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 駅の西口を出て、自宅とは反対側に一〇分程歩くと、カレー屋がある。

 マンションの一階が店舗になっていて、隣はうどん屋だ。

 インドのデリーに本店があって、日本で唯一の支店というのが、嘘くさい。店主はどう見ても日本人だし、厨房にいる人は、金髪の美女で、インドというより、北欧系な感じなのだ。隣のうどん屋は、弟の経営で、カレーうどんはどちらの店でも注文できるという。

 店は、二〇人入るといっぱいになる。テーブル席のみで、白いテーブルに、背もたれが異常に高く脚が妙に細い椅子が置かれている。営業時間は十一時から一四時と一七時から二十二時で、定休日は火曜日。

 わたしと春紀が訪れるのはいつも日曜日の午後一時で、大体、お客はいないか、いても三人くらいだ。いつもこうでは経営状態が心配になる。平日か夜がメインなのだろうということにしている。  

 ランチメニューは、チキン、マトン、ビーフ、豆、本日のカレーのいずれかを選択する。ナンやチャパティはなく、インディカ米オンリーだ。

 わたしはいつも豆カレーだけど、春紀は月ごとにいろいろ変える。最初に行ったときは、マトンを頼んだ。結構チャレンジャーだなと思った。

 銀色のボウルにカレーが盛られ、同じく銀色の平皿にバターライスが盛られてくる。バターライスの上には必ず三粒干しブドウが載っかっている。わたしはそれをいつも、スプーンで丁寧にすくって端へ寄せる。基本的には食べ物に好き嫌いはないのだけれど、唯一食べられないのが、干しブドウなのだ。

 なんでご飯の上にブドウを載せる必要があるのか、通常ない組み合わせを、何故よりによってこの店でするのか、いろいろ残念だ。

 マンゴーチャツネとらっきょうとパプリカのピクルスが付け合わせに付いてくる。カレーは、とても美味しい。家で作るカレーの味ではなく、香辛料からちゃんと調合して秘伝のレシピで作っている味がする。辛さは、後を引く感じで、食べている最中は気づかないけれど、食べ終わるとしばらく口がピリピリしている。

 春紀は、物凄く美しくカレーを食べる。スプーンに薄く平らにカレーを盛って口に運ぶ姿が、スマートなのだ。カレーを咀嚼する間、伏目がちにお皿の上を見ている感じも、次の一口を掬い上げているのもいい。わたしの視線に気づいて「え? 何?」とか「ん?」とか言うのも格好いい。ライスにかけたカレーを、その境目から食べ始め、ライスをカレーへ寄せていくので、食後のお皿が綺麗なのも見事だ。いつ誰にそんな食べ方を教わったのか、ずるい。育ちの良さがこんなところに出るのは、反則だと思った。


「渡さんに、なんて言って出て来てるの?」


 十一月の第三日曜日だった。すっかり肌寒くなって、天気はどんより曇り空で、店には二人お客が来ていた。春紀もわたしも豆カレーを頼んだ。ひよこ豆が大量に入っている。芯まで柔らかく煮えていて、ほこほこして美味しい。

 春紀は、安定の美しさでカレー食べ終えると、皿をテーブルの端に引いて、水に口をつけながら言った。チャイかラッシーがセットで付いてくるのだけれど、どちらも甘いので、飲まないのだ。


「友達と出掛けてくるって言ってるけど」


 春紀は友達なのか。肯定すればそうだし、否定してもそうだ。父は、あまり詮索的なことはしないので、春紀とカレーを食べに行くと言ってもいいのだけれど、わざわざ言う必要もない。


「友達じゃあ、困るんだけど」


 飲んでいた水をテーブルに置いて、伏目でそれを見ながら、春紀がぼそっと言った。

「ふうん」で流すかと思ったけれど、あらぬ方向へ展開しそうなのでたじろぐ。


「困る? 何に?」


 本当はこのワードに対して、思い当たる節が一つあったのだけれど、真相を直接聞くために敢えて、惚ける。春紀は、コップを置いて、右手で顔を覆うように右目の目頭を押さえた。わたしは豆カレーの最後の一粒を口に入れて、お皿を片し、春紀がくれたチャイと自分のラッシーを手前に置きなおした。そろそろ寒いので、次はホットチャイにしてもらいたい。


「彼女になってって言ったのに」


 なってとは言われていない。彼女だからと言われただけだ。そして華麗にスルーされたのだ。今更この件を蒸し返すのは、やはり、この間のまどかの話が関係しているのだろうとわかった。

 ハローウィンパーティーをしようと言うので、まどかの家に遊びに行ったら「春紀のやつ、遂におかしくなったわ。おかげでいい迷惑よ」と怒りまくっていた。理由を聞くと、文化祭で公開告白された春紀が、断る際に「彼女がいるから」と答えたらしい。当然彼女は誰かという話になり、案の定、まどかの名前が挙がった。(まどかと春紀は、美男美女だから、付き合っているという噂が定期的に流れる)他に女の子の影なんかないから、否定しても、まだ、疑惑の渦中にあるのだという。

「普通に断ればいいのに、なんであんなしょーもない嘘つくのよ」と言ったまどかの声が蘇る。


「文化祭のこと、まどかに聞いたよ。ややこしいのは困るのだけど」


 春紀は黙ったままだ。少し言い方が冷たすぎた。


「別にいいよ。ふりぐらいしても。別に他に好きな人がいるわけじゃないから」


 沈黙になるとつい助け舟をだしてしまうのは、長年の慣習だ。染みついているので、とれない。


「ふりじゃ、困る。彼女になってよ」


 真面目か。春紀が困っても、わたしには関係ないのだ。だけど、そう言って突き放せないのがわたしの弱いところだ。


「千冬ちゃんに好きな人ができたら、ちゃんと振るから」


 どういう意味なのだ。わたしに好きな人ができたら、振るのはわたしの方だ。なんでそんな状況になってまで、振られなければならないのか。春紀は、本当にわたしを下にみているなと思う。


「別に、今まで通りでいてくれたらいい。今まで何も嫌なことなかっただろ」


 テーブルのコップに視線を下ろす春紀の顔をまじまじと見る。格好良いな、やっぱり。性格はこんなんで仕方ないけれど、顔は恐ろしく好きだ。黒くて柔らかい猫毛も、手首の骨が出ている感じも、カレーの食べ方も好きだから、いけないと思っても流されてしまう。不倫とかってこんな感じなのだろうか。ちょっと怖い。


「まぁ、いいけど」


 わたしが答えると、春紀は小さく二度うなずいた。その表情は、嬉しいとか安堵とかではなく、どちらかというと沈んでいた。ドラマで政略結婚が決まった後、社長が自室で独りになった時にみせる顔。本当に好きな人のことを思っているときの顔だ。春紀にそんな人がいることはないだろうけれど、わたしとしては非常に面白くなかった。


 彼女になったといっても、春紀の言う通り、月一カレーの日に会うだけで、何も変わらなかった。架空の彼女がいると触れ回っている自分の状況を整理したかったのだろう。

 まどかに言っておいた方がいいかなと思ったけれど、本当の彼女じゃないし、名目上のことなので、黙ったままにしていた。知れば春紀を怒って止めるように忠告してくれるだろうけど、それを受けた春紀が「そんな大事にする必要ないだろ」と拗ねまくるのもわかりきっている。

 まどかは昔から、春紀がわたしに嫌がらせをすると、かわりに叱ってくれた。

 わたしは、小さい頃、春紀にあまり強く出られなかった。わたしが悔しい思いをするたびに、まどかが春紀を返り討ちにしてくれた。それでもわたしは周囲を気にして春紀を放っておくことができず、結局三人で仲良くしようという流れになった。

 だから、守ってくれるまどかに対して、申し訳なく感じていた。「ちぃがそういうなら仕方ないね」とまどかは春紀を受け入れるのだけれど、打算的なわたしに嫌気をささずに、よく付き合ってくれたなと思う。今ではわたしも随分図太くなって、春紀に対して自分で言い返せるのだけれど、昔の名残で、まどかは現在も、春紀がわたしに何かしないように気遣ってくれている。

 だから、月一回カレーを食べに行っていることも、事実をそのまま伝えると、春紀がまた怒られそうなので、高校が離れて会う機会がなくなったから、たまには交流をもとうという趣旨であると説明した。(本当は自分でも春紀の意図がわからないのだけど)


「そんなの断ればいいのに、ちぃは、本当に春紀に甘い」


 まどかは、納得いかない様子だった。


「別に、甘くないよ。嫌だと思ったら、断るから大丈夫」


 わたしが返すと「いや絶対、甘い甘い」とまどかは言った。実際、嫌なら本当に会う気はないのだけれど、なかなか嫌にならないのだ。


 


 本当は、わたしはいつだって、アイスボックスクッキーを作りたかった。それも市松模様のやつ。 初めてクッキーを作ったのは小四の時で、当時、パティシエが主人公のアニメが流行っていた影響だった。

 プレーン生地とココア生地を長方形に二本ずつ成型して、交互にドッキングさせるのだが、冷やしても生地が固まらずに失敗した。結局、二つの生地をぐちゃぐちゃに混ぜて、スプーンで掬ってオーブンシートに並べて焼いた。固くて、口の中の水分を全部もっていかれるボソボソしたクッキーが出来上がった。(父も、わたしも結構好きで、完食したけど)

 二度目は友達と一緒に、型抜きクッキーを作った。ハートと鳥と星型。綿棒で生地を薄く伸ばして、くり抜いて焼く。尻尾のない鳥が何羽かできた。味はやっぱりボソボソしていて一度目に作った物と、変わらない気がした。みんなで「美味しい」と言って食べたので、手作りクッキーってこんなもんかと思った。だから、わたしはずっと、父と社長さんと春紀に、毎年平気な顔で、手作りクッキーを渡していたのだ。


「切るように混ぜるって、そういうことなの?」


 木部ちゃんが、ヘラで、のの字を描くようにボウルの中の薄力粉をさっくり混ぜ合わせている。


「え? 他にある?」


 わたしの問い掛けに、逆質問が返る。


「いや、力強くボウルに打ちつけるみたいに混ぜることだと思ってた」

「切るって、武士じゃねぇわ」


 千秋君が、小麦粉を振るいにかけながら言った。


「掻き混ぜすぎると、焼き上がりが固くなるんだよ」


 木部ちゃんが、リズミカルに手を動かし、お手本を示してくれた。大体、使っている道具から違う。わたしは、泡立て器一本で混ぜ合わせる。ゴムベラに持ち替えたりしない。お菓子作りは、分量通りにきっちり作らねばならない。確かにわたしは、材料の方は正確に測っていたけれど、作り方を間違っていたのだなと今更ながら気づいた。


「うわー。今まで失敗してきたわ。しかも、それを大企業の社長さんにあげてたわ」


 わたしが衝撃で身悶えると、千秋君が「大丈夫。料理は愛情だから」とにこにこして言った。

 クッキング部に入ってすぐ、わたしの歓迎会に、好きな物を作ってくれるというので、市松模様のクッキーを依頼した。


「どうせなら、色々種類作ろうよ」


 木部ちゃんはそう言って、手際良く、七種類ものクッキーを焼いてくれた。市松模様と渦巻き模様。市松抹茶バージョンとイチゴバージョン、三角形のアーモンドココア味、甘くないパルメザンチーズとゴマクッキー。さくっと軽く、上品な甘さで、焼き加減も完璧、大きさも均等、本当に売り物並の仕上がりだった。


「わたしの今まで作ってた物って、砂糖と卵とバターと薄力粉を捏ねくりまわして焼いた甘い何かだった」

「いいね。それ。ちょっと食べたいから作ってよ」

「わたしは真剣に絶望しているのだよ」

「えー。こっちも本気だよ」


 千秋君は、どこまでもにこにこしながら言った。わたしが、あまりに関心しきりだったからか、二人はそのクッキーの殆どをわたしにくれた。食べ切れないので、遠慮したのだけど「その社長さんにあげたら?」と木部ちゃんに言われて、結局貰ってしまった。

「今まで、変な物体食べさせてごめんなさい」と言いに行くのも変なので(自分なりには、あれが手作りクッキーの味だと思っていたわけだし)余ったクッキーは、まどかが学校のバザーで出す、ビーズアクセサリーのおまけに寄付させてもらった。

 それから、週一で部活に参加しているけれど、クッキング部の活動は、わたしの思っていたより真面目なものだった。自分達の好きなものを作って、わいわい食べるだけじゃなく、家庭料理技能検定の資格をとったり、区民会館で子供料理教室の手伝いをしたり、老人ホームで会食を開いたりする。

 野外活動の時は、ボランティア部と共同で行うことが多く、両者を「ボランティア部」としてまとめる案がでているが、こっちのやりたいことは、あくまで料理なので、断固拒否しているらしい。木部ちゃんと千秋君以外の部員は、柔道部と掛け持ちで、基本的にこちらへは来ない。部員数を確保するかわりに、差し入れをする密約が交わされた関係なのだ。




「遅くても三時までには戻ってくるから」

「戻って来なくていいって」

「いや、来るから。後片付け残しといて」

「お嫁ちゃんは、真面目だなぁ」


 初めての野外活動が、バーベキュー大会と重なってしまった。区民会館の父の日親子会でパン作り教室の手伝いをする。先に約束したのはバーベキューの方だったけど、部員数の少ないクッキング部で、一人抜けるのは心苦しい。(ボランティア部も七人参加していたけれど)

 九時から一一時半と一四時から一六時半の二回開かれる。朝の部の片づけと次の部の用意を終えて、お昼ご飯を食べるタイミングで抜けさせてもらうことにした。わたしが謝ると、その都度、木部ちゃんと千秋君も「入部してくれただけで、有難いのに、日曜日まで潰してごめん」と逆に頭をさげるので、謝罪はやめた。できる限り早く戻ることにする。幸いなことに、区民会館とバーベキュー会場が、徒歩二○分の場所だった。千秋君が、自転車で来ているので、それを借してくれるという。おかげで、一時前に会場に着いた。




 毎年、球技場を貸し切って行われる。本日のイベントと表された入り口のボードには「千賀グループ社員親睦会(非公開)」の案内があった。

 チケットを渡して中に入る。通常人工芝が敷かれている床一面に、緑のシートが被せられていた。

 球場の半円に沿って、食博みたいに食べ物ブースが用意され、中央のバーベキューコンロでは豪快に肉を焼いている。食事スペースと反対側には、ステージが設置してあって、知らないバンドが演奏をしているところだった。毎年ながら、結構な混雑具合に驚く。この人達が全て(家族も来ているけど)従業員とは、どれだけ大きな会社なのか。陽子さんもだけど、社長さんが、気安いおじさん過ぎて、普段馴れ馴れしく振舞いすぎていることに恐縮してしまう。

 父に電話して、すぐに合流できた。食事を終えて、ワインコーナーで飲んでいるところだった。職業柄、普段はお酒は飲まないし、飲んでもビールなので、ワインなんてどういう風の吹きまわしか。大人の付き合いというやつなのだろう。

「千冬ちゃん、久しぶりだね。すっかり娘さんになって」とか「渡さんのお嬢さんですか」というにこやかな会話がひとしきり済んで、父が「向こうどうだった? お昼食べてないんだろ? なんか取っておいで」というので「社長さん達にも、挨拶してくるよ」と残してその場を立った。

 まどかに電話しても繋がらない。会場を見渡すと、主催者席に陽子さんが確認できた。いかにもマダムといった女性たちに囲まれていて、近づきにくかったけど、目が合ったのでよかった。


「今日は、有難うございます」

「しっかり食べてる?」


 陽子さんが、安定の微笑みで言う。

「まだです」とも返せず、苦笑いになった。まどかと春紀は、バンドを聴きに行ったらしい。

 わたしもそっちへ向かおうとすると、少し離れた場所にいた佐木さんが、娘さんらしい女の子とやって来た。ネイビーのロゴTに白いガウチョパンツを合わせて、髪型はお団子。わたしと同じくらいの身長だ。

 彩歌ちゃんと言うらしい。 優しくて、喋りやすそうな感じの子だった。

 まどかから、わたしの話を聞いているというので「今からまどかの所に行くけど、一緒に行く?」と誘ってみた。佐木さんがいるし、余計なことだったかなと思う間もなく「行く行く」と軽いノリが返ってきた。

 ステージブースに向かいながら「何のバンドか知っている?」と尋ねると「社員の人らしいよ」と彩歌ちゃんから、意外な解答が返ってきた。一昨年まで、こんな催しはなかったけど、バンドマンが入社したのだろうか。

 ステージは、前方の席に座っている人と、その脇に立って声援を送る三〇人くらいの集まりで盛り上がっていたが、後方の席は割と空いていた。 もう一度電話する前に、後ろから二つ目の端の席に、まどかを見つけた。


「まどか! 電話したんだよ?」


 まどかは、振り向くと同時に立ち上がった。


「うん。だから、何度も掛け直して、メールもしてるんだけど」

「えー、ごめーん」


 掛かってくるかも知れないから気を付けていたのに、気づけなかった。

 今更ながら、スマホの画面を確認すると、着信とメールが届いている。メールを開けると‘春紀、ブチギレ’とだけ短く書かれていた。

 まどかは、わたしがメールを読んでいるのを見ていたはずなのに「彩歌ちゃん、久しぶり!」と素知らぬ顔で嬉しそうに笑った。


「こないだ、ストラップ有難う。本当に、貰ってよかったの? 千賀君がせっかく買ったのに」

「全然、全然。本人が、あげるって言ったんだし。使ってくれる人に貰ってもらった方が、わたしも嬉しいし」


 まどかと彩歌ちゃんが、和やかに話をしているけれど、春紀の姿が見当たらない。大丈夫か。従姉弟同士なのだから、もっと仲良くしてくれればいいのに、まどかは、春紀にだけ、妙にS気を発揮する。嫌がるようなことをわざと言う。春紀は物言わずで、口では絶対にまどかに勝てないから、逃げるしかないのだ。「もう少し優しく接してあげれば?」と言うと「ちぃが、そんなんだから、付け上がるの!」と、火に油だったので、二人のことには、口を出さないようにしている。


「パン作り、どうだったの?」


 まどかが、辺りを見回すわたしに声をかける。彩歌ちゃんがいるから、春紀はスルーの方向のようだ。


「二〇組来てて、めっちゃ盛況」

「へぇ、すごーい」


 まどかと彩歌ちゃんは、既に昼食を済ませていたけれど、わたしが食べるのに付き合って食事ブースのテーブルまで来てくれるという。

 一時半をまわりピーク時は過ぎていたので、六人掛けのテーブルが丸ごと空いていた。 わたしが食事を取って戻ると、交代で、二人がデザートを選びに行った。

  教室で作った卵パンを食べたし、ばたばたと世話しなくて、空腹感があまりなかった。せっかくだから、焼肉とお薦めの洋風茶碗蒸しを貰ってきたけど、わたしもデザートにしておけばよかった。


「あ、でもこの茶碗蒸し美味しい」


 海老のビスクがどうのとポップがあった。濃厚でねっとりした好きな味。これは、予想外でテンションが上がる。もう一個取ってこようか迷うレベルだ。夢中で食べていると、急に前の席が揺れた。乱暴な感じで座るので、まどか達でないことは、すぐにわかった。


「そこ人来ますんで」という前に、相手の顔を見てよかった。セーフ。春紀だ。


「これ、凄く美味しい」

「だろうね」


 春紀は、わたしの正面に斜めに座り、右肘をついている。明らかに不機嫌。


「食べたの?」

「いや、そういう顔してるから」


 まどかに、やりこめられたからといって、わたしに当たるのは止めてもらいたい。何があったか不明なので、フォローのしようもない。


「ご飯はもう、食べたんでしょう?」

「勧められたから、食べないわけにはいかなかったんだよ」


 当たり障りのない話題を振ったつもりだった。わたしが行くまで待っててくれとは言っていないし、責めてもいないのに、これだ。


「クッキング部って、そんなに楽しいの?」

「楽しいというか、人数少ないのに休んじゃ、一人の負担が大きくなるでしょ」

「ふうん」


 人と人という字は支え合って出来ているのだよ、と言いたかったけど、春紀はそういうのとは無関係なところで生きている気がするので止めた。割となんでも器用にこなすのだ。一人で淡々と。


「それってさ、つまり不義理なことはしないってこと?」

「は?」


 茶碗蒸しの最後の一口をきれいに平らげるところだったので、あんまり聞いていなかった。


「だから、裏切ったりしないってことでしょ」


 何の話なのか。ちょいちょい飛躍するので、当惑する。最も、人なぞ裏切るはずもないので「そうそう」と流す。そんなことよりもう一個茶碗蒸しを取りに行きたいのだ。まどか達の帰りが遅い。デザートコーナーが混んでいるのだろう。


「もうすぐ、まどかが戻ってくるよ」


 春紀は肘をついたまま、目だけ動かして、自分の左隣のテーブルの上にあるパーカーを確認した。まどかが置いていったものだ。立ち上がったので、退散するのかと思ったけど(それを期待して言ったのだけど)パーカーを自分の座っていた席に移動させ、自分はわたしの左隣に座り直した。どんだけだよ。もうどこかへ行けばいいのに。

 それからすぐに、まどかと彩歌ちゃんが戻ってきた。まどかが春紀を華麗にスルーして「ちぃが好きそうなやつあったから、一緒にとってきたよ」とトレイをテーブルに置いて言った。

 彩歌ちゃんは、その後ろから飲み物を運んで来てくれていた。春紀の姿を見て「このあいだは、有難うございました」とにこやかに言うのに対し、春紀は「あ、いえ」と間の抜けたような声で答えた。

 さっきのまどかと彩歌ちゃんの話の感じでは、春紀と彩歌ちゃんはバザーで会っているみたいだ。春紀は、ここで彩歌ちゃんが一緒だとは、思わなかったようだった。


「飲み物、千賀君の分もとってきましょうか?」


  彩歌ちゃんが、親切に言ってくれるのを「いい、いい、いい、いい。何も飲まないから」とまどかがすかさず言って、彩歌ちゃんを席に座らせた。何も飲まないことはないだろう。彩歌ちゃんが困っている。


「大丈夫なんで」


 春紀が、彩歌ちゃんに短く言った。まどか、春紀、他の女子、という構図が珍しすぎて、不謹慎ながら、面白く観察してしまう。 トレイには、焼き菓子が数種入ったお皿と、生クリームたっぷりのショートケーキが一つと、後はグラスデザートが二個載っていた。


「ちぃは、ショートケーキでしょ」


 まどかが言うので、遠慮なくそれを貰うことにした。茶碗蒸しより、ケーキだ。嬉しい。


「千冬ちゃんは、生クリームが好きなんだね。あたしは駄目なんだ」


 彩歌ちゃんは、そうい言って、春紀にも、何か選ぶように勧めた。


「この人、甘い物好きじゃないからいいのよ」


 まどかが、グラスデザートを彩歌ちゃんと自分の前に置きながら言った。


「えっ、でも、クッキーとかなら」


 流石に、彩歌ちゃんが気を遣って、焼き菓子の方を勧める。春紀が甘い物を好まないのは本当なので、別にいいのだけど、三人が食べている中、一人何もないのは、確かに微妙だ。もう、自分で飲み物でも取ってくればいいのに。春紀の方を見る。


「いえ、大丈夫なんで」


 春紀は、さっきと同じ返答をしたけれど、何故かとても言いにくそうで、顔が若干赤い。春紀は、流暢にぺらぺら話すタイプではないが、言いたいことは言うので、しどろもどろになることはない。一体どういう反応なんだ。普段、わたしとまどかに蔑ろにされているので、優しい対応に戸惑っているということだろうか。春紀と女子という取り合わせが、ありえなさすぎてわからない。


「そういえば、ストラップをどうとかって、何かあったの?」


 誰に言うでもなく、わたしが聞くと、春紀が「バザーで売れ残ってたまどかのビーズのストラップを無理矢理買わされたから、あげただけ」と説明した。


「無理矢理?」


 まどかが不機嫌に言うと「この話はもういいよ」と春紀が返した。微妙な空気になりかけたけど、彩歌ちゃんが「二人は仲がいいねぇ」と微笑ましい物を見るような言い方で笑ったので場が和んだ。

 しかし、まどかにストラップを買わされる春紀の姿は、ありありと目に浮かぶが、それを女の子にあげるとは、意外すぎる。まどかが、あげるように言ったのかもしれないけれど。 結局、春紀は、居心地が悪かったようで、席を離れた。 二時過ぎまで、三人でしゃべって「また今度遊ぼう」とメールアドレスを交換した。彩歌ちゃんのスマホにはビーズで出来た猫のストラップが付いていた。

「それ? まどかが作ったやつ」と聞くと「うん。めっちゃうまく出来てるよね。あたしには、無理」と彩歌ちゃんが笑った。


「ちぃにも、ストラップ作ってあげるよ」


 ふいにまどかが言った。そんなつもりじゃなかったけれど、じっと見てしまったから、欲しがっているように思われたのだろう。恥ずかしくなった。


「もうキーホルダー貰っているじゃない。充分だよ」

「それは、それ」


 まどかは笑ったけど、なんとなく、困惑しているようで申し訳ない気になった。

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