのかもしれない。
「だいぶ目的地に近づいて来たわね。」
「さて、問題はどうやって目的地に潜り込むかだな。」
周囲は牧草地帯になっていた、近くに森も林も見当たらない場所だ。
「まずいな隠れる場所が全然無い。」
「少し戻って森の中に隠れる?」
おそらく目的地の転移ポイントが近いので周囲に遮蔽物を作らないようにしているのだろう。
その時運転をしていたケアルの正面に大きな光の塊が現れる。
「な、なんだ?」
まぶしさに目を細める。
「ケアル!あれっ。」ミゲルが叫ぶ。
装甲車の前に光の中から大量の動物がこちらに向かって走ってくるのだ。
「まずいっ、暴走だ!!巻き込まれたらイチコロだ!」
暴走は目の前だった、ケアルは慌ててハンドルを切る。
しかしハンドルを切りすぎた装甲車は安定を崩し大きく車体を傾かせる。
焦ったケアルは装甲車を横転させてしまったのだ。
「し、しまっただめだ、巻き込まれるぞ。」
その瞬間ミゲルは恐ろしいほどの速度で子供達のいる室内を駆け抜ける。
日頃の鈍さからは考えられない程の空間認識能力で子供の隙間を縫って行く。
天井に有る扉にたどり着くとためらいも無くドアを開けた。
兎耳族の本能である、考えるより先に体が動いて逃げ出すのである。




