《7》
時が過ぎるのは早いと大人は言う。
子供の頃の1年はとても長く感じたと、周りと頷き合った記憶も浅い。
とうに大人の仲間入りをはたした25歳のひと月も同様に、気が付けばあっという間に過ぎてしまうものかもしれない。
ひと月後の鍋パーティーは、あっという間に当日となってしまった。
前回と同じく、約束の時間ちょうどに長狭は家を訪れた。
すでに先に来ていた大志は、いつものように飲み物とつまみを買って持ってきた。
この前長狭に断れと葵に散々怒られたので、大志も今回は頑なに遠慮したと言っていた。
長狭はそれでも手ぶらでは来られないのか、今日も手土産を持ってきた。
テーブルに置かれたのは前回と同じく白い箱だったので、すぐに想像がついた。
嬉しそうに冷蔵庫に閉まった葵の姿を見つめた遥希は、今日も最後にあの箱を開けなければならないと思うとすぐに心が重くなった
せめて箱の中身は何であれ、特に気にするのはやめようと開き直ることにした。
長狭は静かな男性だ。
にぎやかな葵と大志が騒いでも、彼の周りだけ別空間のように静かな空気が纏っている。
決して暗いわけでも、冷たいわけでもない。
特別無口でもない彼は、2人を相手に低く言葉を返していく。
見た目も同様で、時に同い年だと意識しなければ忘れてしまうほど大人に感じる。
感情の起伏が少なく、いつも落ち着いている。
笑い声を上げる事もなければ、大きく声を響かせることもない。
おそらく彼は怒ることも泣くこともしないのではないだろうか。
隣に立たれると大きくて驚くが、不思議と威圧感を覚えない。
自然と場に溶け込んでしまうし、傍にいる相手をさりげなく気遣う。
たまに視界に入る彼の手は大きいのにまるで節くれだってなく、女性のように綺麗な指をしている。
滅多に動きを見せないその手が、時には大胆に遥希の行動を取り上げてしまう。
今日も彼は斜め隣に座る遥希の皿を取り上げ、鍋をよそってしまった。
大人しく待つしかない遥希は、そんな彼をすでに諦めてしまった。
「長狭先輩、どうですか?」
「美味いよ」
長狭が初めて食べたと言う豚バラみぞれ鍋は、大志が一所懸命大根を大量に摩り下ろしてくれた。
今日の功労賞は間違いなく大志だ。
大根おろしたっぷりで味もとても美味しい。
この分だとすぐに具も無くなってしまうだろう。
意外にも4人の中で一番食べる葵は開始早々、さっそく2杯目を催促し始めた。
「今日は特に寒いから、鍋はベストタイミングだったよね」
「キムチでも良かったかも」
葵は辛い物も大好きだから、我慢できず明日あたり自分でキムチを購入してくるかもしれない。
「もしかしたら雪がちらつくかもしれないね…………長狭先輩、今日はちょっと早めに帰りますか?」
いつもこのままここに泊まる大志はともかく、長狭は帰りの心配もしなければならない。
カーテンを開け外を覗いた大志の問いに、長狭も一度そっちを見やった。
雪国ではないこの地方は冬の時期それほど大きな雪は降らないが、一旦降ると連続して振り続けることもある。
同じ県内でも遥希の地元はほとんど雪が降らなかったので、初めてこっちに来た冬は少しばかり驚いた。
「こっちに来て一番苦労したのは雪だよねぇ……」
車を所有する葵は今も雪道に慣れないせいか、雪が降るといつも顔を顰める。
幸い事故には至らなかったが、一度スリップして恐怖を味わった。
偶然隣に乗っていた遥希も怖い思い出だ。
「長狭君はお正月帰省したの?」
「とりあえず日帰りで。うちは兄家族がいるし、もう1人の兄家族も押し寄せるから寝る場所もなくて追い出される」
「へえ! それはすごそうだね。じゃあ長狭君は一番下?」
「3人兄弟の末っ子」
「見えなーい! いかにも長男って雰囲気なのに」
あまりにも意外な事実だったのか、葵は驚きながら逆に喜び始めた。
「葵さんは男兄弟の真ん中なんですよ。性格そのまんまでしょ?」
「大志は正真正銘いかにも甘えん坊の末っ子ちゃんだよねぇ」
互いにからかい始めた2人の言葉通り、一見お嬢様風の葵の性格は納得がいくし、大志はそのまんまだ。
ふいに嫌な流れを感じ取り、さりげなく手元の取り皿に視線を落とす。
ここで無視してくれればいいのに、無邪気で優しい大志は遥希にも視線を向けてくれる。
「長狭先輩、遥希さんは双子なんですよ」
ただの事実を先輩に教えただけの大志に悪気なんて一切ない。
責められるはずもなかった。
「しかも弟さんだって、ね? 遥希さん」
「うん」
笑って確認する大志に、軽く頷き肯定した。
斜め隣の長狭が怖くて、箸を持つ手が冷たい。
何も知らない長狭にどうしてこんなに脅える必要があるのか、自分にもわからない。
「あんまり似てないんだよね?」
「うん」
「二卵性なんだからそんなもんじゃない? ねえ、そろそろ具もないし〆ようよ。今日はどうする?」
いきなり話題を変えた葵は鍋をのぞき気にし始めた。
すっかり忘れていた遥希も慌ててのぞき込むと、確かにほとんど食べ終わっている。
皆の意見が一致し、今日の〆は雑炊に決定した。
一通り食べ終わり満足した頃、再び外を確認したが、今夜はまだ雪の心配はなさそうだった。
安心した大志が当然長狭を引き止めたので、今夜も長い夜になりそうだ。
息抜きに片付けを済ませるため一度立ち上がると、テーブルの鍋を持ち上げキッチンに向かう。
とりあえず最初に大きな鍋を片付けてしまおうとさっそく洗い始め、ガスコンロの上に置いた。
ふいに背後から気配を感じた遥希は、慌てて振り返った。
「ここでいい?」
そうじゃないかと予感はあったが、やはりそこには食器を重ね両手に持った長狭が立っていた。
「すみません、ここに」
急いで謝ると、シンクに食器を置くようお願いする。
一度リビングに視線を向けると、雑然としていたテーブルの上はすっかり綺麗に片付けられていた。
おそらくすべて長狭が働いてくれたのだろう。
すでに酔いが回っている葵と大志は、この時間あてになったためしがない。
今もビール缶を箸で叩き、ふざけあってケラケラ笑っている。
客であり車で酒が飲めない先輩の長狭を前に堂々と酔っぱらえる大志は、やや常識的に問題あるんじゃなかろうか。
彼の今後が少しばかり心配になってきた。
「洗剤はこれ?」
少し視線を外していた間に、長狭はすでにスポンジを持ち始めた。
「いえ! ここは大丈夫なんで、部屋で休んでて下さい」
慌てて隣に近付きスポンジを取り上げると、早く戻るようにお願いした。
前回の二の舞は決して踏むまいとさっそく食器を持ち、必死にゴシゴシと洗い始める。
遥希の言葉を本当に聞いていたのか、隣に佇む長狭が泡のついた食器を一緒にすすぎ始めた。
思わず手を止めた遥希は戸惑いを浮かべ、長狭の顔を見上げた。
それに気付いた長狭も一度手を止め、遥希の目を静かに見つめ返した。
遥希は茫然と長狭の目を見つめた。
まるで吸い込まれるような引力をその目に感じ取る。
無防備にも捕らわれてしまった遥希は、長狭の目から離してもらえなかった。
隣の部屋の騒ぎ声も静かに流れ続ける水の音も、この瞬間だけすべて忘れてしまった。
ようやく我に返った遥希は、引き離すように無理やり長狭から目をそらした。
再び手元に視線を向け、黙々と食器を洗い始める。
隣に立ち続ける彼を一切気に掛けず、すべて洗い終える。
彼が食器をすすぎ終えるのを、ただ隣でじっと黙り待ち続けた。
今日も長狭が買ってきてくれたケーキは以前と同じ店のものだった。
最後に食べたいと2人が騒ぎ始めたので、冷蔵庫から取り出す。
テーブルの上でそっと箱を開けると彩り豊かなか中身が見えて、思わずほっと息を吐いた。
ケーキはすべて種類が異なるようだ。
やはりこの間はただの偶然だったとようやく安堵した。
葵と大志が今日も美味しそうと喜びながら、白い箱をのぞき込む。
「こないだのもあるね」
短く呟いた葵の言葉に、再び遥希は箱の中のケーキに意識を向けた。
今日もおそらく8個あるだろうケーキの中に、よく見ると以前と同じ2つのケーキが入っている。
ただの偶然だったとついさっき安堵したばかりなのに、たった今2つのケーキを見つけてしまった。
こんなに種類があるのだから、当然入っていてもおかしくない。
決しておかしくはないはずだ。
それなのになぜだろう、ひどく胸が騒ぎ始める。
決して視線を向けない斜め隣の長狭が怖い。
彼が今一体どこに視線を向けているのか、ただそれだけがとても怖かった。