‐prologue. おとぎの国の不文律 3
それが開戦の端緒となった。
「はあぁぁっ!」
先制はセラフだ。彼女自身の瞬発力もそうだが、重々しい剣ながら柔らかな手首で鋭い連突きを繰り出すのは、さながら弾丸のようだった。
ラキも負けてはいない。身のこなしだけで刺突の雨あられを躱しきり、わずかな連携の変化を読んで強引に斬り返す。武器破壊を見据えた、下から払いあげる渾身の一撃。
「――っ!?」
歴戦の経験で読みきった完璧なタイミングだったが、セラフの武器はそれを弾き返していた。ラキは間一髪で追撃を躱し、続く強烈な二の剣、三の剣と刃を重ねる。
たったの二合、斬りあっただけで分かる。ラキは少女に力負けしていた。
《報道の諸君らには何が起きているか分かりづらいと思う。手元の資料に補足を加えながら解説を加えよう。初めに言っておくがあの衣装は最先端技術の結晶であって伊達や酔狂ではない。交差物理学や間分岐力学、ほかにもいくつかの新たな学問によって完成させた次世代のスーツだ。手始めにパワーアシスト機構と、あらゆる衝撃を後方へ散逸させるショックアブソーブ機能を組み込んである》
「せやあぁっ!」
乾坤一擲の声。衣装が燐光を帯びたかと思うと、剣戟の音が響きわたる。同時に打ち込んだはずだったが、ラキだけが後方へ吹き飛んでいた。
《パワーアシスト。ショックアブソーブ。これらが相互作用することで、本来なら人間の体には耐え切れない数トンから瞬間的には百トンあまりのパワーを可能にした》
吹き飛ばされたラキは周囲に転がる金属の残骸にぶち当たり、粉塵を巻き上げる。
「ぐぅっ――」
倒れることこそなかったものの相当なダメージを追っていた。頭から流血していて右目をふさいでいる。口の端からも吐血していた。
たったの十数秒で、セラフの圧倒的優位に傾いていた。
休憩はない。そこらに転がっていた無数のくず鉄が彼めがけて襲いかかる。
ラキは険相をなお一層深め、しかし気力を極限まで高める。
「はあぁッ!」
一閃する黒刀。
何の特別な力も持たない攻撃だ。それでも達人の領域の剣技は、海を割るように鉄の大津波を斬り開いた。だが次に視界を埋めたのは空ではなく巨大な炎だった。
「ロード、昏黄波紋・フレイムロード!」
夕闇かと見まがうような、一面の赤黒い炎。逃げ場のない包囲攻撃に何かをしようと彼がコートに手をかけたところで、炎の海を割ってセラフが踊りかかる。ただ一人で仕掛ける、絶妙な波状攻撃だった。
ラキはコートから手を放し、否応なく刀を構えた。
「小癪」
ぽつりと、静かにそうこぼす。だがその口元には、今まで見せたことのない獰猛な笑みが浮かんでいた。よどみない動きで蛇の巻きつく拵えの鞘に刀をしまう。
バリケードで全周囲を覆われたはずの工場内に突風が吹きすさび、コートが翻った。
「蛇蠍封縛鞘、――『虚朧』」
コートを跳ね上げて内側から飛び出したのは、黒い霧だった。鞘が粒子状になって爆発するように舞い散ったのだ。禍々しい濃霧は炎を遮断して左右に割り開き、セラフを寄せ付けない。反撃の気力を総身に込めて顔を上げるラキだったが、踏み出しかけた足が止まる。
「――ッ」
セラフが剣をおろし、寂しげな表情を浮かべていたのだ。
「……伯爵、あんたは悪人だったけど、悪事を働いたことはなかったわね」
「何が言いたい」
「一般人を傷つけたり、何かを壊したりはしなかった。悪の秘密結社のクセにね」
ラキは意図を読みあぐねて閉口した。
「だから、あんたがソレを使う前になんとしてでも決着をつけたかったわ」
「くだらん話だ。それで時間を稼いだつも――」
不意に言葉が途切れた。
どんと殴られたような衝撃が走り、彼はたたらを踏んで刀を取り落とす。武器を拾おうと地面を見下ろす彼の腕に、弾痕ができていた。
腕を狙撃されたのだ。ラキが武器を解放することが、狙撃の合図になっていたようだ。銃声はなかった。立て続けに浴びせられる銃弾に、心臓の前で腕を交差して耐える。
「か、は――っ!?」
彼は狙撃手を探そうとしたが、炎に取り囲まれていてすぐに諦めた。何より、見つけたとしても炎の壁とセラフの包囲を突破できるはずもない。
銃弾は一発たりとも彼を逃さなかった。左右の足を順番に撃ちぬき、そして腹を、胸を、一切の容赦なく滅多撃ちにしていく。
銃弾の雨がやんだのは、何十発という銃弾が撃ちこまれてからだった。同時に炎の壁も取り去られると、バリケード外の音も聞こえるようになる。
《――という具合に、炎に包まれて伯爵のほうは酸欠と、灼熱の空気を吸い込んだために肺を焼かれていることだろう。セラフのほうも一見すると無防備に見えるが、理力によって防護されているため大事はなし。出力にもよるが、理論上は三千度の熱にも耐えられる設計だ》
ラキは盛大に血を吐き、正義の前に膝を屈した。
一刀にして鉄塊を斬り捨てた彼も、非情な銃撃にただ無抵抗に打ちのめされるさまは、所詮は生身の人間に過ぎないことを物語っていた。
血だまりの中に膝をつく。それでもショック死しない精神力は驚嘆に値した。
カメラのフラッシュが戻ると、セラフは表情を消していた。
「……あんたはなんで『悪の秘密結社』を名乗ったの?
言葉少なながら戸惑いが感じられた。
「初めから悪を掲げていたのではない。私の敵が、『正義の味方』を名乗ったからだ」
ラキは至極真面目に答える。
「何よそれ。答えになってないわね」
ともすれば言葉遊びのような回答だったが、彼の真剣な表情に嘘偽りは見えない。息も絶え絶えに渾身の力で立ち上がり、ラキは切っ先の定まらない刀を両手に握った。
壮絶な覚悟を秘め、その眼光にかげりはなかった。セラフは息を呑む。
「この世界は、何者かによって巧妙に仕組まれた大いなる寓話だ。社会によって悪と認定された者にも、そうなる必然があった。私は彼らの言い分を代弁したに過ぎない」