《13》
「ちょうどよかった。長狭君、この前はありがとうね」
窓際奥の2人掛けテーブル席に腰を下ろすと、水の入ったグラスを持ち近づいた葵が長狭に礼を言った。
「遥希がお世話になったみたいで。米重かったでしょ?」
米で気付いたのか、葵を見上げた長狭も今ようやく思い出したようだ。
「いや、勝手に手伝わせてもらっただけだから」
謙虚な言葉を返され、2人の会話をあいだで聞いていた遥希は途端居たたまれなくなり少し俯いた。
長狭にそこまで言わせてしまった遥希本人は、今日まだ礼の1つもしていない。
「今日も遊びに来てくれてありがとうね。こないだのお礼も兼ねて私と遥希がご馳走するから、好きなもの何でも注文して」
落ち込んだ遥希にも気を配ってくれたらしい、葵は遥希の名前もちゃんと付け足してくれた。
葵の気持ちを汲んでくれたのか、長狭も遠慮はせず一言礼を告げ承諾してくれた。
一度離れてしまった葵の後ろ姿をしばし見つめた遥希は、ようやく視線を前に向ける。
とうとうこの小さなテーブルに長狭と2人きりだ。
これほどの至近距離しかも向かい合わせの状況は、この前お世話になった車内よりはるかに緊張する。
「あの、お礼が遅れてすみません。この間は本当にお世話になりました」
今更ながらお辞儀をし、改めて感謝を伝えた。
「さっきも言ったけど、俺が勝手にやったんだ。気にしないでほしい」
感謝も謝罪も、相手や度合によっては気分が良いだけではないのかもしれない。
長狭の声の響きにそれを感じ取った。
「えーと、何にしましょうか。好きなものをどうぞ」
そういえば注文がまだだったことを思い出し、傍にある品書きを向かいに広げた。
「おすすめは?」
カフェのおすすめを尋ねられ、しばしメニューを見つめる。
遥希も一応ここの常連だが、いつも自分の好みで注文するので実際はよく知らなかった。
「どうでしょうか…………一度葵に聞いてみましょうか?」
「遥希さんのおすすめは?」
「私のですか?」
頷きで肯定され、再びメニューに視線を向けた。
「この時間だとケーキセットでしょうか。ここのケーキはすべて店長さんの奥様の手作りなんです。甘さ控えめで男性の方もよく注文されてますよ」
他に数種のサンドのセットもありそっちもおすすめなのだが、けっこうボリュームがあるので昼食向きだ。
「じゃあそれで。遥希さんも?」
「はい」
揃ってケーキセットに決まり、再び視線をメニューに戻す。
「飲み物はどうしますか?」
「ブレンドで」
「はい。ケーキは3種類あるんですけど、どれにします?」
メニューを指差しケーキの種類を教える。
「おすすめは?」
再び同じ質問をされてしまい、向かいの彼に視線を向けた。
「すみません、私もよくわからないんです。いつも同じものばかりなので」
今まで同じケーキしか食べた事がなく、他2つの味をまだ知らなかった。
「どれ?」
「え?」
「遥希さんはどれが好き?」
優しく尋ねてきた長狭に一瞬躊躇し、視線を下に向けた。
「私は、チーズケーキです」
言葉にしたくなかった答えを長狭に言わされてしまった。
「じゃあそれで」
「はい」
もう気にするのはやめようと、さっそくカウンターにいる葵に向け合図を送った。
注文したケーキセットを運んできた葵は、そっけないほどこの場をすぐ離れてしまった。
夕刻に近付いた時間、店に客の姿は少なく周りは静かなものだった。
テーブルにあるのは2人共にブレンドコーヒーとチーズケーキだ。
お茶の時間にここを訪れる際、遥希は毎回これを注文する。
他にチョコレートケーキとロールケーキもあるのだが、迷いはするものの結局いつもこればかりだ。
自ら招いた結果なのだが、どうして今長狭と向かい合い共にこのケーキを選んだのか。
どうして長狭はそれを自分に問うのか。
どうして今、2人きりなのか。
頭で考えてもよくわからない。
熱いコーヒーを両手で持ちそっと口に含む。
向かいの長狭がケーキを食べ始めたので、遥希もフォークを手に取った。
「美味しい」
「はい」
彼も気に入ってくれたようだ、同意した遥希も一緒に食べ始めた。
このカフェは男性客や年配の方も多いせいだろうか、以前長狭が買ってきてくれたケーキ屋のケーキより甘さも控えめで見た目もより素朴だ。
「ここにはしょちゅう?」
「日曜日に時々遊びに来ます。葵がいるので」
「大志もそう言ってた」
「大志君とも偶然会いますよ。ほぼ毎週来てるらしいんで」
土曜日以外に休みが合わない葵と大志は日曜日、このカフェでデートを重ねている。
いつも楽しそうな2人は本当に仲良しだ。
「大志が羨ましい」
呟いた長狭の言葉の意味が理解しづらく、遥希は疑問の表情を浮かべた。
「ここに来れば必ず好きな人に会える」
まっすぐに遥希を見つめた長狭の声は真剣で、言葉はとても甘いものだった。
微かに切なさを交え、遥希の耳に伝わった。
そらしてくれない目をさりげなくずらした遥希は再びケーキを見つめ、小さく口に運ぶ。
なんだか今日は味がよくわからない。
「大志君、今日は来ないみたいですね。お休みなのに」
突然止まってしまった会話が気まずくなり、誤魔化すように話を切り出した。
ここで大志がタイミング良くやってきてくれれば2人きりの状況も変えられるのに、こんな時に限って姿を見せてくれない。
「土日はいつも休み?」
「私ですか?」
「うん」
「はい、会社が休みなんで…………長狭さんもそうですよね?」
長狭は大志と同じ会社なので知ってはいたが、さっきから彼にばかり質問させ申し訳なくなり尋ね返した。
「特に何もなければ基本は休み。今日は何をしていたの?」
「……ええと、今日は特に何も。午前中は掃除と洗濯をして、午後は花の植え替えをしたり…………あ」
聞かれるまま今日一日を振り返っていくと、ようやく今思い出した。
「こないだはロベリアをありがとうございました」
うっかりして花の礼をまだ伝えていなかった。
慌てて言葉にすると、長狭も思い出したのか笑みを浮かべ頷いた。
「渡した時はほとんど蕾だったけど」
「最近天気の良い日が続いたので、綺麗に咲いてくれました」
ロベリアの小さな可愛い花を思い出した遥希も、無意識に笑みを浮かべた。
「来週、見せてもらえる?」
彼の問いかけに、また来週があるのだと思い出した。
延期になった今日の鍋パーティーは、結局来週に持ち越された。
今日会ったばかりだというのにそんなに早く、また彼に会わなければならない。
「はい、来週」
頷き肯定した遥希を、長狭は静かに見つめていた。
ゆっくりケーキを食べ終わり、隣の窓を見つめた。
問われるままポツポツとさり気ない会話を繰り返している内に、時間は過ぎたようだ。
「もう暗くなってしまいましたね」
夕焼けが過ぎ、外灯が点り始めた外はすでに薄暗かった。
向かいの長狭もじっと窓に視線を向けた。
しばらくそのままの彼の横顔を見つめ、返事を待った。
「そろそろ帰ろうか」
「はい」
遥希が頷くと、2人同時に席を立った。




