12-7
実琴はポケットからそっと飛び降りると、ゆっくりとベッドの方へ歩み寄って行った。
「おい、辻原っ…」
小声ではあるものの、突然の実琴の行動に若干慌てた様子で声を掛けてくる朝霧に。
『大丈夫。見えてるから』
小さな声で「みゃー」とだけ返す。
「…何?」
「どうやらミコちゃんには、この闇の中でも室内がちゃんと見えているらしいわよ。大丈夫だって言ってるわ」
すかさず通訳が入り、朝霧は小さくため息をついた。
「成程ね…」
「あ、でも私もだいぶ目が慣れてきたわ。窓から外明かりが結構入ってきてるのね」
明るい場所から入って来た時には暗闇だと思っていたそこは、部屋の奥に面している大きな窓からうっすらとだが光が差し込んでいた。
どの病室にも常設されている遮光カーテンは端に纏められていて使われておらず、レースのカーテンのみが引かれていて、青白い月明かりがぽんやりと室内を照らしている。
目が慣れて足下まで見えるようになった朝霧達は、ベッド横にいる実琴の傍へと足音を立てないよう慎重にやって来た。
「そこのマットにだけは気をつけろよ。それを踏んだら即、人が来るからな」
「にー」
(そうだった。気をつけなきゃ…)
すぐ側に薄暗い中でも判る程度に色の変わっている部分がある。どうやら床部分に貼り付けてあるようだ。多分これがセンサーマットなのだろう。
実琴は大回りするようにそれを避けると、ベッド横の椅子の上へと、ふわりと跳び乗った。
椅子からベッド上を覗き込むと、そこには自分の姿をした子猫が静かに眠っていた。
落ち着いた規則正しい呼吸を繰り返しているのを確認すると、実琴は椅子の上からそっとベッド上へと跳び移る。
それでも子猫が起きる気配はない。
(ごめんね、猫ちゃん。やっと傍まで来られたよ)
現在の猫の状態を案じながらも間近にあるその姿を見ていると、何だか不思議な気持ちになってくる。
(普通は自分の寝顔なんて見ることないもんね。…私って、こんな顔して寝てるんだなぁ)
変に感心しつつも。不意に朝霧にもこの寝顔を見られてしまっていることに気付く。
意識をした途端、無性に恥ずかしくなって、いっそのこと顔を隠しちゃおうかとか、わたわたしていたら頭上から小さな溜息が聞こえてきた。
「何がしたいんだ?お前は…」
見上げれば、思いっきり呆れ顔の朝霧がいた。
『だって、寝顔見られるの…恥ずかしいんだもん…』
小さく呟けば。
「あなたに寝顔見られちゃうのが恥ずかしいんですって」
…と、クスクス笑いながら、しっかり通訳されてしまう始末。
(ちょっ!守護霊さんっ!そこは通訳しなくていいのにーっ)
余計に恥ずかしくなって、傍にあった布団に顔を埋めて丸まった。
そんな実琴の頭上で、守護霊さんが朝霧を肘で小突きながら「可愛い乙女心ってやつね」と冷やかすのを、朝霧は嫌そうに「…そういうものか?」なんて呟いていた。
「それにしても良く寝ているわね。やっぱり疲労が大きいのかしらね」
「疲労?」
「ええ。自分以外の身体に入ったり入られたりするのって、もの凄くパワーがいるものなの。それだけ身体への負担が大きいのよね」
「…成程。確かに昔、あなたに身体を乗っ取られた後、身体が重くて丸一日は動けなかったんですよ。あれは、それが理由だったんですね」
朝霧が棘を隠さずに言った。
「ま…まあ、昔の事はもう良いじゃないのっ。あー、それにしても今夜は綺麗なお月さまが出てるのね。お陰でしっかり室内が見渡せるわ」
自分に都合の悪い話題から話を反らすように、窓の外に見える月を仰ぎ見た。
「そう言えばね、月には魔力が宿っているのよ」
『魔力?』
朝霧は、また変なことを言い出したな…とも言わんばかりの怪訝そうな表情を浮かべていたが、実琴は興味を引かれて埋もれていた布団から顔を上げた。
「引力…の間違いじゃないのか?」
「確かに月の引力によって地球は様々な影響を受けているわ。でも、それだけじゃないのよね。昔から月の光が人を狂わすなんてことも言われたりしているけど、プラスなことも沢山あるのよ。特に今日みたいな満月に近い月の光は特別なパワーを秘めているの」
『特別な…?』
「そう。魔法のような力が、ね」
『月夜の…まほう…』
実琴は横に眠る自分の姿をした子猫を見つめた。
その身には、淡く青白い月の光が降り注いでいる。




