魔獣とニンジン
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――魔獣とニンジン――
「ほう、すると君は犬族の獣人でお嬢さんはウサギ族の獣人なのか。」
老人はやはりケアル達の事を獣人と呼んだ。
「俺達は俺達の事を獣人とは呼ばない、人間と読んでいるんだ。」
「おお、これは失礼いたした。するとわしは人族の人間と言うことじゃな?外の様子はどうなったんじゃ?魔獣は相変わらずいるんじゃろうな。」
「大人の竜に守られた街が世界各地に有ってな、俺達はその魔獣を狩って人間の生活圏を守っているんだ。」
「文明はどうなっている?我々の研究者の間では外で人間は原始時代に戻っていると予測していたようだが。」
「文明………?」
文明と問われても何を以て文明と言うのかとケアルは考えてしまう、このような哲学的問いに答えるように彼の頭は出来ていない。
「ここで使っているような機械文明はありませんが、政府があり、学校があり、病院があります。あちち、鍛冶屋もありますし機織りもいます、ここ程便利ではありませんが私達は十分文化的な生活を送っていますよ、はむはむ。」
「おめえ食いながらしゃべんなよ。」
「だってケアルじゃまともな説明はできないでしょう。」
「はっはっはっ、二人共仲が良いようじゃな。」
「「違います。」」
「お姉ちゃん何食べているの~?」
「茹でたニンジン、食べる?」
「うん。」
ナナは渡されたニンジンを口に突っ込む。
「はむはむはむ。」
「どお?」
「おいしいいい~~~っ。」
ナナが凄く嬉しそうな顔をする。
「わあ~っ、僕にも頂戴~。」
みんなから手が伸びるがミゲルは困った顔をする。
「だめだ!ミゲルはこれしか食えないんだぞ、お前たちはまたミゲルに草の根を食わすつもりか?」
「「「うう~~~ん………。」」」
そう言われた竜の子供達はみんな下を向いてしまった。
「わかった~、ごめんなさい~。」
「ごめんね~っ、外に行ったらうんと食べられるからね~。」
「なあ爺さん結界はどうやったら抜けられるんだ?俺たちは転移ポイントに向かっている。抜けられるならば良いが抜けられないなら対策を考えなくちゃならねえんだ。」
「うむそうじゃな、これは聞いた話だから本当かどうかはわからないが、実は結界内のこの世界にも時々魔獣が侵入してくる事があるんじゃ。」
ケアル達にとってはそれがどういう意味を持っているのかわからなかった。
「しかしごく稀にではなくかなり頻繁にそういった事例が確認されているという。」
「それじゃ魔獣には結界を超える能力が有ると言うことかしら?」
魔獣の持つ魔力が、正確に言えばSQ細胞の持つ真空エネルギーが空間の歪みをもたらすらしい。
ごく僅かな魔獣がその能力を持ち空間転移で結界を破ったのではないかと思われる。
それに気がついた連中がSQ細胞を駆使できる生き物すなわち竜族を作ろうと思ったらしい。
「爺さんそれめちゃくちゃ大変な事だぞ、大型の魔獣は魔力も大きい。そんな連中がここに入ってきたら大災害だぞ。」
どう考えても此処の連中にあの大型魔獣と戦えるとも思えなかった。
しかし考えてみればケアル達の乗っているやたら頑丈な装甲車や空を飛ぶヘリはそう言った魔獣相手の兵器だったのだ。
「魔獣の被害を防ぐためにわしらがここにおるんじゃ。魔獣は人間を見ると襲いかかってくる。魔獣が最初に狙うのは結界の外周部にいいるわしらなんじゃ。」
「それ何を言っているのか分かっているのか?罠の中の餌だぞ。」
「だからわしらにはこのロボット犬が政府から貸与されている。魔獣がわしらに引き寄せられて来たところをこの連中が捕らえるんじゃ。その代わりこの辺に住むと家賃は政府持ちでな、引退後にここで住むことを選ぶ人間は結構いるんじゃよ。」
「ちょっと待って、おじいさん魔獣が来たらその2頭だけで魔獣と戦うの?」
「ああ、普通の魔獣であれば2頭いれば問題ないし、少し大きくても近所からすぐに加勢が駆けつけるさ。それでだめならヘリが出動する。」
「それってその犬達が連絡を取り合っているということ?」
「いや、中央の魔獣監視機構と直接つながっておるよ。」
「もしかして私達がここにいることをもう知らせているんじゃないの?」
突然老人が立ち上がった。
「いかん!もう警備部隊が出発しているかもしれん。」
「わかったすぐ逃げるぞ。」
この言葉で全ての状況を理解したケアルが叫ぶ。
「お前さん達かまわんから畑の作物を掘り返して好きなだけ持っていけ。」
クルドが竜の子供達に向かって袋を放り投げると子供達はすぐに飛び出していった。
「すまねえじいさん、恩に着る。」
「その代わり竜の子供達を頼むぞ。」
ミゲルは鍋に調味料などをおし込んでニンジンを加えたまま飛び出していく。
ケアルは芋の入った袋をかつぎ、畑では竜の子供達が野菜を一所懸命にその爪で掘っていた。
装甲車のところにたどり着くとミゲルが振り返る。
「あの飛行機械の音がする。え~と3つね。」
「早くもどれ出発するぞ!」
竜の子供達が両手に一杯に野菜の入った袋を抱えて宙を飛んでくる。
「みんないるか?」
すばやく子供の数を数えるとケアルは運転席に飛び乗って装甲車を出発させ、全速力でヘリから遠ざかる。
クルド爺さんは家の前に降りてくるヘリに手を振った。
「クルドさん竜を目撃しましたか?」
「いや、魔獣ではないのか?ほれ、畑をほじくり返して逃げて行っちまったよ。」
兵士はむちゃくちゃになった畑を見て頭を振った。
ケアル達は夜が明けるまで走り続けて森の中に逃げ込む。
「ヘリはどうだ?」
「かなり出ているみたい、あちこちで音がするわ。」
「空中から来ているとなると上から見つからない場所が有ると良いな。」
ケアルは外に出て空を見る、やはり上空からでは見えてしまうだろう。
「ダンタロス、子供達を使って近くの木の枝を払って屋根に載せろ、それから側面にも木の枝を立てかける。空からこの馬車が見えないようにするんだ。」
「わかった。」
ダンタロスが子供達を引き連れて森の中に散らばっていった。
ミゲルには食料の備蓄の確認をさせておいた。
暗くなるまでここを動くわけにも行かない。とにかく明るい間見つからないようにしなくてはならないだろう。
ダンタロスは子供達に指示をして装甲車を隠す作業をしていた。
大きな枝を葉っぱごと竜の爪で切り取ると軽々と持ち上げて飛んでくる。
「近くの枝を切っちゃ駄目だよ、なるべく離れた枝を使うんだ。」
頭の良い子である。偽装の意味をちゃんと理解している。
「お兄ちゃんこのくらいの枝でいいの?」
一番小さな子でも人の腕より太い枝を軽々と切って運んでくる、やはり竜族の能力は非常に高いなとケアルは思った。
「わーい、僕のほうが大きいぞー。」
きゃっきゃと言いながら大きな枝を切って持ってくる。
「えっ?」
「あっ?」
一番年下のロロがズルズルと自分の何倍もある大きさの枝を引きずってくる。
「家を作るんじゃないからそんなに大きくなくていいんだ。」
そう言われて悲しそうな顔をするロロ、一生懸命頑張ったのだ。
「なに、切って使えばいいんだ。」
ダンタロスが枝を切って装甲車の周りに立てかける。
ミゲルの分の食料は5,6日分は賄えそうだと言っていた。干し肉はそんなに無くて一食分くらいらしい。
暗くなれば狩りが出来る、思ったよりこの森は獲物が多い、狩りに困ることはなさそうだ。
「ケアル!ヘリが来る。」
「みんな、馬車の中に入れ!」
装甲車の中に入って上空を見上げているとソーサー・ヘリが上空を通過していく、どうやら気付かれずにすんだらしい。
中で膝を突き合わせている間にミゲルは子供達に魔獣の事を聞いてみた。
「あのおじいさん魔獣が結界の隙間を抜けて来ると言ってたけどみんなは魔獣を見たことはあるの?」
「まじゅー?」
「んとね、んとね、あるーっ。」
「どこで見たの?」
「あそこのきちーっ。」
ダンタレスによれば子供達のいた場所は元々は魔獣研究所であったらしい。
あそこに居た兵士達はその魔獣が逃げ出したりしたときの為に駐留しているのだとか。
結局あの老人たちを囮にして犬たちが仕留めた魔獣をあの基地に運んでいって研究をしていたらしい。
要するに竜の子供達も魔獣扱いだったと言うことなのだろう、子供達からは距離を置いた警備体制だったようだ。
「それで?どんな魔獣を見たの?」
「ぶたさん。」
「もじゃもじゃーっとしてた。」
「きばもあったーっ。」
「どのくらい大きかったの?」
「こーれぐらい。」
小さな子が両手を一杯に広げる。
ダンタレスに聞くと全長は2メートルくらいで全身が毛に覆われていたらしい。
豚によく似てはいたが上下に牙が生えていたという。
ミゲルとケアルはその話を聞いて顔を見合わせる。
「肉食になりたて位の魔獣だな。」
「そうよね2メートルの豚といえば300キロ近いんじない?」
原種はせいぜい100キロくらいである、無論牙は持っていない。
「そういう事か。」
魔獣自身も魔法は使う、魔獣器官があるのだから当然である。
先程の老人の話に違和感を覚えたのは普通の魔獣程度で結界を超えられる程の魔力を持ち得るのかと言う所であった。
子供達の話が事実であれば納得できる。
ダンタレス達が魔獣を見たときには結界の通過実験を行っていた所らしい。
「あのね、あのね、まじゅうがだーっと走ってくるの。」
「すこっと抜けてまた向こうから走ってくるの。」
「さいごにすぽんと抜けて鉄格子にどかーんてなるの。」
子供の言うことはほとんど意味がわからないが辛抱強く二人は聞いていた。
どうやら両側を結界で塞いだ通路を魔獣に走らせる実験だったらしい。
結界に向かって走って来た魔獣は反対側の結界に送られて再び結界に向かって走っていくらしい、これをずっと繰り返すそうだ。
面白いのは走る標的になるのが人間だということだ。
魔獣の前に鉄格子に入った人間を立たせておくのだがそのままだと魔獣は人間に気が付かない。
人間の匂いを魔獣の檻の中に入れてやると人間めがけて走り出すという。
走る度に結界によって反対側に送られるのでいつまでたっても人間にはたどり着けない。
どうやら魔獣は人間の姿と匂いで判断しているようである。
実際、竜達が魔獣の檻の前に行っても魔獣に変化はなく子供達の差し出す餌を食べていたらしい。
ケアル達の世界でも比較的性質のおとなしい魔獣や小型の魔獣は家畜として飼われている。
農家でも魔獣を使役して畑を耕している、普通の馬や牛よりも病気や怪我に強く食料も特に気をつける必要もない。
ただ、懐嘯が起きた場合はその流れに巻き込まれてしまうので討伐隊は馬を使用しているのである。
ところがそうやって魔獣の実験を行っていると突然結界を突き破り人間に向かって突進して鉄格子にぶつかるらしい。
結局魔獣も恣意的に結界を超えて来るのではなく気まぐれにその能力を発動しているようである。
人間を見ると興奮する魔獣を使って結界を超える事など出来よう筈もなく、その能力を持ちなおかつ人間にとって安全な者が必要だったと言うことらしい。
それが竜族だと連中は考えたのだろう。
しかしそれは失敗に終わりエルギオスは別の生き物で転移を成功させたらしい。
そうなるともはや竜の子供達は邪魔者以外の何物でもなくなってしまったのだ。
そして実験を試みてケアル達の世界にやって来たのだろう。
ところがそうやって移転してきた人間はみんな魔獣に食われてしまい一人だけが竜神に救われたと言う事らしい。
その連中を救助に来たケアル達を拉致したのであるから恩知らずもいいとこだと言える。
こうしてみると竜の子供達はあまりに哀れすぎる、エルギオスならずとも何とかしたいと考えるだろうな。
子供達の話を聞いているうちに暗くなってきたので狩りに出ることにした。
彼らだけを残すのもやや不安が残る物の考えてみれば竜の子供達である、そうそう遅れは取らないだろうとも思う。
あれだけ口が多いと結構狩りも大変なのである、自分の身は何とか自分で守って欲しいものだ。
それでもミゲルの耳のおかげで割と楽に獲物を見つけられる。
大きい獲物の方が良いが小物でも数があれば良い、割と楽に狩れるウサギや狸を中心に狩っていく。
森の奥の方に入っていくと何やらこの森に不似合いな壁に出会う。
壁は一面植物に覆われどんな形の物すらが見えない判別できない。
幾重にもツタが重なって生い茂っていて下地すら見えない状態であったからだ。
「なんだ?この壁は。」
何故壁と分かったかと言うと一部に壊れた場所が有りそこに崩れた壁の残骸が見えていたからだ。
その壁は両側に向かってずっと先の方まで続いていた。
壁の高さは5メートル近くあり、べトンの様にも見えるがそれにしては痛みが少ない。
「どの位古いものだと思う?」
「想像もつかないけど破片の角がボロボロになっているわ。かなり古い事だけは判るけど。」
崩れている場所から壁を越えて行ってみる。
すると正面にも同じような壁が見える。やはり同じように左右に広がっており、壁と壁の間は300メートル位離れていた。
「行ってみる?」
「ああ、行ってみなけりゃわからないからな。」
用心深く進んでいき向こうの壁に到達する。
「?」
何か変な感じが有る。敏感なケアルの耳と鼻がそれを捉える。
「ミゲル、わかるか?」
「なにが?」
ミゲルは兎耳族で耳は良いが鼻はケアル程効かないのだ。
「ここはさっきまでいた場所じゃない、空気の匂いが違うんだ。」
そう言われてミゲルも鼻をクンクンさせてみる。
流石に犬耳族程でないにせよ周囲の空気の匂いの違いには気が付いた。
「ここ、もしかしたら結界じゃないのかしら?」
「ああ、なんか一瞬で世界が移動したって感じだな。」
「この結界は外から来た人間を反対に移動させるって言ってたけど、中にいる人間も同じことをするんじゃないの?」
どうやらケアル達はこの国の最外周の場所に来た様であった。
「たぶんねケアル、最初はこの壁で魔獣の侵入を防いでいたんじゃない?それでも結局防ぎきれずにこの壁の外側に結解を張ったのよ。」
「成程、だから壁の向こうに反対側の壁が見えるんだ。するとこの壁を超えるとこの国の反対側に出ちまうな。」
「追手を巻くのにはいい手だけどどうする?」
「やめとこう、ここまで来て遠回りするこたあねえさ。」
ふたりは壊れた壁の所まで戻って来る。
その時ミゲルが耳をヒクヒクと動かす。
ケアルも勘付いて後ろを振り返る。
ぼおっとした光の霧に包まれて魔獣の首が空中から現れた。




