歪な姿
2.歪な姿
「──特に何も見えないから、少なくとも一カ月はその人に何も起こらないと思うわ。そこまでの偶然が重なったのもすごいけれど、すべてを結びつけて怯える必要はないと伝えてあげなさい」
「やっぱそうですよねー。いや、俺もそう言ってんすけどなかなか納得しなくて。でも未来予知で有名な占い師さんにそう言ってもらったってなればさすがに落ち着きますよね」
「さあね。そこまではさすがに保証しないわ。料金だけど、明確な映像が見えなかったから安いほうでいいわよ」
薄暗い一室。丸いテーブルをはさんで向かい合う一人の男女。男はどこか軽薄な口調で話しかけるけれど、親しい雰囲気は感じられない。
女は体のラインを隠すようにショールをまとい、顔もベールで隠している。人によってはジプシーを想像させる。テーブルの上には丸い水晶が置かれていて、女の細い手はそれに始終触れていた。
水晶の横には一枚の紙。そこには占ってほしい人物のプロフィールが書かれている。氏名、生年月日、血液型、出身地に性格を記入するように欄が設けられている。
「くどいようだけれどもう一度言わせてもらうわ。未来なんてさまざまな要因で変わる。だから当たるも八卦当たらぬも八卦。まして今回は──」
「直接会ったわけじゃないから、確率はさらにさがるってんでしょ。わかりましたって。っていうかいいんすか? そういうのって言わないほうが──」
「言わなかったら言わなかったで面倒なのよ」
「大変っすねー。じゃ、ありがとうございましたー」
最後まで軽い口調で大学生風の男は部屋を出て行った。
占い師の女はドアが閉まるのを待ってため息をつく。珍しいタイプの客ではない。それにもかかわらず妙に疲れたのはなぜだろう。どこか探られているような気分に何度もなった。
軽く甘いものをつまんでから次の客を受け入れることにしよう。そう、彼女は決めた。
占い師の店からだいぶ距離を取った路地裏。先ほど占い師と会っていた男が携帯で誰かと話している。
「──はい。水晶玉はフェイクだと思われます。それに始終触れてはいましたが、それよりもプロフィールをずっと見ていましたから」
『──、──』
「多少の違和感は与えてしまいましたが、確信はつかませていません。『不幸に襲われている友人』の設定を綿密に練ったかいがありました」
もしも占い師が今の男を見たら驚愕するだろう。服装はそのままなのに軽薄な口調はなく、それだけで学生の空気が消えているのだから。
『……』
「武田は本人の相談をし、私は友人の相談。もう少しケース数を集めますか?」
『いや、いい。一回間を置く。詳しい報告を後ほど頼む』
「わかりました」
通話を終了し、三十秒ほど目を閉じる。再び大学生風の空気をまとい、男はその場を離れる。
その姿を見たものは誰もいない。
「協力者の一覧表とかってないんですか?」
大学から警察署の超能力対策課に向かう。それが四月になってから司の基本となった。
連絡がつくならサークルに入っていいと言われているものの、彼女にその意思はない。別にプライベートの全部を諦めているわけではなく、タイミングが合えば同じ選択の子の誘いにのることもある。それでも少女は超能力対策課を基本の場所としていた。
本日も足を踏み入れたところ、バディを組むはめになった男――蒲生翼が浩司にもっともと言えばもっともな質問をしている。賢介はいない。何かの会議だろうか。
「なくはないけどー、本名じゃないのも大量発生だけどいい?」
「……むしろ管理体制的にどうなんですか。いやまあ、察しますけど」
「もちろんアウトなんだけどね。僕も含めて変わり者が多くてさ、協力するって言ってくれるくせにあまり連絡してくるなとか、メール以外受け付けたくないとか、いろいろと大変なんだよね。莉子ちゃんや司ちゃんがレアすぎるくらい。あ、おかえり、司ちゃん」
「どうもです。莉子ちゃんは?」
莉子はまだ小学生になったばかり。どう考えたって帰りが早い少女の姿が見えなくて気になる。幼稚園に入る前から知っているし面倒を見ていて、もうひとりの妹のような感覚を持っているからなおさらに。
「お友だちが出来て遊びに誘われたんだって。防犯ブザー持たせてるし、キッズ端末もあるからまあいいでしょう、と」
莉子が持つ防犯ブザーは司とタイプが違ってボタンを押すだけで役割を果たす。
「しかも偶然にも、へーすけくんが通うジムから見える公園だし」
「……ほんとに偶然ですか?」
「ぐーぜん、ぐーぜん。それに別に見張りとかお願いしてないから安心してよ」
「あのジムに通う人はそろって気がよくて、何かと公園の様子を気にしてくれるって知ってるからお願いしないだけじゃないですか」
「まーねー。っと、よし。翼くんのパソコンに名簿データ送っておいたよ。たーだーし、添付・コピー不可。ここで支給された翼くんのパソコン以外で開いたら動物の鳴き声が十分流れたあとにパソコン内のデータ全部破壊、バックアップはデザートですねごちそうさま、なウィルスが起動しちゃうからよろしくね、はぁと」
「えげつなっ」
自分が言われたわけでもないのに呻いたのは司だった。翼も呻いてこそいないが顔はひきつっている。
浩司のスキル云々より無駄に凝ったウィルス展開を想像してしまったのが一つ、三十路を超えた男が自分で「はぁと」と言ったことにツッコミたいのがもう一つ。とはいえ年齢は下手をするとブーメランとなって返ってくるのでネタにする気はない。
したがって彼はあからさまに会話を移行させることにした。
「その『へーすけくん』ってのも、協力者?」
「──あ、あたしに聞いてます? えー、と、その質問の答えはイエスです。6秒先の未来が見える予知能力者」
「ジムってのはプロレスね。何回か、その予知能力を利用して犯人を抑えてくれたよね」
「……なるほど。予知能力という点では占い師さんと同タイプだけど、活用の仕方は違うわけですね」
「そういうこと。ちなみに送った名簿には名前と、能力のタイプだけ載せているから」
「ありがとうございます」
ひきつりが消えた笑みを浮かべ、翼は自分の机に戻る。司も自分の紅茶を用意してから机に向かう。大学の講義で読まなければならない本があるのだ。
「司ちゃん、大学楽しい?」
「まだ始まったばかりですよ、浩司さん。……とりあえず、指定の本の一章ずつをレジュメにまとめて全員の前で発表する授業があるんですよね。発表者に当たらないことを祈るばかりです」
「発表しなくても単位平気なの?」
「最後にレポートで評価するそうです。講義で発表した人は追加点だって」
「にゃるにゃる。で、第二外国語は何にしたんだっけ?」
「ドイツ語。……浩司さん」
「うん?」
「ちょっと黙ってて。話しながら内容理解できるほど簡単な本じゃない」
顔を上げることなく言い放つ司。もしも顔を上げていたら、司はさらにイライラしただろう。なぜなら浩司はあるお話に出る猫のようなにやにや笑いを浮かべていたので。
「司ちゃん、反抗期?」
「うざい」
「見事な一刀両断」
名簿を確認しながらも二人のやりとりに意識を傾けていた翼は思わず呟いていた。
翼の出向が始まって二週間弱。この三人のやりとりが当たり前になり始めていた。
* *
新年度が始まり、肩に力を入れておくのが難しくなるころ、日本のその時期を迎える。すなわちゴールデンウィーク。今年の連休は土曜日から始まった。
ボーダーのカットソーに濃紺のワイドパンツ。わざと大きいサイズの上着を肩から落とし気味に来てから鏡を見る。少しだらしなくなりすぎている気がして何度か調節し、諦めて普通にはおった。髪はハーフアップにしてバレッタで留める。ちなみに前回の誕生日に妹がくれた。
あまり得意じゃない化粧は最低限。いつもどおりに伊達メガネをかけ、賢介が高校の入学祝でくれた腕時計をつける。さらに本日の制御装置であるブレスレットを重ねる。
わりと違和感を覚えず、日常生活に支障がないデザインを考えたのは誰だろうと、どうでもいい疑問がたまによみがえる。
カバンの中身を確認し、時間を見る。待ち合わせ時間の五十分前。待ち合わせ場所は自宅から四十分ほどの距離なのでちょうどいいだろう。ちなみに最寄り駅は住んでいるマンションから徒歩十分の距離。自転車は駅前駐輪場の料金を節約したくて諦めた。特殊な立場とは言え、司自身が使える料金は普通の大学生とあまり変わらない。大学の授業料は親に払ってもらっている。
(『今電車に乗ったよ。遅れなきゃ、十分前に着く』と)
メッセージアプリで妹の恵美に知らせる。するとすぐに通知が来た。
さすがに早すぎると思ったら、自分同様に超能力対策課に協力している青年からのメッセージ。先日話題になった「へーすけくん」である。
『莉子ちゃんと映画デート。莉子ちゃんから課長に「お仕事で忙しいの知ってるからへーすけくんにお願いするね」と、無邪気な「期待してない」弾がぶつけられた模様。あとでフォロー頼むわ』
「うわ……」
内容を読んで引きつった。読んでいる間に恵美から了解の返信が来たが、反応は後回しだ。
『こちらは妹とデート。即時のフォローはまず無理だし、時間おいてもできるかどうか』
『まじか。ポップコ―ン食べる莉子ちゃんの写真遅ればいけるかな?』
『悔しさが増すだけだと思うけど。何よりデートって言葉は避けなよ? 柔道VSプロレスが始まるよ』
『もーまんたい。俺も命が惜しい』
「どーだか……」
入力ではなく声が漏れた。
へーすけ青年は面倒見がよく、子どもにも慕われるいいお兄ちゃんタイプだが、どうにも好戦的だ。プロレスやっているのもそのあたりが理由らしい。
今でこそおねぇ口調の大道寺賢介だが、それでも元捜査一課の敏腕刑事。当然ながら柔道、剣道の心得がある。あいにく武道家の実力など知らないが、弱いはずがない、たぶん。へーすけがときどき戦いたそうに見ているのも知っている。
映画を見たいという莉子の願いを叶えたのは純粋な好意だろう。しかしそのことがきっかけで戦闘スイッチが入っては困る。
『とりあえず煽らないようにね。莉子ちゃんが困る』
『それね。俺らのアイドルを困らせるのは俺も不本意だし』
釘を刺してからアプリを閉じる。目的地まであと二駅。
不意に、最近知り合った男──蒲生翼のことを思い出す。彼と初めて殺人事件の現場に行ったとき、司は彼にかばわれた。あのときに青年が行使したのは柔道だろう。細身に見えてそこは警察ということか。よくわからないが。
浩司との会話を見るに、きっと頭の回転も早い。さらに女性の目を引き付けそうな外見。
天が二物も三物も与えたタイプの人種だ。
そんな人物と行動をともにすると思うとさすがに気が重い。女性の目を集めるに決まっている。注目されるのは正直嫌いだ。
捜査協力のときは無理やり割り切っているにすぎない。
「……」
なんとなく窓の向こうに目を向ける。五月晴れという言葉が似合いそうな青空。
賢介は翼のことをどれくらい知っているのだろう。それなりの付き合いだからと言って、男はすべてを少女に話してくれるわけではない。それを承知で信頼しているから、きっと司の安全を考えての采配だとは思うけれど。
それでもなぜ「バディ」を組まねばならないのかという疑問は残る。問えないけれど。
いよいよ目的地が近づいてきたため、思考を止める。開くドアの前に立てば、ちょうど電車もホームに入る。階段は少し遠い。
繁華街ということもあり、ホームの上は人がたくさんいる。歩きながら意識的に呼吸をする。今でこそだいぶ力のコントロールができるようになったけれど、昔はこういう場所にくるのがつらかった。不特定多数の思考や記憶が流れ込んでくるから。現在とてコンディションが悪いと読み取ってしまう。外が怖かった時期もそれなりに長かった。
今だって不安がついて回る。できるだけ人にぶつからないように歩くのはクセだ。
挙動不審にならない程度の緊張を携えながら改札を抜ける。待ち合わせ場所がここなので、人の邪魔にならないところを探す。
「──え?」
思わず振り返った。しかし見えるのは行きかう見知らぬ人たちばかり。すぐ近くにいた人なんかは、突然ふり向いた司に驚き、そそくさと立ち去る。
けれども司はそんなことに構っていられなかった。確認するように改札の向こうを見続けるけれど、目当ての人物は見つからない。
「……」
思わずメガネに手をやりかける。これを外してスイッチを入れれば、千里眼で改札の向こうが見える。
「──」
結局なにもしないままメガネから手を外した。
きっと気のせいだと自分に言い聞かせる。
「──お姉ちゃん! ごめんね、待った?」
「──ううん、今きたところ。久しぶり、恵美」
「ねえ、今日のお昼はパンケーキにしようよ。フルーツたっぷりのがあるんだって」
「いきなりお昼の相談?」
「だって友だちが言ってたんだもん、気になってー。お母さんに軍資金もらったし、いいでしょ?」
「はいはい」
タイミングよくやってきた妹。彼女との会話に思考を回す。
そう、気のせいだ。気のせいではないにしても、別に不思議なことではない。
すれ違ったのがつい寸前まで思い浮かべていた人物――蒲生翼だったから驚いただけ。警察署で見るスーツではなく、それこそへーすけが着るよなパーカーにジーンズというラフな格好だったから、印象的だっただけ。
そう自分に言い聞かせながらも、なぜか胸騒ぎが止まらないことにも、司は気づいていた。
* *
胸騒ぎが気のせいではないと感じたのは、ゴールデンウィークが終わりを迎える土曜日の夜だった。
司は警察署ではなく警視庁にいた。事件に巻き込まれたからである。幸いというか、けがは膝を擦りむいただけであり、レギンスが一着ダメになったくらい。メガネも落としてしまったが、フレームやレンズに支障はない。あったとして、伊達メガネなのですぐに調達できる。
「──司!」
「……課長」
聴取は終えたものの、一応未成年であるのと対策課に協力するエスパーなので賢介が身柄を引き受けにきた。血相を変えた様子に申し訳なさと嬉しさがこみあげてしまう。
「ご心配おかけしました」
「まったくだ……と、言いたいけど。まさかドラッグの売人と鉢合わせるとは思わないものね。しかも逃走中。大ケガがなくて何よりよー」
少女の苦笑に力が抜けたのか、口調がいつものものに戻る。大きくて無骨な手が司の頭を撫でた。
──賢介の言葉の通り、司は非合法な薬を売る売人によって一時的に人質にされた。
夜中というほどではないが、2か月ほど前までは歩けなかった時間帯。すぐそばのコンビニへ行くだけという油断がなかったとは言えない。けれども一般人よりは荒事に耐性のある司。いつもの防犯ブザーはきちんと携帯していた。
けれども言い訳させてほしい。彼女が一人暮らしするマンションもコンビニまで行く道のりも人通りはそれなりに多い。そういう場所だから賢介も両親も少女の一人暮らしを許したのだ。
今回の場合、騒がしいと思った直後に曲がり角から人が出てきたナイフを突きつけられたのだ。反応できる人間が少数派だと思いたい。
「あんたを助けてくれたっていうコンビニのアルバイトくんは?」
「とっくに聴取を終えて帰ったらしいよ。お礼は言えたけど」
騒ぎに気付いたコンビニの店員がとっさにカラーボールを投げて売人である男の気を逸らした。それに気づいた彼女も背後に回った男の足を思いっきり踏みつけた。思わぬ抵抗を受けた男は司を突き飛ばす。メガネが吹き飛んだのも膝をケガしたのもこの時だ。
「後日お礼を言いに行かなくちゃねー。ああ、それとね、司。あんたの家にも連絡したわ」
「あー……うん、まあそうだよね」
「お母さまが出たわ」
「うん……」
「──心配していたわよ。途中で動けなくなったけど、ここに来ようと思ったみたいで場所も聞かれたわ」
「……」
少女の表情が変わる。苦い笑みから困惑へ。
賢介は少女の事情を知っている。なんせ中学3年から高校卒業するまでの4年間、その事情のために彼女を居候させていたのだから。保護者代理としての責任がどこまで果たせたのかは、疑問が残るけれど。
事情を知っていればこそ、ノーマルでも司の困惑を察することができる。それでも安心させるように頭をなでながら男は言葉を続ける。
「言ってたわよ。『ごめんなさい、いけません』って。『心配してないわけじゃないけど、いけません』って」
「……そっか……」
少しの沈黙の後、細い声が漏れる。
困ったように、それでいて嬉しそうに少女が笑っている。
「心配、してくれたんだ。反射的にでも、来ようとしてくれたんだね、お母さん」
「──家に帰ったら連絡してあげなさい。夜遅くても、きっと寝ないで待ってるわ」
「うん……」
司がうなずいたとき、彼女の聴取を担当した女刑事がやってきた。彼女は賢介の姿を見て軽く目を開くも、すぐに敬礼をする。
「お久しぶりです、大道寺警部」
「久しぶり。司はもう帰っていいのよね? 例の売人の聴取もあんたがやるの?」
「いえ……それが」
賢介と面識があるらしい女刑事の顔が悔しそうに歪む。
司の存在を気にしつつも悔しさが勝ったのだろう。表情どおりの声音でそれを口にした。
「警察庁──公安に捜査権限を持っていかれました」
「公安に? だが、今回その売人を追っていたのは」
「警視庁の警察官です。怪しいので職務質問したそうです。しかしどうも、公安が追っている案件に関りがあるらしく……」
「なるほどね。じゃあ身柄が持っていかれるのも時間の問題ね」
「……課長、公安って」
「通称『ゼロ』。警察組織の中でもさらに特殊なところよ。テロやらセクトやら、主に国家体制を脅かす事案に対応するわね。それこそ、始まりのエスパーの事件でも介入していたらしいわ」
「……」
つまり、件の売人は薬物乱用、銃刀法違反、傷害未遂だけではなくもっと大きな犯罪に手を染めている可能性があるということか。犯罪に大きいも小さいもないと思うが。
余談だが、司が超能力対策課に出入りするようになって今年で5年目。まだ公安からの要請を受けたことはない。公安の捜査能力など知らないが。
「あの男が持っていたのは、言ってはなんですが若者の間で流通しているドラッグでした。いったいそれが──」
「やめとけやめとけ。無策で公安にケンカを売るような真似はすんな。自分の首を絞めることになるぞ」
「ですが課長!」
「お前の直属の上司だって同じように言うだろうさ。じゃあ、俺たちは帰らせてもらうぞ」
賢介が立ち上がるように促してくる。留まる理由もないため司は従った。女刑事に一礼してから保護者代理の後について歩く。
車のカギをポケットから出しつつ、今日は賢介の家に帰ると男が言う。
「莉子はもう寝ちまったけどな。明日の朝起きて驚くだろうよ」
「……課長、口調」
「あらいやだ、うっかり。朝ごはんの下ごしらえは済んでるって話だから、あんたもゆっくりしていいわよ」
「お言葉に甘えさせてもらいます。さすがに今日は疲れたし、こまごまとしたことやりたくない。明日が二限からでよかったー」
「……ねえ、司?」
駐車場に着き、車のカギを解除しながら賢介が問う。その表情は見えない。
司の前にあるのが彼の背中だからというのが理由の一つ。もう一つは少女がぼんやりと夜空を見上げているから。
「あんた、売人に捕まったときに何か見た?」
「……公安なんてのが絡むような事件なんて、かかわらないほうがいいんだよね?」
「そうね、否定しないわ。正直、このままずっと要請なんてこなければいいと思ってる」
「なら、『何も見てないよ』が正解だよね」
「……自分の身は守りなさいよ」
「うん」
司にはヒロイン願望も英雄願望もないつもりだ。
したがって、気になることがあっても自分から厄介ごとを背負いたいとも思わない。
* *
「──厄介ごとはごめんなんだけどね……」
「超能力対策課にいる段階で説得力ないと思うな」
遠い目をしてのつぶやきにもっともなツッコミが返る。彼女は悪あがきのように肩をすくめた。
司が今いるのは慣れた警察署内で人通りの少ない階段。目の前にいるのはようやく見慣れてきた蒲生翼。タイミングとしては、いつものように遺失物と失踪人の捜査協力をしてきた帰り。蛇足だが本日は一人で出向いた。
つつがなく仕事を終えて対策課に戻る途中、目の前の男に呼び止められたのだ。対策課の部屋を出ているということは、ほぼ間違いなく待ち伏せていたのだろう。その目的は。
「最近、烏丸さんからもの言いたげな視線をよくぶつけられているように感じてね」
「……きのせいじゃないですか」
自分でも呆れるほどの棒読み。まさかばれていたとは。刑事という仕事はいつからそこまで気配に敏感になるのだろう。
ごまかすようにため息をついて視線を伏せる。しかしすぐに上げる羽目になった。
「──烏丸司。3月27日生まれの満18歳。大学1年生。高校までの成績は可もなく不可もなく──が、エスパーに対して公正な評価をしてくれる教員は残念ながら少数派であり、ましてリーディング、サイコメトリー、クリアボヤンスの三つを力を持つ君の場合はなおさら。2年ごとに行われる能力査定での最近の評価はレベルAの警戒対象。したがって海外旅行は許可されず、パスポートの取得もエスパー特別法に基づき許可されていない」
「──!?」
「中学2年末……実質的には中学3年から高校3年までの4年間、梅原莉子とともに大道寺賢介警部の家に居候」
「──っ!!」
衝動的に手が動いた。頭が真っ白になるほどの怒りで右手を振りかぶる。しかし振り下ろしきれない。男の左手に簡単に捕まった。
声にならない思いのまま翼を睨む。そこにあったのは感情の揺らぎが一切見えない、無機質な観察者の目。
「どういう、つもり……っ?」
「言いやすくしてあげようかと思って」
「神経逆なでしてきただけでしょ!?」
「見ないふり、気にしてないふりをやめやすくなったんじゃないかな?」
「趣味が悪いうえにやり口も陰険! そんな風にあの売人も──っ!!」
「……やっぱりね。報告を受けたときにもしかしたらとは思っていたが」
「っ、はなして!」
うかつとしか言えない。完全に男のペースに乗せられてしまった。言うつもりのないことを口走った。
男は年上で刑事で、もしかしたらエスパーとは別の意味で特殊な立場にいる可能性のある人物だから。仕方ないといえば仕方ないのかもしれないけれど。
悔しさに任せてつかまれている腕を思いっきりひっぱる。そうしたら「そんな力任せにやったらバランス崩すよ」と忠告を受ける始末。何もかもが腹立たしい。
腕にこめた力を抜いて翼を睨みつける。相手は涼しい顔で少女の手を解放した。未成年の小娘の怒りなど痛くも痒くもないということか。
「……それで? 君は何をみたの?」
「…………ずいぶんとラフな格好をした蒲生サンによく似た人が、この前捕まった売人に対して『ありがとう』と『見事な仕事です』を、いろんなバリエーションで伝えているところ!」
警察に追われてパニックになった男が強く想起していたのだろう。いつもと見え方が違った。
『これが例の薬ですね、ありがとうございます』『あなたぐらいのランクの売人になるのは大変だと聞きました。いい仕事をされているんですね』『こんなに大量に売っていただけるんですか、ありがとうございます』『上に認められたんですね。あなたの仕事ぶりなら当然です』
読み取った映像に感じたのは気持ち悪さ。それもあって男の足はかなり強く踏んでしまった。
男の記憶にあった翼はパーカーにジーンズ姿で、妹と出かけたときに見かけた姿と似通っていた。服装で印象操作をしているのだろう。けれども他人の空似ですますことなど、司にはできなかった。
それでも聴取を担当した刑事にそのことを伝えなかったのはエスパーへの不信感を感じたからであり、聴取が始まって早々に権限が公安に移譲され、最低限のことしか聞かれなかったから。間違っても翼を庇ったわけではない。
もっとも、蒲生翼の本当の立場が彼女の想像通りなら、述べたところで握りつぶされたかもしれないが。
「……えげつない手口を使うのね、マサトさん?」
「偽名だよ。低俗な売人だけど、その後ろの組織は看過できないからね。瓦解させるために必要な足がかりだったんだよ、アレは」
「……」
褒められて嬉しいのは何も子どもだけではない。褒められる、評価されるということは、人のエネルギーを生む。そのほめ方が具体的であればあるほど、人は「自分をちゃんと見てくれている」と感じられる。
悲しいかな、ドラッグの売人になるような人の大半は褒められる機会が少なかった過去を持つ。うまくいかなくて叱責され、自分の居場所がないと落ち込み、流れ流れてたどり着いた先はアウトローの世界。きっと例の売人もそうだったのだろう。
そんな彼が、いきなり褒められるようになった。いつも通りの行動をしているだけ。反社会的な組織での上役はノルマをこなせと檄を飛ばし、下の者に抜かれないように必死になるなかで、その存在だけは違った。蒲生翼が扮した「マサト」は、売人を褒めた。おざなりにではなく、具体的に。それは男の鬱屈を少しずつ払拭し、心を浮上させた。そして男は、褒められることを求めるようになった。
評価されたい、褒められたいという気持ちそのものは悪くないのだろう。しかしそれがないと強烈な不安に襲われる場合、依存につながる。しかも売人が求めたのは「マサト」からの賛辞だ。
「まったく……より内側に入り込む手筈が整ったあとでよかったよ。そうじゃなきゃまた一からやり直しだ」
「……」
「──では、あらためて本題に入ろうか」
「はぁ? まだ何かご用ですか?」
「もちろん。というか、烏丸さんだって疑問に思ってるだろう? 俺が、なんのために超能力対策課にいるのか」
なぜ人が通らないのだろう。
八つ当たりに等しい気持ちで思う。ここからとっとと逃げ出したい。この男の相手など、自分の手にはあまる。
「警察庁警備局警備企画課──それが俺の本来の所属だよ。ちなみに、原則として家族であっても所属を明かすことは禁じられている」
「どうあっても話を聞かせるためにあえて所属を明かしたってわけ」
「君を信用してるって思ってくれればいいのに」
「大ウソつくのもたいがいにしなさいよ」
礼儀もなにもふっ飛ばした司に対して男は楽しそうに笑う。
「現時点の決まりではね、エスパーは公務員になれない。だが、エスパーが犯罪を犯すケースが増えているのも一つの事実」
「……」
「もちろん、対エスパー用のノウハウがないとは言わない。しかしながら餅は餅屋。せっかく手の内に超能力対策課なんて便利なものがあるんだから、使わない手はないよね」
「……お偉いさんが了解するとは思わないけど」
「正解」
機密情報が漏れたら、犯罪組織のスパイがいたら──と、反対意見はいくらでも出てきた。そんなもの、ノーマルにだって考えられるリスクだと言うのに。
「それでも使えるものは使うべきだ。年々増えるエスパー絡みの事件に、いつまでも後手に回るわけにはいかない。そうやってようやく、対策課所属のエスパーを調べ始めることができたわけだ」
先日、浩司から借りた登録名簿。指定されたパソコン以外でファイルを開けばウィルスに侵される仕掛けが施されていたが、ならば少しずつ暗記し、本来のデスクでリストを作成し直せば終わる話だった。記憶力には自信があるし、たかだが80人程度。さほど日数がかかる作業ではなかった。
「まだたったの一カ月だが、能力、人格、環境を総合的に考えて、君に要請するのが一番妥当だと判断した」
「ワースゴイ迷惑」
棒読みなのはわざとだ、もちろん。
「予知能力という点では『占い師』も候補に挙げたんだけど」
事件を防ぐという観点で実に理想的な力だ。しかしレベルBという高くも低くもない評価が引っかかる。
部下を使って調べた結果、その理由はすぐにわかった。
占い師の予知能力に必要なのは相手のパーソナルデータ。それがあればあったことがない人間の未来も予知でき。その的中率は八割を超える。最高で一カ月先の未来を見えるというのもありがたい。
「だが、パーソナルデータを偽造しても気づけない。偽りの未来を見るわけではないが、『何も見えないから特に何も起きないと思う』という結論を出す、違う?」
「……ノーコメント」
「ポーカーフェイスを覚えるといいよ。たぶん、そこがレベルBという評価の理由なんだろうね。とはいえそれでは公安の仕事に向かない。だからこそ、レベルAの評価と実績を持つ君に協力を依頼したいと思う」
「……あの売人を見たあたしが、素直にうなずくと思う?」
無害な麻薬の侵されるのはごめんだ。そう言外に告げる。
しかし対する返答は想定外のもの。
「君にあの男と同じ手法が通用すると思うほど、判断力は鈍っていないし君を見誤ってもいないよ」
「は?」
「だって君は知ってるじゃないか」
なにを、という言葉は間に合わなかった。
「自分は悪くないということ。どういうわけか君の家族全員の状況が悪いほうに向かうという、偶然が重なっただけの運が悪いできごとだったと。そしてエスパーというわかりやすい異端の君が、スケープゴートにされただけだと」
「──っ」
二度目の、すべてが真っ白になる感覚。けれども今度は動けなかった。ただ、口が勝手に動く。
紡がれるのは自分でも何が言いたいのかわからない言葉。
「偶然って……運が悪いって、あんたは、そう、言うわけ……なんで、そう……あんたが」
「偶然だろう」
返されたのは無感情な言葉で込められる事実。同情も嫌悪も侮蔑もない、ただの怜悧な観察者の解答。
なぜ知っているのか、という問いは出ない。問えるほど冷静ではない。けれども問うだけ無駄なのだろう。相手はそういう存在だ。
「君の父親のプレゼンよりできのいいプレゼンをする人間がいただけ。君のお母さんが開く料理教室を辞める生徒がたまたま多かっただけ。君の妹はたまたまクラスの女王蜂のターゲットに」
「やめてっ!!」
一度の叫びですべての酸素を吐き出してしまったのか。頭がクラクラして膝をついた。翼は静かな観察を止めない。しかしそれは冷徹だからではなく、そこまで追い詰めた存在が手を差し伸べる皮肉を自覚しているからだと、なぜかわかった。そのような徹する姿勢も、公安ならではなのか。
「……こわ……そこまで探れるわけ? あたしのサイコメトリーなんかいらないじゃん」
言いながらも理解している。司はレベルAで警戒対象のエスパーであり、超能力対策課の協力者。ある程度の過去は洗われている。それこそキャリア組の警察のように。
──始まりがいつだったのかなんて、わからない。物心ついたころには自分がエスパーだと知っていて、異端を見る目にさらされていたから。反対にきっかけは覚えている。賢介と出会うよりさらに一年前、中学2年生の春だった。薄氷が壊れ、家庭での居場所が完全に失われたのは。
父が自信を持っていたプレゼンが会社で採用されなかっただけではなく、採用された企画をプレゼンした後輩が出世した。母の料理教室の生徒が極端に減り、一時的に存続が危ぶまれた。妹の恵美は、自分が陥るわけないと思っていたいじめのターゲットになった。それらは同時期の出来事だった。
一つずつだったら、氷は割れなかったかもしれない。しかし現実は異なった。そして彼らは、その原因や理由を司に求め――鬱屈をぶつけた。
それからの一年間を思い出すことは、今もつらい。けれども様々な偶然や支援があり、司たちはやり直している。そうはいっても、一番関係が修復している恵美とだって手をつなぐことはできないし、父親にいたってはまれに電話をするのが限界なのだけれど。
「……四年間のカウンセリングや対策課という場所で君は知っている。怒りは正当であり、君は悪くないと」
「……なら、どうやってあたしを動かすわけ?」
後にして思うと、過去を暴いたことも策のうちだったのかもしれない。どうしたって感情を大きく揺さぶられるから。
そして──超能力対策課が烏丸司にとっていかに大きく、大切な場所であるかを再認識させたから。
褒めるという単純かつまっとうな方法が使えないのなら。
もう一つの単純で、暴力的な方法を使うのみ。
「超能力対策課──大切だよね?」
「──っ!?」
「俺も、梅村莉子のような子どもの居場所をつぶす気はない。だから高校生年齢までのエスパーは保護しよう。それでも、対策課に制限をかけるくらいはできるよ、国のために」
「………………外道」
知ってる、と。男は無機質な笑みを浮かべた。
それが蒲生翼個人の判断か、公安という組織の判断なのか。そんなこと司には関係ない。彼女が知っている公安警察は目の前の男だけ。だから少女は男を思い切り罵った。