1
庭園の木の葉を揺らした風が、部屋に澄んだ空気を連れてくる。
花々が咲き乱れる季節は過ぎ去り、日差しが一日一日と厳しくなる季節。
「可愛いややこですこと」
屋敷の中は依然と暖かな空気で満たされていた。
近衛中将、九条実幸の家ではお茶会が開かれていた。
側室の小春に子が生まれた。実幸にとっても初めての子である。
その喜びは計り知れず、親戚や友人を集めてお披露目会が開かれていた。
「面構えが立派ですわ。さすが九条様のお子は違いますわね」
「あらあら可愛いらしい大あくび」
「きっとお父様に似た優秀な若君となられますわ」
父親の両腕の中で目を閉じる赤子を、女性たちが笑顔で取り囲む。
男性陣は遠巻きに実幸の父親っぷりを嬉しそうに見つめている。
そんな中ただ一人、離れていたところにぽつんと座る女性がいた。
目を伏せ、手持無沙汰に扇の開閉を繰り返している。
「昭子様も近くにいらっしゃいな」
九条実幸の正妻である昭子は、声をかけられると「わたくしは、いつでも会えますから」とひきつった笑顔を浮かべた。
女性たちは「そう?」と気遣うような声をかけつつも、それとわからないくらいに眉を寄せる。
中納言、清峰吉孝の娘である昭子は才色兼備で、中宮の侍女を勤めていたこともある。
それもずいぶん昔の話だ。
十八の時に嫁いでから子に恵まれることもなく、人付き合いも悪いため何かと避けられていた。
そこへ小春が戻ってきた。
入口で床に手をつき、礼をする。
「みなさま、本日はお集まりいただきありがとうございます。心ばかりのもてなしですが、お茶と菓子を用意いたしました」
次々と女中が盆を運び入れる。
「饅頭は小春が作ったものです」
「まぁ、小春様が……」
誇らしげな実幸とは対照的に客人たちは顔を曇らせる。
台所仕事など女中がやること。奥方が立ち入るなどはしたない。
やはり所詮は田舎者の娘。
そういう声が聞こえてきそうであった。
事実、小春は平民の出であり、宮中で女中として働いていた時に見初められた。
小春はそんな客人の視線をものともせず、柔らかく微笑む。
「集まってくださった皆様へ私からの感謝の思いを込めて用意させていただきました。私の故郷では子供が生まれると街の人は祝いに出かけ、家主は感謝の意を込めてお茶と饅頭を振る舞います。幼き頃より、いつか私もこのようにお世話になっている皆様にお返ししたいと思っておりました。私の独りよがりですが、どうか受け取って頂ければ幸せに存じます」
一点の曇りもない純粋な眼差しを受けた人々は、その言葉に心動かされ、饅頭を口にした。
「おいしい」「名店の味にも劣りませんわ」と皆顔をほころばせ、小春は嬉しそうに微笑む。
不意に赤子が泣き出す。
小春が駆け寄ると、赤子は小春に手を伸ばし、父親の手から母親の手へと渡った。
「やっぱりお母さまは特別ね」
「これは、負けましたな」
明るい笑いが響く中、昭子が立ちあがった。
「昭子様、何かありましたか」
「私は部屋へ戻ります」
心配そうな小春を冷ややかに見おろし、昭子は身をひるがえした。
その後を、別室で待機していた侍女が慌てて追う。
盆の上のお茶と饅頭は一口もつけられていなかった。