1人を多人数で倒しにくるなんてひどすぎる!
ふむふむ『状態異常:モンスター化は、これにかかったプレイヤーを他のプレイヤーがモンスターとして認識出来るようになってしまう状態異常です』かぁ……。
「今日も読書? 少しは体を動かしたほうがいいわよ?」
盲学校の昼休み、点字ディスプレイで文字を読んでいると、斜め上の方からそんな声が聞こえた。先生の声だ。
慌てて点字ディスプレイを隠……したくなった、けれど、それをグッとこらえて、何事もないかのように答える。もちろん、不機嫌な声で。
「別に、そんなの人の好きじゃないですか」
そういうと先生も口を尖らせる。いや、見えてないんだけどね。
「だって枝中さん、自立活動の時間以外全く白杖を使って歩く練習もしないし…………」
そんなこと言われてもなぁ。別に、目が見えない今この状態で、行きたい場所なんかないんだもん。意欲が湧かないのも、当然だと思うんだよね。
ただ、そんなことを言うとまた話が長くなりそうだ。
「分かりました。明日はきちんと白杖使って歩く練習します」
「きちんとするんだよ? 動かないと、せっかくのいい体型が維持できないからね? 女の子なんだからその辺きちんしなさい?」
余計なお世話だ!
叫びたい気持ちを抑え、あたしはため息をつく。あ、忘れてたけど枝中っていうのはあたしの名前ね。フルネームだと枝中奏。下の名前は『かなで』。『ソウ』じゃないから。
先生の歩く音が小さくなっていくのを耳にしながら、あたしは、再び点字ディスプレイに指を当てる。読んでいたのは本じゃない。昨日出した運営へのお問い合わせメールの返信だ。
昨日はあれから10分もかからずにログアウト可能状態になった。全員倒したのか、それとも逃げられたのかは知らないけど、いつの間にか周りから人の気配がなくなっていたんだよね。多分正気を失ってたんだと思う。
そこでメニューを開いてみたら、ログアウト出来るようになっていたのだ。あたしはすぐにゲームから出て、運営に『状態異常:モンスター化』の詳しい説明を求めるメールを送った。もちろん「アバター消滅なんていう効果をつけるなんて、どうかしてるんじゃないですか?」という文句と一緒に。
そのメールの返信が、早くも今日の朝に届いていた。慌てて点字に変換して、点字ディスプレイのメモリに入れ、昼休みはずっと読んでいたわけ。点字ディスプレイを隠しかけたのはそういう理由。
文字を指で追い、モンスター化の詳しい説明を読みながらため息をつく。もうあたしが懸念していたことが、本当になってしまった。
懸念していたこと。もちろん、何もかが心配になる状態異常だけども、その中で1番気にかかっていたのは「新規スキルの習得不可」だった。
前にも言ったとおり、このゲームでは覚えられないスキルを習得するための本は、読むことが出来ないようになっている。ということは「新規スキルの習得不可」があったら、全く本が読めなくなるんじゃあ……。と思ってその疑問もメールに書いておいたのだ。
返答は「クラスに関係なくスキルブックは読めなくなります」だった。なんの捻りもなく、最悪だって言えるよ。
惰性で使えなくなる消費アイテム一覧(ただし運営チームが公表しているもののみ)まで読み終えた。万能薬はやっぱり使えないよね……。もう一度、はぁ、とため息をつく。
これで文章は終わりかな? と表示を切り替えていくとまた文字が現れた。
「『なお、イベントログを見させて頂いたところ、あなたは比較的簡単にこの状態異常を回復することが可能です。以上G&M運営チームでした』ねぇ……」
多分、「きちんと治せるから諦めずゲームを続けてくださいね」って意味なんだと思うのだけど、あたしには何故か「早く治すために行動しろよ」って聞こえるんだよね。返信が異様に早いのもその一因だと思う。
……まぁそこは置いておこう。問題は、わざわざイベントログを見たって書いてあるところだからね。
つまり、今までにあったイベントの中にモンスター化を解除する手掛かりがあるってことでしょ?
思い返すまでもない。絶対あのトラウマになりそうなイベント「人無き伝言」で言われた「北の図書館の魔女に会え」が手掛かりだ。
北の図書館。もちろん聞いたことのない地名。日本語の地名はないはずだから、実際の名前は英語とかその辺の訳かな? いや通称なのかも。
家に帰って調べてみなきゃ分からない。まず、このゲームで何語が使われているかを。そしたら、その言語での訳を。訳で調べてダメなら、そのまま北の図書館で検索するのもいいかもしれない。
それでも分らなかったら――――。
ひたすら北を目指して歩くしかないじゃん。ヒントになってないよ、運営さん……。
それから数時間後、あたしはブラウザを閉じ、Gladius&Magicusのアイコンに触れていた。
案の定、手掛かりは見つからなかった。具体的な場所どころか『北の図書館』という単語すら、BBSの真偽のあやしいうわさ話で数回上がった程度。結局、昼間に言ったとおり北へ行くしかないわけ。
そこまでしてこのアバターに固執する必要、あるのかな? とは、もちろん思った。けれどアバターを作りなおしても、新しい本に辿り着くのには、どんな方法を使っても数カ月かかる。……もっとも、それを我慢してクレーラになったほうが、本を読みやすい気がしなくもないけど。
とにかく、それなら簡単に治せるらしいこの状態異常をどうにかするため、もう少し頑張ってみてもいいかな、という考えに至った。アバター作り直すのなんていつだって出来るし。
オープニング映像をスキップし、ログイン画面まで来た。昨日文字化けしていた二箇所は、それぞれ『マガ?』『北の平原』に差し替わっている。
対応が早いと喜ぶべきなのか、最初からそういう仕様だったのではと疑うべきなのか……。多分後者だね、疑う必要すらないかもしれない。
ため息を無理矢理深呼吸に変えて、あたしはログインボタンを押した。
昨日より森に近いところに出て来たみたい。森の方が南寄りだから少し損した気分になるけれど、まぁ誤差だね。
本当は、今すぐ歩き出したかったのだけれど、あたしはとっさに体を伏せざるを得なくなってしまった。
森の向こう側から、夜空の色と同化して見えにくいけれど、多分男性プレイヤーが歩いてきてる。モンスター化を解除することで頭が一杯であたしがクエストのターゲットモンスターになってるっぽいことをすっかり忘れてた! 危ない、見つかったらまた面倒なことになってたよ。
幸い、足元の草はそれなりの高さがある。だから、こうやって伏せていれば見つからないはず。
あたしは、森の外周を歩いているプレイヤーに注意しつつ、後ろへ後ろへと匍匐後退で遠ざかっていく。
チロリーン
「!?」
いきなり通知音が鳴った。この音はあたし以外に聞こえないはずだけれど、危うく声を上げるところだったよ!
いったいなにが起こったっていうの!? メニューを開いて確認するとメールだった。通知音が鳴ったということは、システムメールじゃなくて、フレンドからのメール。
ちなみに、あたしのフレンドは1人しかいない。こんな時にいったいなに? とメールを開く。
From Equal
To Sou
今お前、何やってる?
短い1文だった。短すぎて、真意が伝わってこない。ただ単に前の返答が来ないからメールしてきたのかな? それとも他に意図があって? しばらくそのまま悩んでいるとまたメールが来た。
From Equal
To Sou
何かあったんだな? 分かった。
……ダメだ。言ってることが全くわからない。こういうのは気にしないほうがいいね。あたしはメニューを閉じてもう一度森のほうを見る。さっき見回っていた人は、どこかへ行ってしまったようだ。視界にプレイヤーはいない。今のうちに逃げようとあたしは立ち上がった。
けれど、すぐに失敗だったと気付く。
「魔女がいたぞ!」
声に驚いて振り返ると、どこかへ行ったはずのプレイヤーが叫んでいる。手にもつは短剣。もしかして暗殺者だったの? まさか見回りじゃなくて見張り!?
昨日も言ったとおり、暗殺者は一定時間敵に見つからなくなる固有スキルを使える。それを使って見張りをしてたってことかな。
一瞬でも目を離したあたしが迂闊だった……。けれど後悔している暇はない。
《雷力解放!》
雷が男の頭上で渦巻いた瞬間、暗殺者はそれに反応して避けようとして後ろに後退する。が、雷撃はそれよりを超えた速さで黄金の手を伸ばし、敵を打ち付けた。雷撃が消えたあとも、ビリビリが体にまとわりついている。
今の攻撃で暗殺者のHPが2割くらい減る。少し効きが悪い気がする。いや、でも麻痺がついたからとりあえずはなんとか────。
そう思った瞬間、異常回復のエフェクトとともに麻痺が消える。男はこちらに目もくれず、逃げていってしまった。
あたしは北へ行くのをやめて、森に駆け込む。
身を隠せそうなところを探し、木のうろがあったのでそこに体を押し込んだ。
あるはずのない動悸を抑えながらあたしは考える。
マズい、相手のレベルが昨日と違う。
ステータスを上げる、数値のレベルだけじゃなくて、経験とか動きとかやりこみ方が多分違う。
じゃなきゃあのたった一瞬で状態異常回復のアイテムを使うなんて、あのたった一撃で1人じゃ倒しきれないから逃げるって判断を下すなんて、出来るわけがない。
あたしはプレイ時間だけ長いけど、戦闘に関しては自分の覚えてる魔法と他の職の有名なスキルを知ってるくらい。本探しには戦いより根性のほうが必要だったし、パーティーでの戦いをした回数なんて片手で数えることが出来る。
今日あたしを倒しに来てる人がこんな人ばっかりだとしたら……。
そう考えた瞬間だった。
「よーし、ターゲットが潜んでいるのはこの辺りだ。3人ずつに分かれて魔女を探せ!」
ドキッ。
心臓が音を立てて打った。これ、レベルが高い人が一杯いるどころじゃない。多分、あたしを倒すためにあのレベルのプレイヤーが数パーティーで協力してる。
「昨日戦った奴らの情報によれば、魔女はプレイヤーから逃げる行動を取るそうだ! 出会ったら足止めすることに専念しろ!」
しかも、昨日の今日なのにそんな情報まで……。こんなところに隠れてたら袋叩きにされてちゃう。
音をたてないよう、慎重にうろから抜け出して、これからの行動をを考える。見つかるのは時間の問題。守護者のいないところにわざと見つかって、そいつらを高火力魔法で倒しせば、もう1回逃げられる……? いやでも、どこの組にも守護者はいそう。
それならこれしかない。あたしは一番近くにいた3人に駆け寄る。
「あっ、魔女が!」
気付かれてしまった。でも……それ以上は言わせない!
《重力誘導!》
あたしは右手を、物を押し退けるように振る。
「ミナシーアクッ!?」
足止めのスキルを使おうとしていた守護者に、もう2人がぶつかったため、スキル発動が中断された。
そのまま、なにが起きたのかよくわかってない感じで呆然としている3人に、火属性の魔法を叩き込む。
MPを通常時の自分の上限同じくらいを一気に消費してしまった。爆炎が晴れた後にはいたのは守護者1人だけ。それもHPゲージは残り僅か。
相手は指を動かして、多分メニューを開いて回復薬を使おうとしてる。やらせるわけにはいかない。
《雷力解放!》
相手はまだメニューをいじってる。煤のついた相手の鎧に雷が落ちた。
《花の癒し》
けれど、その前に守護者のHPは七割くらいまで回復。あたしの攻撃じゃあ削りきれない! 今のは……聖職者の回復術?
よく見れば守護者の後ろに、いつの間にかシスターのような衣装をきた女の人が立っている。
「油断してると倒されちゃいますよ~。早く起きてくださ~い」
「あ、あぁ」
そんな会話は聞いてられない。慌てて魔法を唱える。
《雷力束縛!》
蛇のような電流が、聖職者の女にまとわりつく。
もう全て遅かったけれど。
今まであたしを探していたプレイヤー達が、みんな近くに集結している。そして、ギラギラとした目を獲物に向けるのだ。
《全てを我が身に!》
誰かが叫ぶ。今回の継続時間は10分。敵は聖職者のヒーラー6人を含む29名。数が少ないせいで、色んな所で引っ張りだこな聖職者が、こんなにいるなんて……。
絶対に削りきれないし、絶対に持たない。持ったとしても、他の人に足止めのスキルを使われるだけ。
どうすればいい? どうしようもない? それでも――簡単にやられてたまるか!
とりあえずヒーラー部隊をどうにかしなきゃいけない。暗殺者の攻撃を受けながら考える。倒す必要なんてない。戦線離脱させればいいんだ。
《重力解放!》
聖職者の1人に対して、あたしは重力魔法を放つ。けれど、動かないどころか、強い力で押されてる様子すらない。重力耐性? それなら他の呪文で!
《雷力束縛!》
男の聖職者を襲うはずだった雷撃は、なぜか近くにいた守護者に発動。しかも麻痺にならない。
まさか守護者がダメージとかを肩代わりしてるの? そんなスキル聞いたことないよ!
その守護者の白銀のプレートアーマーはいかにも硬そうで、とてもじゃないけど削れなさそう。方針を変えるしかない。
あたしは、油断して溜めの大きい技を繰り出そうとしていた相手に、魔法を繰り出した。
「敵のヘイトは前衛が取ったままだ! 支援隊はバフと回復を切らすな!」
先ほどの守護者が、大声で指示を出している。アンタが硬すぎるからこうせざるを得ないだけなんだけどね!
毒づいている間に、敵の1人が剣を振りかぶりながら駆け寄ってくる。
上段からの振り下ろしはなんとか避けられた。でもその後、一歩踏み込んでからの切り返し、そして素早い突きはもろにくらう。
相手は人間。しかも、みんな相当に手練れ。すぐに重力属性魔法が対象の移動に弱いことに気付き、出が速く移動の多い技に切り替えられた。しかもみんながみんな、知られているなかで1番面倒な状態異常である麻痺を、きちんと対策してるせいで雷系統の呪文も役に立たない。
氷と地の複合魔法を使って一気に全員をバインドにしても、瞬時に聖職者の状態異常回復が飛んで、攻撃が再開される。今のMPでもそんな頻度で使える魔法じゃないから、HPは減っていく一方。
《重力解放!》
技の後の硬直を狙って魔法を放つ。
ぶっ飛ばして与えたそもそも少ないダメージは、あらかじめかけられていた継続回復によって、あっという間に回復してしまうのだろう。
それを見届ける事もできない。次は左手から突進技が繰り出される。地面に身を投げ出すようにかわし、次の技が繰り出される前に立ち上がらなきゃと急ぐ。
立ち上がりながら、ちらりと画面の左上を見た。効果が切れるまで、まだ五分もある。
今の時点で、あたしのHPは半分を下回り、多分MPもかなり消費してしまっている。それ以上に、集中力が持ちそうにない。効果が切れるまで持てば、運次第だけど逃げられる可能性があ――――
《原点回帰》
これは……魔法? それとも神聖術かなにかのスキル? 誰が言ったのか特定できないくらい小さな声だけど、明らか呪文と分かるフレーズが聞こえてきた。
敵も不思議そうな顔をしている。これはもしかして千載一遇のチャンス? あたしは魔法を発動する。
《無の創造!》
昨日使っていなくて、逃げるきっかけになりそうな魔法、なんだけど詠唱から発動までにちょっとラグがあるのだ。
だから、先の呪文によって、なにかが発動する。あたしを中心に、細い白い輪が拡散し────
「「「「!?」」」」
その効果に、この場にいる全員が驚いた。敵のHPバーの上から、バフのアイコンと継続回復のアイコンが消え、あたしの左上に存在していた忌々しいカウントダウンが、音もなく消滅したのだ。
そして、プレイヤー達がその驚きから解放される前に、あたしの魔法が発動した。
あたしの周囲にいるプレイヤー達が全員、1,2メートル後ろへ吹き飛ばされる。
背中を打つ、ドスンという音が連鎖した。
あたしの今持ってる範囲技は氷と地の複合魔法とこれだけ。足止めだけなら、前者の方がずっと有効だけど、この魔法は怯ませる効果があるから確実に数秒間隙を作ることが出来る。
そして、その数秒の間に、あたしは森の奥へと逃げ隠れた。
再び、かくれんぼ。今回はHPもMPもないから、飛び出す事すら出来ない。ひたすら12時まで見つからないことを祈るだけ。
低木の茂みの中で、音を立てないようにメニューを開く。今の時間は11時15分過ぎ。45分も見つからないなんて奇跡、起こるわけがない。
ザッ、ザッ、ザッ
ほらもう近くにプレイヤーの足音。茂みの中も丁寧に探していくだろうから、すぐに見つかってしまうだろう。
ガサッ、ガサガサッ、ガサッ
隣の茂みを探す音が聞こえる。これでも結構頑張ったんだけど、やっぱり質と数の暴力には敵わない。このアバターともお別れかな。
ザッ、ザッ、ザクッ
足音は茂みの前で止まる。せめて見つけたやつくらいは倒してやりたい。そう思って顔を上げた瞬間、ガサッと茂みが押し開かれる。
その人が誰だか認識した時、
「ははっ」
と思わず声が出てしまった。そして、えらく得意げな顔を見て『状態異常:モンスター化は、これにかかったプレイヤーを他のプレイヤーがモンスターとして認識出来るようになってしまう状態異常です』って書いてあったことを思い出す。
その人物は小声で言った。
「あれだけの人数がいて、その中の誰でもなく俺に見つかるなんて奇跡、なかなか起きないぜ?」
そう、あたしを見つけたその人物は、イコールさんだった。