遺跡の砦
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――遺跡の砦――
テーブルの上には5キロの魔獣ステーキが湯気を上げていた。
ゼルガイアは肉にナイフを入れると大きな切り身を口に突っ込む。
テーブルには犬印ソースが置いてあった。
「犬印も悪く無いが最近人気のサガミヤのソースも結構いける。今度シェフに頼んでみるか。」
そう思いながら5キロの肉を次々と口に詰め込むゼルガイアである。
「だいぶ体が戻ってまいりましたね。」
「ああ、帰って来てからずっと魔獣の肉を大量に食っているお陰だ。」
ゼルガイアの切り札である地獄の業火の魔法を使用した結果げっそりと痩せていた身体が元に戻って来たのである。
「それより早くあの二人の捜索を開始しませんと。」
向かいにはゼルガイアと同じくらいの大きさの肉を塩とコショーだけで食べているナンナがいた。
「判ってはいるがワシも体力を回復させねばならないからね。どうやら遺跡も関わっているみたいだし調査も必要だろう。」
前回の調査で怪我人を出しローテーションにいささか狂いの生じているので割ける人員の数が減ってきているのだ。
隊員の名前を思い浮かべながら肉にドバドバとソースをかける。
「あなたソースをかけすぎでは有りませんか?塩分の取りすぎにご注意なさらないと。」
ナンナが苦言を呈する。
「いや、毎日の事だからね、ソースは大事だと思うよ。」
ゼルガイアは肉にソースをかけて食べるのが好きであった。
討伐に出れば塩だけで肉を食うのは普通である。
せめて街の中ではソースをたっぷりかけたいと思うのは人情である。
ナンナは家では子供たちの為に様々な料理をする割には食堂では塩とコショーで焼いた肉を食べる。
もっとも狩猟に出れば殺したての魔獣を食う事が普通である、塩とコショーで美味しく肉を食べられるのは此処の肉が新鮮である証拠でも有るのだが。
「そう言えば最近厨房から肉を盗み出す輩がいるようだな。」
「隊員には十分な肉が供給されている筈ですから魔獣や獣の類でしょうか?」
「ま、兎耳族を一人貸し出す事にしたから何であれすぐに解決するだろう。」
警備隊の食堂には常に魔獣の肉がストックされている。
魔獣の肉は警備隊員の力の源であり隊員には優先的に魔獣の肉が割り当てられているのだ。
無論兎耳族は肉を食べない、隣の席では兎耳族の隊員が芋とニンジンをかじっている。
彼らは戦闘要員ではない、戦闘になれば誰かが守るか守れない場合は自力で逃げ回ってもらう事になる。
しかし屈強な警備隊員は決して兎耳族を馬鹿にすることは無い。
情報の収集、すなわち付近にいる魔獣の動きをいち早く隊員たちに教えるのが彼らの仕事である。
兎耳族がいるお陰で奇襲を受ける事無く安心して魔獣討伐を行えるのである。
今回その兎耳族の新人を無理やり同行させその新人を失ってしまった。
それも目の前で消失するというこれまでに聞いた事のない現象で二人を失ったのである。
魔獣の住む森で生き延びるのは難しい、あの二人がどうなったのかはわからないが生きている可能性は低いと考えられる。ましてや一人は兎耳族である。
「あの遺跡がこの事件との関係が有るのは明白に見えますが?」
最後の肉を口に詰め込んだナンナがゼルガイアに問う。
今回の事で魔力の大半を消費してしまったゼルガイアはひたすら魔力の回復に務めていた。
あの後ゼルガイア達は無事に隊商の護衛部隊との合流に成功し怪我人共々なんとか帰還を果たすことが出来た。
重傷者を4名も出し、あまつさえ行方不明者を2名も出してしまった事態にゼルガイアは強い自責の念を感じていた。
特に獅子族の2名が活動できない今の状態は非常に面白くない状況に有る。
何しろあの二人だけで犬耳族十人分の攻撃力が有ったからだ。
それは同じ仕事をこなすのに倍の人数が必要になる事を意味しておりそれだけ活動に俊敏性がなくなる事を意味していたからだ。
いずれにせよ近い時期にあの遺跡の調査は行わなくてはならない、今回の事態は明らかに異常であった。
のみならず帰還時に合流した隊商の護衛部隊の話によると小型魔獣の数が少し増えてきているとの感触が報告されている。
それは懐嘯の危険性が迫っている前兆との見方もあるからだ。
現在街の周辺地域での魔獣の細密な生息数調査を行う指示を出している、結論には数カ月はかかるかも知れない。
そちらの方にも人手は必要になる、警備軍予備役の非常招集も考えなくてはならないかもしれない。
狩猟部隊が定期的に行う周辺地域での魔獣の生息調査によればこの数年生息数は安定していた。
しかし魔獣に関して言えば必ずしも目に見える物だけ都は限らず、あらゆるものを食料と出来る魔獣に関しては食性調査による間接調査が効かないのである。
したがって正確な生息数は判らない、しかしこれまでの狩猟報告を見る限り全体的には増加傾向はある物の急速な生息数の増加は見られてはいない。
「あの遺跡調査は早急に行わなくてはならない、消せめてえた2人の骨だけでも拾ってやらなくてはならんしな。」
「死んだと決まった訳では有りませんよ。それより遺跡を調査する人間を調達しなくてはなりません。」
遺跡を調査するにもあの洞窟の周囲に砦を作って魔獣から調査隊員を保護できる様にしなくてはならない。
「現在熊族に非常勤召集をかけている。」
熊族は体が大きく力も強いが性格は温厚で多くは農作業に従事しており警備隊では工作部隊に所属している者が多い。
どちらかと言えば臆病な性格で積極的に戦闘に参加する人種ではない。
「噂をすればゴンドレさんがきたわ。」
工作部隊の部隊長である熊族のゴンドレが大きなお盆に山盛りの食事を持ってきた。
「やはりここにおいででしたか。」
「おおゴンドレ隊長、人間の手配の状況はどうですかな?」
熊族のゴンドレの身長はゼルガイアよりも大きくその顔は動物の熊そのものである。
良く鍛えられた大きな体の上に熊の顔が乗った獣人である。
身長のみならず横幅もゼルガイアより大きく体重も有る。。
手足のひらの部分を除いて全身に濃い毛が生えており裸になると熊そのものに見える。
お盆に乗った山盛りの肉と野菜に茹でた芋の食事である。
ゴンドレはゼルガイア達の横に座るとズシンという感じで床が揺れ椅子が軋みを上げる。
中型魔獣を素手で殴り倒した事も有るこの男はその外見とは裏腹に性格は温厚で争いを好まない。
森で伐採の作業中に中型魔獣に襲われ必死で抵抗していたらいつの間にか魔獣が死んでいたと言う。
家族が近くに居たので彼らを守るために普段以上の力が出たらしい。
必死になると外見通りの恐ろしさを発揮する人間である。
その時額に付けた傷は本人にとっては誇らしい物では無く目立って恥ずかしい物らしい。
おおむね熊族の性格はこんな物らしく強力な魔法も使えず俊敏性もあまり無い。
その為にこの種族は狩猟部隊や討伐部隊にはあまりいない、普段は農作業を行い召集された時に工作部隊として参集する人間が多い。
「10人程集まりました、周囲の木を切り倒して砦を作るとなればやはり20日以上はかかるでしょう。」
砦の規模にもよるがあの遺跡を調べるとなれば長期的な研究が必要になるだろう。
そうなれば魔獣を防ぐ砦の中である程度生活が出来るだけの面積が必要になる。
砦を大型化すれば安全性は増すが同時に人員と食料の補給も必要になる。
犬耳族と猫耳族は肉だけ食べていれば何とかなるが熊族と兎耳族は穀物と野菜が必要であった。
言い換えれば討伐部隊は殺した魔獣を食って作戦を継続できるが肉以外の食物を必要とする種族は食料を持って行かなくてはならないので長期作戦には向かないのだ。
もっとも熊族の中には肉だけ食っていても平気な者もおり、兎耳族と違って好みの問題だけらしい。
大食らいの彼らの為に食料を運ぶとなれば今後の作業日程の中での食料運搬が大きな問題となる。
ただ今回は遺跡の有る洞窟が有るので仮住まいとして利用できる分だけテントを少なくできる。
工作員は兵士ではない、作業を順調に進める為には十分な休息も必要なのだ。
「それよりゼルガイア殿、懐嘯の噂が流れておりますが実際はどの様な状況なのでしょうか?」
「いや、それは今の所はなんとも言えない。あの状況を直ちに懐嘯に結びつけるのは早急だと思われる。」
ゼルガイアはコップに入ったお茶をベロリと舌ですくい取る。
「あなた!」
ナンナに睨まれて慌ててコップを口につける。
獅子族は顔の部分は先祖のままなので舌もまた長い、先祖は水を飲む時はこうやって飲んでいたのだ。
ゼルガイアも子供の頃はこうやって飲んでいて叱られたものだが大人になってもたまに癖が出て行儀が悪いとナンナに叱られる。
「行方不明のお二人は無事でしょうか?今回の調査で見つかると良いのですが。」
あれから一週間経っている、捜索の体制と準備を整えるのに結局そのくらいはかかってしまうのだ。
魔獣の住む森に闇雲に調査隊を送り込めばまた前回と同じ事になりかねない。
残念ながらゼルガイア自身はあの二人に関しては絶望的だと思っている。
二人が消えた直後に周囲を調査したのであるが再び魔獣達が集まり始めたので洞窟に退避せざるを得なかった。
「少ししか周囲を調べられなかったが変わった所は見つけられなかった。あの二人が生きていたとしてもあの森で二人だけで生き延びる事は難しいかもしれない。」
「それでも二人にどの様な事が置きたのかは解明しなくてはなりません、同じ間違いを起こさない為にも二人を無駄死にさせる訳にはいきませんもの。」
ナンナが力強く主張する。
「そのとおりだ、起きてしまった事は取り返せない、しかしあの遺跡が何かしらの関係を持っていると考えられる以上調査を早急に開始する必要が有るからな。」
調査部隊としての兎耳族の研究者も同行させる事になる。
まずは20日間周囲を警戒しながらの砦の建設を行わなくてはならない、少なくともあの遺跡が死んでいないと判っている以上あのまま放置も出来ないだろう。
「結局あの時回収してきた卵も中身はわからなかったとか?」
「うむ、調査部が調べたところ早い話が割ってみなければわからんらしい。一部を壊して中を覗こうとしたが思いの外硬くてそれも出来ないらしい。まあ調査のことはワシにはわからんから任せきりだが。」
結局調査隊の準備が出来るのにかなりの時間を費やすことになった。
森の中を進むのであるから馬車は小型のものを使用し、荷物と食料を乗せるとそれだけで12台の馬車が必要であった。
討伐部隊以外の人間は歩くことになる。
街道を進みそこから樹海に入っていく。樹海の中では御者も降りて馬を引くことになる。それは討伐部隊も同じであった。
3日かけて遺跡の場所に着くと直ちに作業にかかった。
洞窟の中に崩れていたベトンをならし大きな塊は外に出した。
それだけで洞窟には調査部隊全員が生活できるだけのスペースが生まれた。
馬車は洞窟の入り口に盾のように並べ荷物は全て洞窟に運び込む。
その間にも兎耳族の調査部隊は遺跡の調査を開始する。
遺跡の奥に積もっていた物を掘り出すが掘り出して見るとトンネルいっぱいに広がっている物が露出する。
金属のようではあるがこれまでに知られている金属と異なり数千年の時間経過に対し全く劣化した様子もない。
兎耳族の調査隊は様々な方法で傷をつけようと試みていたが全ては徒労に終わる事になる。
熊族は寝床の整備が終わると斧を持ち出し周囲の木の伐採を始める。
洞窟の周囲の木を刈り枝を落として積み上げる。
山ほどの小枝が出来るが同時にそれも切り刻んで薪にする。
最初に行うのは洞窟の入り口に壁を作る事であった、これにより夜は洞窟内で安全に寝る事が出来る。
熊族は動きは遅いが休むこと無く淡々と作業を進める。その結果洞窟の周囲には大きな広場が出来つつあった。
その間討伐隊は周囲の警戒と馬の世話を行っている。馬は生き物であるだけに世話を欠かせない。
食料を十分に持ってきてはいないので昼間は警戒しながら魔獣を狩る。
ナンナは相変わらず食事の用意をしている、獅子族はあまり目も耳も良くないので見張りよりは食事の世話をしている方が役に立つ。
ゼルガイアは数人を連れて残る2箇所の遺跡の探索を行い始めた。
こちらの方も土に埋もれてはいるもののやはり内部に大きな空洞があるように思えた。
いずれの場所でも埋蔵物の周りを掘ってみるが周囲は岩盤部に強く食い込んでおり通常のスコップやつるはしでは歯が立たなかった。
「古代の技術らしい、一体どういう仕組みなんだろう?」
兎耳族の調査隊長のウーヴァが途方に暮れていた。
とりあえず破壊は断念し音響調査を行う事にする。
もっとも音響調査と言っても聴診器を遺跡にくっつけで中の音を聞くだけなのだが。
その一方で洞窟の入り口部分を塞ぐような丸太の壁は2日目には完成した。
これで少なくとも夜中に魔獣に襲われていきなり全滅ということは無くなった。
しかし馬を洞窟内に住まわせる程の大きさはなく相変わらず馬車に囲まれた内側に繋いである。
ウーヴァはゼルガイアにこれ以上の調査はこの遺跡が作動するのを待たねばなら無いだろうという見通しを伝える。
今のところ大型魔獣の襲来は起きておらずしたがって被害も出ていない。
討伐隊も周囲の探索と魔獣の生息数の調査を行っているが街の周辺の調査とほぼ同じ結果が出ている。
魔獣数のやや増加傾向である。
ただこの程度がの増加が懐嘯につながる程の物ではないと言うことも判ってはいたことである。
いずれにせよこの遺跡にある物が現在も可動可能な状況に有ると言うことはあらゆる意味に置いて重要である。
古代国家時代に失われた技術の一部なりとも手に入れられるかもしれないからだ。
これまでにも多くの古代国家の遺跡が見つかっているが大半の物は建物跡であり出土するものはセラミックの食器の破片や貴金属の装飾品などである。
木製品や布製品は時の流れの中で灰燼に帰しているものが殆どであった。
中には意味不明の文字や機械が見つかることもあるがやはり人間が住む街の中ではそうそう大規模な遺跡が見つかる筈もない。
多くの遺跡は魔獣の住む世界の中に埋もれたままである。
今回調査に来ている遺跡はその中でも街から比較的近い場所で見つかった遺跡であるが、魔獣の住む森の中であることに変わりはない。
あの様な事件がなければ本格的調査など考えられなかった。
あの二人はこの遺跡の何らかの機能によって消えた可能性が有るとゼルガイアは考えていた。
だからと言って彼らが生きている可能性は限りなく低いと思わざるを得ない。。
それでも竜神によって発見された人族の少女の事を考えると古代国家の人族に関する手がかりがここで発見されるかもしれない訳でもしかしたら二人が生き延びている可能性もわずかながら捨てきれないからだ。
「人族の子供が4000年ぶりに発見されたんだぞ。」
「この遺跡と保護された子供と関係が有るとお考えですの?」
「そう考えないほうがおかしいだろう、遺跡の周辺で子供が見つかり隊員がワシの目の前で消えたんだ。このまま放置して忘れる訳にはいかん。たとえ骨の一欠片なりとも見つけてやらねば討伐部隊の面子が立たない。」
20日程の作業で洞窟の入り口の周囲を囲む丸太の塀が出来上がり、その内側である程度の作業が出来る様になった。
この塀があれば大型魔獣が来てもなんとかなるレベルである。
しかも塀を作るために周囲の木を伐採したので遺跡の周りには魔獣も近寄らなくなっていた。
「これなら安心して遺跡調査が出来ます。」
ウーヴァは嬉しそうにしていた。
これまでと違って生きて活動を行っていると思われる遺跡である。
どうやってこの年月を生き延びてきたのかはわからないが大変な価値が有る遺跡と考えて良いだろう。
調査部隊は相変わらず悪戦苦闘している。
当初の予想通りこの遺跡に関しては相当長期の調査が必要となろう。
塀の完成によってゼルガイアは熊族を連れて引き上げることにした。
警備隊員を数名を残し一旦街に帰る。
街に帰ったら交代の警備要員と食料を送る事にしている。
塀があれば少数の警備要員だけでも十分に大型魔獣から防御出来るからだ。
残念ながら今の所あの二人の行方は手がかりすらつかめなかった。
「あなた、そんなに落ち込まないで。」
「うむ、しかし2名もの隊員を行方不明にして手がかりすら無いのだぞ。」
実際にゼルガイアはかなり落ち込んでいた。
「魔獣に襲われて行方不明になることは良くあることでは有りませんか。」
今回はわからない事が多すぎたにも関わらず不用意に踏み込みすぎた結果と言えなくもない。
重症者を4名に行方不明者2名という損害は信じられない程大きな物でありそれが全ては自分自身の目論見の甘さに起因していた事は明らかであったからだ。
「帰ったらあの娘にもっと状況を聞きに行かなくてはならんな。」
今回の砦の建設は遺跡の調査の他に懐嘯の調査も兼ねているのだ、樹海の中に出島を作る意味はもう一つそこに有ったのだ。
お読みいただいてありがとうございます。
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次回は金曜日の18時頃更新になります。