消 失
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――消 失――
今回の様にまとめて魔獣が襲って来る様な事態はゼルガイアにも経験が無かった。
しかも今ゼルガイアの持つ最大魔術を使ってしまったばかりである。
もしもう一度あんな事態が起きれば今度は防ぎようが無い。
「直ちに移動しよう、こんな平地では防ぎようが無い。背後に崖を背負いたい、出来れば洞窟状の物が有れば良いが。」
ナンナが地図を見て確認している。
「丁度良い場所が有ります。先ほど話に出た遺跡のうちの一つが崖を背にした洞窟です。」
「よし、そこに移動しよう。明日明るくなったら街に向かって帰還する。」
すぐに荷物をまとめて穴の空いた馬車に馬を繋ぐ。
荷物は武器以外は捨て怪我人を乗せる。
「そら。ミゲルは自分で持っていけ。」
ゼルガイアはミゲルの食い物だけはかき集めて渡してくれた。
本当はナンナが気をきかせて寄り分けておいてくれたのである、気配りのできる女房である。
「あ、ありがとう御座います。」お礼の声が裏返っている。
これで草の根を食わずに済むと涙ぐむミゲルである。
「急げ次の襲撃が来る前に移動するぞ。」
来るのに3日かかった、歩いて帰ると5日はかかる。
「魔獣の死体はどうしますか?」
「どの位ある?」
「数え切れません。」
「仕方ない放置しておけ、こっちはそれどころじゃないからな。」
魔獣の死体を放置すれば魔獣の餌になり普通の魔獣が大型魔獣に成長するきっかけとなる。残念だが手の施しようもない。
ナンナがしっかりと手頃な大きさの魔獣を肩から担ぐ。
これでこの帰還の間はずっと魔獣の肉を食う事になるな、全員がそう思っていた。
探査任務や護衛任務ではめったにこのような事は無いのだ。
だがそれならそれで丁度良い、このように魔獣が集団で攻撃を行うような事態が有るとすれば魔獣の肉は獣人達にも力を与えてくれる。
周囲に警戒しながら遺跡の有る洞窟に移動を開始する。
全くの暗闇であるが夜行性の獣人には問題にならない、馬車の前後を徒歩で固め洞窟に無事到着する。
「これが洞窟か。」
苔むし崩壊の進んだ洞窟である、洞窟の前にはべトンの名残と思われるものが風化して砂利の様になって積もっている。
「中の方には行けるか?」
「結構大きな岩も落ちていますが馬は入れられそうです。」
表に面した部分の風化は進んでいるが洞窟の中の方はそれ程崩落が進んでいない。
洞窟の入り口に馬車を並べると馬を離して洞窟の中に入れる。
「馬の食料はどうだ?」
「2日や3日は草だけでも大丈夫ですよ。」
最悪の場合は誰かが馬に乗って救援を呼ぶことになる。
「何かあった場合は此処に籠城しなくてはならないからな。」
「いやな事言わないで下さいよ。」
「馬の近くにランタンを吊るしてやれ、暗闇では馬が怖がる。」
如何なる状況にも用心に越したことは無い、ましてやあんな事が起きた後だ隊員に死者の無かったことが最大の救いだ。
「あなたの地獄の業火は当分使えませんわね。」
「あれはそれこそ切り札だからな。」
ゼルガイアは戦術の組み立てを考えなくてはならないと思った。
怪我人を洞窟の奥に寝かせて手当をさせる。
見張りには今回からは獅子族も含め3名が当たった、明るくなったら撤退をしなくてはならない。
「それじゃあたしは明日の朝食の用意をしておきますね。」
そう言ってナンナは担いできた魔獣の解体を始めた、本当に気の付く良い女房である。
実は魔獣の肉は他の獣の肉に比べても結構美味いのである。
一説によれば人族がその様に調整したと言う伝説も有るが、こんな危険な物を食料として作ったなどと言うのはさすがに信じられない話である。
もっともおかしな話ではあるが魔獣と普通の獣はこの森では共存しているのである。
魔獣は肉食魔獣も含めて余り普通の獣を襲うことは無い、無論大型の肉食魔獣が普通の獣を襲う事も有るが大抵は小型魔獣を襲う。
普通の獣にも草食獣と肉食獣がおり、それぞれの生存圏で淘汰を繰り返している。
要は魔獣の生態系と獣の生態系はダブっておりながらお互いを侵食する状態が無いのである。
魔獣によって人類の生存圏が狭められた事により他の獣たちの繁殖が促されており、増えすぎる小型魔獣を大型肉食魔獣が淘汰し、普通の草食獣を肉食獣が淘汰している。
しかし流石にライオンや虎の様な大型肉食獣は姿を消し、現在では獅子族の中に姿を止めるのみである。
ゼルガイアは先祖である獅子が滅びてしまったことについては特に感じる事も無かった。
人間はチンパンジーが絶滅しても自分たちの生活には何の支障も無いのと同じである。
「隊長、奥の方に変な物が有ります。」
アグンがランタンを持ってやってきた、洞窟の奥を確認してきたのであろう。
「何があった?」
「判りません、人工の物です。」
まあ、古代の遺跡だからな人口の物が有るのは当たり前だろう。何しろ洞窟にはべトンも使ってあることだし。
ゼルガイアはアグンと共に奥に入って行く。
「これは?」
行き止まりに有ったのは壁と言うにはなにか異なる物であった。
人工物で有る事は判る物のそれ以上の事は判らない。
表面はなめらかであり何かの金属で有る事は間違いない。
盗掘かそれとも遺跡の調査団が付けたと思えるようなひっかき傷が多少残っていた。
人族が作ったとすれば4000年以上昔の物と言う事になる。
獣人にはこれだけの性能を持った金属製の物を作る能力は無い人族と共に失われた技術である。
「なんでしょうな、これは?」
「ワシらが判る訳無かろう、こういった物は調査団に任せるのがワシらの仕事だ。」
「ごもっとも。」
獅子族は結構脳筋の様である。
「ん?何か聞こえませんか?」
小さな振動の様な音がアグンには聞こえた。
「いや、ワシには聞こえないが?」
アグンはそう言われて気が付いた、犬耳族は獅子族には聞こえない音が聞こえるのである。
ごくかすかな音の様に聞こえたが壁に耳を当てると確かにこの遺跡が音を出している。
「敵襲!」
洞窟の外からミゲルが大声で叫ぶ声が聞こえる。
「来たのか?」
急いで洞窟の出口までくると猫耳族が洞窟の入り口を守り残りが外に出ていた。
既に倒したのが数頭の魔獣が倒れていた。
その洞窟の中にミゲルが駆け込んでくる。
「変な音がしたらいきなり魔獣の動きが活発になりました。」
「大型魔獣の動きは?」
「今のところ有りません、小型の魔獣も集まりは少ないです。」
先程の魔獣の襲撃は近在の物が集まってきたということなのだろう、怪我をした魔獣も多かったはずだから今度はずっと少ない数しかいないという事なのか?
大型魔獣にしても襲撃できる範囲内にそんなにたくさんの魔獣がいるはずもない。
馬車を洞窟の前に止めているので馬を守る必要がなくなる。
バリケードを抜けて来るのは小型魔獣で有るが、その程度であれば体力的に不利な猫耳族でも楽に倒せる、
中小型魔獣は種類にもよるがそれ程動きが速い訳では無いので獅子族や犬耳族は洞窟内で戦うよりは外に出て迎え撃った方が楽だろう。
壁を背に守りを固めたせいか魔獣たちも周りを囲んだままこちらの様子をうかがっている。
本来小型魔獣は獣人を襲わないが今回は何らかの理由で我々を襲ってきている。
「ミゲル、大型魔獣の気配は有るか?」
「いえ、今のところは有りません。」
「原因はあれだろうか?」
あれと言うのは先ほど聞いた遺跡の中から発せられた音の事である。
「判りかねます。ただこのような事態はこれまで一度も報告されてはおりません。」
「君はこの音の状態と魔獣の関連性を観察してくれ、音が止まったらワシに教えるように。」
「判りました。」
魔獣たちは威嚇をするわけでもなくただその辺をうろうろしているだけであった。
「大型の魔獣が襲ってこない限りは問題がなさそうだな。問題は集まってきているこの魔獣が求めている物はなんだろう?」
魔獣と言えども理性の無い怪物と言う訳ではない、知性も生存本能も持ち合わせた相応の獣と同じである。
集まるからには理由が有りその理由を探らなくてはならない。
ゼルガイアは剣を仕舞うと先程倒されたばかりの魔獣の死体の所に行く。
「隊長、何をするのですか?」
「奴らがいったい何を求めているのか実験するんだ。」
ゼルガイアは小型とは言え50キロ以上ある魔獣を持ち上げると魔獣たちの間に放り投げた。
魔獣たちは一緒後退するが先ほどまでと変わらず馬車の周囲を徘徊し続ける。
魔獣の死体に近づいたり食いつこうとする魔獣は全くいない。
「やはりな、コイツラの目的は肉では無い様だ。」
それではいったい何を求めて魔獣は集まってきているのか?
現在の状況であればそれ程問題は大きくはない、大型魔獣がやってきても一頭だけで有れば現在の戦力でも何とか包囲殲滅できる。
しかしそれを全くの無傷で行うのはやはり難しい、このまま夜が明けてくれればいい。
襲って来る様子を見せない魔獣たちを警戒しながら部隊は陣形を保つ。
「なんなんだ?かかって来るかと思ったら遠巻きにしてうろついているだけだぞ。」
隊員たちがボソボソと話し始める。
進展しない状況に少し心が余裕を持ち始めて来たようだ。
ふっと魔獣たちは徘徊していた動きを止める。
隊員たちは状況の変化に一気に緊張が高まった。
ところが魔獣たちは後ろを向くと一散に藪の中に逃げ帰って行った。
「隊長遺跡の音が消えました。」
洞窟の奥からミゲルの報告が響いた。
フウウウウ~~~ッとゼルガイアはため息を付く、やはりそうかあの遺跡の音が魔獣を呼び寄せていたのだ。
とは言え状況が変わった訳ではない、根本となる発生原因が特定された訳では無いのだ。
「隊長。」
アグンがゼルガイアの所にやって来る。
「洞窟の奥の何物かが魔獣を呼び寄せていたのは間違いが無いようだ、音が止まったら魔獣たちが引き上げて行った。」
「あれはいったい何なのでしょうか?」
「判らんよ。古代文明の遺跡だ、失われた技術で作られているからな、後は調査団に任せよう。」
もっとも調査団もこうなると命がけだ遺跡の周りに防護壁かなんか作らなければ本格的な発掘は出来ないだろう。
次の朝は日の出と共に出発する、出発前にナンナが焼いた魔獣の肉を塩だけで食べる。
ミゲルはナンナがかき集めてくれた芋と豆を食っていた。
馬の食料までは無いので休息の度に良い場所で草を食わしながら歩を進める。
街道までは2日で到着する。そこまでいけば時期的に定時運行している隊商の護衛部隊と合流できるタイミングである。
彼らを隊商に頼んで乗せてもらえるし手当も出来るだろう。
今にも解体しそうな馬車をいたわりながら怪我人を運搬して行く。
帰りに昨日の襲撃現場の近くを通る事になる、出来る範囲で調査をして帰るつもりであった。
被害の割に得るものが少なすぎる調査であるし、これ以上時間が経てば被害者の痕跡も消えてしまうだろう。
せめて彼らの乗ってきた乗り物くらいは発見したいと思っているゼルガイアである。
襲撃後を明るくなってから見るとかなりひどい状況である。
ゼルガイアが放った魔法の一撃は200メートル以上樹木をなぎ倒していた。
たくさんの小型魔獣の躯が散乱しており、その多くに刀傷が見られる。
魔獣の屍を引きずった跡も見える、狼が子供の所に引きずって行ったのであろうか?
魔獣を食っていた狼が調査部隊を見てぱっと逃げ出す、しかしそれを無視しているとこちらを見ながら再び魔獣にかぶりついている。
これだけの獲物が有るのだから昼頃にはもっと多くの狼やネズミが集まってくるだろう。
狼がいるおかげで小型の魔獣はまだ近くには見えない。
大型の肉食魔獣もまだ来ていないようだ、しかし狼と一緒に魔獣の屍を食う小型の魔獣は必ず出てくる。
植物を食っていた魔獣達に肉の味を教える事になる。
もっとも魔獣も常に一定数死んでいるわけでその多くは狼や狐のような魔獣ではない肉食の獣も片付けてくれているわけだ。
結局肉食の大型魔獣は小型魔獣が存在する限りは必ず一定数存在し絶滅させる事は不可能なのだ。
夕べ調査隊が光を見た付近に来る、特に周囲に変わったことも無い。
「ミゲル、何か感じないか?」
「今の所は何も聞こえません。」
「よし、付近を捜索する。ケアル、ミゲルのガードだ。」
「はいっ!」
ゼルガイアは刀を抜くと油断なく付近の捜索を始める。
「なんだ、これは?」
少し開けた場所に大きな卵のようなものが立っていた。
「なんかの卵でしょうか?」
「いや、そもそもこんな大きな卵を産む生き物はいないだろう。」
わかりませんよ、大型魔獣なら。
昨日までは無かった高さ1メートル程の卵状の物体がそこに出現していた。
「割って食ってみますか?」
ケアルが何故か堂々と食い気に走っている。
ミゲルはプルプルと頭を振っている。
「お前もずいぶん過激な事言うねダメに決まっているだろう。見ろ卵が冷や汗をかいているじゃないか。」
なんとなく震えているように見えるのは気のせいか?
「そうですか?残念ですね。」
「ナンナには言うなよ、本当に料理しかねないんだから。」
出来すぎる女房も考え物である。
「持って帰りますしょうか?」
「ああ、もちろんだ。」
ケアルが進み出て卵に手を伸ばそうとする。
つられてミゲルも前に出て卵をしげしげと眺める。
途端にミゲルの耳がピクピクと動く。
「待ってケアル!またあの音が。」
ミゲルは卵を取ろうとしたケアルの肩に手を置く。
その時卵の周囲にボワッとした霧の様な物が現れ二人を包み込んだ。
「な、いかん離れろ!」
ゼルガイアが怒鳴った刹那霧は強烈は光を発する。
あまりの眩しさに目をつぶったゼルガイアが目を開くと二人の姿はどこにもなく卵だけが残っていた。
「しまった!ケアル、ミゲル!」
なんの痕跡も残さず二人は消えてしまった。
空中にはなんの匂いも残ってはいなかった。どうやら何かの攻撃を受けたわけでは無いようだ。
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