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何にしても、まずはここから抜け出さなくては。
実琴は、ほふく前進のように腕に力を込めた。…が。
(あれ…?)
視界に妙な違和感が生じた。
目の前にある自分の腕が、まるで獣のように毛むくじゃらだったのだ。
(ま…まさか、そんなワケ…。私、頭打っておかしくなっちゃったのかな?)
実琴は現実逃避をするように空を見上げた。
空はどんよりと暗く、今にも雨粒が落ちてきそうだ。
(本当に早く帰らないと、雨が降ってきちゃうよ)
でも、何故だろう?この樹…こんなに大きかったっけ?
見上げた先程登った樹は、まるで天まで高くそびえるほどに大きく見える。
不安に駆られた実琴は、今度はぐるりと周囲を見渡した。
敢えて自分の腕は見ないようにしていたけれど。
それは、不思議な光景だった。
周囲に生えている草も背が高く太く、今まで見たこともないもののように見える。
隣にそびえ立つ、とてつもなく太い幹の横には見慣れた鞄。
さっき、自分が置いたものだ。だが、大きさが半端ない。
(全ての物が大きくなってる…?いや、違う…私が小さくなってるんだ…)
それに、ただ小さくなったんじゃない。
改めて自分の両腕を目前に掲げて見た。
フワフワの毛。そして手のひらには肉きゅう。
信じられない。
信じたくはない、けど…。
(私、ネコになっちゃってるッ??)
あまりに自分の中で『猫になってしまった』という答えがすんなり出てきてしまい、実琴は慌てた。
(待て待て。このご時世、そんなことが普通に起こっちゃイカンでしょう?)
半ば混乱しながらも、何とかそこから這い出るが、その場を振り返って今度は固まってしまった。
(ちょっ…何これ…。どういうこと…?)
今まで自分の上に乗っかっていた柔らかい塊。それは…。
(これって…人?だよね?随分と大きな…)
今の自分から見たら、まるで巨人のような大きさだった。
それは地面に倒れたまま横になっていて動かないでいる。
髪が掛かっていて顔は良くは見えなかったけれど、よくよく見てみれば、それは先程まで自分が着ていた見慣れた制服を着ていた。
何故だろう…。嫌な予感しかしない。
(だって、この流れからいったら…やっぱり、アレだよね…)
実琴は立ち上がろうとするが、気付いたら四つん這いになっていた。
(あ、そうか。私今ネコだからこれが普通なんだ)
変に納得して、そのままネコのように歩きながら傍まで行くと、その人物の顔を覗き見た。
(やっぱり…。これ、私だ…)
倒れているのは、紛れもない自分自身だった。
何故かは分からない。だが、今自分の身体が目の前にあって、自身は助けた筈の子猫になってしまっている…らしい。
(えーと…、どうしよう…)
これは夢だ…と現実逃避したいとこだけど。
(でも、夢なんかじゃない。だってこんなにもリアルだ…)
実琴は、その場で軽く跳ねてみた。
普段なら四つん這いになったままでジャンプすることなど無理だ。
だが、今の自分は違った。
驚く程の身の軽さでフワリと跳ねると、倒れている自分の身体の背の上へと跳び乗った。
(すごい跳躍力!)
流石ネコだ。
(…なんて感心してる場合じゃないよね。何でこんな事になったのかは解らないけど、とにかく一刻も早く元に戻らなくっちゃ)
実琴は倒れて気を失っている自分の身体の上に乗ったまま前足で揺さぶるようにする。
自分自身の身体が目覚めさえすれば、元の身体に戻れるかもと思ったのだ。
『ねえ、起きて!』
そう声をかけているつもりでも言葉にはならず「にゃあにゃあ」としか言えない。
(どうしよう、全然起きない…。それに、もし起きても戻れなかったらどうする?私がネコちゃんになってるってことは、この自分にはネコちゃん本人が入ってるってことも…?)
恐ろしい考えが頭をよぎって思わず蒼白になっていると、突然背後から首根っこを掴まれて持ち上げられた。
(きゃっ!何ッ?)
思いのほか視界が高くなり、あわてふためく。
慌てて背後を振り返ってみると、そこには…。
掴み上げながら自分を怪訝そうに見下ろしているアイツがいた。




