ユキの魔法
1-020
――ユキの魔法――
「最近変な噂を聞いたのだが?」
ゼルガイアが目の前の女性秘書に問う。
遺跡から帰ってきた後うず高く積まれていた書類の整理の為に事務方から部屋に缶詰めにされていた所である。
出来れば誰かに押し付けて逃亡したいと思っていたのだがあれ以来特にこれと言った事件が起きていない。
一生懸命事件を捜している時食堂で噂話を片耳に挟んだのである。
「何でしょうか?」
以前にケーキをひっくり返した兎耳族の女子事務官である。
彼女は正式には警備軍本部付き事務部門所属の上級事務官である。
ひらたく言えば警備軍幹部付きの筆頭秘書である。
「竜神様が女の子を連れて来て訓練所で魔法の練習をしているとか?」
「はい、ゲルド教官が教鞭をとっておられます。」
「………。」
ゼルガイアは考えをまとめるようにしばらく黙っていた。
「あのねミレイネさん、そう言う重大な事はもっと早く耳に入れてもらえないのかねえ?」
「は?この件はゼルガイア殿がゲルド教官にお話を持って行ったと理解しておりますが?」
ミレイネは冷たくゼルガイアを突き放す、ここで甘い顔をすればまた逃亡を許すことになる。
現状を死守する事は事務部門総力を挙げた戦いなのである、先兵となったミレイネに撤退の2文字は無かった。
「………そうだっけ?」
「現在ゲルド教官が全責任を持って竜神様のお相手をしております。左様で御座いますのでゼルガイア殿は目の前のお仕事に全力をお尽くし下さい。」
大きなゼルガイアは椅子に座っても小柄な兎耳族よりも背が高くミレイネは見上げる格好になる。
「これは戦争なのです。」
それにも拘らずミレイネの発言は万余の魔獣の咆哮よりもゼルガイアを恐怖に陥れる迫力を持っていた。
「いやなにも……そんな大げさな……。」
言葉に詰まるゼルガイアである。
決済まであと2日です、それまでにこの書類をすべて片付けなくてはなりません。
ミレイネはゼルガイアに死刑の宣告をしたのである。さもなければ死を待つのが自分になる事を知っているのだ。
「………わかりました………頑張ります……。」
小声で言うとゼルガイアは仕事に戻って行った。
もっとも後でナンナが夕食を持ってきたついでに仕事を手伝っていたと言う。出来すぎる女房である。
地獄の数日間を終え山となっていた書類を全て片付けるとナンナと共に訓練所に赴いた。
そこで見たものは宙に浮くボールを自由自在に操る少女とゲルド教官の姿であった。
そしてその宙に浮くボールこそ、ケアルとミゲルを飲み込んだ謎の物質に他ならなかったからだ。
「娘~~っ、それはなんじゃ~~っ?」
ゼルガイアは我を忘れ少女の元に駆け寄った。
「ひええ~~~っ!」
ゼルガイアの出現に驚いたのか柱の間を浮遊していたボールが突然爆発した。
「こらゼルガイア!何をしている!」
爆発音もゲルド教官の言葉もゼルガイアの耳には届かなかった。
「そのボールはなんじゃああ~~っ。」
ゼルガイアは少女の体を掴むと大声で口を開けて少女に詰め寄った。
「クエエェェェ~~~~ッ!」クロちゃんが悲鳴を上げる。
突然飛び込んできた獅子族が肉食獣そのままの顔で大きな口の中の牙をむき出してが少女に迫って来たのである。
それを見た少女が恐怖のあまり失神してしまったのは無理からぬことであろう。
くてっとなった少女を抱えたゼルガイアは慌ててしまった。
「な、何じゃどうしたんだ?お、おい、大丈夫か?」
「クエエッ、クエエ~~ッ!」
クロちゃんが怒ってゼルガイアの足を蹴飛ばす。
それを見たナンナがクロちゃんを抱きかかえた。
「ほらほら、どうしたの?そんなに怒っちゃって。」
クロちゃんを抱え上げて顔を見たナンナはつい口走ってしまった。
「あら、美味しそう。」
ベロリと舌なめずりをしたライオンの顔を見たクロちゃんは震え上がった。
「ギャアアア~~~ッ!ギャアアアア~~ッ!」
必死で暴れまわるクロちゃんを見てサキュアは手近な棒を拾う。
ピョーンと飛び上がるとそれで2人の頭をひっぱたいた。
ポカ、ポカッ!
「あたっ。」
「いたたっ。」
「こりゃ、ゼルガイア何をしとる。」
「こ、これはお師匠様。」
…………………………
「だいたいナーんですか?小さい女の子とそのペットを脅かすなんて!」
ゼルガイアとナンナは正座をさせられてサキュアの説教を受けていた。
正座してもなお立っているサキュアの耳よりも背が高い。
キララが気を失ったユキを介抱している。
「いや……その……その娘の出していた球体を見たことが……。」
「それにしても子供の前で大口を開けて牙を剥き出すことは無いでしょう!」
「なんともはや……。」
「ナンナさん、ペットの動物を見た途端舌なめずりをしちゃだめだと何度も言ったでしょう!」
「いや……その……つい……。」
「キララ様だって気を使って子供の前では口を開けず、爪で傷を付けない様に手にはグローブまでお着けになっているんですよ。」
「「面目次第も御座いません。」」
2人揃って頭を下げる。
「まあその位で勘弁してやりなさい。」
ゲルドがサキュアをなだめる、獣人の中でも特に獅子族は見た目は恐ろしいのである。普段から気を付けていなくてはならないと教えてはいたのだが。
無論本当は二人共穏やかな性格をしてはいるのだが、時々ゼルガイアが激昂する癖が有りそれが周りからは恐れられている。
本人には自覚が無いのでなおさら始末が悪いのである。
「それでゼルガイア、お主いったい何に驚いておるんじゃ?」
「はいお師匠様、以前我々がこの少女の救助された場所を調査いたしました折に隊員2名が行方不明となりました。その時2人が包まれた物がこの少女の出したボールにそっくりだった物ですから。」
「ほほう、それは興味深い所見じゃな。ユキさんは何か心当たりはお有りですかな?」
気が付いたユキは頭を降る、元々かなり記憶が曖昧なままなのである。
「師匠はこのボールを一体何だと思っておられるのでしょうか?」
「それがわからんから研究をしている、それ以前にこの娘の気分で出現するようだし爆発まで起こすからのう、まずはこの魔法のコントロールから教えておるんじゃ。」
「爆発魔法なのでしょうか?」
「そうとも思えんな、ボール程度の小さな物で丸太を破壊できるくらいの威力が有る。どのくらいまで大きく出来るのかもわからんし大きさと破壊力の相関関係も判ってはおらん。ただ竜の爪を溶かす位の危険性は有るということだ、触ってはいかんぞ。」
そう言われて丸太を見るとところどころ丸くえぐれた跡が見える、竜神の所で見た穴と同じ様なきれいな開口面をしていた。
考えて見るとあのボールに包まれて消えてしまったあの2人は本当に溶けてしまったのかもしれない。
「師匠、試してみたいことが有りますがよろしいでしょうか?」
「なんじゃ?言うてみい。」
「この槍をあのボールに突っ込んでみたいのですが?」
「あの柱の様に消えるだけじゃぞ。」
「いえ、この槍を投げ込んでみたいのです。」
ゼルガイアはそこに置いてあった訓練用の槍を示す。
ボールよりも遥かに長い槍をボールに向かって投げ込むというのである。
「クエエエエ~~~ッ!」
何故かクロちゃんが悲鳴のような声を上げる。
「ふむ、面白いかもしれんの。ユキさんやどうじゃろう?少し離れた所にボールを移動してそこに槍を投げ込むというのは?」
「で、出来ると思いますが。」
ユキが不安げに答える。
「クエッ!クエ~~ッ!」
クロちゃんがユキの前で前足を振って止めるような仕草をする。
「しかし万一爆発でもすると危険じゃな。」
「いいわ、私がユキちゃんの前に立つから。クロちゃん安心していいわよ。」
キララがそう申し出てくれた。
「おお、キララ様それなら安心ですな、よろしくお願い申し上げます。」
「クエエエエエ~~~ッ!」
何故か涙目になるクロちゃんである。
ゼルガイアが槍を構えユキの前にキララが立つ、キララの影からユキはボールを10メートル程離れた場所に出現させる。
「行きますぞ、キララ殿ワシが投擲をしたらすぐにユキ殿をかばってくだされ。」
「はい、ゼルガイアさん任せてください。」
「わかりました、それでは行きますぞ。」
ゼルガイアは槍を構えるとそれをボールに向かって投げつける。
獅子族の力で投げたのでものすごい勢いで飛んでいく。
キララはすぐにユキをかばって抱きかかえる。
槍はボールに届くと何事もなかったようにボールに吸い込まれ反対側からは出てこなかった。
あっけないほど何も起こらなかった。
ボールは微塵も揺らぐこと無くその場に留まったままであった。
「どうやら槍はあの時と同じ様にそのまま消えてしまったようだな。」
「ふむ、これは奇っ怪な。熱も光も出さずに消え去るとは確かにこれなら竜の外皮に穴を開けることも可能かもしれん。」
「ガルド殿、その様な不穏な発言はお慎み下さい。」
サキュアがガルドに向かって注意を促す、万一竜が死ねば困るのは街に住む民であることは誰でもが知っていることだからである。
「いや、失礼した。しかし魔法の性質を調べることは魔法の研究を行っている身としてはそれを義務と考えております。竜を傷つける魔法であればそれに対処出来る魔法の研究もまた必定と考えまするが故に。」
「あたしお父さんを傷つけたりしないよ~。」
ユキがぷうっと膨れる。
「おお、もちろん判っておりますともユキ殿、それ故に魔術のコントロールの技術を磨いておるのですよ。その技術はいずれ人の為、竜神殿の為役に立つときが来ますからな。」
「うん、わかった~、あたし頑張る~。」
すぐに笑顔に戻るユキである。
この爺さん信用しすぎるのは危険だな、そうサキュアは心に留め置いた。
「しかしガルド殿ワシの投げた槍を苦もなく消滅させるとは、これは非常に強力な盾となりましょう。」
「ふむ、ワシもその事には気づいておった、しかしこの様な子供に戦いの真似をさせるわけにも行くまい。」
「無論です、しかし子供はいずれ成長するもの、娘子殿それはどのくらい大きく出来るものなのであるかな?」
「だめよゼルガイアさん、ユキちゃんを何かに利用でもするつもりなの?」
「めっそうも御座いませんキララ殿。ただ私の立場としてはこの様な能力を持つものを街中に放置するわけにもいきませんのでな。」
確かにそうである。本人にその気は無くともなにかの弾みに街中でこの能力が現出したら大変な事になる。
「そう言えばさ~、槍は消えちゃったけどブレスはどうかな~?」
お兄ちゃんが突然とんでもないことを言い出した。
「ふむ、面白そうですな、物は消えても炎はどうなるでしょうな?」
「ぴぎぇ~~~っ!、ぴぎぇぇ~~~っ!」
クロちゃんが叫び声を上げてヒレをパタパタさせながら走り回る。
「なんだい?クロちゃんもお面白いと思うだろう?」
必死に涙目になって頭を振るクロちゃんである。
「それじゃやってみますかのう、キララさんさっきのようにユキさんの前に立っていただけますかな?」
「ぴいいぃぃ~~~っ!!!」
「それじゃペットさんは危ないからこっちへきなさい。」
ナンナがクロを抱きかかえて下がる。
クロは必死で暴れるがナンナは離すことはない。
「大丈夫よ、食べたりしないから。」
舌なめずりをしながら言っても全然説得力が無い。
「それじゃ行くわよ。」
キララが少し離れた場所からユキの前に立つ、サキュアは訓練所の隅っこの衝立の後ろに隠れる。
兎耳族であるから元々非常に臆病なのである。
「いいよ、ボールを出して。」
お兄ちゃんが叫ぶとユキの前にボールが現れる。
それを徐々に大きくしながら的となる衝立の前辺りに動かしていく。
1メートル程の大きさの球体が衝立の前の空中に浮いている。
「それじゃいくよーっ。」
そう言ってお兄ちゃんはボールのすぐ手前からブレスを球体めがけて吹きかける。
ブレスは球体に吹き込まれると何事もなかったかのようにそのまま宙に浮き続けている。
「ほほ~っ、なんともないようじゃな。」
「ふう~むどういった性質なのでしょうな?」
いやいや、まずは槍やブレスがどこに行ったのか考えるべきではないのだろうか?
「面白いね~、もう一回吹き込んでみようか?」
そう言ってのそのそとボールに近づいていくお兄ちゃんの目の前でいきなり球体が大爆発を起こした。
「うぎゃああ~~っ!」
お兄ちゃんが爆風を食らって吹っ飛んだ
「あぶないっ!」
キララはユキをかばって抱え込む。
ゲルドとゼルガイアは泡を食って爆風に手をかざす。
サキュアはさっさと衝立の後ろに隠れる。
「お兄さんは大丈夫か?」
爆風に飛ばされゴロゴロと転がっていくお兄ちゃんは目を回していた。
ちょっとした爆弾並みの爆発であった。
ユキの耳もじんじんとして耳鳴りが止まない、サキュアの兎耳であったらまさに致命的な影響が有ったかもしれない。
「いてて、目が回っちゃったよ。」
お兄ちゃんがブツブツ言いながら起き上がる。
どうやら転がって目が回っただけらしい、さすが竜神族である。
球体の後ろに有った衝立は跡形もなく木っ端微塵になっていた。
「危ないところでしたな。」
「うむ、キララ様申し訳有りません、ユキ殿を良くお守り下さいました。」
「いいえ~、お兄ちゃんのやったことですから~。」
何故か全然同情されていないお兄ちゃんであった。
「しかしこれで大体の爆発規模がわかりましたな。」
「ううむ、思った以上の威力のようじゃ。これは是非気をつけていただかなくてはいけませんな。」
「はい、申し訳有りません。」
ユキが小さくなって答えていた。
「なになに、これからもっとコントロールの訓練と研究を続ければ安全に使用できるようになりますじゃろう。」
もっとも何に使用できるのかは全くわからない魔法のようではある。
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次回は火曜日の朝の更新になります。




