2-1
普段の生活からは想像もつかない、不可思議な出来事。
(…こんなことって、あるんだ…)
未だに、この現実が信じられない。
それに、こうしている間の自分自身の身体はどうなっているんだろう?とか。
どうやったら戻れるんだろうか?とか。
本当に解らないことばかりで。
今は、ただただ頭が憔悴しきっていて何も考えられなかった。
雨に濡れてすっかり冷えてしまった身体に、不覚にも朝霧の手のぬくもりが安心感をもたらしてくれて、何だか不思議な気分だったけれど。
その温かな手の中で揺られているうちに、思わず眠気が襲ってきて実琴はゆっくりと瞼を閉じた。
少しウトウトしただろうか。
ずっと絶えず聞こえていた傘を打つ雨音が不意に途切れたことで、実琴はふと目を開いた。
どうやら朝霧の家に着いたようだった。
朝霧は子猫の実琴を片手に乗せたまま器用に傘を閉じると、慣れた様子で制服のズボンのポケットから鍵を取り出した。
(朝霧って徒歩通学なんだ。知らなかった…)
ここへ着くまでに少しまどろんではいたが、特に乗り物などを利用することがなかったことだけは、ちゃんと分かっている。
(ここって、学校の近くだったりするのかな?)
朝霧が歩いていたのは知っているが、どの位の時間を掛けていたかまでは曖昧だった。
何となく周囲の景色を見渡してみたところで、次の瞬間。実琴は固まっていた。
(なに…?ここ…)
恐らく朝霧の家なのだろうということは分かる。
今いるのは玄関先で、目の前には庭が広がっていて。その右奥の方に、自分は寝ていて覚えてはいないが、きっと今くぐって来たのであろう門が見える。
こう言えば、わりと普通なのだが…。
(広さ、ハンパない…)
両親には申し訳ないが、建て売りである自分の家の庭など、てんで比べ物にもならないと思った。
広さは勿論のこと、綺麗に手入れされた庭は、まるでどこかの公園のようである。
(これって洋風庭園ってやつだよね。スゴイ綺麗…。もしかして、朝霧の家ってお金持ち?だったりするのかな??)
思わず恐縮している実琴を余所に、朝霧は自然な動作でドアを開けると、その家の中に足を踏み入れた。
途端に奥から声が掛かる。
「伊織坊っちゃま、お帰りなさいませ」
「…ただいま」
(ぼっ…ぼっちゃまッ?!)
実琴は目を丸くした。
奥から出てきたのは背筋のピンと伸びた、品の良い年配の女性だった。
だが、その呼び名と服装等から家族…というのとは少し違ったものだということが何となく判る。
(朝霧のおばあさん…というよりは、お手伝いさんって感じなのかな?それにしても、朝霧が家で『伊織坊っちゃま』なんて呼ばれてるとは!)
何となく朝霧の弱味を握ってしまったような気がして、実琴はコッソリほくそ笑んだ。
すると、次の瞬間。不意にその女性と実琴の目が合った。
途端にその女性は「まぁ!」と声を上げると、目を丸くして近付いて来る。
「まぁ!まぁっ!まぁっっ!!」
手の中の子猫を覗き込んでくる女性に、朝霧は少しだけ嫌そうな表情を浮かべた。
(あー…こんな綺麗なお屋敷だし、やっぱり『捨てて来なさい』って追い出されるパターン…かな?)
実琴は耳を垂れて小さく縮こまった。
ありがちな話だとは思う。
(でも『捨てて来なさい』って怒られてしまう朝霧っていうのも、普段の様子から想像つかなくて面白かったりするけど…)
だが、実際の女性の反応は実琴の予想とは違ったものだった。
「まぁ、なんて可愛いらしい子猫ちゃんなんでしょう!」
その年配女性は、しわしわの瞼の下から覗く瞳をキラキラさせて、嬉しそうに自らの両手を合わせると言った。
「伊織坊ちゃまが動物を拾って来るなんて、もう何年振りのことでしょうかねっ。以前はよく捨て猫や捨て犬なんかを拾ってきていましたのに、最近は全然そんなこともなくなってしまって…。ばあやは寂しささえ感じておりましたのですよ?」
子猫に喜ぶというよりは、子猫を連れ帰って来た朝霧に喜んでいるようなその女性に。
朝霧は小さく溜息をついた。




