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 柔道部の合宿で、お昼ご飯を作る手伝いをするのに、クッキング部が召集された。

 柔道部のマネージャーは一年生の桐谷君と須藤君という坊主頭の男子二人で、彼らが二〇人前のカレーを作るという。二人とも、真面目で低姿勢で、体育会系という感じだった。

「わざわざすいませんすいません」と頭をさげるので「ギブアンドテイクだから気にしなくていいよ」と木部ちゃんが、笑って言った。

 材料は、例年に従って、じゃがいも一五個、人参五本、玉ねぎ六個、肉一・五キロ、カレールウ五箱と米二・五升が用意されていた。もっと大事になるかと思っていたけれど、案外すんなりいった。(主に木部ちゃんの手際がいいので)

 一〇時に作り始めて、一二時には出来た。匂いがこもるから、調理室でそのまま食べることになった。

 柔道部一五人と料理部三人と顧問の先生で、がやがやカレーを食べる。林間学校みたいだけど、男ばっかりで圧巻だ。体格のいい高校生男子が、作ったカレーをばくばく食べてくれるのは、見ていて気分がいい。

 給食のおばさんになった気分だった。みんな一〇分もせずに、食べ終わって、顧問の先生が各自で使った食器を洗うように指示してくれたから、後片付けは、鍋と炊飯釜を洗うくらいだった。

 桐谷君と須藤君にも、もういいから柔道部に戻るように伝える。みんな有難うございました、と声を揃えて帰って行った。

 給仕するのに忙しかったから、三人でゆっくりカレーを食べている。まったりモードで、仕事を終えたあとの、解放感があった。


「千秋君、この間まどかを、変なナンパ男から、助けてくれたんでしょう?」

「あー、うん。助けると言うか一緒に逃げたというか」


 丸椅子に腰かけて、へへへと笑う千秋君は、やっぱり芥川に似ているなと思った。優しいし面白いし、いい友達だと思うけど、今更恋愛対象として見れるかと言われると、なんだか不道徳な気がする。品定めするようで悪いというか、失礼だと思う。


「やっぱり美人はナンパされるんだ。あたしされたことないんですけど」

「よかったじゃん。安全じゃん」

「腹立つ」

「えー」


 和む。心がぬか床に漬かっていく感じ。生暖かくて発酵していて落ち着く。

 春紀がいないと自分のことだけ考えればいいから楽だ。最近、春紀と他人とわたしというパターンが続きすぎた。春紀は、自分のコミュニティの人間に対する態度とわたしに対する態度が違うから、悪目立ちする。そのコミュニティでわたしだけが浮いてしまう。わたしは、その場に溶け込みたい性分なのだ。


「そういえばさ、まどか嬢にカレーの友達の話聞いたよ。お嫁ちゃん知ってる?」


 春紀のことだろう。でも、まどかには、春紀の奇行については言っていないはずだ。


「何々それ?」


 木部ちゃんが、カレーの最後の一口をさらえながら言った。千秋君も食べ終えている。わたしは、まだ三分の一残っていた。


「いや、なんかカレーの食べ方で、好きか嫌いか判断する友達がいるんだって」


 そっちか。知ってるも何もわたしのことだ。


「あー、カレーを食べる姿が嫌なら、もう末期とかいうやつ?」

「え? それって、メジャーな話なの?」


 千秋君が驚いて言った。


「メジャーかどうか知らないけど、テレビで言ってたの見たよ。好きな時は平気だけど、嫌いになったらカレーを食べてる姿がムカつくらしいよ。混ぜ方とかに自分の地がでるから、許せないんだって」


 多分同じ番組だろう。「それが原因で離婚した人がいる」とコメンテーターが言っていた。わたしはそれを、リアルな日常の判断基準だと、すごく納得してしまったのだ。


「まどか嬢の友達は、それを毎月、ずっと同じ人相手にチェックしてるんだよ。カレー嫌いなのに」


 別にカレーは嫌いじゃない。伝言ゲームってこうやって間違っていくのだろう。


「へぇ」


 木部ちゃんが、二リットルのペットボトルのお茶をコップに注ぎながら言った。わたしと千秋君にも、注いでくれて、空になったボトルのラベルを這いでベキベキ潰す。


「お嫁ちゃんも知ってる人?」

「あー、まぁ」


 自分のことだと言い辛い感じになってしまった。相手が誰か聞かれると困る。


「それで、その友達は結局何がしたいの?」


 木部ちゃんが、お茶を飲みながら、不可思議な顔でわたしに聞いた。


「嫌いになって、会いたくないと思えるようになりたいの」

「好きで会いたくなっちゃうのが嫌だから、嫌いになって会いたいと思わなくなりたいってこと?」


 早く食べ切りたいカレーの残り三口の手が止まってしまった。


「なんか、ややこしいな。この話になると、いつもややこしい」


 千秋君が、考える人のポーズを真似して、おかしそうに笑う。


「えっとね。嫌じゃないから会っているんだけど、嫌になったらもう会うのを止めようと思っているのね。だから、カレーを食べている姿が嫌だと思ったらもう無理だから断るつもりでいるの」

「なんか意味わかんない。嫌いじゃないなら別に普通に会えばいいんじゃないの?」

「いや、相手にもう会わないでいいって言われたときのことを考えて、それより先に嫌いになりたいの」 

「えーなにそれ、向こうが飽きたら終わり? 都合のいい女じゃん。まさか不倫?」


 木部ちゃんが、酷い相手だねと言って、自分と千秋君の空のお皿を重ね合わせる。


「不倫じゃない不倫じゃない。でも、都合よくあしらわれてるのは、そうかも」


 頼まれているから、会っているつもりでいたのに。わたしは、今度は、わたしを見誤った。二度あることは三度あるって本当だ。


「そうなの? まどか嬢は、相手はその子のいいなりだから、なんでもいいって言ってたんだけどな」

「いいなりだったら、千冬の話と全然違うじゃない。なんでもいいって、どういう意味?」 


 木部ちゃんが、千秋君に尋ねる。


「えーと、カレーじゃなくて、なんでもいいだったかな?」

「今、もうカレーの話はしてないから」


 木部ちゃんが、冷たく言う。わたしは、ようやく最後の一口を頬張った。家庭的なカレーの味だ。美味しかった。うちの家は、カレーはレトルトと決めている。びっくりするけど、父のカレーは美味しくない。二人暮らしだし、二日も三日も食べたい味じゃないから、レトルトの方が全ての面で好都合なのだ。木部ちゃんが、わたしの分のお皿も下げてくれる。


「関係ないけど、千冬って、カレーうまいこと食べるね。お皿が全然汚れてない」

「カレーの話してるじゃん」


 千秋君が木部ちゃんにすかさず突っ込むので、笑ってしまう。カレーを食べて嫌われないように、春紀の真似をしてみただけだ。




 片付けを終えて、一時過ぎに解散になった。千秋君は柔道部の練習を見て帰るといい、別れた。

 木部ちゃんは自転車通学なので、駐輪場に向かう途中まで、一緒に帰る。八月も半ばに入った。うかうかしていたら、あっという間に終わってしまうと、木部ちゃんは、スマホのカレンダーを開いた。

 前から、わたしが世界で一番美味しいと言っているモントレオリーブのケーキを食べに行く約束をしていたのだ。高校からうちまでは、電車で三〇分かかる。木部ちゃんの家からは、随分遠いから、夏休み中に行く計画を立てているところだった。


「あたしは、来週だったらいつでもいいよ。千冬の都合のいい日、またメールして」


 せっかくだから、この間のパンケーキのメンバーにも声をかける提案をすると「いいねいいね」と木部ちゃんがテンションを上げていった。

 モントレオリーブの話になって、千秋君にまどかからのお礼の品を渡し損ねていたことに気づいた。カレーを食べているときまでは、覚えていたけれど、春紀の話題になって忘れてしまっていたのだ。


「ちょっと、千秋君に渡すものあったから、一回戻る。みんなに予定きいて、またメールするから」


 木部ちゃんとは、そこで別れて、柔道場へ向かった。 

 柔道場が体育館の二階にあることは知っていたけれど、高校に入学したときオリエンテーションで一度来たきりだった。上履きを脱いで、靴下のままコンクリートの階段を上がる。足先がひやっとして気持ちいい。柔道場の外まで来たけれど、扉が閉まっていた。防音なのか、中から音がしない。勝手に入っていいかわからず、うろうろしていた。ここではなかったのかなと思っていたら、扉が開いて、須藤君が出てきた。一気に活気ある声が溢れてくる。


「どうしたんですか?」


 須藤君が、挙動不審に立ち尽くしているわたしに言った。


「千秋君、いますか?」

「あぁ、はい。どうぞどうぞ」


 そういうと、わたしを中へ招き入れてくれた。天井が低くて、全面に畳が敷かれている。部員達は二人とか三人にに分かれて、技を掛ける動作を反復して練習している。入り口を入ってすぐの荷物置き場となっている畳の横に、千秋君は座っていた。

 無表情で稽古を見ている。

 千秋君が、病欠で留年している話は、周知の事実だ。「オレの方が一個上だから、言うこときけ」みたいな冗談を友人に話す千秋君は、強い。元々柔道部で、そのよしみでクッキング部との密約が交わされていると木部ちゃんから教えてもらった。

 病気にならなかったら、千秋君は、今も柔道部で、三年生で、こっちに座らず、むこうで練習に参加していたのかもしれない。クッキング部は、ボランティア部に吸収合併され、わたしが柔道場へ来ることもなかった。

 じっと練習を見ている千秋君の横顔からは、何も汲み取れない。しまったな、こんなところまで追いかけてくるのじゃなかった。須藤君に見られているので、今更引き返すわけにもいかず、近づく。千秋君は、わたしに気づくとすぐに笑顔になって、両手を振った。 


「どうしたの? 柔道に興味あったの?」

「ううん。千秋君に渡すものがあったから、来たの」

「ううんって、柔道部の稽古場で、よく言ったね」


 千秋君が、げらげら笑った。隣に座って見学するように勧められたので、黙って従う。さっきカレーを食べていた時とはみんな雰囲気が違う。すごく真面目で真剣だ。オリンピック以外で柔道をみた記憶がない。


「柔道着ってさ、試合の途中ですっごい開ける人いるじゃない。あれ、ずるくない?」

「ずるい?」

「なんか、投げられにくくするために、わざとやってるんじゃないの?」

「あぁ、確かに、わざとだったらイラっとくるかもね」


 千秋君は、ふふふっと笑った。寛大だ。わたしは、子供っぽいだろうか。


「千秋君は、いつから柔道してたの?」

「五歳くらいかな?」

「随分長いね」

「うん。親にやれっていわれて始めたんだけど、辞めろと言われないし、ずっとやってたんだよね。で、このたび、辞めろと言われたので辞めたのですよ」


 多分、本当のことだろうけど、千秋君の意志はどこにあったのか、わざとわかりにくい言い方をしているなら、そっとしておこう。余計なことを聞いてしまった。


「あ、なんかうざかった?」


 わたしが沈黙してしまったので、千秋君は済まなそうだった。空気を読む感じが、逆に戸惑う。春紀だったら、わたしが黙ったら黙ったままだ。黙ったままずーっとそこにいるだけだ。


「全然。全く一ナノもうざくないよ」

「ナノできたか」


 千秋君が、にこにこしていう。闘争心とか持ち合わせていなさそうなのだけれど、柔道をしていたときは違ったのだろうか。全く想像できない。わたしの知っている千秋君は初めからこうだった。


「ほら、乱取り始まった」

「乱取り?」

「実践っぽい練習みたいなの」


 千秋君の視線に合わせて、道場の方を見る。二人一組で、組み合って、各々動きまわっている。特に目を引いたのが真ん中で取り組んでいる二人で、かなり体格のいい相手に、割と小柄な子が果敢に技をかけようとしている。何度も相手の襟をつかんで投げようとするのだけど、その度かわされてくるくる回っている状態が続いている。「ラスト!」という声がかかるとあっという間に投げ飛ばされてしまった。実力差は歴然で、稽古をつけてもらっている、というやつなのだろう。


「お嫁ちゃんは、なんかずっとやってた習い事とかある?」

「ないなぁ。何せ飽き性なんで」


 千秋君は「へぇ、飽き性なイメージないけどな」と笑ったあと、続けて言った。


「うちの姉ちゃんはさ、三歳からずっとピアノ習ってたのね。でも、高校受験の時に辞めたんだよ。それで、オレが柔道はもう出来ないってなったとき‘別に長く続けていたことを、急に辞めたからって何も変わらんよ。なんやかんや、他にすること出てくるし’って、めっちゃ言ってきたんだよ。まぁ、姉ちゃんなりの気遣いだったとは思うけど。オレ、それ聞いて、いやいや、って思って。オレ結構、大会とかで優勝したりしてて、割といい感じだったんだよ。でも、姉ちゃんは三歳からやってるのに、全然下手でさ。練習もしないし、何かにつけてレッスンさぼろうとするし、本当に惰性でやってるだけだったの。それとオレの柔道を一緒にすんのって思ったら、怒り通り越して笑けてきて。でも、姉ちゃんは姉ちゃんなりに、ピアノに凄い思い入れがあったらしくて、受験終わったら再開する気だったらしいけど、本来好きじゃないから、そのまま、日常にまみれてうやむやみたいな感じ? オレの場合と全然パターン違うじゃんと思って、言ったらしばかれるから黙ってたけどさ。でも、そのおかげというか、あんだけ長くやって全く芽の出ないこんな人もいるんだから、オレなんて結果残せた方なんじゃない? とか、思っちゃって。オレ、すっごい悪い弟だわ」


 千秋君は、口を押さえて「ひどい、ひどい」と自分で言って笑った。


「千秋君、お姉さんいるんだね。わたし兄弟いないから、羨ましいかも」

「えー、弟とかいそうだけど。意外」


 弟のようなものはいるな、と思った。春紀の顔が浮かぶ。


「お姉さんは、結局ピアノはしないまま?」

「うん。去年嫁いでって、今うちに来てるけど、置いて行ったピアノを売り払ったことがバレて、えらいことになってる。辞めてから一回も弾いてるとこなんて見たことなかったのに。一回もだよ? 怒る権利ある? 弾かなくても大事にしてたんだから、置いといてよって、猛り狂ってるよ。マジで恐いわ」


 両腕を交差させて、大袈裟に肩を摩ってみせる。今日、千秋君が、急に柔道の見学に来たのが、わかった気がする。


「わたし、お姉さんのファンだわ」

「えー、意義あり。意義あり」


 千秋君は、お姉さんが、かなり好きそうだ。まどか、大変かもね、とふいに思った。同時に、お礼の品を渡しに来たことも思い出した。最近、意識が散漫している。暑いし、集中力低下中だ。一階の靴箱の前で、リュックから、紙袋とお菓子の箱を取り出して、直接手で持っていたのに、また忘れたら、かなり末期だ。


「意義は却下だよ。話は変わるけど、これ、まどかから。こないだのお礼に渡してって頼まれてたの、渡すの忘れてたから持ってきたのよ」

「えー、そんな大層な。逆に悪いよ」

「まどかは、こういうのきっちりしたいタイプだから、貰ってよ。近所で有名なケーキ屋さんがあるんだけど、そこのバームクーヘン。丸型じゃなくて長方形なの。まどかの一押し。千秋君の好みがわからないから、気にしてたけど、甘党だから、なんでも大丈夫と言っておいたよ」 


 袋を差し出していうと、千秋くんが一瞬「え?」という顔をしたので、びっくりした。


「バームクーヘン嫌いなの?」


なんでも好きというのは、流石に言い過ぎだったかなと思った。


「いやいや、好きだよ。なんでもじゃないけど。バームクーヘンは好き」


 千秋君が、冷静に突っ込んで笑う。


「じゃあ、遠慮なく貰ってしまおう。お礼言っておいてくれる? お礼のお礼」

「うん。了解」


 まどかのアドレスを教えて、自分で伝えるように言えばよかったかなと思った。でも、それはそれで、わざとらしくて、どうかという気がする。わたしだったら、ちょっと嫌だ。たぶんこういうのには、二人のペースというのがある。余計なことは止めよう。うまくいくときは、うまくいくはずだ。 



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