‐Ⅰ.魔王は勇者がいなくてもなれるけど勇者は魔王がいないとなれない‐ 3
ヴン、とヨキにだけ聞こえる耳鳴りがした。
《彼我の戦力差を数値化すると、十七対百二です。逃走を推奨します》
(うるさい、黙っていろ)
頭に直接語りかけてくるような女の声。心の中で返答すると、さらに言葉が返った。
《分かりやすく喩えるならアリンコとゾウくらいの戦力差です》
(黙っていろと……ってかその喩え、いらなくない?)
《さらにたとえるなら遊び人と勇者くらいの戦力差です》
「え? それはむしろ遊び人を過小評価してない?」
《いえ、逆にアリンコがすごいんです。ランダムに群れを分けても三対七の割合で休息をとるものと働くものとに分かれる、不思議な生態をしているそうです》
「戦力の話はどこいった!? ってかやっぱり遊び人さん見くびってんぞソレ! おまえ遊び人さんナメんなよ! 遊び人さんは三割どころか十割が遊びだぞ! 十割そば並みにつなぎなしで遊びだかんな! いい年して働きもせずフルタイムで遊ぶなんて、普通の神経してたらとっくに我に返ってるレベルだぞ!」
「……アンタさっきから一人で何を言ってんのよ」
「ハッ!?」
セラフに半眼で突っ込まれて大仰に驚く。途中から声に出していたヨキだったが、彼が会話していた相棒の声は、普段はほかの人間には聞こえない。どこからか電波を受信していきなり叫びだしたようにしか見えなかった。
そこに攻撃するのは、さしものセラフにもためらわれたらしい。
「ま、アンタの悪行もこれまでよ」
妥協を知らない正義の味方には珍しく、余裕の表情だった。とは言え屈託のない笑顔のひとつも見せればかわいいものだったが、勝利を確信した笑みはそれでも怜悧な美しさがある。
「とうとう尻尾を掴んだんだから。街中にバラまかれてたビラにあるこの『無限会社』ってのが、アンタの組織のもうひとつの顔だってのは裏が取れてるのよ。これが動かぬ証拠になって堂々と逮捕――」
彼女は手に持った『証拠』のビラに目を落とし、怪訝な表情になった。声が低くなる。
「……これは何なの?」
『自宅警備業務あっせん連絡所 無限会社イクナイ』
ビラにはそう書かれていた。
続く文字を読み進めるうちに、セラフは勇ましい表情がすっかり消え去った。
『業務のノウハウも教えています。
誰でもなれる! あなたのひきこもり力を強力プロデュース!』
考えれば考えるほどげんなりと疲労しながら、間違いなくそう書いてあるビラの意味を読みとろうとしていた。
「? 読んだとおりのものだが? 平易で端的、完璧なキャッチコピーだろう」
当然とばかりに返すヨキだったが、セラフは頭痛が余計にひどくなったようだった。自分が出動させられた原因でもあるソレに、どう対処していいか分からず理不尽な怒りを感じているようだった。
「支援するの? ひきこもりを? なんで?」
「ボランティアだが。社会の要請だな」
「確認だけど……つまりアンタは、善意で、しかも慈善行為をしてるつもりなのね?」
「イグザクトリー」
ヨキが親指を立てて鷹揚に頷くと、セラフはとうとう頭を抱えてしまう。
「い み が わ か ら な い」
彼女は言葉を探しあぐねていた。ビラがわざわざ組織の名前を隠していることに気をとられ、悪行だと思い込んでいたのだ。こんなわけの分からないビラ一枚では捕まえることはできない。
「アタシも暇じゃないんだけど」
「知っている。今日び時間をもてあましている公僕などおるまい」
「じゃなくてそのー……さっさと通報のあった悪人を捕まえて帰りたいワケよ」
「そうか、大変だな。まぁ私は昨日はビラを配っただけだがな。私も先を急いでいるのでこの辺で失礼させてもらう。互いに時間を無駄にするのは得策ではあるまい。ではまた会おう」
「悪事を働きなさいよ」
「ブフォォッ!!」
ヨキは盛大に吹き出した。
「このやり取り何度目だ!」
「アンタのほうこそいい加減にしなさいよ! 悪党のくせに何でそんな中途半端なことしてんの!? もっと刑法に思いっきり引っかかりそうなことしなさいよ!」
「勝手なことを言うな! 私は無理やり組織と役目を押し付けられたんだ!
それまではオタク産業の行く末を気にしながらも平和な日々を過ごしていたのに!」
一般の人間が耳にしたらあからさまに聞きとがめそうな三文字があったが、セラフには些細なことを気にした様子はない。睨みを利かせ、地面に突き立った剣を引き抜きつつ刀身を撫でると、手首を返して振りかぶった。
「しゃらくさいのよっ!」
「ぅわぁいっ!?」
ヨキは間一髪のところで避けて距離をとる。
「チッ」
「いきなり何をする! それと今、舌打ちしたな!」
「コホン。えーっと……ここで会ったが百年目ね、伯爵! こんなところで会うとは思わなかったけど、今日という今日はこの因縁に決着をつけましょう!」
「だから、なかったことにするなよ! 言っておくが私は悪事など働いていないぞ!」
「さぁ、武器を抜きなさい! 一秒くらい待ってあげるわ!」
「いや、さっき無防備なところに全力できただろ!」
「はい待った・ちぇすとォッ!」
「バカなぁぁっ――っ!?」
真紅の美しい剣プロミネンスが、文字通り火を噴く。
冗談みたいなやり取りののち、冗談みたいな熱量が一帯を灼熱地獄へと変容させた。