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1 紅色 その二

 オーレディア皇国。

 広大で美しい自然に溢れる大国。肥沃な大地で育った穀物と、領内に存在する数多の鉱石で栄えた歴史ある国。

 ここがわたくしが生まれた場所。





 わたくしの名はラティーニア・ウェールディ・アンシェシア。

 アンシェシア侯爵家の娘になります。

 先月五歳を迎えました。

 そして今日は、わたくしのなにがが変わる日となるでしょう。





 わたくしは今、とても憂鬱です。昨日の夜、いえ、もっと前から今日という日が嫌で仕方なかったのです。

 何度も思わず出てしまうため息が、また出てしまいます。

 今はまだベッドに寝ていたいです。目が覚めてから少し経ちますが、起きたくありません。

 このままもう一度、暖かな温もりに包まれて、夢の世界へ現実逃避というものをしてみたいです。

 嫌だと泣き叫んで暴れたら、今日の予定は無くなるでしょうか?

 いえ、きっと無理なのでしょうね。両親のあの気合いの入れようでは。


 もう一度、深くため息を吐き、上体を起こす。

 もうそろそろ侍女が来る頃でしょう。

 本当に嫌でたまりませんが、ベッドから降りてカーテンを開けます。日の光が憎たらしいほどに、眩しいです。

 それから鏡の前に移動し、椅子に座る。

 鏡を見れば、そこには不機嫌さを隠しもしないしかめた顔をした少女がいました。



 うっすらと紫色に色付いた背中に流れる銀の髪、真っ青な空のような水色の大きな瞳、肌は白く、肉の付いた丸い顔。


 自分の顔を見たわたくしは、更に眉をしかめてしまいます。


 その時、部屋の扉を叩く音が聞こえてきました。鏡越しに見ていると、静かに扉が開き、一人の侍女が入ってきました。

 侍女は先ずカーテンが開いていたことに驚き、ベッドへと視線をやり、そこにわたくしが居ないことに更に驚き、きょろきょろと部屋を見回して、やっと鏡の前に座っていたわたくしに気付きました。

 わたくしは何も言わず、鏡越しにその様子をずっと見ていました。彼女は三度(みたび)驚いて身体を震わせ、慌てて頭を下げました。


 「お、おはようございます、ラティーニア様」

 「…………おはよう、アルメリア」


 彼女の名はアルメリア。

 わたくし付きの専属の侍女で、年は確か八歳だったと思います。

 アンシェシア侯爵家と付き合いのある男爵家から、行儀見習いとして来たと父から聞きました。

 屋敷に来てまだ半年程で、子供だから出来ないことや失敗も多いらしく、母や他の侍女から叱られている場面をよく見かけます。

 わたくしは彼女を見ると、いつもイライラしてしまう。


 “どうしてそんなことも出来ないのか”と。


 だから彼女自身に、そのイライラのままに接する。


 「あ、あの、ラティーニア様……その、カーテンは……」

 「あれはわたくしが開けました。いいからさっさと支度を始めてちょうだい」

 「は、はい!申し訳ありません!直ぐに致します!」


 彼女の声にイライラする。

 これから起こる嫌な事も含めて、頭に来る。

 わたくしはため息を吐く。

 それを見たアルメリアはびくっと身体を震わせて、目を泳がせる。

 そんな些細なことでも、わたくしの心を刺激する。支度が終わるまで、わたくしはアルメリアを鏡越しに睨み付けていました。



 いつもより豪奢なドレスに着替えて、大きな宝石が付いた装飾品を付けて、綺麗に整えられた髪という、これでもかと着飾られた姿を鏡で見て、更に眉間に皺が寄ってしまい小さな痛みが走ったので左手で揉みほぐす。


 これ等は全て、父と母が用意したもの。

 失敗が許されない、今日この日の為に作らせたドレスと装飾品ばかり。

 五歳の子供が着けるには相応しくない大きさの物ばかりで、不格好でしかない。

 もっと成長した、それ相応の身体をした女性ならまだ見れたかもしれないけれど、わたくしでは笑い者になるのが目に見えている。

 けれど父が用意したこれ等を、“着ない”という選択肢は存在しないのも分かっている。


 重い身体を動かして、アルメリアを伴って部屋を出て食堂へと向かう。気分は最低だけれど、せめて朝食は食べなくては。




 食堂へと入ると、既に家族は全員揃っていた。わたくしは父に向かって、挨拶をする。


 「おはようございます、お父様」

 「来たか」


 次いで母と兄に挨拶をする。


 「おはようございます、お母様、お兄様」

 「早く座りなさい、ラティーニア」

 「遅いぞ、さっさと席につけ」


 兄の隣に座り、父の挨拶で食事を始める。


 わたくしは食事をしながら、ちらりと家族を順々に見る。


 アンシェシア侯爵家当主である父は、丸々と肥え太った巨漢。白髪の混じった焦げ茶色の髪を後ろに撫で付けていて、瞳は灰色、顔は常に油でテカっている。

 以前、雨の日に庭で見かけたガマガエルにそっくりです。


 母も父と同じくらい太った人で、身体の肉でドレスははち切れんばかりに膨らんでいる。

 背中に流れるくすんだ金の髪と、瞼の肉でよく見えない赤い瞳。


 現皇帝陛下の妹であり、アンシェシア侯爵家に降嫁してきた人です。


 兄もこの二人の子供らしく、丸い体型をしている。横幅はわたくしの三倍以上はあります。兄とは五歳しか違わないのに、全然違う。

 それとも五歳違ったら、ここまで変わるものなのかしら?

 それほどまでに兄と体型が違いすぎた。

 兄は父によく似ており、焦げ茶色の髪に灰色の瞳を持つ。


 三人を見て、また出そうになったため息を水とともに飲み込む。




 朝食を終え、父と兄と共に玄関へと向かい、馬車に乗り込む。

 これから皇宮で開かれる茶会に赴く為です。


 茶会が始まるのは午後からなのですが、その前に皇国の貴族の中で選ばれた子息子女達が集められるようなのです。

 その目的は第二皇子殿下と第三皇子殿下の、側近と婚約者候補を選ぶこと。あくまでも候補ではあるけれど、今のうちに皇子殿下方の目に止まれば、将来の道が開かれる。

 だから親達は子供を着飾り、皇子殿下方に気に入られるようにと教育を施し、気合いを入れて目を血走らせている、らしい。

 少なくともわたくしの両親は、兄とわたくしにそれはもううんざりする程、言い聞かせた。


 兄は、何故でしょうか、とても自信満々です。

 自分が側近に選ばれるのは当然と思っているようで、高らかに笑っていらっしゃいます。

 わたくしは自信など微塵もございません。ただ笑われないよう、祈るのみです。


 さも決まったも同然のように笑い合う父と兄を横目に、眉間に力が入る顔を見られぬように、窓の外に視線を向ける。

 また出てしまうため息を手で覆い隠す。


 早く時が過ぎればいいのに。





 皇宮に着いて馬車から降りようとした時、父に呼び止められる。


 「ラティーニア、解っているな?お前は容姿は良いのだ。だから、笑って媚びろ」


 わたくしは父を無表情で見返します。

 娘に対してなんてことを言うのでしょう。

 出掛ける前に母にも言われました。

 “笑いなさい。貴女は笑っていれば()いのです”と。




 わたくしはいつから笑わなくなったのか。

 そんなこと貴方方は分からないのでしょうね。だってわたくしにも分からないのですもの。

 以前は笑っていたような気がします。

 でも、いつからか笑えなくなったんです。


 だって仕方ないじゃありませんか。

 父にも母にも伸ばした手を振り払われる、声をかけたら面倒くさそうに雑に返事をされる、兄は何が気に入らないのか、いつも使用人に喚き散らす。

 使用人達はいつも怯えたように、顔色を窺って震えている。何もしていないわたくしにまで。

 夜は毎日のように人の声が館に響いています。泣き叫ぶ声、許しを乞う声、甲高い悲鳴のような声が聞こえるのです。

 館のいたるところでです。父や母のそれぞれの寝室から、食堂から、廊下や玄関、酷いときは庭から聞こえます。

 その声が聞こえる“場”を見てしまった時、わたくしはショックで動けなくなりました。

 わたくしが見ていることに気付いても、父は、母は、兄は、その“行為”を止めませんでした。寧ろ見られていることで気が高ぶったのか、声を上げて笑い愉しそうに“行為”を続けていました。



 こんな家で、どうやって笑っていろと言うのでしょう。

 でも今日は笑わなくてはならないのでしょうね。

 わたくしはため息を飲み込み、父に淑女の礼をする。分かりました、と。


 馬車から降りて、先に行く父の後を兄と共についていくと、広い庭園へと出る。

 そこには既に同じ年くらいの男の子と女の子がいました。皆緊張のせいか、不安そうに辺りを見回しています。

 彼等の親はおりません。ここから先は子供のみの場。大人は給仕をする侍女と警備の為の騎士のみ。


 父は去る前にもう一度、わたくし達に言いました。必ず手に入れろ、と。



 もう帰りたいです。





 父が去り、兄は顔見知りなのか、談笑していた男の子達に近付いて行ってしまいました。

 わたくしはほとんど家から出たことがないので、知り合いなどおりません。ですので目立たないように、隅の方に移動して花を眺めていました。


 少し経った時、その場が俄にざわつき始めました。わたくしはそちらを見やると、納得しました。

 皇子殿下方がお見えになったのです。



 リュスフェル・リール・オーレディア。

 オーレディア皇国の第二皇子。肩より少し長めの鮮やかな金の髪を右側で縛って垂らしている、目尻が少し下がった深緑(しんりょく)の瞳、優しそうな柔和な顔で穏やかに笑っている。


 ユリウス・ディーン・オーレディア。

 オーレディア皇国の第三皇子。黒に近い紺色の髪に、冷たい印象を与える鋭い紫紺の瞳、整って綺麗な顔立ちだけれど今は口元は引き結ばれ、無表情で周りに視線を向けている。




 中央へと歩み寄られたお二方に、数人の子が近寄っていきました。親しそうに話されているので、どうやら顔見知りのようですね。他の子はどうすればいいのか分からずに、遠巻きに見ているだけです。


 すると皇子殿下方と共に現れた文官の方が、(みな)に聞こえるように大きな声で説明をしました。

 これから一人一人皇子殿下方にご挨拶をするように、と。

 並んで立ったお二人の前に列を作ります。わたくしは一番最後にしようと、他の子が並ぶのを見つめていました。兄は並ぼうとした子達を押し退け、一番前に並んで大きな声で自分の名を宣言しています。

 皇子殿下方は一瞬だけ不快げに顔を歪められましたが、直ぐに笑顔になり話をしていました。

 周りの子達はそんな兄を睨むように見ていますが、兄は全く気にしていないようです。というか気付いてすらいないのかもしれません。


 思わずため息が出てしまいました。



 その時、後ろから小さな叫び声が聞こえました。わたくしは少し驚いて(でも顔の筋肉は動かずに無表情のままですが)振り返ると、女の子が座り込んでいました。どうやら転んだようです。

 わたくしはその子に歩み寄り、手を貸すこともせずに見下ろします。


 「何をしているの?早くお立ちなさい」


 言われてその子は反射的に顔を上げました。

 赤茶色の髪に濃い青色の瞳、鼻を中心にしみ……でしょうか……が広がっています。顔も全体的に華やかさには欠けますが、ふんわりとした雰囲気の女の子です。

 彼女はわたくしを驚いて見つめたまま固まってしまったので、もう一度声を掛けます。眉間に皺が寄ってしまいましたが。


 「どうしたの?早くお立ちなさい。それとも怪我をしたの?」

 「い、いえ!大丈夫です」


 急いで立ち上がった彼女は、服の汚れを落として乱れた髪を直しています。それをじっと見ていたわたくしは、一つ頷きます。確かに怪我は無さそうですね。


 「もうご挨拶は済ませた?まだならわたくしと一緒に行きましょう」

 「は、はい」


 緊張のせいか小さく震えている彼女を伴い、短くなってしまった列の後ろに彼女を前にして並びます。


 直ぐに彼女の番がきて、つかえながらもなんとか挨拶をして頭を下げた彼女に、皇子殿下方は笑って挨拶をしています。

 そして彼女が横に退き、わたくしが一歩踏み出す前に第三皇子殿下と目が合いました。

 すると()の方は驚いたように目を見開き、固まってしまいました。その様子に驚いたわたくしは、第二皇子殿下に視線を向けると、なんと彼も驚いた様子でわたくしを見つめていました。

 わたくしは混乱してしまいます。


 えぇっと、わたくしどこか変でしょうか?

 この格好ですか?この格好なんですね?そんなに見つめないで下さいませ………


 頭は混乱していますが、このまま見つめ合っていても仕方ないので、わたくしは今の自分に出来る精一杯の笑顔と淑女の礼をします。

 その時になって漸く、皇子殿下方も気付かれ慌てたように挨拶をしました。







 ふいになにかを感じました。どうしてなのかは分かりません。突然に、奇妙な感じがしたのです。

 そして目にしたのです。

 皇子殿下方の斜め後ろにいた侍女が静かに動き、その手に小振りの剣が握られているのを。


 後になってその時のことを思い出そうとしても、よく思い出せないのですが。

 わたくしは目の前に立っていた皇子殿下方の腕を取り、自分の方へと引き寄せると同時に前に出て、きらりと光る刃の前に身体を滑り込ませました。

 恐怖に目を閉じることもなく、迫る刃を見ることもなく、わたくしはその者の目を見つめ睨み付けていました。



 けれどわたくしに刃が届くことはありませんでした。

 その代わりに、わたくしの視界は赤一色に染まります。


 わたくしには分かりませんでしたが、異変に気付いた騎士が後ろからその者の胸を一突きにし、反射的に吐いた血がわたくしの顔にかかったのです。




 赤く染まったまま、わたくしは呆然としていました。


 わたくしの頭には一つの光景が浮かんでいます。


 足が震えて座り込み、両手で顔を覆う。言葉にならない声がもれる。思い出してしまった“記憶”に、視界を支配した“赤”に、心が掻き乱され、溢れた想いがとうとう叫びとなる。


 「あああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ‼」


 魂から叫ぶように声を上げる。


 目尻から流れた涙が、頬を伝う………



 そうしてぷつりと意識が途切れた………











 

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