それは強奪です、皇女様
アイラは急ぎ足にエリーシャについて歩きながらたずねた。
「あの人、お知り合いなんですか?」
「あの人?」
「ええ、さっき被害者の人を預けた……」
本当は役人が来るまで待っていなければならないのだが、エリーシャはそれを無視したのだ。めんどくさいというのが彼女の言い分。
「ああ、近くの酒場の主人。人柄は保証できるから、大丈夫」
アイラは繁華街には近寄らないようにしていたから、酒場の主人になど知り合いはいない。エリーシャはしばしば後宮を抜け出ているのだろうか。
それからは、もめ事に巻き込まれることもなく無事に繁華街を通り抜けて住宅街へと入る。アイラの家はそこにあった。
当然のことながら、家は出た時と変わったようには見えなかった。家の前に立つと、エリーシャは顎をしゃくった。
「鍵開けて――それから、ジェンセンの研究室に連れて行ってちょうだい」
「……かしこまりました」
アイラはエリーシャに言われるままに扉を開く。それから研究室の方へと皇女を導いていった。
「今、明かりをつけますね」
アイラはランプをともした。研究室中がぼうっと明るくなる。
「――恐ろしい数の本ね」
エリーシャは研究室中をぐるりと見回した。出かける前にアイラが片づけたから、いつもよりはだいぶましだ。今日、父が戻ってきた気配もない。
「元、宮廷魔術師だったそうですからね――宮廷をやめてからも、研究だけは続けてました」
「――でしょうね。でも、困ったわ。まさかここまでとは思わなかったもの」
エリーシャは困惑した様子で、書物の並んでいる棚に手を置く。指を滑らせて、一冊一冊、書物の背表紙を確認していく。
「ここにくれば、すぐに見つかると思ったんだけど――」
「何をお探しなんです?」
エリーシャは書棚からくるりと振り返った。
「うん、ある魔術を探しているの。この研究所の本棚の中にあるとは思ったんだけど――」
うんうんと考え込みながら、エリーシャは書棚の書物を一冊ずつ出して中をめくっては戻していく。
「……決めた」
「何ですか?」
「この部屋の書物、全部持って行くわ!」
アイラはぽかんと口を開けた。
「困ります、それは――」
父が帰ってきた時に、研究所が空になっているのは困る。
「大丈夫、ちょっと借りるだけだから。ジェンセンが戻ってきたらちゃんと返すし――」
アイラの言葉には耳も貸さず、エリーシャは素早く全ての本棚を確認していった。
「うん、やっぱり全部持って行くわ!」
「……困ります……」
アイラの抵抗は、エリーシャによって完全に無視されたのだった。
† † †
これは強奪ではないのだろうか。
翌日には研究所中の書物を皇女宮に運ばせると言っているエリーシャの後からアイラはとぼとぼとついていく。
夜の町は、まだ人がたくさんいた。酔っぱらいたちが行き来している様を、エリーシャはわくわくした様子で見ている。
「ねぇ、アイラ。あの店に寄っていかない?」
エリーシャが一軒の店を指した。
「何だか飲みたくなっちゃったのよね」
「早く帰った方がいいんじゃ……」
「だいじょぶ、だいじょぶ、いつものことだから」
エリーシャは、アイラを引きずるようにして一軒の酒場に入っていった。
「ビール二杯! それからウィンナー盛り合わせに、フライドポテト!」
混んでいる酒場の隅にエリーシャは席を取る。アイラはエリーシャの横にちょこんと腰を下ろして、注文した品が運ばれてくるのを待っていた。
「はい、乾杯!」
二人の前にビールが運ばれてくると、エリーシャはジョッキをアイラと打ち合わせて中身を一気にあけた。
「おかわり! 今度は大きい方のジョッキでね!」
「なんだかなぁ」
ジョッキを運んできた店主が、エリーシャの方を見て笑った。
「エリーシャ様と同じ名前なのに、ぜんぜん違うんだからなぁ」
ビールにむせたアイラは妙な音を立てた。
「あらあら、皇女様と同じ名前だからって中身まで同じというわけにはいかないでしょ」
悪びれない顔で、エリーシャは店主の運ばんできたジョッキを手に取った。
「まあ、そりゃそうだよな。こっちのお嬢ちゃんは?」
「友達」
店主は、アイラの方にもにこにことして声をかけてくれる。
「そっかー、エリーシャの友人かい。まあ仲良くしてやってくれよ。彼女も悪い奴じゃないからな」
アイラはうつむいた。鼻に入ったビールが痛い。ハンカチで鼻を押さえて悶絶していると、げらげらとエリーシャは笑う。
「そうねー、悪い奴じゃないわ、少なくとも」
どれだけ食べるのかとアイラの方はげんなりしていた。夕食前の酒盛り、夕食もアイラの目には多すぎると思う量をぺろりとたいらげ、そして今はさらにビールにつまみだ。
「このお店、常連なんですか?」
ようやく鼻の痛みのおさまったアイラは目の前のビールに意識を戻した。
「そうね、しょちゅう飲みに来てるから」
「しょっちゅう――?」
「うん、あの道使えばここまですぐでしょ」
確かに皇女宮からここまでは、裏道から出れば近い。毎晩抜け出しているのかと思うとぞっとする。
アイラの耳元でエリーシャは言った。
「リアルな市井の様子を知りたいのよ――一応、次期皇位継承者ですからね」
遊びたいだけではないのだろうか――じろりと見たアイラは、エリーシャは無視すると決めたようだった。
「ああ、エリーシャ」
三杯目のビールを運んできた店主が、エリーシャに声をかけた。
「さっきの女の子なあ、あんたにお礼を言いたいと言ってたぞ」
「別にいいのに。それじゃ、今度会ったらビールを一杯ご馳走してって言っといて」
「わかった、伝えておく」
エリーシャが満足して店を出たのは、真夜中近くなろうかという頃だった。