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春紀が千冬を好きだと知って失敗した。
千冬と二人で遊んでいると、なんだかふいに邪魔をしている気になる。わたしと春紀が仲のいい従姉弟なら、きっとこの場に呼んで、二人がうまく行くように協力してあげたりするのだろうと思ってしまう。千冬が春紀を好きだと言うのなら、それもありだけど、そんな様子は全くないから、何もしないのがベストだ。はっきりいって、春紀はお薦めじゃない。粘着質で、じめっとしていて、暗いし、男らしくない。大体が、かまってちゃんで、千冬がそれを甘やかすのもよくない。ああいうタイプは、がつんと突き放した方が、本人の為だ。千冬だって、いつまでも面倒を見てあげるわけではないのだから、逆に将来、春紀が可哀想なことになる。今でも、かなり執着が酷いから、動向に注意が必要だと思っているくらいだ。
でも、あそこまで、わかりにくいというのも稀だろう。もう早く告白して振られればいいと思う反面、そんなことになったら、千冬が大好きな陽子伯母さんに気安く会いに行きにくくなるので、可哀相だと考えてしまう。春紀も、それを懸念して、千冬に思いを隠しているなら同情の余地がある。でも、だったらそのままフェードアウトして、他に彼女でも作ればいいのに、それもない。ずるずるずっとただ好きなだけだ。どう着地をとるつもりなのか、わたしが口出しする問題でないのはわかっているから、傍観するしかない。
本当に、人の気持ちなんてわからないものだ。あの春紀が、恋をしている。女嫌いで、内向的で、自分のことしか興味がないのだと思っていた。告白されても「誰とも付き合う気はない」の一点張りで、理由を聞かれても「好きじゃないから」としか言わない。その言葉の頭に「千冬以外」が付くなんて考えもしなかった。でも、確かに、春紀が人を好きになるなら千冬以外はない。あれだけ、面倒見てもらって、急に他の女の子を好きになる方が、怖い。面倒見てもらったから、好きになるわけではないけれど、春紀の場合はごく自然の流れに思える。知ってしまえば、なぜ今まで気づかなかったのか不思議なくらいだ。
千冬は、春紀に告白されたら、どうするのだろう。好きではないから、しかたないけれど、振るのは相当にきついと思う。
わたしは、もうずっと千冬もわたしと同様に春紀を嫌いなのだと思っていた。千冬は優しい性格で、人を悪くは言わないから、わたしが春紀について腹を立てても「まぁまぁ」と笑って宥めるだけだ。酷い扱いをされても「三人で仲良くしようよ」と春紀を遊びに誘った。わたしが「もう放っておけばいい」と冷たく言うと、千冬が困った顔をするので、仕方なく受け入れてきた。 高校が別になって、わたしと千冬の仲は変わらなかったけど、春紀と会うことはなくなるだろうと思っていた。陽子伯母さんに会うにも、春紀がいないときを選んだし、ぎゃふんと言わせてやれないことは残念だけど、このままフェードアウトしてくれたら、春紀以外のみんなにとってベストな着地点だった。
それが、千冬と春紀が月に一回会っていると聞いたときは、驚愕だった。ショックに近い。春紀が、千冬にどう言い寄ったか経緯は不明だけど、千冬は春紀に甘すぎるなと思った。三つ子の魂百までというか、春紀の願いを聞きいれてしまうところがある。
「嫌だと思ったら、もう会わないよ」と千冬が言ったとき、逆に嫌いではないことに驚いた。どうして? なんで? と憤りを感じたけれど、わたしとの出会いもそもそもそうだったことを思い出した。千冬は、悪者を放っておけない。そういう属性の人間だった。
でも、それが恋愛に結びつくかは全然別だろう。
春紀を嫌いじゃないというなら、嫌いじゃない人間に好かれるのは、辛い。千冬と春紀の場合なら、ことさら、振られた春紀も傷つくけれど、振った千冬が罪悪感に囚われてしまうのではないかと心配になる。かといって、二人がうまくいくこともない。千冬が春紀を好きじゃない以前に、春紀は重すぎる。春紀と同じレベルまで、好きになってあげられない。千冬は、きっとそれが辛くなる。
わたしは、そうだった。
中学のとき、初めて彼氏ができた。
それまで、何人かに告白されたことがあったけれど、しゃべったこともない相手で、好きになれそうにないから、断っていた。そうしたら、気取っているとか、プライドが高いとか、いろいろ言われて、やはり断って良かったなと、自分の心眼を称賛していた。そんな中、告白してきたのが、一つ年下の安里くんだった。みんなから、アンリ君と呼ばれていて、文芸部で、ちょっと天然で、ふわふわした男の子だった。今まで告白してきた人とタイプが全然違った。なんでこんな子が、と思った。あまりに周りにいない感じで、わたしは何故か告白をオッケイしてしまった。
デートは専ら図書室で、わたしは本を読んで、アンリ君は隣で小説を書いていた。どんな話を書いているのか聞いたら「完成したら、見せますね」と照れて笑っていた。
アンリ君は、赤面症らしく、すぐに顔が赤くなった。わたしは、それが可愛いなと思っていたけれど、本人が気にしているかもしれないから、触れずにいた。
わたしは、朝、母に車で送ってもらい、帰りはバスだった。しょっちゅう寄り道して帰るから、迎えに来られると困る。
アンリ君とは、放課後図書室でデートして、同じ方向のバスに乗って帰っていた。わたしが最寄りのバス停で降りると、アンリ君は、そのままバスに乗って行くので、彼の家はその先にあるのだろうと思っていた。でも、実際はそもそも反対方向で、わざわざわたしを送ってくれていると知った。
「送ってくれているなら、そう言ってくれればいいのに、毎日こうだと疲れるからもういいよ」
「そう言われると思ったから、言えなかったんです」
アンリ君は、赤い顔で笑って言った。それからも、アンリ君は、いつもわたしを送ってくれたけれど、わたしはそれが凄く気になった。送ってくれていること自体じゃなく、それを言わなかったことに対して。初めから「逆方向だけど、送りたいから送っていくね」と言ってくれれば嬉しかったのに、わたしが気づかないままだったら、黙ったまま無理を続けたのかなと思った。いつか、疲れてしまったとき、どう言うつもりなのだろう。そのうち無理がでるようなこと、隠したってしかたない。
それから、わたしはアンリ君のすることがいちいち気になった。本も音楽も映画の趣味も全部わたしに合わせているのかなと感じた。アンリ君は、そんなことないと否定して、笑うばかりだった。本人がいいと言っているのだから、いいのだろうと自分を納得させた。でも、その代わり、わたしはアンリ君に嫌われないようにしないといけないなと思った。こんなに好かれているのだから、その思いを裏切れないなと思った。恐らくわたしは今、最高潮に好かれている。だから、嫌われないように不必要に会いたくなかった。
放課後、友達と約束があると、なるべく会う回数を減らすようにした。アンリ君は「わかりました」と笑っていた。 毎日会っていたのを止めると、友達に別れたのか尋ねられてびっくりした。
「アンリ君、傷ついてると思うよ」
そんな風には全然見えなかった。友達が茶化して言っているだけだろうと思ったけれど、気になって、日曜日に遊びに行こうと誘った。アンリ君は、嬉しそうに笑ったので、安心した。けれど、わたしはすぐにまた憂鬱になった。
郊外の水族館に行くのに、朝七時に迎えに来るという。水族館のオープンは九時で、それに間に合うようにするには確かにその計算になるけれど、朝一で行く必要がない。大体、アンリ君の家からわたしの家まで一時間かかる、迎えに来てもらわなくていい。お昼前に着くように、お互い水族館へ向かう途中の駅で待ち合わせすればいいじゃないの、と言おうとした。だけど、どうしても言えなかった。おそらく五時起きであるアンリ君に、迎えに来てもらう側のわたしが「そんなに早くは大変だよ」と言ったら、傷つけるし、嫌われるかもしれない。でも、今回のデートで七時に待ち合わせたから、もし次に同じ時間の約束を断ったら、どうしてってなるだろうなと考えると、面倒くさかった。
アンリ君にとても好かれていて、アンリ君が一生懸命で、わたしがわたしらしくないことが、疲れた。別に、そんな風じゃなくてもいいのになと思った。熱病にかかっていて、冷めたときどうなるか、アンリ君は、長くわたしと付き合う気はないのかな、無理だなと思った。
結局、わたしから別れを告げた。
「振られるだろうなと思っていました」
アンリ君は、赤い顔をしていたけど、笑っていなかった。嫌われてしまったなと思った。ほっとしたら、泣けてきた。別れなければ良かったというのと、仕方なかったというのが、交互にやってきた。わたしは全然うまくやれなかった。ちゃんと好きな人と付き合わないと駄目だ。たぶん、そういうことなのだろう。
だから、余計に、千冬が流されて、春紀と付き合うのは絶対によくないと思ってしまう。千冬は、あまり恋愛に興味がない。アンリ君のことを話した時も、よかったねとは言ってくれたけど、ほかの友達のように、根ほり葉ほり聞いてくるようなことはなかった。映画やテレビや家族や他の友達の話をするのと同じように、アンリ君の話題が上がっていただけで、それを恋愛話として捉えている感じがなかった。彼氏が欲しいと言っているのを聞いたことがない。好きな人なんてそうそう都合よく出来ないし、わたし自身も、千冬と遊んでいるのが楽しいので、わざわざ恋をしようとか勧めることもなかった。でも、千冬に好きな人が出来たら、応援するし、協力して欲しいと言われれば、当然そうする。春紀のことを考えると、流石に心は痛むけれど。