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《3》




『ああ、遥希か』

「うん」

 電話越しの父に答えると、一度止めた足を再び歩き始めた。

 冬の季節、仕事終わりの帰り道はすでに暗く、外灯と住宅の明かりが頼りだ。


『仕事は? 問題ないか』

「大丈夫。お父さんの方は?」

『特に何もないよ』

 父の声がいつもと変わらず穏やかなので特に心配ないと思ったが、近況を確認しなければやはり落ち着かない。

 おそらく父も同じ気持ちだろう。

 習慣のように互いに毎回同じ言葉を繰り返せるのも、幸いなことに違いない。


『林檎、好きだろう?』

「リンゴ……うん、好き」

『今年も伯母さんから届いたから』

 東北の雪国に住んでいる父の姉である伯母は、毎年冬の季節になると地方の林檎を実家に送ってくれる。

 正月休みに帰省する際、毎年父がお裾分けで持たせてくれるが、今年は届くのが遅くまだ食べていない。

 わざわざ電話で教えてくれたのだから、おそらく遥希のアパートにも送ってくれるつもりかもしれない。


佑真ゆうまに持たせたから、そろそろそっちに着く頃だと思って』

「…………え?」

 思ってもいなかった父の言葉に反応が遅れた。

 再度歩みを止めてしまったことに気付かない程度に、心は動揺を見せた。


『そっちに用事があるっていうから、ついでにお前の所に寄ってもらうことになったんだ』

「そっか、そうだったんだ」

 父に悟られないように平静を装い、言葉を選んで返した。


「えーと……うちのアパートわかりずらいし入り組んでるから、迷わないかな?」

『大丈夫じゃないか? 住所はちゃんと教えたし、あいつは営業マンだからそういう道は慣れてるだろう』

 明るく笑いを交えた父の声が何となく嬉しそうなので、遥希も電話越しに無理やり笑みを浮かべた。


『もう夜だしそんなに長居はしないと思うけど、葵さんにもよろしくな』

「うん、わかった。わざわざ有難うね」

 早々に父との電話を終わらせると、スマホを握った手を力なく降ろした。


 心臓が嫌な鼓動を打っている。

 2週間ほど前に帰省した際会ったばかりだというのに、少しでも離れてしまえば途端に気持ちは逆戻りしてしまう。

 臆病なのはいつだって同じだ。きっとこれから先も変わらない。

 諦めの息を吐くと、再び先の道を歩き始めた。



 

 すでにアパートの玄関前には佑真の姿があった。

 ドアに凭れ掛かり、退屈そうにスマホをいじりながら俯いている。

 気配でわかったのだろう、さっとこっちに視線を向けた。


「よう」

 いつもと変わらない仏頂面でぼそりと呟く。

 まるで感情が掴めない。

 諦めなのか、嫌悪なのかさえ判断できない。

 どっちにしたって遥希は笑うしかないのだ。


「わざわざごめんね。重かったでしょ?」

 いつもの貼り付けたような笑顔を浮かべ、佑真の手に視線を向けた。

 彼の足元に無造作に置かれたバックの他に父が持たせた林檎の入った袋は今だ持っていたので、急いで受け取ろうと手を伸ばした。


「とりあえず開けて」

「あ、うん。ごめん」

 伸ばした手を拒否されてしまったので、今度は慌ててバックから鍵を取り出す。

 ガチャガチャと不器用な音を立てようやく鍵穴に差し込み、玄関ドアを開ける。

 無様な遥希の姿を、斜め背後で佑真はぼんやりと興味なさげに眺めていた。


 

「ごめんね、重かったよね。ここ置いて」

 部屋の中へ進む佑真を追い掛け、テーブルの場所を教える。

 さっきから何度謝っている。

 どうしてこんなに謝る必要があるのか、遥希自身もわからない。

 おかしい事にすら気付いていない。


 林檎の入った袋をようやくテーブルに置いた祐真は、身を持て余すようにそのまま腰を下ろした。


「今お茶入れるから、コーヒーでいい?」 

「いや、すぐ帰るし」

 キッチンに向かいドリップコーヒーの入った缶を手に取ると、あっさりと止められる。

 すぐに諦めた遥希は再び缶を手離した。


 葵がまだ帰らない今、2人きりの状況にどうしたらよいかすらわからないくせに、素気無く拒絶されるとざわりと胸が痛む。

 いつだって、何度だって小さな傷を生む。

 けれど遥希にとってそんな事はどうでもよい。

 父の頼みを無下に断れず仕方なくここまで来るしかなかった佑真が、ただ可哀想だった。


「ふーん……けっこう広いんだ」

 佑真はすぐに立ち上がることなく、8畳程の広さがあるリビングをぐるりと見渡した。


「3DKなの。友達と2人だから」

 とりあえず独り言ではなさそうなので、慌ててキッチンから彼の傍へ近寄った。


「柴原さんだっけ」

「うん、そう」

 まさか同居人の葵まで認識してくれているとは思ってなく、戸惑いながら肯定する。

 無意識に胸の前で握りしめた手が微かに震えていた。

 佑真とこんなに会話をしたのは、一体いつ振りだろう。

 いくら考えても思い出せない程に、すでに遠い昔のことだった。


「帰り遅いの?」

「…………えっと、柴原さん?」

「うん」

 なぜか佑真がまだ帰らない葵を気にし始めた。

 もしかして、葵に会いたかったのだろうか。


「いつも9時過ぎるけど……何で?」

「別に」

 再びそっけなく即答され、せっかく続いた会話が突然止まってしまった。


 しんと静まった部屋の中、遥希は傍に佇んだまま佑真の姿をじっと見つめてしまう。

 一度も視線を向けない佑真は、居心地悪そうにその場から再び立ち上がった。


「そろそろ帰るわ」

 佑真はあっさりと帰宅の意志を告げると、さっさと玄関に向かい歩き出した。


 帰ってしまう、とうとう佑真が帰ってしまう。

 あれだけ家に来る佑真を動揺と緊張で構えたというのに、背を向けられればいつだって引き止めたくて仕方ない。


「わざわざごめんね。気を付けて帰って」

 靴を履く背中に最後の言葉を掛けると、バックを肩に掛けた佑真はそのまま玄関ドアを開いた。

 結局、最初の一度きりしか目が合わなかった。


「洗濯物、気を付けた方がいいんじゃねえの」

 背中を向ける佑真がボソリと低く呟いた。

 一瞬放心した遥希はすぐに我に返ると、慌ててベランダに視線を向ける。

 確かにそこには朝干した洗濯物が竿にぶら下がったままだ。


「一応女2人なんだし」

「あ……うん、うん。気を付ける」

 顔の見えない佑真がいつも以上にぶっきら棒に呟くので、ぎゅっと胸を押さえた。


「ありがとう、ありがとう佑真」

 ごめんじゃないだろ、最初からそう言えと、背中で怒られたような気がした。


「じゃあな」

「うん」

 最後まで背中しか見せてくれなかった佑真は、来て早々あっという間に帰ってしまった。


 しばらく玄関前に佇んだ遥希は、力なくその場にしゃがみこんだ。

 ぼんやりと床だけを見つめた目が一瞬小さく震え、静かに涙が零れ落ちる。

 ぽろりと一粒落ちたはずがすぐに嗚咽を交え、ぽろぽろと見苦しく頬を汚していく。

 胸が痛い、痛くて苦しくて、代わりに涙を流してしまわなければ堪えられない。


 許されたわけじゃない。

 許されることなど望んでいない。

 けれど、佑真が少しだけ歩み寄ってくれた。

 気にかけてくれた。

 それだけで十分だ。

 





 一目散に冷蔵庫をガバリと開き、迷いなく缶ビールを1本取り出す。

 プシュっと音を立て蓋を開けると、キャミソールとパンツ1枚のあられもない姿でゴクゴクと勢いよく飲み始めた。


「ぷはあ! やっぱ風呂上りのビール最高!」

 勢いに負け頭に被ったタオルがパサリと床に落ちた。

 面倒くさそうに拾い上げると、そのまま視線をリビングへ向ける。


「ねえ……いつまでそうしてるの?」

 葵は不審の表情を浮かべ、テーブル前でじっと正座している遥希の姿を見やった。

 確かに葵が長風呂する以前からずっとその姿勢だ。

 まったく表情のない遥希の顔は照明によって異様に青白く、ピクリとも動かない俯き加減の正座姿は一見不気味でもあった。

 いつもは大胆不敵の葵もさすがに少しばかり怖くなったのか、片手にビールを握り締め恐るおそる近寄ってきた。


「お願いがあります」

 突然沈黙を破った遥希の重い呟きに、向かいに座った葵が大袈裟なほどビクリと震えた。


「ちょっと急に話しかけるのやめてよ。何なの、かしこまっちゃって」

「今度の鍋パーティー」

 覚悟を決めた遥希は視線を前に戻すと、すがるように葵を見つめた。


「いいよね? 私がいなくてもいいよね?」

「……何で? 用事でもあるの?」

 思い詰めた遥希の必死なお願いに、訝しげな葵はすぐさま尋ね返した。


「用事、そう、用事」

 遥希はあからさまにも、たった今用事できましたとばかりに強く肯定する。


「そっか、用事か……それじゃ仕方ないよね」

 葵が気遣うように優しく笑みを浮かべてくれたので、さっきまでの死人のようだった遥希の顔色がバラ色に生まれ変わった。


「ありがとう葵、ありがとう」

 テーブル越しに葵の両手を掴み取り、激しく握りしめた。


「大袈裟だね、遥希は。今週が無理なら来週があるじゃない」

「……え」

「とりあえず長狭君には大志から謝ってもらうから。長狭君の都合聞いて、もし来週が駄目でも再来週があるしね」

「葵……そうじゃなくて」

 絶対に欠席を認めてくれない葵にみるみる自信を無くした遥希は、再び項垂れるように俯いた。


「遥希、あの時長狭君に言ったよね? そうですね、よかったらって」

「………………」

「鍋パーティーにどうぞ良かったらいらっしゃって下さいって誘った張本人が、今さら私は用事あるんで遠慮しますなんて、それはいくらなんでもあんまりなんじゃない?」

「………………」

「大志の大切な先輩だから? 大志に申し訳なくて、遥希は心にもないこと口にしたの?」

「………………」

「大志が知ったらどう思う? 長狭君はもちろんだけど、大志だって傷つくんじゃない?」

「………………」

 直球でガンガンぶつけてくる厳しいお言葉に、結局一言も言い返せない。

 葵の意見があまりにも正論すぎて、反論する余地もなかった。

 あの純粋で人の良い大志を出されれば、どうすることもできない。

 当然大志を傷つけたいはずがないからだ。


 葵は一度大きく息を吐くと、力尽きた遥希の頭をポンポンと優しく撫でた。


「言い過ぎたね……ごめん遥希。元々は私が勝手に長狭君を誘ったせいなのにね。遥希が男の人免疫なくて苦手に思ってるの、ちゃんと知ってるのにね」

「………………」

「………ねえ遥希、困った時は私が隣でちゃんとフォローするからさ、ちょっとだけ我慢してくれないかなぁ?」

 優しく耳に届いた葵のお願いに、しばらくして俯いた顔をようやく上げる。

 気遣うように笑みを浮かべる葵を見つめ、弱々しく頷き返した。




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