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 わたしは、天然ボケではない。

 だけど千冬はそうだと言って、わたしを天然のやさしい綿で包んだ。

 わたしは、ずっと自分のことを優秀な人間だと思ってきた。勉強だって運動だって誰にも負けなかったし、外見も悪くない。美人だ可愛いとチヤホヤされることが多かった。それで人に横柄な態度をとってやろうとか、見下したことはないけれど、根底にある高慢な思いがふいをついて出てしまうことが多々あった。

 自分が出来て、人が出来ないことがあると、ぱんと突き放して言ってしまう。

「まだそれ出来ないの?」と平気で言っていた。

 その後「じゃあ、手伝うね」と続けるつもりでいたのに、言う前に「あんた何なの? 偉そうに」となって、(今思い返せば自分がホラーすぎる)一部のクラスの女子に物凄く反感を買っていた。

 それでも、特に困ることはなかった。クラスでグループに別れて行動するのも、適当にどこかに入って、適当に課題をこなし、休み時間になれば、千冬のところに遊びに行った。悩んでいたのは、どうして千冬と同じクラスになれないのか、ということだけだった。

 でも、わたしを除け者にしようとする女子は、千冬のところにまでわざわざ行き、わたしの悪口を吹き込んだ。もっとわからないようにすればいいのに、わたしはその現場を目撃した。

 わたしが、泣き寝入りするはずもないし、負ける気もない。すぐに教室に入って行って、言い伏せてやろうとした。


「まどかは、天然なだけだって。みんなが思ってるようなことはないよ。一緒に遊べばわかるよ。今度みんなで遊ぼうよ」


 千冬が言った。

 わたしは、既に勢いよく教室の扉を開けて中に入るところだった。ばっと視線が集中して、頭が真っ白になった。


「ほら、このタイミング。普通、入ってこないでしょ」

「悪かったわね、入ってきて」


 わたしが言うと、千冬は、けらけら笑った。

 それから、千冬は、自分とわたしがした失敗談みたいな話を笑いながらみんなに話した。

 周りの子達も「それわたしも、あるある」みたいな雰囲気になった。当然、それでわたしがその女子たちと仲良くなることはなかったけど、それ以上関係が悪化することもなかった。

「悪意がないから許してあげて」と千冬が言っていたら、余計に怒りを煽るだけだっただろう。相手もわたしも、どんどん険悪になって、嫌がらせの応酬になっていったと思う。

 人が引っ込みのつかなくなるようなことはしない。千冬は、そんな風だった。千冬には、勝てる気がしなかった。人に嫌われない人だった。

 だけど、そんな千冬を唯一邪険にしたのが、春紀だった。だから千冬は春紀のことにだけは、いつもやきもきしていた。親切とか優しさとか思いやりが全部裏目に出て伝わるような春紀を、千冬はずっと見捨てなかった。根気よくいつもいつも声をかけた。

 春紀は、千冬がいるときほど、わざとらしくみんなの輪から離れていた。それを千冬が呼びにいくので、わたしはいつも注意した。あんまり千冬ばっかり春紀の面倒をみているから、伯父さんや洋子伯母さんが見かねて「ちぃちゃんもみんなと遊んでおいで」と言うほどだった。

 そんな時でも、千冬は春紀のところへ行った。千冬は、大体、みんなと一緒の方を選ぶし、人の言うことは聞くのに、春紀のことに関しては頑なだった。誰になんと言われても、春紀のところへ行った。春紀みたいな偏屈な天邪鬼は他にいなかったから、千冬のそれは春紀に向けられている。同じような子が傍にいたら、千冬は同じようにそうするだろう。誰もが思っていた。


「春紀の、しょうがないところが好き」


 そんなこと言うなんて思ってもいなかった。

 遊園地で、どんなヒロインポジション計画が繰り広げられたかは知らないけれど、千冬の心境に変化があったというのはわかる。春紀にとって、悪い方へ進んでいるけれど、まだゆらゆらしていて、どちらに振れるかはわからない。

 春紀の何がまともでいい人だったのだろう。春紀なんてずっと何も変わっていない。気味悪いくらい千冬が好きなだけだ。

 だけど、その恋愛感情においては、ある意味尊敬する。好きということに一生懸命で、毎日毎日好きで、「今」好き、というのがずっと続いている。未来があるとは思っていない。未来もないのに、好きでいる意味があるのかと思ってしまう。どうせなくなるなら、もう早く手放した方がいい。苦しいだけ損だ。積もっていくだけ、後処理が大変なのに、よくやるなと感心する。

 春紀が諦められないなら、千冬が早く終わりを告げてあげればいいのにと思ってきた。春紀を見ているともやもやする。楽になりたくないのか、告白してくれる女の子は沢山いるのに、なんでそっちへ行かないのか。千冬だけが、そんなにいいの? 辛くてもいいの? 無理してもいいの? そんなにヘビーじゃ絶対続かないよって、思ってしまう。

 アンリ君のことを、思い出してしまう。

 わたしは、アンリ君のせいにして、勝手に終わらせたけど、本当は自分が嫌だった。

 多分わたしは、あのままいくとアンリ君のことを凄く好きになった。けれど、アンリ君側の好きは、消耗していく一方だと思った。わたしとアンリ君の好きの分量が、いつかクロスした時、わたしは振られるだろうなと思ったから、そうなる前に別れた。

 春紀のように頑張れない。

 アンリ君の好きより自分の好きが勝つのがどうしても嫌だった。振られてしまう先のことばかり考えて、自分が苦しくないように予防線を張った。

 わたしは、勢いでアンリ君と付き合って、ちゃんと好きじゃなかったから別れたのではない。わたしは、自分の好きを認めたくなかった。

 わたしは、自分が一番だった。だから、この先振られるだろうことが許せなかった。わたしは、アンリ君より自分を選んだ。最後にアンリ君が言った「振られるだろうなと思っていました」という言葉が、ずっと引っ掛かっていた。だって、違うから。わたしは本当は振りたくなんてなかった。一度もそんな風に思ったことなかったよって、アンリ君は知らないままだ。わたしの気持ちは、アンリ君には、届いていなかった。別に今更アンリ君と寄りを戻したいわけではないけれど、ちゃんと言えばよかった、それが心残りでならない。

 千冬は、何が嫌で、春紀を好きだったと過去形にしてしまうのだろう。

 認めたくないのはどうしてだろう。

 自分を選んでも、春紀を選んでも、自由だと思う。

 だけど、千冬も春紀も、何も言わない。言わないから、伝わっていないよって、わたしは教えてあげるべきなのだろうか。春紀の気持ちを千冬が知ったらどうするのか、千冬が揺れているのを春紀が知ったらどうなるか。見て見ぬふりは加害者と同じというのは、恋愛にも当てはまったりするのだろうか。だとしたら、わたしは何をすればいいのだろう。




 また伯父さんが、新しい調理器具を買って(今度はピザ)ランチ会をするというので、千冬と彩歌ちゃんと共に招待された。食事が終わると、伯父さんが出掛けて、みんなでリビングに移動した。

「片付けは春紀にやらせればいいから」という伯父さんの言いつけ通り、春紀は洗い物をしていたけれど、千冬も彩歌ちゃんも、それを放っておくタイプではない。みんなで片付けるほどの量でもないので、身内のわたしが手伝うという、最も自然な流れになった。


「ちぃは、もしかしたらあんたが彩歌ちゃんを好きだと思っているかもしれないよ」

「なんだよそれ。意味がわからない」


 予想通りの反応だ。白黒わからない千冬に何か言うのは、変に惑わせる要因になるから、揺るぎない春紀に言うのがいい。千冬は、バーベキューで彩歌ちゃんが春紀にストラップを貰ったと聞いたときから、ちょっと様子が変だった。パンケーキの店を出た後、薫ちゃんもストラップを貰ったと聞いていたはずなのに、彩歌ちゃんにだけ、やたらにしつこく、春紀とわたしはただの従姉妹で付き合っていないよと説明していた。(自分のライバルになるかもしれないのに、そういうことをするのは道徳的な千冬らしい)


「あんたが、ストラップ渡すから」

「また、それか」


 春紀は、首をひねってため息をついた。


「またって何よ。誤解されてこじれたら気の毒だから忠告してあげてるのに」

「協力しないんじゃないの? どういう魂胆?」 


 本当に、こいつは可愛くないな。わたしをなんだと思っているのか。


「大体、佐木さん、彼氏できたんだろ。誤解もなにも、もうないだろ」


 春紀は、パスタの皿を丁寧に洗いながら、興味なさそうに続けた。


「‘彩歌ちゃんが駄目だったから、わたしに来た’って思われたら、アウトだよ」

「なにそれ、じゃあ、突然、オレ佐木さんのこと全然好きじゃないよって言うの? おかしいだろ」


 春紀は、露骨に顔をしかめて、狂乱気味に言った。


「それは、自分で考えなよ」

「何なの、なんで急にそんなこと言いだしたわけ? なんかあんの?」


 春紀が、流しの水を止めて真剣な顔でわたしを見た。


「別に。あんたの面倒みてあげろって、最初に頼まれてたのは、わたしだから」

「は?」

「とにかく、自分の隣で他の女の子を好きになった男を、わざわざ好きになることはないって話よ」


 流石に、春紀は理解したようだった。


「そんなの、無茶苦茶じゃないか。オレがどれだけ……」


 春紀が言葉の途中で、我に返ったので、よかった。春紀も聞かれたくないだろうけど、わたしだって聞きたくない。




 春紀の家からの帰り道、千冬がクッキング部で千秋君に会うと言うので、モントレオリーブに付き合ってもらって、お礼のバームクーヘンを届けて貰えるように頼んだ。   

 千冬は彩歌ちゃんに彼氏が出来たと聞いたとき、相当驚いていた。わたしと陽子伯母さんがいろいろ質問するのにも、にこにこ笑って聞いてはいたけど、多分春紀に気を遣って不自然なくらい話に入ってこなかった。春紀は、彩歌ちゃんに全く興味がないから、千冬のそういう意図を解することもない。春紀のことは、もう本当になかったことにした方が賢明な気がした。


「彩歌ちゃん、彼氏出来て嬉しそうだったね」


 千冬は、いつもの温和な感じで言った。


「うん。どんな人か見てみたい」

「写メ見せてくれなかったもんね」

「伯父さん達ががいたからね。今度見せてくれるって言ってたから楽しみ」

 

 千冬は珍しく興味深々だった。彩歌ちゃんのことだからかなと思った。


「千冬に彼氏できたらちゃんと言ってよ」


 高橋珠杏のことは気にしていないつもりでいたのに、やっぱり引っ掛かっているのか、ぽろりと出てしまった。(春紀に問い詰めてやればよかった。絶対言わないだろうけど)


「わたしにちゃんとした彼氏ができたら、一番にまどかに言うからね」


 千冬が、妙に熱量を帯びた声でいう。ちゃんと、か。まぁ、いろいろある。わたしも千冬のこととなると、春紀に違わずどうしようもない。血筋だろうか。


「いや、別にちょっと言ってみただけだよ」

「まぁ、まだ好きな人募集段階だから先は長いよ」

「じゃあ、好きな人ができたら、協力してあげるよ」

「まどかに恋愛相談すると振られるジンクスあるの知ってた?」


 千冬が、少し申し訳なさそうに笑った。


「え? なにそれ?」

「ハル君とうまくいった子いないから、何気にそういう噂あるの」


 まぁ、それはそうなることを知っていて協力しているので、仕方ない。甘んじて受ける。


「わたし、ちぃの恋愛なら成就させてあげられる自信あるから、大丈夫よ」


 春紀を好きで協力して欲しいなんて言われたら、わたしは一生春紀に恩を売れるから、それはそれで楽しいかもしれない。


「なにそれ、超心強い。じゃあ、わたしも千秋くんとのこと、引き受けた」


 千冬は、ホワイトマカダミアチーズケーキを食べている時と同じくらいの、笑顔で言った。自分のことで悩んでいるはずなのに、呆れる。千冬はすぐに、自分のことより、人のことだ。全く自分のことをもっと優先させて欲しい。千秋君のことは、その後でいい。後? わたしは何を考えているのか。


「だからそれは、違うって言ってるじゃない」


わたしが否定すると、千冬は「はーい」と笑った。

それ以上しつこく詮索してこないから、わたしは千冬には勝てない。


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