《16》
初恋は15才、突然現れた小さな恋
初めてアルバイトを始めたのは高校1年生の春、町の小さなケーキ屋だった。
週2日の土日だけ、ケーキの入ったショーケースの前でポツポツとやってくる客を待つ。
昔からある外観も古ぼけたケーキ屋はケーキの種類も少なく、買いに来る客もまばらで中年層がほとんどだ。
その日、ケーキを買いに店に現れたのは1人の少年だった。
めずらしい思いで注文を待つことにすると、彼は目の前のショーケースではなくこっちを見つめた。
何か尋ねたいのかと、そのまま黙って待っていた。
「あなたは何が好きですか?」
突然尋ねられた遥希は驚き、戸惑いを浮かべ彼を見た。
少年はなかなか答えない遥希を見つめ、ただ黙って待っていた。
「チーズケーキが好きです」
ようやく答えた遥希の小さな呟きは、それでもちゃんと届いたようだ。
彼はその日、チーズケーキを1つ買って帰った。
真夏の炎天下、容赦なくジリジリ焼き尽くすような太陽を避けるため、頭上の長い鉄橋は大助かりだ。
近所にある川辺の日陰を作ってくれるこの場所は夏のバーベキューにはもってこいで、他に先客もおらず意外に知られていない穴場である。
「うーん……いい香り」
昼間のビールを片手に、葵はソワソワと最後に網にのせたアジの干物を待ち焦がれる。
ここに来ると大志が率先して焼いてくれるので、座ってのんびり待つことができる。
「そろそろいい感じ。葵さん行くよ」
優しい大志は一番傍で待ち焦がれる葵の皿に、一番最初にでんとのっけてあげた。
帰省土産の干物はいっぱい買ってきたので、皆満足してくれそうだ。
「水族館どうだった? あそこいいよね」
皆で干物を食べ始めると、大志に尋ねられた。
少し前、葵とデートで行ったらしい。
「イルカショーとかあるよね」
「うん、ちょうど一番前の真ん中で観れたんだよ。楽しかった」
家族皆で楽しめたので、魚好きの父の為にもまた近いうち行ってみたい。
「長狭先輩は帰りました?」
「ああ、昨日日帰りで。友人にも会いに」
大志に答えた長狭の言葉を必死に頭で考える。
一体誰に会い何を話したのか、気になって仕方なかった。
「どうした? 顔色が悪い」
わずかに色を失くした遥希の顔に気付いたのか、隣の長狭に心配げに覗き込まれた。
「いいえ、全然大丈夫です。元気です」
笑って否定すると、再び干物を食べ始めた。
「今週は忙しかったし、ちょっと疲れが出たんじゃない? ゆっくり休んでればいいよ。大志もう1回行こう」
「えー……もう疲れた」
葵がその場でシュッシュと素振りをすると、大志はゲンナリと身体を落とす。
午前中、中学時代バドミントン部だった葵に散々付き合わされ、すでに遊び疲れたらしい。
「ほら! 行くよ」
「もう、しょうがないなぁ……」
さっさとしろと葵に無理やり両手を引っ張られた大志は渋々諦め、ようやく立ち上がった。
ラケットを持ちバドミントンを始めた2人の姿を、遠目からしばらく眺める。
「あの2人はいつも仲が良い」
「はい、本当に」
長狭の呟きをきっかけに、再び視線を戻した。
「気分が悪くなったらちゃんと言って」
「はい」
すでに顔色を戻した遥希も念を押され、素直に頷いた。
「どのくらい実家に?」
「3日程です」
「変わりはなかった?」
「はい、特に。長狭さんの方は?」
「相変わらず騒がしくて困ったよ。うちは子供が大勢集まるから」
いつも落ち着いている長狭が子供を相手に困っている姿は、なんだか想像しにくい。
こんな彼でも振り回されたりするのだろうか。
「昨日だったら疲れましたよね。大丈夫ですか?」
今日のバーベキューは少し無謀だったかもしれない。
今週は皆忙しかった。
昨日日帰りで帰省しおそらく帰りも遅かっただろう長狭は、特に大変だったに違いない。
「どうして? 待ちきれなかった」
「え?」
「遥希さんに会える」
優しく笑みを浮かべ、隣の遥希をのぞき込むように見つめる。
どうして長狭は決して隠したりしないのだろう。
いつだって何の躊躇もなく、まっすぐ遥希にぶつかってくる。
遥希はいつもその時だけは、彼の目をさりげなくそらすことしかできない。
「大志君やっぱり疲れたみたいですね。ちょっと交代してきます」
遠くの2人に再び視線を向けると、元気があり余る葵を相手に早々バテてしまった大志が、その場で座り込んでいた。
「遥希さん」
なごりを残す長狭の呼びかけに気付かないふりをして、椅子から立ち上がり歩き始めた。
遥希が近づき明るく声を掛けると、大志は大喜びでその場から逃げ出していった。
落ちていたラケットを拾い上げ、葵と向かい合い真剣にシャトルを打ちあう。
昔から暇さえあれば葵に付き合わされ、体力に自信がある遥希もいつの間にかグングン上達してしまった。
ラリーが長く続くほど互いは本気になり、しばらく夢中で打ち返した。
午前中から始めたバーベキューも夕方前に終わりを迎え、4人は一斉に片付けを始める。
そのまま長狭の車でアパートへ戻ると、一休みをするためお茶を淹れた。
今日も最後に皆でケーキを食べ、その日長狭は帰って行った。