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 恋がしたい。誰かを、思いっきり好きになってみたい。恥も外聞もなく、わあわあ喚くくらい劇的な衝動に突き動かされて、矢も盾もたまらず、好きだと言って練り歩きたい。なんて、それは言い過ぎだ。考えている途中で、自分のキャラじゃなさすぎて、気持ち悪くなってしまった。別に、そこまでは望んでない。ただ、好きな人がいれば、毎日楽しいなと思う。中一の秋の二ヶ月足らずのあの時は、楽しかった。毎日、先輩に会えるかもしれないと、ドキドキしていたし、密かに好きだったことが、世界中に隠した世紀の秘密みたいで、高揚感を助長させた。世界はわたしが誰を好きでも、微塵も気にしないけど、別に良かった。あの時、わたしは確かに、自分の人生の主役をちゃんとやれていたのだ。

 ここのところ、どうしたらいいのかという思いが、頭と心と、もう身体中を駆け巡っていた。春紀が、格好良い王子様に成り下がってしまったことに、大きな不安を感じていた。

 わたしはずっと、春紀のことを好きじゃないのは、性格が悪いからだと思っていたけれど、実際は、あの偏屈な性格こそを好きだったのだ。我がままで、扱いづらくて、直ぐ拗ねるけれど、わたしがうまく立ち回ることで、周りと調和がとれている感じが、嫌々ながらも好きだったのだ。こっちが気を使ってあれやこれやしているけれど、最後はわたしの示す意見に従うから、報われた気になった。仕方ない、仕方ないで許してしまっても、わたしの心は満たされていた。

 なのに、そのしょうがない春紀は、もういない。

 じゃあ、わたしは誰を好きになればいいのだ。誰も好きになれる気がしない。今更、性悪男子が目の前に現れたところで、好きにはならない。そんなややこしい男の子はごめんだ。

 春紀は特別枠だった。小さい頃から、父の上司の息子という枠組みの中で、避けられないものとして付き合ってきただけだ。

 春紀が拗ねて籠城すると、わたしが連れ出しに行く。他の人間がいっても駄目で、わたしが行くと出てきた。それというのはコツがあって、怒るとか窘めるとかじゃなく「ハル君一緒にいこう」といって、春紀が動くまで傍にいるのだ。すると春紀は仕方ない体で、出てくる。たぶん、他の人間がそうしても同じだ。ただこれはわたしだけの秘密で、誰にも教えなかった。難攻不落の春紀を陥落できるのは、わたしだけでいたかったのだ。あの性格を掌握できるのはわたしだけだと思っていた。

 でも、春紀が彩歌ちゃんを好きかもしれないと気づいたとき、好きな女の子の言うことは聞くだろうというのが、真っ先に浮上した。それから、春紀には、ちゃんと自分を思ってくれる友達がいて、自分の趣味の場があって、女の子に告白されても優しく対応できる普通の格好良い男の子であることがわかった。

 自分の殻に籠って周囲を困らせるしょうがない男の子の春紀がいなくなってしまったことを知った。同時に、わたしの特権はいつのまにか無くなっていたことを突きつけられて、愕然となってしまった。

 春紀が、合理主義でわたしを選んだというのに対し、わたしも春紀を保険にしていた。春紀といれば、わたしはいつでも人生の中で役割を与えられていた。わたしがやってあげなければ、春紀はいつまでも引き籠ったままだからしかたない、と心の片隅に潜在的な思いがずっとあった。だから、その役割がなくなった今、急いで、何らかの配役を勝ち取りにいかねばならない。でないと、わたしは人生に埋もれてしまうのだ。だから、恋がしたいと思った。春紀なしで、わたしが主役だったあの中一の秋。あの感じを取り戻したいのだ。




「まどかって、好きな人いないの?」


 なんの前触れもなく聞いたので、まどかは頭が真っ白という顔をした。女子高生二人で話をしているのだから、凄くよくある話題じゃないか。そんなに驚く必要はない。

 夏休みに入ってから、誰にも会わずにごろごろしていた。恋したいモードは継続中で、恋愛したいのに、引き籠っているから、焦りだけが募っていく。まどかがお茶しようというから、モントレオリーブを訪れた。八月に入ったばかりの月曜日だった。まどかが先に来て、並んでいてくれたので、サロンの方へすんなり入れた。相変わらずゴージャスで、品のいい内装だ。窓際の二人席に通された。水を運んでくれたウェイトレスさんの黒いワンピースと腰に巻くタイプの白いエプロンが可愛い。ウェイトレスさんも、みんな可愛い。選考基準は、多分それだろう。

 わたしはホワイトマカダミアチーズケーキとアイスコーヒー、まどかはマンゴータルトとアイスティーを頼んだ。


「いや、急に言うから」

「急に言わないと、永遠にそんな話にならないじゃない」


 言ったあと、自分でなんだかなぁと思った。世間では、JKなんて浮かれて呼ばれているのに、地に足が着きまくって、浮いた話の一つもない。まどかなんて、モテるくせに、彼氏がいないのだ。中学の時、一人だけいたけど、一ヶ月で別れた。相手が健全過ぎたとかいう理由だった。(デートに朝の七時に待ち合わせとか)  


「ちぃこそ、いるんじゃないの? だから、そんな話を急にしだしたんでしょ」

「いや、好きな人募集中なの」

「なにそれ」


 まどかは、腑に落ちない顔をした。唐突過ぎておかしかったのか。


「そういや、高橋さんと遊園地どうだった?」


 まどかに、遊園地に行くなんて言った覚えがない。高橋さんに直接聞いたという。二人が仲良いなんて、初耳だ。


「全く仲良くないよ。高橋さんが勝手に言いに来ただけ」

「まどかも、遊園地に来るように?」

「わたしに、来るなって言いに来たのよ」

「え? わざわざ?」

「ちぃと、仲良くなりたかったんでしょ」

「いや。そんな感じじゃなかったよ」


 高橋さんは、なんでそんなこと言ったのだろう。結構酷い。わたしはその辺のくだりに、介入した方がいいのか、しなくていいのか。まどかは、気にしている様子がないから、別にいいのだろう。


「じゃあ、どんな感じだった? 何かあったの?」


 興味深々で聞いて来る。そんなに浮かれて話すようなことは何もない。


「いろいろ、ありまくりだよ。哀しい気分になった」

「悲しい? 春紀も行ってたんでしょう? 何かされたの?」

「いや。ハル君は、凄くまともで、いい人だったよ。かなしいって、哀れの方ね。哀愁の方。ものの哀れの方。わたし、いろいろ悔い改めないと駄目だ。従姉弟のまどかに言うのもなんだけど、わたしハル君のこと、あまり好きじゃなかったのよ。昔から、ずっとあんまり、感じ良くなかったし」


 焦点のない話をしているなと思った。わたしはつまり、好きな人が欲しいということを言いたいのだ。


「わたしもそうだから、別にいいよ。それで、春紀がいい人だから、好きになっちゃったの? だから切ないってこと?」


 いろいろはっきり言う。まどかは、頭がいいから、わたしが口でうまく言い表せない感情を思いつくままにしゃべっても、ひょいひょいと並べ変えて整理してくれる。


「いや、逆。わたし、ハル君のしょうがないところが、好きだったんだなと、色々考えてわかったんだよ。なんかこう、ダメな子ほど可愛い的な。だから、わたしの好きなハル君は、いなくなってしまって、哀しいのよ。うら悲しい。だから、好きな人が欲しいなと。そう思ったの」

「なんか、ちぃも意外と屈折してるね」


 まどかが、じっとわたしの顔を見るので、心臓がざわついた。長い睫毛が、瞬きのたび、揺れる。


「ねぇ、まどかって実はハル君を好きなんじゃないの?」


 そんな壮絶な落ちが用意されているのは、止めてほしい。事実は小説よりも奇すぎる。


「ないでしょ。なんで?」

「ごめん。わたしも屈折してる、とか言うから、まどかもそうなのかなって思ったの」


 まどかは、納得した素振りを見せた後、唇に親指の腹をつけて黙った。伏目でテーブルの上のグラスを見つめている。そのまま視線だけ、わたしの方に向けた。目が大きいから、動きがわかりやすい。


「じゃあ、春紀がダメな子のままなら、春紀を好きなわけ?」

「いや、わたしダメな子とは言ってないよ」

「まぁ、それはどうでもいいから、しょうもない奴だっけ?」

「しょうがない人」

「うん、それだったら?」


 そう聞かれると、困る。逆は考えていない。


「多分、何も気づかず嫌いなままだったと思うよ」


 性格が悪いから嫌いで、顔が好きだから名目上の彼女くらいならなってもいいと思って、多分他に好きな人が出来れば別れるのだけど、好きな人なんて出来る気配はなくて、探しているわけでもなくて、そうか、わたしは結局そのまま流されていくと思っていたのだな。きっとずっと春紀は女嫌いで、きっとずっと、わたしが彼女のままで続いていくのだろうと、思っていた。でも、先を越されて、どんでん返しに合ってしまったのだ。春紀に先に好きな人を作られてしまうとは、想定外だ。失ってみてどうのこうのというやつだ。格好悪くてて嫌なパターンのやつ。かなり落ち込む。

 まどかが、また親指を口に押し当てている。まどかは色が白いから唇の色が凄く鮮明に赤く見える。みんなに何処のリップを使っているのか聞かれるけど、実際は、何もつけていない。直ぐに唇を触るので手がベタベタになるのを避けているらしい。


「お待たせしました」


 ケーキセットがテーブルに運ばれてきた。大きな白いお皿に選んだケーキと生クリームが添えられ、更に本日の焼き菓子がおまけに付いてくる。お皿もフォークも冷やされている。ウエイトレスさんの「ご注文はお揃いでしょうか」の声に満面の笑みが零れる。嫌な事は全てチャラになった気になる。甘い物は偉大だ。これがあるうちは、わたしは多分大丈夫だろう。


「じゃあ、千秋君とかどう?」


 わたしが、意気揚々にケーキのセロファン紙を剥がしていると、まどかはストローを紙から出して言った。


「あの人、超いい人じゃない? こないだ町で変な男に絡まれた時、偶然助けてくれたのよ」

「何それ、大丈夫だったの? ナンパ?」


 まどかを見ていると、美人って大変だと思う。まどかは、雰囲気美人じゃなくて、本物の美人だから、媚びないというか、あまりにこにこはしていない。語調も確かにきついところがあるけれど、それを考慮しても理不尽な扱いを受けていることが多い。小学校のときも、クラスの女子に、態度が偉そうとか、上から目線で腹が立つとか、勝手なことを言われていた。中身は全然そんなんじゃないのに、わたしは物凄く悔しかった。まどかのクラスの女子達は少しまどかに厳しい気がした。一緒に遊べば絶対そんなことないってわかるからと、まどかを誘うけれど「言わせたい奴には言わせといたらいいの。ちぃと二人で遊ぶ方が楽しいから、呼ばなくていいよ」と全然相手にしなかった。(わたしはそう言われてかなり嬉しかったけど)格好いいし、羨ましいなと思う反面、わたしだったらそんな風にやり過ごせないから気の毒に見えてしまうことがある。変なナンパも結構されることが多くて、防犯ブザーを持ち歩いているほどだ。


「うん。千秋君が、追い払ってくれたの。格好良かったんだから」

「まどかが、男の子褒めるなんて珍しい」


 本当に珍しかった。本人は否定するけど、男嫌いじゃないかというくらい、褒めない。千秋君は、そのまどかのお眼鏡に適ったのだから、凄い。千秋君、大金星じゃないか。


「そんなことないよ。褒めるような相手がいなかっただけ」

「じゃあ、まどかが、行けばいいじゃん。仲とりもつよ?」

「いや、そういうんじゃないから。ちぃの旦那くんでしょ。好きな人が欲しいなら、近くにいるじゃないと思ったの」


 まどかは、右手を軽く左右に振った後、夏限定マンゴータルトを一口わたしのお皿に載せてくれた。わたしのケーキもあげようとすると「その味はもうわかってるからいいよ」と断られた。美味しいのに、信じられない。


「千秋君、まどかの写メを見せたとき、美人だ美人だって騒いでたから、チャンスだよ」

「わたしの話聞きなさいよ」


 まどかは、否定したけれど、春紀とのことを揶揄される時とは、まるで反応が違うから、満更でもないのだろう。そうか、千秋君か。思いもよらなかった。今までまどかが恋愛について、わたしにどうのこうの言ってくることなんてなかったのに、わざわざ名指しで薦めてくるなんて、少なからず好きなはずだ。(自分が嫌いな人間を薦めてくるような性格ではない)あまりしつこく言って、頑なに拒否し始めたら、芽吹く思いも埋もれてしまうから、止めておこう。


「まぁ、でも千秋君は、友達だからね」


 わたしが言うと、まどかは眉をあげて目を開いた。


「友達だったら、駄目なの?」

「駄目でしょ。友情に亀裂が生じるよ」

「そんなこと言ってたら、彼氏なんてできないよ。好きだから友達なんでしょ?」

「まどかって、意外と肉食なんだね」

「ちぃって、本当に彼氏ほしいの?」


 まどかが、呆れて言う。彼氏というより、好きな人が欲しいのだ。


「彼氏ねぇ」


 ケーキに生クリームをたっぷりつけて、頬張る。癒される。脳に刺さる甘さだ。クリームチーズケーキにホワイトチョコとマカダミアナッツが練りこまれている。まどかは甘すぎて一つを食べ切れない。わたしは、毎日これが食べられたら、もうそれでいい。金額とカロリーの問題で、無理なところが、儚い夢だ。空になったお皿を見て、溜息が漏れる。本当は、二個くらい食べたい。

 そういえば、好きな人が欲しいばっかり考えていたけれど、人の道として、まず先に、あの彼氏と別れなければ駄目だなと、気づいた。春紀は、わたしに好きな人ができたら振ってやるとか言っていたけど、それじゃ、浮気と同じだ。順番は守らないと不道徳だ。彼女を止めると言ったら、春紀は、怒るか、拗ねるか、ふうんで流すか、どのみち憂鬱だ。


「まぁ、相手を選ばないなら彼氏くらいいつでもできるよ」


 まどかは、つまらない映画を観た後の感想をみたいに言った。美少女だな。潔くて、凄く好きだ。





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