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 道明みちあきが帰った後、昭子あきこはしばらく脇息にもたれたまま項垂れていた。

 一度に色々なことが入り込んできて、整理しきれていない。


 屋敷の管理はすべて正妻である昭子の仕事だ。

 使用人の雇用や屋敷の修理や調度品の調達はもちろん、使用人に揉め事が起これば昭子が対応しなくてはならない。


 それなのに、子をもうけ、愛想を振りまく小春こはるばかりが評価される。そして根も葉もない噂をばら撒かれ、身の破滅の危機にまで陥るのだ。

 それで、どうして距離を縮められるというのだろう。


 けれどそんな憤りも泰子やすこのことを考えると萎んでいった。


「泰子様……」


 嫁いでからというもの、周りに目を向けるのが嫌で、あれだけ良くしてくれた泰子のことさえ意識から追い出していた。


 幼い頃、昭子はどちらといえば活発的な子だった。

 年の近い兄の道明とよく屋敷を抜け出して森へと出かけ、迷子になって大人達を困らすことも多かった。


 けれど十二になった時、年頃の娘が無暗に外に出るのは恥だと言われ、部屋で過ごすことを余儀なくされた。道明にも頻繁に会えなくなった。

 両親も侍女も、昭子の幸せのためだと言った。


 昭子は形のない「幸せ」が理解できず、そのために楽しみを奪われることの不満ばかりがたまっていった。


 おまけに、毎日礼儀作法や楽器の稽古ばかりで、退屈だった。


 そんな生活の中で、和歌や文学は知らない世界へ連れて行ってくれた。

 そこに新しい楽しみを見出し、自分でつくることも始めた。


 そうして自分の世界を構築していった結果か。

 十六になり同じ年の少女は次々と結婚していく中、昭子は実感を持てない「幸せ」に興味を持てないでいた。


 部屋に籠り出合いを求めない娘に不安を覚えた両親は、昭子を宮中に放り込んだ。

 けれどそれは逆効果で、真偽の確証もない噂や色恋、男性の値踏み話ばかりの世界に昭子はなじめず、余計に人と関わることを避けるようになった。


 宮中は息が詰まるような場所だったが、主である泰子の側にいるときは気持ちが縮こまらずにいられた。


 あるとき、昭子が趣味で書いた物語を泰子に見られてしまった。


 当時「梅桃物語」という貴族の若者が二人の女性の間で揺れ動く話が流行っていた。

 主人公の若君は幼馴染であり上級貴族の娘である梅姫結ばれそうになるのだが、小さなことでうまくいかず、下級貴族の娘の桃姫と結婚する話だ。

 身分違いの恋は簡単に結ばれない世の中だからこそ、人々の胸をうつのだろう。


 けれど、昭子には納得がいかなかった。

 ずっと若者を支えていた梅姫の気持ちはどうなってしまうのか。

 そう考えると、「切ない」の一言で片付けることができないのだった。


 その思いの丈をぶつけ、梅姫が若者と別れた後に別の男性と知り合い、紆余曲折の末幸せになる話を、毎日仕事が終わると書き続けた。

 それがふとした拍子に泰子に見られてしまったのだ。


「辛いけれど優しい世界ね。面白いわ。昭子にはこういう風に世界が見えているのね」


 誰かに読まれることを意図していない、完全に好みで書いた物語だったが、だからこそ認められたことが嬉しかったことを覚えている。


 昭子が九条家に嫁ぐことになった時も笑顔で見送ってくれた。


「あの実幸さねゆきさまに見初められるなんて、主人である私も誇らしいわ。昭子は他人から分かってもらいにくいところがあるから心配していたの。昭子の素敵なところを分かってくれる人が現れてよかったわ」


 飾り立てた和歌の中の自分しか知らないのだとはいえなかった。


 泰子は素晴らしい人だった。


 周りの人に対する礼を忘れず、聡明で心優しく、いつも周りを気にされてきた。

 頻繁に市井の見学にも行かれ、この国の現状や自分がどうあるべきかについて真剣に考えられている方だった。

 あれほど帝の妃にふさわしい人物はいないだろう。


 それなのに。


 あの気丈な泰子がそこまで追い詰められたなんて。

 せめて側にいて支えていたかった。

 自分がいようといまいと変わらなかっただろうが、そのことばかりが悔やまれる。


「貴女ももう少し周りの人と話してごらんなさいな。簡単に出会えないかもしれないけれど、貴女と心置きなく一緒に居られる人が、きっとみつかるわ。その人を大切になさい。少なくとも、私はあなたを特別な人だと思っているわ」


 泰子は、たびたび昭子にそう言っていた。

 けれど泰子は自分が大切にした人々に見放されたのだ。自分も含め。


 結局、女性は自分を守るものがないと生きられない。血筋や伴侶や評判に振りまわされながら生きるしかないのだ。

 そういう意味では若君と結ばれなかった梅姫が没落していく梅桃物語は正しいのだろう。


 気がつくと稜線に日が沈み始めていた。

 夕日の光が部屋に差し込む。

 その朱は悲しいくらいに色あせて見えた。


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