11-3
朝霧がパソコンを操作し始めるのを、実琴はどこか諦めたような面持ちで眺めていた。
無言でカーソルを動かしていく朝霧。
どんな顔をして、今…それを操作しているんだろう?
気になるけれど、それを知るのは怖くて…。
とてもじゃないけど、朝霧を振り返ることなんて出来なかった。
…沈黙が続く。
小さなパソコンのモーター音と、キーを操作する微かな音だけが静寂に包まれた室内に響いていた。
画面を見ているのも落ち着かなくて、ただじっ…と朝霧がそれを読み終えるのを俯いたまま待つ。
大した時間は経っていない筈なのに、随分と長い間そうしているような感じがした。
(まるで判決を言い渡されるのを待っている、罪人みたいだ…)
実琴は自ら浮かんだ洒落にならない発想に、思わず心の中で苦笑を浮かべた。
…と。その時。
背後で朝霧が息を呑むのが分かった。
「……マジか…」
小さな呟きが聞こえて、実琴はより一層身を固くした。
何らかの反応が来ると思って『超』が付く程緊張していたのに、それから暫くの間、再び沈黙が続いて実琴は逆に不安になった。
(…あさぎり…?)
ちゃんと伝わらなかったのだろうか?
後ろを振り返ろうか、どうしようか迷っている所に。
「おい」
今度は、しっかりと呼び掛けられた。
緊張で身体が縦に揺れる。知らず背筋が伸びた。
「お前…本当に辻原、なのか…?」
その声に恐る恐る振り返ると、普段より僅かに瞳を見開き、驚きの表情のままこちらを見下ろしている朝霧と目が合った。
まるで不思議なものを見るような、そんな瞳。
(そりゃあそうだよね…。それが普通の反応、だよね…)
書いてあるものを読んだところで、未だに信じられないだろう。
実琴は、肯定の意味を込めて大きく頷いてみせた。
明らかな反応を見せる、その子猫の行動に。朝霧は無言で瞳を大きくしたまま何かを考えているようだった。
『朝霧…』
実琴がパソコン上に書いたのは、自分が実は辻原実琴であるということ。
そして、結果的に騙すような形になってしまったことへの謝罪だった。
子猫を助ける為に力を貸して欲しいという所までは、朝霧が先に目覚めてしまい、書けなかったけれど「図々しいのを承知で協力して欲しいことがある」との前振りまでは打ち込んでいた。
『ごめんね、ホントに…。信じられないだろうし、どこか裏切られた感が強いかも知れないけどっ…。本当…朝霧には感謝してるんだよっ』
真っ直ぐに向けられる視線と無言の間に居たたまれなくなって、わたわたと取り繕うように言っていると。
朝霧が不意に、フッ…と破顔した。
「ばーか。何言ってるか、全然わかんねぇよ」
『……っ…』
その、思わず堪えきれずに溢れてしまったような笑顔が、あまりにも眩しくて。
思ってもみなかった優しい眼差しに、実琴は呆然と朝霧を見上げていた。
だが、途端に朝霧は眼光を鋭く光らせると不敵な笑みを浮かべた。
「とりあえず、お前が人の言葉を理解出来て、パソコンで文字を打てる猫だってことは分かった。だが、お前が辻原本人だという証拠はどこにある?何か証明出来るのか?」
『えっ?証明…?』
そんなことを言われると思ってもみなかった実琴は呆然とした。
「お前が変わった猫だなんてのは俺だってとっくに知ってる。だが、猫のお前が「実は辻原だ」と言い張っても流石にそう簡単には普通、信じられないもんだろう?言葉では幾らでも言える。別人が成り済ますことだって出来なくはないからな」
今度は真面目な顔で見下ろしてくる。
その視線を受け止めながら、実琴は戸惑いに瞳を揺らした。
(確かに、それはそうだけど…)
でも、それなら何て言ったら信じて貰えるんだろう?
本気で考えていると、朝霧が付け足すように言った。
「ま。辻原に成り済ましたところで、何か利点があるとは思えないけどな」
…カチン。
『また、あんたはそういうことをっ!』
その、あんまりな言われように実琴は傍にあった朝霧の手に噛みつこうと飛び掛かった。
「おっと!」
だが、寸での所で避けられてしまった。
『うぬぬぬぬーーっ』
悔しがって、その場にうずくまっていると頭上でクックッ…という押さえたような笑い声が聞こえて来た。
「ある意味、解りやすい。確かに辻原っぽいリアクションだな」




