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《8》

  


 

 ショートカットの遥希の髪は母のお気に入りだ。

 遥希を膝の上にのせ、優しく櫛で梳かしてくれる。

 毎朝必ずそれを繰り返す母は最後に大きな手鏡を持ち、遥希の顔を映し込ませる。


「ほら、今日も可愛いね」

 遥希の隣に少しだけ映る母が笑っている。

 可愛いね、いつも遥希を可愛いと褒めてくれる。

 可愛い遥希は母の自慢なのだそうだ。


「遥希は可愛いね。ほら、お父さんそっくり」

 遥希の髪を愛おしそうに撫でた母は、いつも同じ言葉を繰り返す。

 父親似の遥希は母の誇りなのだそうだ。


 大きな手鏡に遥希の顔が映っている。

 遥希は母が可愛いと繰り返す自分の顔を、不思議そうに見つめる。

 父親に似た遥希の目はいつも細くて眠たそうだ。

 少し下がった眉毛もすっきりしてない鼻筋も、全体的にぼんやりしていて弱々しい。


 遥希は母が可愛いと褒める自分の顔を、いつも不思議そうに見つめる。

 遥希が可愛いなら、佑真はもっとずっと可愛い。

 可愛い母そっくりの佑真は本当に可愛い。

 いつも女の子に間違われ、お人形さんみたいだねと知らない人にも褒められる。

 佑真の隣にいる遥希は、いつもそこにいることを忘れられてしまう。

 母はそれでも遥希を可愛い、一番可愛いと褒めてくれる。

 母は父親そっくりの遥希が大好きなのだそうだ。



 


 

 駅の改札を抜けると、すぐ傍に佇む父の姿を見つけた。


「お父さん、待った?」

「いや、さっき着いた」

 2か月ぶりの再会に笑って声を掛けると、父も同じく笑ってくれた。


 父と待ち合わせたのは隣県の駅だった。

 県庁所在地の中心でもあるこの駅は大きく、隣はショッピングビルと繋がっている。

 休日の日曜日、昼時のこの時間はすでに多くの若者の姿で混雑している。


「先にどこかで昼飯を食べよう」

「どこにする?」

 互いに顔を合わせきょろきょろと辺りを見回してみても、当然改札付近に店は存在しない。

 隣のビルには飲食店もあるようだが、父と2人では何となく行きづらかった。


「ちょっと歩いてみようか」

 父が駅の入口ドアを指差したのですぐに賛成し、共に歩き始めた。


 

 久しぶりに快晴の今日は風もなく、暖かな陽射しが一時冬の寒さを忘れさせてくれた。

 歩道には少し雪が固まっていて、おそらく数日前に大きく降り積もった残りだろう。

 すでに3月に入ったというのに、今年は寒さが長く続いている。


 適当に話しながら、隣を歩く父をさり気なく見つめた。

 今日も特に変わった様子はない。

 しょっちゅう会えない距離にいるせいか、久しぶりに会えば変化に気付きやすい。

 白髪は毎年増えているようだがいつも穏やかな父の顔は皺も少なく、血色も良かった。 



「お父さん、ここいいんじゃない?」

 駅から10分程歩いた先に、父の好みそうな蕎麦屋を見つけた。

 父も立ち止まり、一度そこに視線を向けた。


「あそこがいいんじゃないか?」

 今日は蕎麦の気分じゃなかったのか、車道を挟み斜め向かいを指差した。


「あそこ、洋食屋さんだよ」

 父が教えた小さな佇まいの店はディスプレイが置いてあり、遠目でもすぐに判断できた。

 そこでいいのかと念を押し尋ねると、父は頷いて肯定した。


 外観と同様に店内はこじんまりとしていて、客席のほとんどがすでに埋まっていた。

 所々年季の入った箇所が見てとれる洋食屋はこの辺りでは老舗なのか、常連客らしき中年層の姿が特に目立つ。


「遥希と会うとこれが食べたくなる」

 幸い1つ空いていたテーブル席で向かい合うと、父は運ばれた料理を眺め久しぶりだと笑った。

 共に注文したのはハンバーグとエビフライのセットだ。

 鉄板に乗った熱々のハンバーグはふっくらと美味しそうだし、きつね色のエビフライも大きくて食欲をそそる。

 どっちも遥希の好物で、小さい頃に母がよく作ってくれた。


「美味しいな」

「うん、美味しい」

 見た目の想像通りとても美味しく、味付けもそこまで濃くはない。

 フライの油切れが良いせいかあっさり食べられて、父も気に入ったらしい。


「この店は当たりだ。またここにしよう」

「うん」

 父が喜んでくれればどの店でも構わないが、次回もここで決定だそうだ。

 久しぶりに父と一緒に食べるごはんはとても美味しい。

 2人はデザートのティラミスとアイスクリームまで追加し、半分こで食べてしまった。



「ちょっと食べ過ぎちゃったね」

「歩けば腹も落ち着く。行こうか」

 店を出てから満腹となった腹に反省し笑うと、父がさっそく腹ごなしをしようと先の道を歩き始めた。




 駅から30分程歩いた公園の近くに、小さな墓地がある。

 遥希の母の墓はそこにある。

 ここは母が生まれ育った土地で、父と結婚するまで一度も離れたことはなかったそうだ。

 年に2度、盆と春の彼岸頃に父と2人ここを訪れる。

 母が亡くなった年から、今年ですでに12年が経過した。

 遥希が13歳の時の事だ。

 

 まだ30代という若さでこの世を去った母との思い出は、ごくささやかなものかもしれない。

 遥希が記憶している母の姿はおぼろげで、これまで繰り返し写真を確認しなければ既にはっきり思い出せない程だったかもしれない。

 それでも母はいつも綺麗で、笑顔がとても可愛い人だった。

 そして遥希にとても優しく、最後までいっぱい愛してくれた。



 大きくない母の墓を綺麗に整え、途中の店で購入した花とお菓子を添える。

 線香を焚き供えると、父と墓前に並んで手を合わせた。


 音が途絶えた静かな時がしばらく過ぎ、遥希は隣に立つ父にそっと視線を向ける。

 父はいまだ目を閉じたままだ。


 遥希はここを訪れる度、最後に隣の父の横顔をじっと見つめる。

 顔色を確認し、わずかな変化がないかを細かく探っていく。

 今確かに母を思っているだろう父が何を考えているのか、知りたくて仕方がない。

 この瞬間だけ、母の墓前で隣の父ばかりを気にしてしまう。


「そろそろ行こうか」

 視線を向ける遥希に気付いた父が、いつもの様に笑顔を浮かべた。

 小さく胸を撫で下ろした遥希は、母の墓を離れゆっくり歩き始めた父の後に続いた。


 

「林檎食べたか?」

 駅へ戻る一本道の途中、父は娘と歩きながらふいに思い出したらしい。


「美味しかったよ。葵も喜んでた」

 電話で無事届いたことは伝えたが、まだ林檎の感想を言ってなかった。


「あいつ、迷わなかったって?」

「うん、大丈夫だったみたい」

 ちゃんと家まで林檎を届けてくれた佑真に、再び心の中で感謝した。


「心配してくれたよ。洗濯物」

「……洗濯物?」

 不思議そうな表情を浮かべた父が、隣の遥希に振り向いた。


「一応女だから外には干すなって」

 明るく答えた遥希にようやく納得したらしい、父も笑って頷き返した。


 少しだけ父も安心してくれただろうか。

 子供達の事を誰よりも気にしているのは、やはりこの父だ。

 遥希はこの優しい父に、今以上の心配だけは決してかけさせたくなかった。

 

 

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