13
好きな人を作る前に、春紀に彼女を降りると言わなければならない。
人に振られる心配はしても、振る心配をするなんて、夢にも思わなかった。
そういう意味で、春紀は最後までわたしに世話を焼かせるから、らしいなと思った。
しかし、最初から断ればなんてことなかったのに、一度引き受けてから、改めて断るとなると、言い辛い。自分がされて嫌なことは、人にもするなというなら、駄目だ。でも、わたしに彼女を止めると言われて、春紀が傷つくかというと、恐らく、そうでもない。この件に関して一番打撃を被るのは、カレー屋の主人だ。
春紀になんと切り出したらいいか、正直なところわからなかった。
わたしは、自分の思考が随分片寄っているなと気づいてしまった。人は世界を、自分の好きなように見ているというのが、なんとなくわかった。
わたしと春紀の見ている世界は、違う。ただ、違うことはわかったけれど、じゃあ、春紀はどんな風に世界を見ているのかが、わからない。春紀も、まどかも、陽子さんも、木部ちゃんも、千秋君も、父だって、それぞれに異なる世界がある。そこでは、わたしの通常の感覚が、異質だったり、嬉しいポイントや悲しいポイントも、ズレていたりするのだろう。
わたしが、春紀の意を汲んで良かれと思ってしてきたことを、春紀はどう感じてきたのだろう。ただのお節介だったのか、感謝されることだったのか、はては迷惑だったのか。わたしは、春紀がどう思っているかを、あまり考えたことがなかったな、と思う。こうだろう、こうだろうと予想するうちに、こうなのだと思い込むようになった。
自分が嫌なことは、人にしないようにしてきたし、自分が嫌な目に合うと、なんとまあ酷い人間がいるものだと憤慨してきた。けれど、果たしてそれがそうだったのか、わからなくなってしまった。みんな、自分がされて嫌なことは人にもしないというスタンスで生きているのであれば、わたしにとって不快でも、その人にとっては、良かれと思ってしたことになる。
春紀が、なんでもわたしに押し付けてきたことは、春紀にとって善行だった。じゃあ、春紀が自分の意見を押さえて、わたしに主張の場を与えてくれているにも関わらず、わたしは、春紀の意見を聞く前に何でも勝手に決めつけてきた、信じられない奴なのではないか。そうだとすれば、恐怖だ。わたしは、何故今までそれを考えなかったのだろう。春紀の世界では、わたしはいらぬ世話ばかり焼くお節介な人間だから、彼女になってと頼んだら、引き受けるのは当たり前で、日頃の鬱積を鑑みれば、チャラくらいの認識でいるのかもしれない。
そんな風に考え出すと、何もかも疑わしくなる。 春紀はわたしを排他的にでも好きなのだと、思ってきた。好きだと言われたことは、一度もないし、そんな素振りは皆無だったにも関わらず、なぜそんなに自信満々だったか。わたしは、春紀が陽子さんと和解したことを、恩に着せていたのではないだろうか。
あの夏祭りの日、春紀を陽子さんの元へ連れ出したことに対して、春紀はわたしに借りがあるから、嫌ったりできないのだと、高を括っていた。なんて高慢なのだろう。確かに春紀はあの日以来、籠城することはなくなった。代わりに、小さなことでよく拗ねた。理由はよく覚えていないけれど、些細なことで不機嫌になるから、その都度対応しなければならなかった。でも以前よりもすんなりわたしの言うことに従っていた気がする。
中学に上がってからは、あまり関わりもなくなっていった。特に仲良くしていた記憶がない。元々、趣味趣向が合う友達じゃなかったし、春紀もわたしも、お互いに無関心だった。小さな子供じゃないし、仲良くしなさいとは誰も言わないから、当然の結果で、疎遠になる。一緒に登校していただけだ。高校が別になれば、それで終わるはずだった。陽子さんに会いに行っても、あの広い家だから、春紀が自分の部屋にいれば、わたしと会うことはない。
じゃあ、どうして春紀がわたしを追いかけ回してきたのか。疑問が生じる。
わたしは、春紀にとって優良物件ではなかったのか。借りがあるから、逆らえないだけなら、他の女子よりは、わたしを好きだという認識は誤りだ。周りから散々不釣り合いだと言われてきたのに、好かれていると思っていたとは自意識過剰すぎる。誰にも何も言わずにいて、よかった。
春紀がわたしを好きではないなら、何故、彼女になってと言いだしたのだろう。バレンタインデーのことに関しては、売り言葉に買い言葉的な流れだったと、納得できなくもない。(次の日すぐに取消したし)それより問題は、現在進行形の方だろう。
再び彼女になるように言いだしたのは、十一月だ。あれは文化祭絡みで、彼女が必要になったからだろうけど、元々の始まりは六月だった。
あの時は、高校に入学して、環境が変わりすぎて、自分のことで手一杯だった。
車での送迎から、電車通学に変わったのが大きい。学校から帰ったらぐったりしていたし、ごろごろしていた。生活に慣れてきた頃には、体育祭があった。厳選たるくじ引きの結果、体育祭実行委員に任命されて、忙しかった。
その間、まどかには何回か会って、セーラー服を着てみたいと言うから、貸してあげた。陽子さんにも、一度見せに行ったけど、春紀はいなかったのか、いたけど部屋に籠っていたのか、会っていない。春紀に、その間何があったのか、全く知らない。
六月といえば、バーベキュー大会だけど、わたしは参加していない。社長さんに「高校生になったのに、まだ彼女もできない」と揶揄られたのだろうか。そういえば、彩歌ちゃんは、去年初めてバーベキュー大会に参加したと言っていた。佐木さんが千賀家で働き始めたのが一年くらい前だ。彩歌ちゃんと、その時、初めて会ったのかもしれない。(もっと前かもしれないけど)仮にそうだとして、なんでわたしを追いかけまわすのだ。彩歌ちゃんに対する予行演習のつもりか。
流石にそれはない。ない、だろう。
でも、あの時急に「かわいい」とか言いだしていた。大分、様子がおかしかった。
どれもこれも、わたしの予想でしかないけど、他に考え付かない。「怒らないから本当のことを言いいなよ」と問い詰めたら、真実を話すだろうか。
春紀の世界は、どうなっているのだ。わたしから見ると突拍子もない行動も、春紀にとっては、理に適ったことであるのだろう。春紀の考えていることなんて、わかるわけない。
今まで、一体何に納得していたのだ。ここで、わたしが悩んでもしかたない。だけど、春紀のことばかり考えてしまっている。
ついこの前まで、カレーの日以外で春紀について思うことなんてなかったのに。春紀は、わたしにいつまで、彼女でいることを望むのだろう。別れ話をするよりも、そう聞く方が、角が立たなくていいかもしれない。
「ピザを焼くから、食べにおいで」
陽子さんから電話があったとき、ついに石窯を買ったのかと、びっくりした。社長さんが、前から、庭に置くタイプの石窯を欲しがっていたのだ。陽子さんに猛反対されていたから、ずっと保留になっていた。結局、ピザが焼けるグリルオーブンを買ったらしい。
次の日曜日のお昼に、社長さんが得意料理のパスタと共に振る舞ってくれるという。
社長さんは、結構料理好きで、休みの日のランチは、自分で作ることが多い。男の料理といった感じで、素材に拘って、いいものをシンプルな味付けで調理する。イタリアンが好きで、オリーブオイルを何種類もお取り寄せしているほどだ。
まどかと彩歌ちゃんにも声をかけると言っていた。
この間のバーベキュー大会で仲良くなった話をしたら「じゃあ今度うちでも女子会しましょう」と陽子さんが、楽しそうに計画を立てていたことが思い出された。女子会だから、春紀はいないような気もしたけど、社長さんがおもてなし料理をしてくれるときは、大体春紀が手伝いに借りだされるので、今回もそうだろうと予測できた。次のカレーの日が来たら、話をつける決意をしていたから、春紀に会っても、要観察でいようと思っていた。
昼過ぎに、千賀家に着くと、まどかが出迎えてくれて、キッチンダイニングの方へ通された。すでに彩歌ちゃんも来ていた。
「お邪魔します」
わたしが声を掛けると「ちぃちゃん、いいタイミングで来たな。すぐ出来るぞ」と社長さんの意気揚々とした声がかかった。春紀は冷蔵庫に背中を付けて、フライパンを勢いよく煽る社長さんを見ていた。キッチンカウンターの椅子に座っている陽子さんの前には、噂のグリルオーブンが置かれていた。
「社長さん、念願叶えたんだね」
わたしが笑って言うと、陽子さんが眉を思いっきりしかめた笑顔を作り、黙ったまま頷いた。
「そろそろピザも焼いていい?」
陽子さんが、社長さんに言う。
「おう、いいぞー」
社長さんが、陽気に返事をした。仲のいい夫婦だ。自分の親のサンプルはないけど、一般的に見て、社長さんは陽子さんを大切にしていると思う。
前日に、ホームベーカリーでピザ生地を作っていてくれたし、自家製のトマトソースもバジルペーストも、具材も準備万端で、後は焼くだけの状態だった。手始めということでトマトソース、バジリコ、モッツァレラチーズをトッピングして、オーソドックスなマルガリータ仕様のピザを作る。余熱されたオーブンにピザを入れて焼き時間は五分だ。円形のドーム型をしていて、プレートをセットし、プレスするように蓋を閉める構造だ。
今日は、落ち着いて人間観察をしようと思っていた。春紀のことに限らず、わたしは沈黙が苦手で、自分が何か喋らなければと、下らないことをぺらぺら話してしまう癖がある。空気が停止すると、反動で心が作動する。振り子のように揺れて、沈黙を破らなければと、焦ってしまう。面白くもない冗談とか、どうでもいい質問とか、やたらに言ってしまう。誰にも頼まれていないのに場を盛り上げなければと思ってしまうのだ。もし、沈黙のまま放っておいたらどうなるか、わたしが無駄な気遣いをしているなら、今後それを止めればいいし、人との付き合いも、もっと気楽にできるんじゃないだろうか。視点を変えるチャンスなのだ。落ち着いて、世界をみる練習をしよう。多分、過渡期なのだろう。いいのか、悪いのかしれないけれど、焦らずに、ワンクッション置いて、周りを見てみたい。
ダイニングテーブルは、八人掛けで、長辺に三人掛けの長椅子、短辺に一脚ずつ椅子が置かれている。長辺の席に端からまどか、彩歌ちゃんの順に座っていたので、わたしは彩歌ちゃんの隣に座る。まどかが、何を飲むか聞いてくれたので、テーブルの上に置かれているサイダーとオレンジジュースとウーロン茶から、ウーロン茶をチョイスした。テーブルの上には、既にほうれん草のサラダとノンフライヤーの器具で作ったフライドポテトが置かれていた。
「とりあえず三人分出来たぞ」
社長さんが、白いお皿に盛られた出来たてのパスタをキッチンカウンターに載せた。湯気がモクモクと上がって、ニンニクのいい匂いがしている。ペペロンチーノだ。社長さんのお気に入りのオリーブオイルが、たっぷり使用されているのだろう。
社長さんはフェミニストなので、こういう集まりの時は、給仕は男性にするよう躾けている。春紀がパスタをテーブルに運んでくれる。
「熱いうちに食べてね」
陽子さんの声と、ピザが焼き上がる電子音が被った。陽子さんが、次のピザをオーブンにいれて、春紀が熱々のマルガリータをピザカッターで切っている。社長さんは自分達のパスタ作っていた。
家主を差し置いて、先に食事をとるのも微妙なのだけど、社長さんも陽子さんも、人に食事を振る舞うのが好きで、こういう状況は、よくある。わたしとまどかが気にせず食べ始めるから、彩歌ちゃんはちょっと困惑していたけど「いただきます」と明るく言って食べ始めた。
具材はウィンナーだけのシンプルなペペロンチーノで、かなり辛い。わたしは普段はオイル系のパスタは選ばないのだけど、社長さんの作るパスタはそっち系が多い。
結局、食卓には六人なのに、サラダ、フライドポテト、パスタとピザが四枚も並んだ。ピザは宅配ピザとは全く違った。薄い生地なのに、クリスピーなサクサク感より、もっちり食感が強く、かなり美味しい。マルガリータ、四種類のチーズのピザ、トマトソースとシーフードの組み合わせ、後一つは、バジルソースにベーコンとポテトをトッピングしたもので、バジルが一番好みだった。単に芋好きなのだ。
社長さんが「オーブン買って良かっただろう」と頻りに繰り返して、みんなの賛同を得ようとすると「オーブンは良かったけど、石窯は要らないわよ」と陽子さんにバッサリ切り捨てられていた。まだ、本物を諦めていないらしい。
まどかの横の一番キッチンに近い短辺の席に、社長さんが座って、最後のピザが焼けるまで、ずっと給仕をしてくれていた。まどかの向かいに陽子さんが座り、彩歌ちゃんとわたしの間くらいの対面に、春紀が座っている。
「女の子が、三人もいると華やかでいいな」
社長さんが言うと、陽子さんも笑って頷く。昔だったら、大惨事だ。春紀を見ると、当たり前だけど、特にどうということもなく、パスタを食べている。
「誰か、うちにお嫁に来てくれないか」
社長さんは、こんな集まりになると、恋愛話を振ってくることが多い。話のネタのつもりだろうけど、若者がみんな恋愛に夢中と思ってもらっては、困る。
「伯父さん、それセクハラだからね」
「まどかは、厳しいな。彩歌ちゃんは、どう? うちの春紀」
社長さんは、まどかの辛辣な答えにめげず、隣の彩歌ちゃんに名指しで尋ねた。いつもは、わたしが槍玉にあがる状況だった。彩歌ちゃんが何と答えるか、凄く興味深い。わたしの答えは、いつも春紀の気分を害して睨まれるから、参考にしたい。でも、彩歌ちゃんが何を言っても、春紀は怒ったりしなさそうだ。根本的な土台が違う。
「下らないこと聞くなよ。佐木さん困っているだろ」
春紀が、社長さんを窘めた。想定外すぎる。春紀が助け船を出すとは思わなかった。わたしの時も、いつもそうして欲しいのに、えこひいきだ。えこひいきするのが、恋だと言った、父の言葉が蘇る。
「断る! でいいよ」
まどかも、春紀に続けて言った。彩歌ちゃんは「いやいや」と笑って返す。「酷いぞ、お前達」と社長さんがしょんぼりしてしまった。
「もう少し、早く言ってくれればよかったなぁ、あたし彼氏できちゃったんですよ」
彩歌ちゃんが、社長さんに冗談っぽく笑いながら言った。だけど、彩歌ちゃんの言葉に過剰に反応してしまったのは、わたしだった。
「えっ?」
空間を割って高い音が漏れた。彩歌ちゃんに彼氏がいたことに驚いたのだけれど、この感じでは「あなたなんかに彼氏がいたの?」という風に伝わってしまったんじゃないかと心配になった。
「いや、知らなくて驚いただけで、変な意味じゃないよ」
余計墓穴を掘ってしまった気がしたけど「本当だよ、知らなかった。いつできたの?」とまどかが、フォローしてくれたので助かった。
「えー、二週間くらい前かな?」
彩歌ちゃんが「あたしのことは、いいよ、いいよ。恥ずかしいから」と大照れして言った。初々しいというか、微笑ましい雰囲気が彩歌ちゃんを中心にじわじわっと広がった。色でいうなら黄緑色で、若葉の匂いのする感じ。朝顔の種が育って双葉が出たように、ほっこり嬉しそうに見えた。
「それは、一番楽しい時じゃないか。いいねぇ。春紀がもたもたしているから」
社長さんは、鈍感力というのを備えているのだろう。春紀と親子であるのに、性格は真逆に近い。そんなにずけずけ言っていいはずがない。
春紀の方を怖くて見れない。
社長さんのいつもの軽い冗談が、こんな事故に繋がるとは、思わなかった。春紀が彩歌ちゃんを好きかもしれないことばかり考えて、今度はまた、わたしは、彩歌ちゃんの気持ちを見過ごしていた。
彩歌ちゃんは、感じがいいし、いっつもにこにこして可愛らしい。彼氏がいて当然だ。二週間前っていうことは、それ以前ならチャンスはあったというわけだ。先を越されてショックなのは春紀本人なのに、それに追い打ちをかけられたら、憎しみが膨れ上がる。社長さん大丈夫か。春紀が彩歌ちゃんを好きであるとは、思っていないのだろうか。
まどかも、陽子さんも、春紀のことなぞお構いなしに、彩歌ちゃんに、どんな彼氏か、どこで知り合ったのか、と踏み込んで聞いている。みんな、地雷を踏みすぎだ。
怖いもの見たさで、ちらっと春紀を視界にいれる。ピザがちゃんと切れていなかったのでピザカッターで、ぎこぎこ生地を切っていて、表情は特にない。いつもの無表情だ。不機嫌なのは、すぐにわかるけれど、その他の感情について、把握するのが難しい。悲しいことと嬉しいことを隠す傾向にあるのだ。一瞬見るだけのつもりが、ピザがなかなか切れないので、じっと見てしまっていた。
「食べるの?」
「え?」
わたしの視線に気づいて、春紀が言った。結構お腹いっぱいだったけれど、バジルのピザだったから、春紀が切り分けた片方のピースをお皿に入れてもらった。なんだか、優しさが切ない。切ないときは、優しい気持ちになるから、春紀は今、そんな感じなんだろうか。
「でも、春紀の本命は、ちぃちゃんだから、大丈夫か」
社長さんが、急にこっちに話をふった。そんな食べ散らかした残骸の処理を求められても困る。食いしん坊ではあるけれど、食べられないものは食べられないのだ。全然大丈夫じゃない。
「えー、そうだったの?」
彩歌ちゃんが、社長さんのいい加減な話を真に受けて、驚く。わかりづらい冗談は悪だと、法律で決めてくれないだろうか。
「嘘だよ。社長さん、そういうこと言うの好きだから」
ピザを半分に折って口に運ぼうとしているところだったので、一旦手を止めて、彩歌ちゃんの方を見て答える。誤解されないように、ちゃんと否定しないといけないと思った。しかし、彩歌ちゃんに彼氏ができたら、もう春紀は諦めるしかないので、どうでもいいのかもしれない。彩歌ちゃんは、わたしの言葉に「えー、そうなの?」とさっきと同じように言ったけど、どう反応していいのか、対応に困っているのが伺える。わたしのせいじゃないけど、申し訳ない。
彩歌ちゃん越しにまどかと目が合った。まどかは、わたしの手には負えないよという感じで、両肩をすくめた。昔はこんな時、まどかがびしっと否定してくれたのだけど、流石に大きくなってまではない。いつからか、社長さんが言う、この手の冗談には、我関せずになった。最も、助けてくれないからといって、怒るのはお門違いで、自分でどうにかするべきなのは、当然だ。でも、だったら、同じ当事者である春紀が、ちゃんと否定すれば、一番いいのに、いつもだんまりなのだ。
春紀を見ると、無言のままピザを食べている。よく平気な顔で食事ができるなと思ったけれど、たぶん逆で、食べることで、気を散らしているのだろう。恐らく、傷心している。
予期せぬ形で失恋してしまったのだ。お皿に視線を落としたきりで、対面のこちら側を全然見ない。いじらしく思えてしまう。もう余計な世話は焼かないつもりが、構いたくなるから不思議だ。
「嘘じゃないよ。ちぃちゃんに見捨てられたら、春紀は一生彼女できないだろ」
社長さんが、しつこく続ける。冗談ぽくしているけれど、半分は本気で心配している。モテるくせに彼女を作る様子がなく、興味がないということが、モテなくて彼女ができないということより、深刻なのだ。
一方で、春紀が、社長さんに、彼女がいると言わないのは、家へ連れて来いと言われるからだろう。まさか、そこにわたしを連れて行くわけにはいかない。そんなことしをしたら、本当に嫁に来るように、勝手に話を作り上げられてしまうから、余計に厄介なのだ。
わたしとしても、実際、他に好きな人ができた時、困る。春紀と付き合っていて破局したとなったら、もう千賀家に来られなくなる。息子の元彼女なんて、いいものじゃない。
元カノで、辛うじてあるなら、春紀に好きな人ができて、わたしが振られるパターンだ。「また、振られてしまった」と言って、明るく笑えば、今まで通りでいられるかもしれない。
でも、それはそれで、春紀の彼女の気分を害するだろうから、問題ありか。春紀に彼女ができたら、陽子さんに会えなくなるのだろうか。まどかを介したら、大丈夫だろうか。春紀の彼女と仲良くしよう。「わたしの方が春紀を知っているんだから」と小姑みたいな態度をとらないようにしよう。
でも、春紀はきっと、彼女と陽子さんが仲良くすることを望んで、わたしを邪険にするから、面白くない。陽子さんを、その彼女に取られたくない。わたしの母親ではないのに、何を考えているのか、無茶苦茶だ。昔の春紀はこんな気持ちだったのかな。どうりで、わたしを嫌いまくるわけだ。わたしは、因果応報かもしれない。あの時もっと春紀の気持ちを汲んであげればよかった。
「それはないでしょ。社長さん、心配しすぎだよ」
社長さんが、懸念しても、はっきりいって仕方ないのだ。春紀が、そう言えばいいのに、その辺の親子感が不明だ。春紀は、昔から自分の気持ちを隠して、殻にこもるタイプだった。それで、長年随分拗らせてきたわけなのだ。その片鱗が残っているから、伝えられないのだろうか。
「オレの話は、もういいよ」
春紀は、布巾で手を拭いながら言った。機嫌は当然悪い。わたしと目が合うと、露骨に逸らした。味方をしてあげたのに、こっちに怒りの矛先を向けるのはなしだ。悪いのは社長さんだ。
「はいはい、ストップ」
陽子さんが、その場の空気を制して言った。
「ごめんね。おじさんだから、余計なことばっかり言っちゃうの」
陽子さんが、しょうがない感じで言うから、しょうがない雰囲気になる。優しい方へ空気が引っ張られる。やっぱりこの家で一番強いのは、陽子さんなのだと思った。
食事の後、社長さんは電話で呼び出されて外出した。わたしたちは結局四時過ぎまで千賀家で過ごした。
明後日に、クッキング部の集まりがあるというと、まどかが千秋君に御礼を渡してもらいたいから、モントレオリーブに付いてきて欲しいという。千秋君が甘党だと知っているから、お気に入りのバームクーヘンを渡すつもりでいたのだけれど、賞味期限が一週間なので、学校が始まってから、わたしに頼むつもりでいたらしい。いろいろきっちりしている。
彩歌ちゃんとまどかは、どのみち反対方向の電車なので、駅までの途中の道で別れた。
「彩歌ちゃん、彼氏出来て嬉しそうだったね」
「うん。どんな人か見てみたい」
「写メ見せてくれなかったもんね」
「伯父さん達がいたからね。今度見せてくれるって言ってたから楽しみ」
彩歌ちゃん曰く、クマみたいな人で、身長は自分より少し大きいくらいだという。彩歌ちゃんはわたしと同じくらいだから、相手もそう大きくないだろう。何がクマなのか、気になる。
「千冬に彼氏できたらちゃんと言ってよ」
まどかが、突如言い出したので、目が点になった。好きな人募集中だから、そんなのまだまだ先だ。きっとまどかに先に出来ると思う。「あっ」とその時になってふいに思った。もしかして高橋さんが、まどかにわたしと春紀のこと何か言ったんじゃないか。物理同好会の人達に、あっさり告げていたから、充分考えられる。振りをしているだけだから、大層なことじゃないので言わなかったのに、変な風に伝わっていたら困る。
「わたしにちゃんとした彼氏ができたら、一番にまどかに言うからね」
やぶへびになるかもしれないから、直接的なことは避けたけど、あんまり意気込んで言ったからか、まどかは「いや、別にちょっと言ってみただけだよ」と困惑気味に笑った。高橋さんのことは、関係なさそうだ。
「まぁ、まだ好きな人募集段階だから先は長いよ」
「じゃあ、好きな人ができたら、協力してあげるよ」
まどかが、真面目な顔で言う。どこかで聞いたことのある台詞だと思ったら、いつもまどかが春紀を好きな女子に言うやつだ。
「まどかに恋愛相談すると振られるジンクスあるの知ってた?」
「え? なにそれ?」
「ハル君とうまくいった子いないから、何気にそういう噂あるの」
まどかは「理不尽すぎる。二度と引き受けないよ」と言うかと思ったけど、全然平静だった。
「わたし、ちぃの恋愛なら成就させてあげられる自信あるから、大丈夫よ」
「なにそれ、超心強い。じゃあ、わたしも千秋君とのこと、引き受けた」
「だからそれは、違うって言ってるじゃない」
千秋君の話をするまどかは、絶対にかわいい。先のある恋愛っていいなと思った。




