竜神街に降りる
1-012
――竜神街に降りる――
竜の巣で手当てを受けていた少女はしばらくすると元気になった。
体の怪我も大したものではなく薬草を塗っておけばすぐに傷口は塞がった。
しかし少女はお父さんの後を付いて離れ様とはしなかった。
魔獣に襲われたショックが大きかったようで自分の名前と竜のお父さん以外の記憶が無くなっている。
「ううむ、恐ろしい体験をするとその経験を忘れる事により心を守る場合が有ると聞いたことが有る。」
「それではお祖父様この娘はどの様にしたらよろしいとお考えですか?」
「時間と共に記憶は戻って来るじゃろう。お父さんになついている以上ここにいるのが好ましいのじゃが。」
ガルアが当面のユキの処遇についてお父さんと相談している。
「し、しかしこの子がいると踏みつぶしそうでワシ動くに動けないんだけど。」
横で聞いているキララがお父さんの方をじっと睨みつけていた。
娘の視線は竜のブレスよりも破壊力が有った。
「わ、わかったよ。その代わりキララとお兄ちゃんがその娘の面倒を見るんだよ。」
結局お父さんが折れざるを得なかった。後ろでキララとお兄ちゃんが小躍りしている。
そう言う訳でユキはとりあえず竜の巣で竜神と一緒に暮らし始める事になった。
おかげでお父さんは簡単に動くこともままならずあまり近づかないように言うのがせいぜいであった。
幸い怪我も大したことは無いのでそのまま大人しく寝かせていた。
「頼むよサキュアちゃんワシらだけじゃあの娘をいつ踏み潰すか気が気じゃないのよ、なんとか一緒にいてくれない?」
サキュアに頼み込んでとりあえず一緒に住み込んでもらっう事にする。
「竜神様のご指示とあれば是非もございません。」
「頼むからそういう固い発言はやめて、あの娘の安全さえ守れればいいんだから。」
「必要なものがあればキララが運んでくるから大丈夫よ。」後ろでキララがニッコリ笑う。
そんな訳で今は作業小屋のベッドで二人で一緒に寝ていた。
しばらくするとユキの傷はすっかり回復をし巣の中を跳ね回るようになる。
お父さん達が食事をしているのを見て同じものを食べたいと言い出したがさすがにそれは却下した。
それでもお父さん達と食事を一緒にしたいと言うのでサキュアがちゃぶ台を用意してお父さんの横に置く。
サキュアが肉を薄く切ってキララがブレスで焼くとユキのお皿に乗せてくれる。
「うん、美味しい!」
塩で味付けしただけの魔獣の肉を美味しそうにほうばるユキである。
「ユキちゃんは肉食系だったんですね。」
ベジタリアンのサキュアがユキの食事を見てつぶやく。
「こんな薄汚れた部屋に巫女が住むわけにはいきません。」
そう言ってサキュアは部屋を飾り始めた。
平行してその隣に新しい小屋を作る事にした、職人がやってきて超特急で新しい小屋を作り始める。
こう見えてもサキュアちゃんは巫女長なので実はかなり偉い立場にあるのだ。
こと竜神に関する最高責任者と言うことになっていて、領主とも同等の発言力を持っているのだ。
無論大きな判断は竜守りの一族で協議されるが竜と直接話のできる巫女長の発言力は非常に大きい。
「ベッド二つ分にトイレをつくって頂戴。それと机がひとついるわね。」
竜守の巫女の要求は最優先で行われ一週間で小屋ひとつが出来上がってしまった。
「天井だけは必要ね、後はカーテンでなんとかごまかすから、窓にはちゃんとガラスを入れてね。流石にお風呂は仕方がないわね下の社で入りましょう。」
「大丈夫よ、浴槽が有ればアタシがブレスを吹き込むから。」
と言うキララの申し出にはサキュアがお兄ちゃんの方を指し示して断った。
物陰でお兄ちゃんが泣いていたのは言うまでもない。
サキュアはむき出しの外壁にカーテンを吊るし始めた。
「きれい……。」
ユキと二人でカーテンを吊るし終えると窓の場所のカーテンを開いて止める。
即席で作った小屋がたちまち女の子の部屋に変わる。
テーブルと椅子を運び込み、隅っこの方に流しも設えられ小さな食器棚も入れる。
何故か完全な長期戦を考えた部屋づくりである。
人族であるユキをあまりひと目に晒したくないのと4000年前に忽然と姿を消した人族の謎の解明は社にとっても優先事項の一つである。
それは人族の出現が厄災の出現となるという伝承と救世主となるという2つの異なる伝承が各地の社に残されているからである。
出現した人族を竜神が助けたということも伝承の存在を補強しているように思えたのである。
サキュアはこの少女の動向を良く観察しなくてはならず何かが起きた場合にその対策を考えなくはならないのだ。
「わあ、すごい素敵な部屋になったのね。」
キララが入ってきて羨ましそうに言った。
新しい小屋はキララ達も入れるように入り口と天井を高くしてある。
無論大きなキララを入れるためには机を端に寄せキララの尻尾が入り口から外に出ることになる。
お兄ちゃんは小屋の外で羨ましそうにしているが見なかった事にする。
3人は女子トークに花を咲かせる。作業小屋に入っていた様々なものはまた元の小屋に戻してあった。
「キララ様も小屋が欲しいですか?」
「ううん、あたしはいいわ。こんな小さな所に閉じ込められたら息が詰まっちゃうもの。」
竜はあくまでも自由な大地で生きるのが好きなようである。
そもそも竜にとっては人間の作った様々なものは弱すぎてかんたんに壊れてしまい使う事もできなかった。
食事と水は竜守達が運んでくれたし、急ぎの用はキララが飛んで降りてくれた。
お父さんはお兄さんを連れて毎日狩りに出かけていたがキララはあれからユキにつきっきりである。
「今日は家が出来たお祝いに街に降りて美味しいものでも食べましょうか?」
ユキの提案で街に降りることにした。
羨ましそうにしていたお兄ちゃんも一緒に誘ってあげると、すっごく嬉しそうにしていた。
いや、だからって尻尾を振り回すのはやめて。
ユキは耳がないので頭を包むような帽子を被る、こうすれば猫耳族か犬耳族に見える。
服はサキュアのお古のワンピースに着替えた、着替えをお兄ちゃんが覗こうとしてキララにぶっ飛ばされていた。
ユキはキララがサキュアはお兄ちゃんが抱いて下の街まで飛んでいく。
お父さん達が街に降りてくると街が大騒ぎになるのでめったに降りないようにしている。
何しろお父さん達は協会の塔より背が高いし迂闊に歩き回ると尻尾が当たって家を壊しかねないからだ。
キララ達はまだ人間とそれ程大きさが変わらないので人間の街を歩ける。
あと100年位は大丈夫かもしれないとキララは思っていた。
「ああら、キララちゃんじゃないの久しぶりね、最近街に来ないからどうしたのかと思っちゃって。」
お菓子屋に入ると初老の猫耳族の奥さんが声をかけてくる。
「アザンちゃん、お久しぶりですね、お孫さんが生まれたとか聞いていますけど。」
「ああ、もう最近じゃトコトコとどこにでも歩いて行きますよ。」
「うわあ、もうそんなに大きくなっちゃんたんだ。」
「キララ様こちらの方は?」
サキュアが竜の巫女であることに気がついたアザンはキララの呼び方を変える。
街では巫女といえば子供でも名士なのだ。
「あたしの学校時代の同級生なの。」
「キララ様は人間の学校に行ってらしたんですか?」
「これはこれは巫女様、いつもお努めご苦労さまで御座います。はい、あたしと一緒に勉強していたんですよ、その頃のキララ様はそりゃあ小てくてコロコロしていて可愛かったんですよ。」
女性は自分の肩位の高さに手をかざす。
「前は良く遊びに来ていたのに最近は来ないからどうしたのかと思っていたのよ。」
「みんな大きくなっちゃって、結婚して孫まで出来ている人がいるから……。」
竜の寿命は長く成長も遅い、小さい頃に出来た友達もいたがみんな年を取ってしまった。
それに体が大きくなりすぎてあまり店に来ると迷惑がかかることを気にしていたのだ。
「お兄ちゃんのお友達はいないのですか?」
「僕の学校の友達はもう誰も生きてはいないよ、この大きさになってからは僕と付き合おうなんて言う人間はあまりいないしね。」
お兄ちゃんは寂しそうに言った。
それでも警備隊には結構遊びに行っているみたいで警備兵とは何人か付き合いが有るらしい。
「こちらのお嬢さんは先日樹海で救助されたという方なのですか?」
なんともう街では噂になっているらしい、ユキに関する言動には気を付ける必要が有るなとサキュアは思った。
「初めましてユキと言います。」
「ああ、アザンと言います。昔はキララ様と一緒に学校に行っていたんですよ、キララ様はまだ若いままですがあたしはもうこんなに年取っちゃってねえ。」
「アザンはいいわね、旦那さんと子供を儲けて孫まで出来たんだもの。」
「いえいえ、キララ様にはこれから私達とは比べ用もないほどの人生が残っておいでですから。」
「それよりケーキをいただけるかしら?」
年齢の話になったので巫女が話題を変える。
キララは知り合いがどんどん年を取っていくことにいささかナーバスになることが有る。
不老不死は竜に取っても決して愉快なことだけでは無いようである。
何しろ巫女の家系でもお祖父さんのそのまたお祖父さんのその前から今の竜に使えて来たのだ。
知り合いが次々と年を取って死んでいくのを竜はどんな気持ちで見ているのだろうか?
2人と2柱で店の外に有るテーブルに座る。
竜神の二柱は椅子に座ると壊れるので自分の尻尾を丸めてその上に座った。
全員でケーキとお茶を注文する事にした。
周囲では竜がケーキ屋の前に座るのが珍しいのか結構こちらをチラチラ見ながら通り過ぎていく。
「あ、竜神様だ!」
「ああ、だめよ。」
母親の声を無視した子供が大声を上げてこちらにやってきてドスンとキララに抱きついてくる。
「うわっ、すごく硬いんだーっ。」
キララの足に飛びついた子供はぶつけた頭をさすっている。
「気をつけてね、お姉ちゃんの体はすごく硬いんだから。」
キララは子供に向かってニッコリ笑うが口は開けずに手を動かすこともない。
「龍神様が魔獣を退治してくれているからボク達は安心して暮らせるんだよね、ボクも大きくなったら警備隊に入って魔獣から街の人を守るんだ。」
子供はキララの体を愛おしそうに撫でまくる、竜はここでは力の象徴なのだ。
「そうなの?大きくなったら頑張って夢を叶えなさい。」
本当は頭の一つもなでてあげたいところなのだがキララの前足には鋭い爪が生えており迂闊に人間に触ると怪我をさせてしまうので控えている。
「申し訳ありません。こら!竜神様にご迷惑でしょう!」
母親が駆け寄ってくる。
「いいんですよ、元気なお子さんですね。」
「お母ちゃん。この竜神様は女の人だって。」
「こら!竜神様に失礼でしょう。」
母親の顔が少し引きつっている。やはり竜に対する畏怖と言うか恐れを感じてはいるようである。
「坊やも大きくなったて警備隊に入ったら、僕と一緒に魔獣狩りが出来るぞ。」
お兄ちゃんが口を開けてニッコリ笑う、途端に母親が子供を抱き寄せる。
顔が完全に引きつっていた。
だからお兄ちゃん口を開けちゃだめだって言ってるでしょう。
「うん、僕も大きくなったら絶対に警備部隊に入ってゼルガイア様のように魔法を使って魔獣と戦うんだ。」
「そうか、頑張れよ。」
「し、失礼いたしました。」
母親がこわばった顔で子供を引きずっていく。
引きずられなから子供はお兄ちゃんに向かって手を降っている。
お兄ちゃんも子供に向かって手を上げる。
「ふうっ、とキララがため息をつく。」
「どうした?キララため息なんかついて。」
「あの子兎耳族じゃない。ベジタリアンなんだから魔法なんか使える訳が無いじゃないの。」
「いいじゃないか、子供なんだから夢ぐらい見たってさ。」
「左様で御座います、子供の夢はたとえ叶わなくとも大事にしなくてはいけないものなのです。」
兎耳族は全体に体が小さく動きは素早いがあまり力は無い、兵士には向かないが頭が良く後方勤務か司令部勤務が向いている。
竜守の巫女が兎耳族なのはそういった理由も有るのだ。
雑食性ではなく肉を消化するのが苦手なので皆ベジタリアンである。
サキュアとユキの前にケーキとお茶が運ばれてくる。
二人はフォークを使ってケーキを食べる。
キララとお兄ちゃんの前にはジョッキのような入れ物のお茶にホールケーキがそのまま置かれた。
2柱はケーキを一本の爪に刺すとそのまま口に放り込む、竜の口は子供の頭が入るくらい大きく開くのだ。
その様子をユキはあっけに取られて見ている。
美味しそうな顔をしてケーキを飲み込むとジョッキを爪で挟んでお茶を口の中に流し込む。
細かいことは苦手な竜の前足である。
物を作ったりするのは出来ないし、人間にその手を当てるのも危険なのである。
小さな頃からキララは人間の手に憧れていた、学校に通っている間級友の持つその指先を見て羨ましいと思っていた。
自分の力が人間とは全く違う事をたくさんの事柄が教えてくれる。
軽く触れただけで友達の体に傷を作ってしまう自分の爪に恐怖したことも有る。
いたずらしようと思った男の子達をしっぽで叩いたら吹っ飛んでいってしまった事も有る。
庭でみんなでお弁当を食べている時にキララは持ってきた大きな肉の塊を引き裂きながら食べている様子を引きつった顔で見ている級友に気が付いた事も有る。
その後は爪で肉をスパスパと切って小さい塊を口に突っ込むようにしたら今度はキララからみんなが少し離れるようになったこと。
真剣に悩んで爪を切ろうとしたらナイフが欠けてしまったこと。
お兄ちゃんに話したらお兄ちゃんも同じような経験をしていた。
「まあ、僕らは竜神であっちは人間だからね、体の作りが根本的に違うから仕方ないんだよ。」
それでも学校に通っている間に何人もの友人は出来た。
その友人たちも結婚し子供を儲けているのにキララは未だに竜の子供であった。
お兄ちゃんに至っては当時の友人たちは皆寿命が尽きて死んでしまっているのだ。
結局竜の相手になってくれるのは竜守の一族と警備軍の人間たちだけである。
それも仕方のないことでは有ると最近では割り切っている。
それでもキララ達がお茶を飲んでいると子供たちが手を振ってくる。
意外と竜は子供には人気が有るのである。
「キララさん達は子供たちに人気が有るのですね。」
ユキが微笑ましそうな表情でキララを見る。
「でもほら、この手のせいで子供たちに触ることもできないの。」
キララが悲しそうに手を上げる。
ユキが腕の傷をさわる、傷跡はまだ残ったままだ。
「竜の爪は非常に硬く鋭いのです、下手に子供に触れば怪我をさせてしまいます。」
「爪は切れないの?」
ユキはまじまじとキララの指から生えている爪を見る。
確かに大きく太く鋭かった。
「そんなやわな爪ではありません、人間の作った刃物すら砕く爪ですから。」
竜というのは生き物を超えた生き物らしい。
「それじゃ手袋をすればいいんじゃないの?」
「手袋?」
「柔らかい布か革を使えばいいんじゃないのかしら?」
「あ………。」
キララは驚いたように目を見開いた。
「考えた事もなかった!」
何故か事ここに至るまでその事に気が付かなかったみたいだ。
いきなり竜の2柱が立ち上がってテーブルがガタンと揺れる。
「ど、どうしたの?」
「行きましょう。お兄ちゃん!」
「うん、行こう!」
「ど、どちらに行かれるのですか?」
「手袋を作りに行くわ。」
「うん、作りに行こう!」
その後1日かけて街中の手袋を作ってくれそうな店を回って革の手袋を作ってもらう事になった。
「竜神様の爪に負けずに人に触ったとき不快な感じのしない素材でしたらやはり魔獣の革を丁寧に鞣したものがよろしいかと思いますが。」
手袋の付け方なども色々工夫をしながら試作品を作ることになった。
2~3日程かかると言われたがうまくいけばキララ達が人間の中で暮らしやすくなる。
お読みいただいてありがとうございます。
お便り感想等ありましたらよろしくお願い致します。
次回は火曜日の18時頃の更新になります。