あたしがなに悪いことしたのか知らないけれど、あのトラップはエグすぎる!(上)
(上)とは書かれてますが、キリの良いところで終わっています
「で? また昨日は遅くまで起きていたの?」
朝起きて食卓につくなり、母親はそう問いただしてきた。多分、あたしの顔に『眠い』と書かれているからだろう。
…………本当に、マジックの太ペンで書かれていてもおかしくないくらいに眠いんだよね。
「いつも通りに寝たよ。寝つきが悪かっただけ」
手を動かして、食べ物の位置を確認しながら、あたしはこたえる。
そう寝付けなかっただけ。そりゃあんな終わり方したら気になるよ! 気になって気になって、眠れなかっただけ。
「子供みたいな言い訳しないでくれない?」
「……………………」
自分でもそう思ったよ。ぐうの音も出ない。
「眠いなら早く寝なさい? ……まったく、目が見えなくなるまで本を読み続けるものかと呆れてたけど、まさか目が見えなくなっても本を読み続けるとは思わなかったわ」
……人が隠してきたことをさ、そうやって軽々しく言うのをやめて欲しいんだよね。
あたしは、目が見えない。
小さい頃から本が大好きで、小学校時代の休み時間をほとんど図書室で過ごした。多い時は1日に3冊ぐらい読んでいたかな。そんな生活をしていれば目が悪くなるのも当然と考えて、眼科に行って詳しく検査をしなかったのを、今でも悔やんでいる。比較的軽症で済むことが多い病気が、ここまで悪化したのはそのせいだったから。
日常生活を送るために、色々と苦労したのだけれどその話は割愛しよう。あたしの読書癖は、視力をなくしても治らなかった。点字もすぐに覚えたし、科学の進歩のおかげで、VR技術を使って、目が見えなくても電子書籍を読めるサービスなんてものもあった。見つけたときは興奮したなぁ。
でも、何かが違う。
どうしても、本を読んでる気にならない。
そして、あたしは本が好きなだけじゃなく、読書するという行為自体が好きだったんだと気付いた。
ハードカバーの、内容を保証するような質量感。文庫本の、手のひらにフィットするサイズ感。一度読んだ本をパラパラとめくってみたり、適当なページを開いてそこから読んだり。
そんなのが「読書」だということに気付いたあたしは、それをもう一度体感できるものをVR空間で求めて、辿り着いたのがGladius&MagicusのCBTだった。
魔法使いや聖職者がスキルを身に付けるためのアイテムとして用意された本は、スキルによって内容が違うだけじゃなくて、形状も質感も現実のものそっくりの、まさにあたしが求めていたものだった。
これがゲームを始めた理由で、ゲームを続けている理由。だから、あたしが望むのは平穏に本が読むことだけなんだけど……。
それが、結構難しいんだよね……。
その日の夜。Gladius&Magicusを開き、オープニングムービーを飛ばしてログイン画面へ。ここまで15秒、素晴らしいタイム。けれどその画面に表示された基本ステータスが、ちょっとおかしいことに気付いた。ログインするにはもう少し時間がかかりそう。
おかしいというか、文字化けしてるというか。いくつかの欄に『?????ョ?」ョ』という感じの意味の、意味をなさない文字列が表示されている。
具体的に言うのなら現在地と職業欄が文字化けしてる。
でも、まぁこれこそ考えても仕方のないことだよね。あとで運営にメールを送っておこう。あたしは、そうしてようやくゲームにログインしたのだった。
あたしが降り立ったのは、喧騒が溢れる王都の街中でも、大きな書棚がずらりと並ぶ図書館らしき場所でもなかった。
喧騒どころか、人も、建物もない。あるのは、見渡す限りの草原だけ。いや、振り返えれば森が見えるけど、そんなの誤差に近いよね。
あたしが踏んだのは転移系のトラップなのかな? そんなの存在するなんて聞いたことないけれど。いやいやそれ以前に、街でログアウトしたらその場所にログインするっていう大原則はどこへいったの?
そしてなにより気になるのは、このトラップが、無差別的に仕掛けられたのか、それともあたしに対するものなのか。トリガーを引いてしまったことから派生するものなら後者だけど、これ自体はトリガーでもなんでもないみたいだし……。
とにかく、だね。あたしはメニューを開き、マップを呼び出す。こういう時はまず現在地を知るのがベストだよね。
マップの縮尺ををどんどん小さくしていくと、1/5000ぐらいで王都が見えた。40kmあるかないかぐらい? 遠いなぁ。あっ、でも森の先に小さな村があるみたい。ここなら馬で行けばすぐ着きそう。
というわけで馬を呼び出すと、どこからともなく馬がヒヒーンと鳴いて登場してきた。けれど搭乗ボタンが現れない。というか、馬さん怯えてる? 馬は目をこちらに固定したまま、ガタガタ震えている。 もしかして……あたしを見て怯えてるの?
しばらくの間、あんまりにも震えているので動けなかったけれど、あたしが害をなさないことに気付いたのだろう、馬の震えは止まった。勇気を出して馬に近づい――
ヒ、ヒヒーン。
いななきを残して馬は走り去ってしまった。なんかショック。ちょっと怖くなって、メニューの騎乗モンスター一覧開いてみたけれど、さすがに呼び出し不可にはなってなかったので一安心。けど一体今のは何?
一通り悩んでみたけれど、答えは出ない。当然のことだけれど。GMコールをするべきなのかな?
メニューを開いたまま悩んで、とりあえずGMコールの文面作成画面を開いてみた。するとポップアップが表示される。
その『次のような場合にはお手数ですがGMコールではなく、******* サポートセンターにあるメールフォームからお願いします。』という項目にはこうあった
『・緊急を要しない不具合の報告』
今のあたしの状況って多分『緊急を要しない不具合』だよね? それならGMコールは控えたほうがいいのかな?
かと言って今すぐログアウトするのもあれだよね。再現性があるかどうかも知りたいし、辿りつけるか怪しいけれど村に向かってみるしかないか……。
あたしはメニューを閉じ、森が見える方向へとぼとぼ歩き出した。
何も起きない。モンスターとのエンカウントさえない、もうすぐ森へついてしまうっていうのに。
ログインしてから、ううん違う、あのよく分からない物を踏んでから、明らかに何かがおかしい。
ログインした位置はプレイヤーならあり得ない草原の中。
馬、言い換えるならプレイヤーの移動手段を使えない。
プレイヤーを狙ってくるはずなのにモンスターと出会わない。
もう少し情報があれば分かりそうのに、その情報を与えてくれる人もここにはいない。散々だね、泣かないけど。
ため息をつきながらも歩く。あたしは森へ向かって歩き続ける……のをやめ、無意識に歩みを止めていた。
プレイヤーならあり得ない。
プレイヤーの移動手段を使えない。
プレイヤーを狙ってくるはずなのに。
……冷静に考え直してみて、あたしは考える必要があったのかどうか分からないほど、考えなおさなきゃ気付けなかった自分を責めたくなるほど、ひどい状況にいるんじゃないかと思えてきた。
ここから出よう。すぐにログアウトしよう。そしてすぐにサポートセンターにメールを書こう。そうだったね、そうだったよ。うちのネット回線は12時に切れてしまう。その寸前までゲームしていたら、今日中にメールを出せないもんね。早く落ちるしかない!
善は急げ。慌ててメニューを開きログアウトアイコンを押す。が、押しても押しても終了メニューは開かれない。なに? 今度はログアウト出来ないの? どこのソードでアートなデスゲーム!?
混乱したのは一瞬。ログアウト出来ない理由はすぐに分かった。自分の視界の左上にHPバーが表示されている。これは戦闘が始まった証だ。このゲーム、戦闘中はログアウト出来ないの。だからこれはあくまでゲームの仕様。
けれど、けれど。
「ターゲットがいたぞぉおおお」
明らかにあたしを指差して、敵意を露にして森の中にいた男が叫ぶ。彼は武器を構えているにも関わらず、周りにモンスターは存在しない。
PvPは存在しないはずなのに……早くも次の混乱に襲われつつあったあたしに、ようやく『あと少しの情報』が与えられた。
HPバーの上に、状態異常を示すアイコンが、けれど、あたしのみたこともない、獣の描かれたアイコンが存在している。
戦闘が始まってるのも忘れてメニューを開いた。そして、今までまったく気にしていなかったステータスの画面を見る。
そこには、今までの色々な出来事を引き起こした原因と思われるバッドステータスが、しっかりと書かれていた。
『バッドステータス:モンスター化』




