‐Ⅰ.魔王は勇者がいなくてもなれるけど勇者は魔王がいないとなれない‐
「♪〜」
ズルズルと麺をすする音が小気味よく響く狭い部屋を、片眼鏡の青年はいたたまれない気分で見回した。ネコミミ執事は楽しそうにカップ麺を食べている。残るもう一人も一心に食事しているのを確認すると、青年は浮かした腰を下ろした。
「殲滅しに来たんだけどッ。ラキ伯爵ッ」
「は、はいっ!?」
やや強めに繰り返されると青年は慌てて立ち上がった。それから正義に屈しない強い心を思い出して動揺を落ち着ける。
「まぁ落ち着け。私が何をしたというのか。そもそも私はヨキだぞ。ラキではない」
「何もしてないからわざわざここまで来たんじゃない」
「えっなにそれ」
強めの語調でしかりつけるような少女は、邪気のない生真面目な『正義の味方』を体現していた。真面目すぎるほどの高潔な魂は、たとえどんな小さな悪も見逃さない。言っていることが多少ちぐはぐになっていても彼女は気にしないのだ。
ヨキにとってそれはわけの分からない非難に違いなかったが、悪の総統の言い分を誰が気にかけるというのか。
「何もしてないなら問題ないだろう。アレがばれたわけでもあるまいし」
「アレって何よ」
「アレはほら、アレだ。ナニをチョメチョメした感じの」
「なんかイヤラシイわね」
セラフは少しだけ頬を染めた。焦れたように土足で詰め寄る。
「ともかく! いいから悪事を働きなさいよ。そしたら捕まえて、すぐに帰れるから」
「む、むちゃくちゃな!」
手前勝手な理屈を並べ立てる正義の味方の少女に、悪の総統は理不尽さを感じた。
「いいから悪事を働きなさいよ。きっかり刑法に引っかかる感じのやつ。
猥褻物陳列罪でもストリーキングでもポロリストでもなんでもいいから」
「刑法では同じ罪状だよ! 何で基本的に脱ぐシナリオなんだ!」
ヨキはたまらず叫び声をあげるが、それでひるむ正義の味方ではなかった。
「男のくせに細かいわよ。変態だって悪の総統だって悪人には違いないじゃない」
「全然違うわ! そりゃ素人さんには分からないだろうけどね、こっちはプライド賭けてやってんだよ! 自分を解放しちゃっただけの人たちと一緒にしないでもらいたい!」
「はぁ……こっちも慈善事業でやってるわけじゃないのよねぇ〜」
「それ正義の味方のセリフ!?」
口をすっぱくして言い返すヨキだったが、めんどうになったセラフはどこからともなく武器を呼びだした。テレビでおなじみのそれは、今はさすがに火を噴いてはいないが、切れ味のよさは折り紙つきだった。
言葉に詰まり、のどを鳴らすヨキ。
「あんたが悪事を働くの、あと二秒くらい待ってあげるわ」
「悪魔か!」
「正義よ! ちぇすとぉぉっ!」
「あ、そっか――ぎゃあっ!」
突然斬りかかってきたのを間一髪でよける。
むごたらしく斬りつけられた畳を、ヨキは悲愴の目で見つめた。
「あぁっ! 敷金の四万円が!?」
庶民じみた嘆きを上げ、狭い部屋の中で距離をとる。するとちょうど、ちゃぶ台の上に乗っていたカップ麺が中身を散乱させて台無しになっているのを見つけてさらに悲鳴を上げた。ズルズル言っていたうち、大のほうが声をかける。
「ん? どうしました、ご主人」
「わ、私の濃厚豚骨背脂醤油にんにくラーメンから背脂を抜いたラーメンがっ!」
「なにやら壮絶な二度手間ですね」
怒り心頭となるヨキだったが、かと言って正義の味方のセラフが見逃してくれるはずもない。悔しそうにほぞを噛みつつ背後の窓から飛び出して緊急事態を脱した。
小のネコミミ執事のほうが気づいて、間延びした声をかける。
「あれ? ヨキさまー、お出かけですかー?」
「この緊急事態が見えないの!?
お出かけどころか一歩間違えたら帰らぬ人なんだけど!」
事態を察しても悠長な構えは変わらなかった。
「わ。敵さんですね。自動車とかには十分気をつけてくださいね? それから……そだ、お外に出るならお夕飯の買出しもお願いします」
「着眼点が惜しい! 気をつけるのは車よりもまずコイツ!」
ずびし! とセラフを指差すと、彼女は(それでもしばらく待っていてくれたようだが)堪えかねて剣を大上段に構えた。
「ふんっ、逃がすかー!」
「フンッ! 今日のところは見逃してください!!!」
二人が騒々しく出て行くと、残されたほうの二人は、顔を見合わせてから黙々とカップ麺を食べ始めた。