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 青葉から電話があった。

 今度の第三日曜日は、物理同好会の集まりに行こうという。

 その日は千冬と会う予定があるのを知っているはずだ。よくよく聞けば、高橋が千冬を誘って女子会をするから、そっちへ譲れという趣旨らしい。

 協力するとか言っておいて、どうしてそんな邪魔をするのか。高橋が千冬と連絡先を交換していたことに、もっと懸念すべきだった。本来なら、絶対拒否する案件だけど、千冬と距離を置いてみる必要があると考えていた矢先だったから、後ろ髪を引かれる思いはしたが、了承した。

 千冬はオレと会わないことをどう思うだろう。あれだけ拘っていたのを止めるのだから、何か気にしていないか。しかし、前日になっても千冬からメールは来なかった。高橋に、オレには連絡してあると聞いているのだろうけど、くさくさして、ずっとパソコンでゲームをしていたから、当日は寝坊してしまった。

 梅前遊園地に一○時に集合らしいが、青葉とは途中の駅で待ち合わせていた。


「お前本当に、スマホもてよ」


 二○分待ちぼうけを食らわせた。

 流石に申し訳ない。スマホを持ちたくない理由を知られたら、からかわれるのは必須だ。言えるわけがない。

 園内に入ると、青葉のスマホが鳴った。同好会のメンバーかららしく、ジェットコースターに並んでいるところだという。

 物理同好会のことを知ったのは、高校に入学して直ぐだった。ネーミングセンスと活動内容が気にいって、すぐ入会した。(青葉は、勝手について来た)

 絶叫マシンに乗ると、胸の中の溜め込んだものが全部吹き飛ぶ。爽快感にはまってしまった。昇りつめてから落ちるまでの胸がざらざらする感じと、高ければ高いほど、周りが緊張で静寂になっていく状態が好きで、そこを一気に下降の風に煽られると、自分が白く払拭される。今の状況には、ピッタリだ。

 もうこれで、千冬への固執も消えてしまうかもしれない。安易な考えではあるけれど、そういう風に意識を向けたことがなかったから、進歩だ。


「武ちゃん!」


 ジェットコースターに並ぶ列の前方から、聞き慣れた声がした。高橋だ。隣に千冬がいる。目を疑うが、見間違えるはずもない。

 女子会に行くのじゃなかったのか。高橋がパンケーキ屋で「後はこっちでする」と言っていたが、これのことか。

 何をしようとしているのかは不明だけど、よりによってなぜ今日なんだ。諦めようとしているときに限って、会ってしまうなんて、気持ちを淘汰できなくなる。しかも遊園地なんて、場所が悪い。千冬は乗り物に酔う質で、遊園地は苦手なのだ。

 高橋に強引に連れて来られたのは、暗に想像出来るが、ジェットコースターなんて無理だろう。明らかにおどおどしている。

 手をつかんで列の外に引っ張ると軽い感じでこちら側へ出てきた。列の後方へ並ぼうとオレに言う青葉に対して、千冬の代わりに入るように告げた。周りががやがや言っているのはわかったけれど、もういい。千冬のことはもう終わりにするつもりなのだから、好きにする。千冬は、こんな風にオレが人前で馴れ馴れしくするのは嫌がるだろうけど、もう関係ない。したいようにするだけだ。


「千賀くん、乗らないの? これ乗りたかったんじゃないの?」

「渡さんも、折角並んでたのに」


 同好会のメンバーの森沢と福山が、問いかけてくる。

「いや、いいよ。この人もジェットコースター乗らないし」

 

 千冬の方に視線をおくると「あ、はい」と同意した。もっと嫌そうな顔をするかと思ったけれど、案外普通だ。ジェットコースターに対する拒絶反応で、あまり意識がこっちに向いてないというのが大きい。

 そのままずるずると引っ張って、日陰のベンチに座らせると、黙ったままぼんやりしていた。


「何やってんの? 女子会するんじゃなかったの?」


 当てつけっぽかったか。驚いた顔をしていたから、オレが来るとは思っていなかったのだろう。高橋に強引に誘われれば拒否できないのはわからないでもないが、こっちをないがしろにしすぎだ。


「女子会? いやわたしは高橋さんと二人で遊ぶのだと、来るまで思ってたんだけど」


 千冬の方にも、正確なことは告げられていないらしい。あいつら、何がしたいのだろう。四人で会うならまだ話もわかるが、物理同好会に参加してどうしようというのか。


「ふうん。まぁ、別にいいけど」

「木製コースター乗りたいんじゃなかったの?」


 千冬は、申し訳なさそうにぼそっと言った。 乗りたいと言えば「行っておいでよ」と言うのだろう。オレと一緒にいたいわけではないから、好きなことをしろと言うのだ。気遣われると、そうした方がいいのかなと思う。


「そっちこそ、ジェットコースターなんて乗らないくせに、何しれっと並んでるの?」


 いくらなんでも人に合わせすぎだ。なんで千冬が我慢をする必要があるのだ。苛々する。


「絶叫マシン好きなの?」

「え? あぁ、まぁ」


 遊園地が嫌いな人間に絶叫マシンが好きだと言えば、マイナス要素だろう。趣味が合わないと思われたくない。今更嘘を言えないから、認めざるを得ない。その辺のことは受け流してもらいたい。


「なんか意外。知らなかった」


 千冬は、感心したような声で言った。マイナスにすらならないのか。オレが何を好きでも、関係ないし興味が無いのだ。いつまでも目を背けていてもしかたない。正直に受け止めないと、次へ行けない。


「知る気あったの?」


 もう終わりにしようと思ったら、言いたいことが後から後から出てくる。最初から、嫌っていたわけではなかっただろう。冬と春で仲良く出来るんじゃなかったのか。どこの、なんの段階で駄目だった? 聞いたって取り戻せないのはわかっている。でも、漠然としているより、はっきり理由がわかった方が納得できる。

 千冬の視線を感じて隣を向くと目が合った。

 昔から、少し肩につくくらいに切られた黒髪で、下ろしていることが多い。手先が不器用でうまく結わえないのと、短すぎると朝はねて面倒くさいというのが理由らしい。

 昔はオレより背が高くて、見上げることが多かった。座っているところを呼びに来るから、余計にそのイメージなのかもしれない。身長が伸びるのに比例して目が合わなくなっていった。

 垂れ目だからいつも笑っているように見える。いつも笑顔というのも、表情が乏しいに該当するのだろうか。


「あるよ。あるある」


 千冬が、鞄の奥底に埋もれていたポケットティッシュを差し出すみたいにいった。


「軽い」


 ないと言われるよりは良い。笑えるようで笑えなかった。




 高橋と青葉を呼び出して、どういうことか聞いてやりたかったけれど、ぞろぞろ集団行動をしていた。

 いつもなら、好き勝手に別れるのに、今日に限ってどうしてということばかりだ。女子四人と千冬は仲良く話しているから、青葉と高橋を連れ出しても大丈夫だろうけど、それでまた絶叫マシンに乗せられたらと思うと心配だ。

 もう面倒くさいから、千冬を連れてヒーローショーでも観に行くと言えばいいのかもしれないが、千冬は高橋に誘われてきているのだから、絶対嫌がるだろう。

 今まで、まどかや家族以外の人間と一緒に千冬と出かけることがなかったから、どう対応していいかわからない。千冬は人見知りじゃないから、誰とでもうまくやるが、ふわふわしすぎだ。見知らぬ人間と遊園地には来たら駄目だ。

 結局スーパーバイキングに乗せられて、倒れそうになった。これで、周囲に絶叫系は駄目だとわかったから、もう無理することはないだろう。

 高橋が付きそうというのを制止して、フードコートに連れて行く。前回の集まりにも来ていた羽山藍華と谷繁由夏も休憩したいからと一緒に来たけれど、千冬を心配してというのなら、千冬が余計に気を遣うから遠慮してもらいたい。

 大分ぐったりして、テーブルにうつ伏せになるので、もう連れて帰ろうかと悩んでいると、羽山が「冷たい飲み物でも飲めばすっきりするんじゃないかな」というので自販機に買いに向かう。別にいいのに、谷繁もついて来た。何を飲むか尋ねるとカルピスソーダだと答えた。二本買って渡す。


「あの、お金」

「え、いいよ」


 千冬は甘党のくせに、甘い飲み物は飲まない。緑茶好きだけど、水の方がいいかもしれない、一本ずつ購入した。


「あの、有難う」

「いいえ」


 谷繁は、どうもワンテンポ遅い気がする。あまり話さないし(お互いさまだけど)無口なのか、人見知りなのか、女子とはそもそもどんな感じかよくわからない。自分のサンプルがまどかと高橋で占められているので、比べるのはどうかと思う。


「あの、渡さんって、幼馴染なの? 違うの?」

「幼馴染だけど。違うって、なんで?」

「青葉くんは幼馴染だって言ってたけど、高橋さんが違うって」

「あぁ」


 高橋が彼女だといいかけて、青葉が止めたのだろう。千冬が嫌がるから、人前で公言しないように頼んでいる。

 あの二人(というか高橋)は何をしたいのか、本気でわからない。

 テーブルに戻ると起き上がって肩を回している千冬の後ろ姿が見えた。傍によると「千賀君って、彼女いるの?」と言っている会話の断片が耳にはいった。

 何の話をしているのか。どういう意味でそう言ったのか。羽山が質問しているならわかるが、なぜ羽山に千冬が問いかけているのだ。


「いるけど? 知らなかったとは驚き」


 背後から見下ろして答えると、千冬が相当驚いた顔をしたので、いい意味ではないことは分かった。

 お茶のペットボトルを前に置いて、隣に座る。谷繁が羽山の横に座って、オレからだと言ってカルピスソーダを渡した。


「いいの? 有難う」

「いいえ」


 千冬も同じように隣で「有難う」と言う。さっきの発言が引っかかって無言になってしまう。自分は彼女ではないという牽制のつもりで言ったであろうことは、おおよそ予測がついている。


「千賀君ってやっぱり、彼女いるんだね」


 千冬と羽山の会話だったのに、何故谷繁が掘り返して言うのだ。やっぱりというのが腑に落ちない。公言した覚えがない。見ず知らずの羽山にまで、彼女だと名乗ることを拒む千冬が聞いたら、どう思うか。止めてもらいたい。


「どんな彼女なの?」

「どんなって言われても」


 千冬は、ペットボトルの蓋を開けたり閉めたりしている。まだ気分がよくないのか、会話の内容が嫌なのか、表情は暗い。


「千賀君の彼女なら、美人そう」


 美人と言うより可愛い系だろう。もう別れなければならないけれど。




 みんなで迷路に行くことになって、入り口で千冬と高橋と逆方向へ進んだから、青葉を問いただしてやろうと思っていた。

 同好会のメンバーが、歩きながらネットで調べると、右に進み続けると出口に着くというなんとも安易な攻略法を見つけてしまった。半信半疑だけど、それでやってみようということになった。

 途中の見晴らし台まできて、上からその方式を辿るとやはり出れることを確認した。それで、すっかり迷路に興味をなくした男三人は早々に立ち去って、三時にフリーフォールで集合となった。

 青葉とそのまま見晴らし台に残ると、羽山が「ちょっと話がある」と言ってきたが、後にしてくれるように頼んだ。

「ごめんねー」 青葉が呑気に返した。謝るのはこっちにだろう。


「なんだよ。大好きな千冬ちゃんと、せっかく遊園地に来てるのに、えらい不機嫌だな」


 青葉が、見晴らし台の柵に肘をついて言った。


「千冬は遊園地が苦手なんだよ。なんでこんなことになったんだよ」

「それは、こっちのミスだけどさ、珠杏はお前を応援しようとしてるんだから、悪く思うなよ」


 応援するのに、どうしてぞろぞろ遊園地なのか。千冬は、オレと付き合っていることを隠したいのだ。逆効果だろう。もうずっと何度も言っている。


「お前って、千冬ちゃんといるとき、いつもあんな感じなの?」

「そんなわけないだろう」


 間髪入れずに答えると「だよな」と青葉がほっとしたように言った。


「もう、終わりにしようと思っているから」

「何を?」


 青葉は、隣で柵に背中をあずけて内側を向いていたオレの顔を見た。


「千冬のことは、もう諦めようと思ってる。いつまでも追いかけてても仕方ないし、大体、好きじゃないのかもしれない。もっと他に目を向けることにしたんだ」


 口に出したら、急に空気が静まり返った気がした。見晴らし台には誰もいない。さっきまで蝉の声がいやなくらい響いていたのに、遠い。青臭い苔の匂いと、手摺の木材の湿った感触が、薄ら寒い。


「へぇ」


 もっと突っ込んでくるかと思ったけれど、青葉は意外にも小さくそう言っただけだった。


「だから、嫌われてもいいし、自分のやりたいようにやっただけ。いつもはもっとちゃんと距離をとって接してる。普通に、最悪だな。自分でも引くわ」

「オレも、今引いたわ」


 青葉が、遠慮なく言う。擁護のしようもない事実だし、言葉を濁されるよりいい。


「まぁ、周りに目を向けるのはいいことだと思うよ。お前、かなりズレてるから」

「は?」


 千冬の話をしているのに、急に人格否定をしはじめた。顔を見るとちょっと笑っていて、気味悪いし、失礼だ。


「お前人生イージーモード過ぎるんだよ。なんでも独りでほいほいこなすから、人の気持ちとかあんまり考えてこなかったんだろ。それを急にやろうとしても、無理なんだよ。人の気持ちも自分目線なんだよ。もっと人に関心もてば、千冬ちゃんの気持ちもわかるようになるよ」

「なんだよそれ、オレはいつだって真面目にちゃんとやってきたよ。自分のことは自分でするのが当然だろ。人の気持ちなんて誰にもわからんだろ」


 そうだ。だから、オレは、一人でやれるように、自分でちゃんと世界をつくりあげてきたのだ。最初から手に入らないものには手をださない。わからないものには、踏み込まない。でも、そこへ、いつも横槍をいれてくるのが千冬だった。規律のとれた正しい並びの安定した感情を、ぐちゃぐちゃにしていくのは千冬だ。やっぱり、千冬とは離れなければならない。


「みんな、お前ほどじゃないから。つーか、もう、お前は聞いた方がいいよ」

「何を聞くんだよ」

「千冬ちゃんのことだよ。本人に聞いてみろよ。わからないことは、人に聞け」

「は? 何を? もうやめるっていってるだろ。どうせ、先もない」

「あのな、オレはお前の友達だから言ってやってんの。片思いなんてみんなしてるの。辛いのも同じなんだよ。だから、好かれるように努力するわけ。付き合いたいと思ってるわけ。でも、お前は付き合ってるんだろ? 彼女なんだろ? それなのに、なんでそんな激烈片思い状態なんだよ。普通に好きだって言えばいいだけだろ。千冬ちゃんも待ってるよ。本人に聞けないんなら、オレが教えてやるよ、好きだって言えよ」


 ため息しかでない。

 何もわかっていない。告白するなと言われているのだ。


「ない」

「あっそう。まぁ、別に、お前が諦めるっていうなら、いいけど。周りを見るとかいうなら、谷繁のことなんとかしてやれば?」

「なんで、谷繁が出てくるんだよ」

「さあねー」


 青葉は、急にスマホを取り出して、通話を始めた。一体なんだっていうんだ。


「今ここから、そっちの姿見えてるよ」


 青葉の言葉を聞いて、その視線の先を見る。千冬たちの姿がある。電話相手は高橋らしい。


「うん。そう、そのまま真っ直ぐ来て、行き止まりを左。そう」


 こちらに誘導している。しばらく道案内の会話が続いて、スマホを切った。


「千冬ちゃんと、二人にしてやるから、別れ話でもなんでも好きにどうぞ」


 青葉が、意地の悪い顔で笑う。オレが別れられないと思っているのだろう。


「どうでもいいけど、千冬ちゃん千冬ちゃんって、馴れ馴れしいんだよ」

「馬鹿か」


 青葉が短く言ったところで、高橋を先頭に四人が階段を上がってきた。 宣言通り、青葉はわざとらしいくらいあからさまに、オレと千冬を二人にするように仕向けた。


「こっちも行こうか」と言うと、千冬が後ろをとぼとぼ付いてくる。明らかに元気がない。体調が回復していないのか、この状況が嫌なのか、どの道申し訳ない。

「なんかいろいろと、ごめん。お昼のこととか、特に。彼女になってって頼まれてたのに、とぼけちゃって。言っていいかわからなかったのよ」

「別に、無理に頼んでるのはこっちだし」


 言っていいに決まっているし、言いたくないなら、言わなくていい。謝らなくていい。それで心に負荷をかけてしまうことの方が問題なのだ。 振り向いて、千冬の顔を確認する。どんどん暗くなっている。


「さっき、森沢さん達には付き合ってるって言ってしまったけど、あっちとこっちでややこしいことにならないかな?」

「それって、高橋が言ったんだろ? 他に余計なこと言わなかった?」


 まさか高橋が、オレが千冬を好きだから云々の話をして、対応に困っているのだろうか。なんと言っていいかわからずに、悩んでいるとか。高橋が勝手なことを言ったのは気にしないでいいよと言っておいた方がいいだろうか。


「付き合ってるって言ってただけだと思うけど、他には何も言ってなかったと思う」


 なんでそんな他人事のような言い回しなのか、一瞬わからなかった。森沢達に対して余計なことを言わなかったか、と捉えたらしかった。

 オレは千冬が一番だけれど、千冬にはその認識がないから、こんな誤解が生じるのだろう。


「そういう意味じゃないよ。ごめん」

「いや、別にわたしは何も」

「もう、こんなことないようにするから……」


 次に出てきそうになった言葉を飲み込んだ。彼女を辞めないで、と言おうとしていた。距離を置いて、ちゃんと終止符を打つつもりでいるのに、何をしれっと頼もうとしているのか。

 振り向いてみる千冬の顔は、酷く沈んでいる。こんな顔をさせては駄目だろう。もう、解放してあげないと、駄目だ。


「道違った?」


 急停止して振り向いたから、千冬が尋ねてきた。


「いや、合ってる」

「何それ、急に止まるから、びっくりしたわ。言っとくけど、わたし、地理とか苦手だからね」

「地理って」


 千冬は急にけらけら笑い始めた。別に何も面白いことなどないのに、ずっと笑う。この場面で、それはない。どうして人が本当に諦めようとするときほど、心を捕えて離さないようなことばかりするのだろう。

 せっかく決心したのに、言えなかった。











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