12
迷路を出た時点で二時を少し過ぎていた。
千冬が、みんなは何処へ行ったのか気にしているので、三時にフリーフォールに集合と言うと、顔が強張った。
「誰も、千冬ちゃんにフリーフォールに乗れとか言ってないよ」
乗る必要がないことを告げると、ほっとしたようだけど、なぜそんなに弱気なのか、わからない。性格なんだろうが、度がすぎる。
「嫌なら嫌って言えばいいのに」
千冬はなんでも人を優先する。千冬が自分の好きな物を選べばいいいのに、いつもまどかや他の人間の選ぶものになる。多少嫌なことでも、みんながそうするなら、いいよと言ってしまう。
昔から、オレはそれが無性に苛々した。理由はわからなかったけど、いつも一人で損をしている千冬に対して、周りの無神経さに腹が立った。
千冬が「ハル君は、これがいいよね?」と、オレの意見を代弁するのは、自分の意見を言えない分、オレの意見として言うことで、好きな方を選んでいるのだと思っていた。面倒くさいやつだなと思ったけど、それで千冬が好きな方を選べるなら構わなかったし、オレの気も晴れた。
それ自体が千冬に気を遣わせていることだと考えもしていなかった。
不機嫌なオレを気遣ってそう言っていたのだ。
それがわかったのは、苛立ちの原因を自覚してからで、千冬を好きだと気づいたときで、千冬の好みと自分の好みが一致しないと知ったときだ。
青葉の言うように、オレは人の気持ちの機微がわからない。わからないことは聞けと言うが、わからないことがわからなかったのだ。そもそも無理じゃないか。
「オレが言えた義理じゃないか」
沈黙が諸悪の根源だ。いつも、いつも言えばよかった。千冬の好きな方がオレはいいよって、そう言えばよかった。言えないから嫌われて、嫌われているから言えない。最初から間違えていたのだろう。
「別に、何も言ってないよ。それより、何か乗ってきたら? わたしに付き合うことないし」
「いや、いいよ」
「木製コースターに乗りにいけば? 下まで付き合うよ」
「木製コースターにこだわってないから」
「じゃあ、何が好きなの?」
「千冬ちゃんの好きなの選びなよ」
今更何を言っているのか。きっと乗りたい乗り物なんかない。
「じゃあ、観覧車にでも乗ろうよ。高橋さんにメールするから」
千冬が少し早口に言った。嫌なら何も乗らなくてもいい。そう言っても多分乗るというだろう。
何一つうまく伝えられない。自分に自信が無い。千冬の考えを読み取ってあげられる能力がない。わからない。黙って頷くだけだ。 メールを打つ千冬の隣で、観覧車の方を見ていると「千賀君、ちょっといい?」と背後から羽山の声がかかった。
上を向いていたので、近づいてくるのに気づかなかった。
「千賀君、一緒に観覧車に乗ってくれないかな?」
話があると言っていた。わざわざ観覧車に乗らなくてもいいだろう。まぁ、千冬は、オレと二人で乗るより、みんなと一緒の方がいいので、丁度よかったかもしれない。
「今から乗りに行くところだけど」
日差しが強い。首の後ろをじりじり照りつけられている。
「二人で乗りたいの」
「二人で?」
羽山が淡々と言う。それは、つまりオレに何らかの好意があるということだろう。にわかに信じがたい。彼女がいると告げているはずだ。
彼女がいる人間にどういう意図でそんなことを言うのだ。羽山の様子は、告白というより、脅迫に近い。鋭く刺すような態度で、敵意すら感じる。
「渡さんと乗りに行くところだったんでしょう?」
千冬の方を振り返る。目が合うけれど、何を思っているかは計り知れない。観覧車に乗りたいかどうかもわからないのに、こんな複雑なことを察知できるわけもない。もめ事を嫌うから、千冬の前で、これ以上問答するのはやめた方がいいのは確かだ。
「あー、ちょっと行ってきていい?」
「どうぞどうぞ」
千冬は両手を差し伸べるようにして言った。
関わりたくないのだろう。
「わかった。いいよ」
ここで断ったら、羽山は千冬に何かしそうだ。まるで自分が正しいことをしているような態度なのが、解せない。とにかく、千冬から切り離したい。
「戻るまで、あの辺座っていなよ」
休憩所を指さすと、千冬は黙ったまま頷いた。
スマホがあれば便利だろうなと思う。青葉と高橋が迷路から出てくる前に、戻らないといけない。
誰が誰を好きだなんて、どうやったらわかるのか。周りを見ると言っておきながら、全く気付かなかった。青葉が呆れていた意味がわかった。
観覧車までの道のりを、四人と微妙な距離をとったまま、無言で歩いた。四人は全くオレとは関係ない話をし続けていた。
観覧車は、空いていた。乗り口で二組を見送って、三つ目に来たゴンドラに乗ることができた。
「二人で」と言っていたのに全員で並ぶので、どういうことかと思っていたら、ギリギリになってオレと谷繁だけが、ゴンドラに押し込まれた。
ずっと羽山が声をかけてきていたので、羽山がオレを好きなのかと思っていた。今度は間違いない。谷繁はオレを好きだろう。
しつこく彼女のことを聞いてきたり、なんとなくずっと付いて来ていた理由も、納得できた。
だけど、彼女がいるって言っているのに、二人で観覧車に乗って何がしたいのだろう。
谷繁は奥の席に、オレはその対角線の入り口に近い席に座っている。谷繁は無言で窮屈そうだった。ずっと窓の外ばかり見ている。
今までに告白されたことはあるけれど、こんな風に向き合ったことはなかった。
呼び出されて、その場で断るだけだ。告白されるのは、面倒くさかった。オレは千冬を好きで、他は考えられないのだから、告白されても、断るのは当然で、いくら好きになってもらっても、返事は決まっている。だから、その好きは、元々間違いだ。その好きを向けるべき正解の相手がいるのだ。こっちの道は行き止まりだから、ちゃんと開通しているルートを辿るように、いちいち親切に教えてあげているという感覚があった。無駄な時間消費だった。寄り道してないで、早くゴールに向かえばいいのにと思っていた。
「あの、無理言ってごめんね」
「いや、別に」
青葉の言ったことが、不思議なくらい耳に蘇った。
片思いをする気持ちはみんな同じだと言った。そんなことはわかっている。
谷繁がオレを好きなのと、オレが千冬を好きな気持ちは、同じだ。同じ、同じ、同じ。いや、同じじゃない。同じではないはずだ。谷繁がオレの何を知っているというのだ。話したこともほぼない。接点なんて、まるっきりない。手配ミス、錯覚、何かの間違いで、好きだと勘違いしているだけで、オレのとは違う。千冬は、オレの傍にずっといた。通りすがりの、すれ違っただけの、そんな安易な思いではない。
谷繁には、他に正解の相手がいるはずだ。オレには、千冬しかいないのだ。でも、千冬の正解は、オレではない。だったら、オレも間違いか。じゃあ、やはり同じじゃないか。谷繁のしていることは、オレと同じだ。告白もしないし、迷惑もかけない、ただこのまま長く傍にいたいだけ。何も望んでいない。
「千賀君の、彼女ってどんな人なの?」
さっきと同じ質問だった。
「優しい人だよ。いつも面倒みてもらってる」
「千賀君が、面倒みてもらってるの? なんかイメージじゃない」
谷繁は、明るい声でにこやかに言った。オレとは全然違う。こんな風に笑えない。
「そう? オレってどんなイメージ?」
「なんでも出来て、悩んだりしなさそう」
「全然違うよ」
悩んでいない時なんてない。いつも千冬のことばかり考えてしまう。でも、それが辛いかといえば違って、会えないときほど、いいことばかり思い出す。
笑っている顔とか、ぶつぶつ言いながら干しブドウを除けている姿とか、オレの見ていないドラマの話を「ネタバレだけど言っていい?」と熱心に語る様子とか。
「じゃあ、彼女といるときの千賀君ってどんな感じ?」
「最悪だと思うよ。面白い話もできないし、笑わせてあげられない」
「笑わせたいんだ。でも、千賀君に、お笑いを求めてるかな?」
谷繁は、目が合うとすぐに視線を逸らして外を見た。オレも、自分の側のドアの窓から外を見る。目下には迷路が広がっていて、その向こうに千冬を待たせている休憩所が見える。人の姿までは確認できない。
千冬がオレに求めていることなんてあるだろうか。もう関わらないでくれ、それくらいだろう。
頂上に到達すると、ゴンドラが一瞬揺れた。もう後五分もすれば地上に着く。谷繁と観覧車に乗ることはもうないし、たぶんこれで谷繁からオレに何かしてくることはないだろう。
何か言ったほうがいいのだろうか。告白されたわけじゃないし、下手なことを言うべきじゃないのか。どうして欲しいのだろう。
「観覧車好きなの?」
オレの質問に谷繁は「うん。小さい頃からの憧れだったの」と小さな声で、大袈裟なことを言った。
「観覧車乗ったことなかったの? 一回も?」
「そうじゃないけど」
何を尋ねているのか。オレは本当に、馬鹿だ。谷繁はオレと二人で観覧車に乗りたいと言っていたじゃないか。
最後に一つ、好きな人と何か出来るとしたら、オレは何を望むのだろう。終わるのだったら、せめて気持ちくらい伝えたい。
好きなんだ、間違いなんかじゃない。うまくいかなかっただけだ。この気持ちを勝手に間違いだと否定してほしくない。
オレは今まで何を勝手なことを思ってきたのだろう。最低だ。
「一緒に乗ってもらって、ごめんね」
谷繁は、やっとこっちを見て、笑って言った。
地面が近い、もう終わりだ。
「いや、こっちこそ。憧れが叶って良かったよ」 「うん。有難う」
オレは、本当は、恋愛なんてしない方がいい人間なのだと思った。
観覧車から走って千冬の所へ戻ると、青葉と高橋に先を越されていた。何かろくでもないことを言ったのではないかと、心配になったけど、そうでもなさそうだった。
青葉と高橋が、フリーフォールに向かい、千冬とオレだけが残った。オレがジェットコースターに乗れなかったのを相当気にしていて(本当にどうでもいいのだけど)何かに乗ろうと言うので、結局観覧車に乗ることになった。
オレが、奥の席で、千冬が入り口に近い席に対角線上に座っている。皮肉だなと思った。
密室に二人きりで、酷く息が詰まる。
どこかの国へ行って幼虫を食べろと突きつけられたみたいに、体中がぞわぞわしていた。最高のもてなし料理だと言われて、避けられない。胸がつかえる。目を背けるけど、気になってしかたない。今ここで、急に抱きしめたりしたらどうなるのだろうと、わけのわからない想像が脳裏に浮かぶ。
外の景色を見て気を紛らわす他に、この高揚を押さえるすべを思いつかない。谷繁が外ばかり見ていた気持ちが嫌なくらいにわかった。
「由夏ちゃんと何話してたの?」
「由夏ちゃん?」
「え? 由夏ちゃんとさっき観覧車乗ったんでしょう?」
千冬が、驚いた顔で尋ねてくる。
「いや、よくわかったなと思って。一緒に乗ろうって言ってたの羽山だったろ」
「女の子なら、大体わかると思うよ」
千冬は、遠慮気味に言った。
「ふうん」
納得して答えたけれど、谷繁の態度はそんなに露骨だったか。全然気づかなかった。
恋愛云々を置いても、オレは本当にもっと周りを見るように気をつけなければならない。
窓枠に肘をついて外を眺めているけれど、千冬の視線をじっと感じていた。質問に対する答えを待っているのだろう。
「彼女のこと聞かれた」
言った後、しまったなと思った。咄嗟に、千冬の方を見ると、思いっきり目が合った。
「千冬ちゃんの名前なんて出してないよ。ただの願望をいっただけ」
そのまままた、ゆっくりと視線を外へ移行させる。空気が薄い。唾を飲み込むのにも、変な音を立ててしまいそうで、気になる。
毎朝同じ車で送迎してもらっていたけれど、千冬は車に酔うからいつも助手席に座っていた。
こんな密室で近くにいたことなんてなかった。
「ハル君にも、願望なんてあるんだね。ちょっと驚き」
「あるでしょ、そりゃ。オレのことなんだと思ってるの」
千冬は、本当にオレが自分を好きだということに気づいていないのだろうか。
彼女になってって普通に考えればそういう意味じゃないのか。名目上っていったって、嫌いな相手に頼むことじゃない。
確かに一度も好きだと言ったことはないし、気持ちがばれないようにしてきたけれど、谷繁のことには気づいて、オレのことには気づかないなんてあるのか。オレが谷繁のことに気づけなかったのと同じで、意識が全く向いていない。そういうことか。
「願望って何? たとえば木製コースターに乗ってデートするとか?」
「だから、コースターはどうでもいいって」
小さい頃、天邪鬼なことばかりしてきたから、千冬はどうもその感覚で接してくることが多い。本当のことを言っているのに、裏腹をとってくる。
さっき乗った時とは違い日差しが強かった。顔に直接日光が当たるので、目が痛む。自分の正面に座りなおすように千冬が勧めるので従うけれど、狭いゴンドラだから膝が当たりそうになる。前を向けないし、手が痺れているようにぼんやり熱い。外の景色に集中するしかない。心臓がうるさい。沈黙していると、余計に止まらなくなりそうだから、聞かれた質問をそのまま返す。
「千冬ちゃんは、理想のデートあるの?」
「そうだね、強いていうならモントレオリーブのホワイトマカダミアチーズケーキを一緒に食べに行くことかな」
ケーキを食べに行くというのは、千冬らしいが、やたらに具体的に答える。
「それって、駅の前のケーキ屋?」
「そうそう。あそこのホワイトマカダミアチーズケーキは本当に美味しいの」
「食べるケーキまで指定すんの? 違うの頼んで、交換したりしないの?」
気になりすぎて、深く追求してしまう。
「交換?」
「一口どうぞ、みたいなの。女の子って好きだろ」
どこの誰をサンプリングにして言っているのか、自分でも謎だ。
「あぁ、わたしそれ無理。女の子同士ならいいけど」
「え?」
「彼氏は甘い物なんか食べたら駄目だよ。百年の恋も冷める」
「何それ、自分はめちゃくちゃ甘党のくせに? 無茶苦茶じゃない?」
「いいでしょ別に、理想なんだから。わたしは好きな人と好きなケーキを食べながら、そんな甘い物よく食えるな、とか言われたいの。乙女心は複雑なのだよ」 「乙女……」
なんだ、甘党じゃなくていいのか。オレが甘い物を苦手だと知っていて、わざと言っているのかと思った。けれど、オレと行くのはカレー屋なのだ。そもそも、関係ない。
千冬の方を見ると、背中をがんがんと太陽に照りつけられていた。自分の叫び出したい衝動を抑えるのに必死で、気づけなかった。
「そっち、日が当たり過ぎてる。場所変わるよ」 「もう、着くから、大丈夫だよ」
千冬はそう言うと、隣に置いていたリュックを背負った。早く降りたかったはずが、地上に近づくほど、もう一周まわりたくなっていた。
乗務員に外へ出るようにうながされ立ち上がったとき、千冬が一瞬よろめいたので、後ろから支えると、申し訳なさそうに笑った。
熱中症にでもかかったのではないかと心配になった。飲み物を買ってくるから待っているように言うと「リュックにお茶があるし、大丈夫だから」と乾いたような声で笑った。
帰りの電車の中でも、ずっとぼんやりしていて、体調が悪そうだった。「大丈夫大丈夫」としか言わないし、家まで送りたかったけれど「自転車でさーっと帰るから」と言う。
早く帰って休みたい雰囲気だったから、駐輪場で別れた。
無防備に後姿を見つめていたら、千冬が振り向いた。一瞬だったけど、全ての音が鳴りやんだように感じた。振り向くと思わなかった。それが異常なくらい嬉しかった。
千冬を好きじゃないかもしれないなんて、よく言ったなと思う。
青葉は正しかった。だったら、好きだと告げてもいいのだろうか。流石にそれは、楽天的すぎる。




