第44話
ドーラは僕をじっと見ていた。
その時間があまりに長いものだから、僕は一瞬時間が止まっているんじゃないかとさえ思った。
そんなとき、ドーラの赤い髪が炎のように風に揺らいだのを見て、僕はハッと我に帰った。
「どっちも選べない、か」
ぼそりと言った彼女の一言は、まるで風に溶けゆく砂粒のようにか細く消えていった。
「さすが、ハルカだね。分かった」
どういう意味の分かったなのかよく分からかったが、僕はとてつもなく不安だった。
それはスーラのことがあったからだ。
彼女のようにドーラにも走り去られたら、僕は世界にただ1人取り残されてしまったかのように感じるだろう。それがどうしようもなく怖かった。恐ろしかった。僕は瞳を閉じて、彼女からの言葉を待った。
すると、そっと肩の上になにか暖かいものが乗っかる感触。
目を開ければそれはドーラの手だった。
「大丈夫、怖がらなくても。分かってるから、あたしは」
なんだかドーラはなにもかも分かったかのような口ぶりだったが、僕はそれでも不安だった。
「本当に分かってくれているの?」
おそるおそる訊いてみた。
「分かってる。要するに食費さえなんとかすればいいんだよね」
そう。
その通りなのだ。
だが、そんな簡単に行く問題ではない。
こんな軽いノリで食費さえなんとかすればとか言ってしまうようでは本当に分かっているのか疑問ではあった。
「あたし、今日から食べる量減らすよ」
「え?」
にっこり微笑むドーラと石のように固まる僕。
「今日から食費浮かせる。ダイエットだよダイエット」
満面の笑みを浮かべながら話すドーラ。
僕はそんな彼女の体を上から下へとまじまじと見た。
どう考えてもダイエットが必要な体ではない。見事すぎるプロポーション。こないだの水浴び中の彼女の全裸が脳内で再現される。
気がつけば、鼻血がぴゅるぴゅると出始める。
「だ、大丈夫?」
心配してくれるドーラに罪悪感しか持てない僕。
とにかく彼女は今でちょうどいい体型なのだ。
食べさせないというわけにはいかない。
「ドーラは今がベストな体型じゃないか?
それ以上痩せると痩せすぎになる!」
僕がやたらと必死になっているものだから、ドーラはきょとんとしている。
「そ、そんなに必死にならなくてもよくない?」
僕の中の正体不明な熱気が言葉をとんでもない吐き出させる。
「いや、おっぱいは大切にしないと!」
「は?」
ドーラは理解不能な生き物を見るかのような視線を送ってくる。
しばらくして。
「この変態!」
僕は宙を舞っていた。
言うまでもなくドーラに渾身のビンタを食らったのだ。
だが、普段からジーマに殴られ慣れている僕は案外平気だった。
地面に頭から落下した僕を尻目にドーラは優しく言った。
「スーラを迎えにいこう」
そのときになって僕はあまり感じなれていない気配に気づいた。
ジーマ以外の気配。
しかも今、そいつはジーマとどうやら戦っているようだ。
あまり離れていなければ、そこまで分かってしまうのは勇者の能力のおかげだと一瞬感心したが、ジーマほどの実力のあるものと戦いになるというのは、ただ者ではない。
「なんだい、この気配?」
少し遅れてドーラも気づいたようだ。
僕たちは急いだ。
「ドーラ、ダメなの!!」
これはジーマの叫び声。
それと同時に高速で迫ってくる黒い影。
僕はとっさに剣を構える。
そこに重くのしかかるのは黒い影の放った斬撃。
「お前は?!」
それは以前にも剣を交えたことのある黒い甲冑姿。ドラゴンスレイヤーだ。
「久しいな、確か、ハルカと言ったか。ん? そこにいるのはドラゴンの匂いのする娘。フフフッ」
やつはぞっとするような視線をドーラに注いでいた。