3-1 エフウッド教授の気遣い
噂は前々からあったのだ。
それは学内のあちこちで見られる、この星域外の放送における各地の戦局であったり、現在最も勢力を持つアンジェラス星域の軍隊の動きであったり。
各星域出身の学生となると、画面を食い入る様に見ていることが多い。自分の故郷がいつ出てくるか判らない。いつ攻撃されるか、その時に自分はどうしたらいいのか。いつも彼らは選択を迫られている。
なまじ頭もいい彼らだけに、現実と、その場に何もできない自分とギャップに苦しむことも多い。
一方、ウェネイク星系に元々住む学生にとって、それは遠い世界だった。彼らにとって、戦争は日常とは関係の無い出来事だった。自分が参加する必要は無く、進んで参加することなど考えもつかなかった、と言ってもいい。
学生レベルでは、そうだった。
だが教授レベルではそうではない。既に、各学部、学群の幾人かの教授助教授講師、と言った教える側の面々が、アンジェラス軍から要請を受けて、この地を離れている。
休職扱いになっているし、その間の身分と給与の保証もされるが、この惑星に居る時ほどの生命の保証はされない。
参加は自由である。少なくとも、彼らを使おうとする軍はそんな姿勢を見せた。
彼らの使い方を軍は良く知っていた、とも言える。この学究の徒達の活動の源泉は、つまりは自身の好奇心だったりするからだ。功名心や利益は所詮オプションに過ぎない。
「…伝達デザインのホソノ教授も、心理学のトバエ教授も行ったらしいよ」
そんなことを級友が噂するのを、エラは半ば聞き流していたものだ。
とりあえず彼女の師事するエフウッド教授ときたら、戦争も軍隊も嫌いだった。積極的に反対の意志を見せる訳ではないが、どれだけ要請を受けても、絶対にそのまま従うとは思えない。
「もっとも僕の専門を、彼らが必要とするとは思えないけどね」
それもそうだ、と研究室でお茶をごちそうになりながら彼女は思った。この研究室は建築を扱っていながらも、どちらかというと、歴史を扱う側面の方が大きい。無論歴史とて軍隊に全く不要という訳ではないが、利用するにはやや面倒な部門ではある。
しかし、同じ建築でも、他部門は違っていた。
エフウッド教授は普段彼女に滅多に見せない程の難しい表情をすると、ややうつむき加減に話し出した。
「建築学部にも、軍のオファーがあった。まあそれは前々から言われているんが、問題は、今回指名されたのは、ディフィールド教授だ、ということなんだ」
「ディフィールド教授が?」
彼女は思わず声を上げた。だがすぐに気を取り直して、彼女はその言葉の持つ意味を考えてみる。
「…ということは、教授傘下の研究者を丸ごと、ということでしょうか」
「かも、しれない。それに、ディフィールド教授が―――彼の体質として、一人で動くとは考えられない。もしも彼が軍の要請を受けるとしたら、確実に何名か連れていくだろうね」
そして彼女ははっとする。
「もしかして…その中に、学生も含まれたりするのでしょうか」
「それは当の学生次第だと思うね。ディフィールド教授にずっとついて行こうと思ったり、卒業後、何らかの恩恵を受けようと思うなら、まず進んでいくだろうな。彼はそういう学生を好むからね」
彼女は唇をぎゅっと噛むと、首を横に振る。
「…キュアのことが心配かい?」
「当然です。あの馬鹿は…」
「いや、彼は行かないとは思うよ」
彼女ははっとして顔を上げる。
「君の知るキュア・ファミは、軍隊というものが好きかい?」
「いいえ、大嫌いです」
彼女は大嫌い、の部分に思い切り力を込めた。
「彼は、とにかく集団行動というのが嫌いですから。だからあたし、いつも彼があの研究室に居るのも居られるのもすごく不思議で仕方ないんです」
「そんな彼が、もっと締め付けのきつい集団に、更に普段居心地が悪いだろう場所に進んで行くだろうかね」
「…と、あたしも思うのですが」
だけど、彼の目的が、ただ単に「良い建築物を作る」だけではないことを知っていたから、彼女は言いよどんでしまう。
「それと、あと、ディフィールド教授が、彼を連れて行こうとするか」
「あ」
「僕の予想では、彼はキュアは連れて行かないだろうね」
「そんなに、好かれていないですか?」
「彼が好かない程度には、ディフィールド教授も彼を好かないだろうね」
そうだろう、とエラも思う。ディフィールド教授はそもそもキュアを自分の研究室には入れたくなかったのだ、という噂も彼女は聞いていた。
それでも入れざるを得なかったのは、彼の「入室試験」である図面があまりに素晴らしかったからだ、と聞く。
現物には勝てないよ、と決まった時のキュアの得意そうな顔を、エラはよく覚えている。そして彼女はそれに手放しで喜べない自分に気付いていた。
「だからエラ、キュアが行ってしまうことを心配することはないと思う。問題は、そうじゃないんだ」
「…と言いますと?」
「今回の要請が、いつまで続くか、ということなんだ。彼は、卒業製作を教授に見てもらえないかもしれない」
「あ!」
エラは小さく叫んだ。
「他の連中はそれをも考慮して、自分からその要請に従おうとするだろう。そうすれば、自分の学生としての時間はいったんそこでストップするからね。帰ってきてから見てもらえばいい。しかし留まった彼は。しかも、彼は取りかかりが決して早い訳ではない」
それに加えて、決して好かれていない、とすれば。
「…でも、教授は教授でしょうに…」
「教授である以上に、人間だからね。特にこういう場所の地位の高い人間は」
おっと失礼、とエフウッド教授は片手を挙げた。
「…とにかく、出発前の君に言うには何だったが、気になることではあるのでね」
ありがとうございます、と彼女は頭を下げた。




