竜のトイレ
1-013
――竜のトイレ――
街に戻ってきたゼルガイアは発見された娘への面会を行おうと思った。
驚くことにかの娘は巫女であるサキュアと共に竜の巣に小屋を建ててそこに住み着いているとの事であった。
「ウチで保護を引き継がなかったのか?」
「はい、なんでも娘がひどく竜のお父さんを気に入ったみたいで離れないんだそうです。」
警備軍の事務を行っている兎耳族の女性のミレイネがゼルガイアに報告に来た。
「竜になついた?その娘もずいぶん変わった娘だな、普通あんな大きな竜神を見たら怖がるだろうに。」
「それがお父さんと呼んで竜神様にくっ付いて、お父さんも相当往生したみたいですよ。」
「竜神の娘?どう考えても大きさが違いすぎるだろう。」
あの大きな竜が小さな娘にまとわりつかれて困っている顔を考えると何となく吹き出しそうになるゼルガイアである。
「もちろんそうなんですけど、まあ何かの勘違いでしょうけどね。それで巫女のサキュアさんと竜の子供たちとが何故か仲良くなったみたいで……。」
「ま、まあ悪い事では無いだろう。うん、娘の面倒を見てくれるのであれば……問題は無い……と思う。」
ゼルガイアにとっては予想外の展開で有った。
確かにあの兄妹は年齢こそゼルガイアより年上では有るが精神的な成熟がかなり遅いと言えるだろう。
知能の事では無く情操の面でかなり子供のままであったからだ。
その子供がペットでも飼うようなつもりであの娘と住んでいるとなれば少し考えなくてはならないと思っていたのである。
「明日にでも竜神の所に行ってみるよ。それから懐嘯に関する調査の指示を隊員全員に出しておいてくれ。」
「懐嘯の恐れが有ると思われるのですか?」
「小型魔獣の密度が濃いような気がする。それに我々を襲ってきた小型魔獣の行動を考えると用心が必要だ。」
「判りました、狩猟部隊全員と護衛部隊全員に調査の指示を出しておきます。これまでの魔獣の討伐記録の再調査も行っておきましょう。」
「そうだな、頼む。」
事務の女性が出て行った後ゼルガイアは天井を仰ぐ。
ここ数年起きていない懐嘯が再び起きるのであろうか?
懐嘯も規模が小さければ問題は無い。しかしそれが暴走ともなればかなりの被害が出る。
これまでにも何度か記録に残っている大災害である。
街が暴走に巻き込まれた記録も何度かある、まあ出来てから500年程の町である。
現在の竜神がここに住み着いてから出来た街であるが500年の歴史はそれなりに重いものが有った。
幾多の町が竜の加護によって生まれ、竜の退去によって消滅した。
その中で暴走によって消滅した街もいくつか有ると聞く。
社の組織がそう言った事に関する情報の収集と整理を行っている。
それぞれの街にある社が横の繋がりを持ち竜神との対応に当たっている。
それぞれの組織の形態は様々であるが実在の神を持っている事により多くの利権が発生している。
もっとも多いのが檀家を持ち宗教としての形態である。
各地の社は檀家の交易商人に資料を託し各社から社に情報を伝えて行くのである。
それによりはるか遠方の街の様子を知る事が出来る。
これは街の組織体には出来ないことで有り、これが出来るのは社の組織だけであった。
戦争などが起きるのであれば社はその情報を元に絶大な権力を握れたであろう。
実際には竜の存在が戦争を起こせない状況を作っていたのは皮肉な話である。
竜は人間に対してとても優しい、なぜそうなのかはわからない。
だが、同時に竜は自由でもある。
竜はあくまでも自由に空を駆け巡り気に入った場所に巣を作る。
人間が煩わしいと感じた時はためらわずに巣を代えてしまうのだ。
土地は広く竜は少ない、人のいない地に竜が巣を作ればまた人々はその周りに最初から街を作り始めなくてはならない。
竜のいない街は魔獣の脅威にさらされる。
人間は唯々竜に嫌われないように息をひそめてその周りに住まわせてもらっているに過ぎないのだ。
ゼルガイアはその立場上竜とも付き合わなくてはならなかった。
その結果わかった事は竜は見かけ通りの怪物ではない。
非常に人間的な心を持ち、なおかつ聡明な頭脳を持っていたのだ。
聡明な頭脳と言うのは記憶力の事では無い、物事を考え把握する能力の事である。
ここの竜にはそれが有る。
たかだか40年程しか生きていない自分が5000年生きている竜にその様に言うのもおこがましいがそれがゼルガイアのお父さんに対する評価であった。
「さて、行くとするか。」
ゼルガイアは立ち上がると竜の所に向かった。
◆
「んんんん~~~~っ。」
お父さんが力むと、ぶりぶり、ずっぽ~~~んと音がして「はあああ~~~っ。」とため息を付く。
「う~ん、今日も快調だ~。」
お父さんが入っているトイレは石畳の床に穴が開いているだけのシンプルなものである。
それでも川や湖で行うトイレよりは文化的と言えるだろう、自宅にちゃんとしたトイレがあると言う事は非常に重要な事である。
無論お父さんはそんなことには関わりなく優雅で文化的な生活を満喫している。トイレには3メートル程の衝立が立っているが上半身は丸見えである。
もっとも周囲には背の高い木が生い茂っていてお父さんの姿を遮っている。
竜のトイレには大きな便槽が作られており定期的に街の者が汲み取りに来る。
魔獣の肉を大量に食べる竜のウンコは非常に栄養価が高く周辺の畑に撒かれて豊かな実りを人々に与えてくれている。
何しろ竜のウンコを巡っては過去に血みどろの争奪戦がありその仲裁は街の領主の大切な仕事となっている。
このようにあらゆる意味に置いて竜は街のために無くてはならない存在なのである。
人々を脅かす大型の魔獣を狩り、その魔獣の毛皮を提供してもらえる。
しかも食い残した骨は砕かれてそのウンコと共に肥料となる。
正に街に取って竜神様様なのであり、その快適な生活のために社と言われる組織が作られているのである。
竜神無しにこの街は存続し得ず、逆に竜神は大変な富をもたらす源泉となりえた。
しかしそのように竜神を自らの権益としようとすると争いが起きる。
街の上層部においてはかなりその辺りの駆け引きは有るようである。
それでもそれが表立った争いに発展することは少ない、なぜならば争いを表立たせてしまえは竜神の不振を買ってしまうからだ。
竜神自身は人間同士のいさかいに介入することは無い、早い話が面倒だからである。
長く生きても100年も満たない寿命の人間同士の事である、ほうって置いても勝手に死んでいくのである。
煩わしければ巣を代えれば良いのである、竜のいない町など20年を経ずして人口は半減してしまうだろう。
「お父さん今日も快調なようね~。」
お母さんに思考を中断される、まあいつもの事である。
「おお、まだ2000年は生きそうだぞ。」
「子供が大きくなるまでお父さんには頑張ってもらわなくちゃならないからね~っ。」
子供達が大きくなるまでか、あと400年位かな?
「それじゃサキュアちゃん、子供たちの事よろしくお願いね、私はもう一回水を汲んでくるから。」
お母さんはまた桶を持ってトコトコと飛んで行った。
また川で近所の奥さん連中と井戸端会議を行うのであろう。
うちの子供達は相変わらずサキュアちゃんとのユキちゃんの面倒を見ているみたいだ。
うん良い友達が出来たみたいで良かった、あの娘たちがどの位子供たちの友達でいられるかわからないがなるべく長い間一緒にいて欲しい物だ。
まあ5000年も生きている竜にしてみればあらゆるしがらみに付き合うのは面倒になって来る。
考えるのをやめ時間に流されて行けば日々は矢の様に過ぎ去って行くのだ。
人族の娘をサキュアと子供たちにに押し付ける事に成功してお父さんはそのストレスから逃れる事が出来たので今はくつろいでいる。
この先何年この状態が続くのかはわからないが人間が滅びて一人もいなくなるまで続くのかな~?
いや、そこの所は考えると怖くなるから考えるのは止めよう。
こうしてみるとお父さんと言うのは友達いないのかな~?
クシュン!
「ああ~っ誰か噂話でもしているみたいだ?」
「おとうちゃ~ん、早く出てよ~っ。」
トイレでくつろいでいるとお兄ちゃんが催促に来る、あまり早く出て行くとまたユキちゃんに付きまとわれるのだが。
「判った~っ今出るよ~っ。」
朝のトイレはいつも順番待ちなのである。
お父さんは近くにチョロチョロと湧き出している清水を手に取ってお尻を洗う。
これも文化的な生活を営みである、人間と共に生きる以上竜もまた文化的な生活をしなくてはならない。
「おとうちゃ~ん、ゼルガイアさんが来たよ、早くトイレから出なよ。」
ゼルガイアが来たようだこの間の報告かな?ユキちゃんの家族でも見つかっていればいいな~。
「竜神殿、お邪魔致します。」
以前と同様に割れ鐘の様なゼルガイアの声が竜の巣に響く。
ちゃぶ台で食事をしようとしていたユキとサキュアが一緒に食べ物を取り落とす。
「ゼルガイア殿!もう少し声を小さくお願いします。」
「おおこれは巫女殿、先日は失礼いたしました。」
ゼルガイアがぺこりと頭を下げるのでサキュアは反射的に後ろに下がる。
「今日はいったい何の御用でしょうか?」
先日の事が尾を引いているのかいささか言動に棘が有る。
「いえ、捜索から帰ってきましたので竜神様にご報告をと思いまして、そちらが先日救助されたお嬢さんですな。」
ユリが取り落とした肉を思いっきり口に詰め込んでいた。
「ゼルガイア殿どうされました?ずいぶん痩せてしまったでは無いですか。」
「おお、竜神殿、実は地獄の業火を使ってしまいましてな。」
「地獄の業火?ゼルガイア殿の切り札をですか?」
「おかげでこんなに消耗してしまいました。」
あのたくましかったゼルガイアの身体は一回り細くなっていた。
「12人で出動して重傷者4名行方不明者2名を出してしまいました。」
「それは大変な損害でしたな、時にその娘の手がかりは有りましたか?」
「いくつかの遺品は回収できましたが結局手がかりと言えるものまでは見つかりませんでした。」
「行方不明者まで出されたのでは大変な被害だったようですな。」
「そう言う訳でお嬢さんのご家族に繋がる手がかりの様な物は見つけられませんでした、申し訳ござらん。」
ゼルガイアはユキの方に向かって頭を下げる。」
「……ふごっ?」
ユキは何を言っているのか分からないと言う顔をして口に肉をほおばったままゼルガイアを見上げる。
「彼女は魔獣に襲われる前の事を覚えていないのです。」
「おお、サキュア殿そうでありましたか、魔獣の恐怖に自らの記憶を封じるとは何と不憫な。」
「それでゼルガイア殿、この後ユキちゃんの事に関しての調査はどの様に進んでいるのですかな~?」
出来れば親が見つかって早々にユキちゃんに退去してもらえれば嬉しいと思っているお父さんである。
いや……何かしら刺すような視線を感じるのは気のせいなのだろうか?
「どうも今回の事件は現場近くで発見された遺跡に関係が有る様に思われましてな、再調査の予定で有ります。」
「遺跡?そんな物あの辺りにあったの?」
「最近発見されたのですが場所が場所だけに調査も出来ておらんのです。」
「まああの近くではねえ。」
「今回の事に関し竜神殿の協力をいただき感謝しております。暫定的では有りますが調査報告に上がった次第であります。」
「あ~のさあ、そんなに固いいい方しなくてもユキちゃんの記憶が戻ったらちゃんと連絡をするからね~。」
「ご協力に感謝するで有ります。」
どすどすと地響きを上げるように歩いてゼルガイアは帰って行った。
「いや~っあの人としゃべっていると固くて肩が凝るんだよね~っ。」
「申し訳ございません、後で良く注意しておきます故。」
サキュアが竜神に頭を下げる。
「いいのいいの、サキュアちゃんが話すと今以上に固くなりそうだから。」
「さ、左様でございますか?」
ゼルガイア以上に固いのがサキュアだと言う自覚のない娘であった。
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次回は金曜日の朝の更新になります。